25.雷皇
数日後、二人の「侵入者」は里へあと一歩といったところ、闇の森まで歩を進めていた。
仮面の剣士は重苦しい空気の中で、森全体に満ちている魔力を感じていた。
結界で里を封じただけでなく、周囲を「迷路」に仕立ててあるらしい。気づかずに迷い込めば、出口もわからず彷徨い続けることだろう。
剣士はジークの先を行きながら、辺りに気を配りつつ慎重に足を運んだ。
森は静まり返り、鳥の囀りすら聞こえてこない。風もなく、冷たい空気が痛いほど張りつめている。
その中を歩く二人は、沈黙する「何か」の気配を感じ取っていた。
この森には、「何か」が眠っている――
剣士が、ふと歩みを止めた。
「……気づかれた」
その声にジークも立ち止まり、剣の柄に手を掛けた。
「来るぞ」
剣士が言うや否や、前方の景色が閃光に包まれた。一瞬にしてそこの樹々が弾け飛ぶと、「敵」がその上を飛び上がり、二人の前に姿を現した。
青白い爬虫類の肌、広い背に生える両翼、四肢の先に五指と尖る爪、後肢の向こうには、尾が長く伸びている。頭部は蜥蜴に似ているようで威圧感がまるで違い、額から頭上を抜け背に掛けて、水晶のようなたてがみ状の突起が連なる。
銀の眼、耳先まで裂けた口、耳の上に一対の角、鼻先にも小さな突起があった。
「雷皇」の異名で呼ばれる、三角を持つ竜族である。
ジークは抜刀しつつ、驚きの声を上げた。
「サンダードラゴン!?」
全高が60フィートはある巨体の鱗が光り輝き、森全体に響き渡る咆哮を上げる。
と、その身体から滲み出る光が一筋の雷撃となって、鎧の剣士を襲った――かに、見えた。
――
それから四半刻も経ったころ、人間の兵士が二人、その場に立っていた。
「……凄まじいな」
兵士は驚きと感嘆を滲ませて呟き、「嵐」の起こった周辺を見回した。
緑深い森林の樹々が薙ぎ倒され、“拓けて”しまった辺りは、戦闘の激しさを物語っている。
大地は抉られ、粉塵が今も舞う。焼け焦げた切り株や草むら、割かれた幹がそこかしこに散乱していた。
「弱体化したとは言っても、ドラゴンこそ、まさに『神にも等しい』存在だろうよ。
どんなウィザードも、『雷撃』で、これだけのことはできまい」
「魔力だけでなく、知能も人以上だからな。やたらと攻撃して、隙を突かれるようなこともない。
――やはり、侵入者は死んだかな」
「死体は見当たらないが……」
二人の兵士は周囲を見て回ったが、敵の首どころか、腕一本見当たらない。
「骨も残さず、燃やし尽くされたのかもしれんぞ」
一人が言いながら立ち木の下に行くと、その頭上から何かが落ちてきた。
「ぐわっ!」
その声に、もう一人の兵士が振り向くと、そこに白魔族の聖騎士が――ジークが、立っていた。その足元に、たった今まで話していた同僚が、声もなく倒れている。
「なっ……!?」
兵士が剣を取ろうと、腰に手をやった、その瞬間には目の前まで来ていたジークが、剣を鞘ごと飛ばしていた。
そのまま剣先を兵士の喉元に当てると、無機質な声でジークは言った。
「命までは取らぬ。案内してもらおうか」
兵士は驚きと恐怖で、震えながら後ずさった。
「ま……まさか、そんな……ドラゴン、は」
はっと気配を感じて兵士が後ろを振り返ると、サンダードラゴンが、頭上に銀の剣士を乗せて座っていた。
ドラゴンはなんの感情も見せず、樹々を吹き飛ばした辺りは、その巨体の居場所を作っただけであるかのように、静かに兵士を見下ろしていた。
――
「この河か」
ジークが尋ねると、兵士は半ば放心した様子で頷いた。
眼前には、静かに流れる大河が広がっていた。
河幅はかなりありそうだったが、辺りに靄がかかっていて、向こう岸はまるで見えない。
ジークが振り返ると、後ろにいた剣士はドラゴンから飛び降り、河岸へ進み出た。すっと右手を前に突き出すと、静かに呪文の詠誦を始める。
「我が友 旧き友 水の護りよ 我が呼び声に応じよ」
水面が、次第に波立つ。
「其が盟約はすでに破れり 我が前に道は通ず」
差し出した右手に光が集まり、剣士の体がゆっくりと宙に浮き上がる。水は激しく逆巻き、荒れ狂う。
「厚き帳よ これに開きて天に還れ――解除せよ!」
呪文が終わると同時に、剣士を取り巻く光が一条の矢となって、靄の中に突き刺さった。
その時風が吹き荒れ、光が何かに押し戻されて剣士を直撃した。衝撃に鎧が罅割れ、胸元のプレートが外れて、その首に金色のチョーカーが光る。
「イレーヌ様!」
ジークが思わず叫んだ。
人間の兵士は驚いて、光の中の剣士を見上げた。
銀の鎧が粉々に吹き飛び、編んでいた髪が解ける。仮面も真っ二つに割れ弾け飛んで、隠されていた妖精の姿を露にした。
光の中で、イレーヌは不敵に笑った。
その刹那、白い体から眩いばかりの光が放たれ、ジークと兵士は目を瞑った。冷たい風が轟音とともに辺りを駆け抜け、体が吹き飛ばされそうになる。
一瞬、目を閉じていてもわかるほどの光が辺りを包み、不意に風がやんだ。
「もうよいぞ、ジーク」
ジークが目を開けると、いつも通りの姿のイレーヌが立っていた。靄は跡形もなく消え去り、河は穏やかな流れを取り戻している。
向こうの遥か対岸には、人里らしきものが見えた。
「あ……よ、妖精……?」
兵士は腰を抜かし、その場に座り込んだ。後ろのサンダードラゴンは何に動じることもなく、無表情な眼でイレーヌを見ている。
イレーヌはドラゴンに近づくと、微笑んで言った。
「ジークもよいか?」
ドラゴンは少し目を細め、イレーヌの前に頭を下げた。
イレーヌはその上に飛び乗ると、ジークに向かって手を差しのべた。
「来い」
ジークは一瞬躊躇したが、ややあってイレーヌの手を取った。
「……失礼致します」
そう言って、ジークもイレーヌの後ろに乗った。
呆然とする兵士の前でドラゴンは翼を広げ、一声嘶くとたちまち舞い上がり、対岸に向けて飛び去った。




