22.選択した道
魔天軍の侵攻が、再び始まった。
魔天軍の将軍の一人が戦死したという情報は、人間軍には意気の上がる吉報だったものの、新たな第三軍の進撃はその勢いを消し、ありあまる激しさだった。
人間の士気が今一つ奮わなかったのは、将軍を実際に倒した者がわからなかったためでもある。
人間の軍幹部では訝しんだが、いくら呼びかけても名乗り出る者は誰も未熟で、将軍の暗殺などが成し遂げられる者とは到底思われず、真の「英雄」は謎のままであった。
その一方で、魔天軍にはまた一人、強力な剣士が現れていた。
「ぷはっ!」
ラシードは仮面を脱ぎ捨て、腕で額の汗を拭いながら、大きく息を吐いた。
「ったく、鬱陶しいったらありゃしねえ」
「……ならば、被らなければよかろう」
棘のあるジークの言葉に、ラシードはむっとした。
「見たところ、斬ってはいても一人も致命傷を与えておるまい。人間であるがゆえの、こだわりか」
ジークは冷たい視線で、畳みかける。
「未練があるなら、国に戻れってのか」
ラシードもきつく睨み返した。仮面を拾い上げるとジークのほうに突き出し、敵意を込めて笑った。
「あいにく、“これ”は命令なんでな。一応気は遣ってくれるらしい。
それとも、“だから”気に入らねえのか?」
その光沢のある白い仮面は、イレーヌに与えられた魔道具である。目の辺りに細い窓があるほかは窪みもない丸い面で、呼吸も呪文の詠誦も可能である。
黒髪に琥珀色の肌を持ち、人間にしては長身のラシードは、黒魔族とほとんど変わらない。顔さえ見られなければ問題なかったが、仮面には個人の認識を阻害する、幻惑魔法もかけてある。
ラシードの正体が人間軍にわからぬよう作られた仮面は、確かに、イレーヌの気遣いによる品だった。
「不機嫌なツラしてねえで、イレーヌに直訴してみたらどうだ。俺の面倒を見るのはごめんだってな」
「こちらもあいにく、命令だ」
「なら……」
無表情のジークにラシードがまた反論しようとした時、遠くからほかの声が遮った。
「ジーク殿、ちょっと!」
少し離れた場所から、イアンが手招きしている。するとジークは、何も言わずに行ってしまった。
「……ふん」
ラシードも背を向けて、騒がしい兵士たちの輪から離れた。
陣営を抜けて茂みの奥までくると、ラシードは立ち止まり、視線を落とした。
自分でも、まだ信じられなかった。よりによって、魔天軍に寝返るとは。
手の中の仮面を見る。
こんな仮面を使って、人間の敵として元の仲間たちに剣を振るっている。しかもそれが、女のためだとは。
たった一人の、女のために。
後悔しているわけではない、ただ呆然とするだけだった。
「――ラシード?」
声に振り返ると、女が立っていた。
「……イレーヌ」
「なかなか、見事な戦い振りだったな」
紅い瞳が、微笑む。
「しかし、一太刀受けていただろう。大丈夫か?」
イレーヌはそう言って、ラシードの左手を取る。肘の辺りの布が破れて血の色が滲んでいるが、傷らしきものは何もなかった。
「さっき、『治癒』をかけてもらった」
「そうか」
手を取ったまま、イレーヌはラシードを見上げた。
「せめて、敵をもう少し牽制できる程度に、魔術が使えればよいのだがな。そなた魔力は高いが、あまり修行熱心とは言えぬゆえ」
「どうせ、未熟者だ」
手を引っ込めながら、ラシードは子供のように拗ねてみせた。
「呪文の修得には、向き不向きもある。ジークも聖騎士ではあるが、術者としての技量は剣技に遠く及ばぬし……そなたも、同じやもしれぬな」
「あいつと比べるなよ」
ラシードはますます、不機嫌な表情になった。
「剣技で比べられても、分が悪いか」
イレーヌが声を立てて笑った。柔らかな風に、長い金髪が揺らめいている。
「今、敵わぬは仕方あるまい。そなたが子供のころから、あれは一流の剣客であったのだから。――しかしいずれは、対等になる日も来るやもしれぬぞ」
「本当にそう思うのかよ?」
「さあな。そなた次第だ」
ふわりと舞う金髪を、思わずラシードは左手に掴んだ。
「別にどうだっていいぜ、俺は」
言いながら、髪の先に口づける。
「あんたの側に、いられるんならな」
ラシードの右手から、仮面が滑り落ちた。そのまま、白い体を抱きしめる。
イレーヌは抵抗しない。むせかえるような花の薫りが、ラシードを息苦しくする。
「……悪い女だ」
呟きながら、いつまでも離したくない――そう思っている自分に、ラシードは抗うことができなかった。




