1.魔天王
かの地において、力なるは剣と魔術。
王たるべきは、力ある者。
あまたの種の、あまたの王なるが、あまたの血を流し、
戦いはいつ果てるとも知らず。
永劫の闇を紡ぐ、かの地の名はゆえに――
……MASTERLESS(支配者のいない世界)。
――
その日、北の国は曇天の下にあり、王宮はいつにも増して静けさに包まれていた。
王都ルーカスを見下ろす北方の丘の上に立つ、魔族の頂点に立つ者の本城。四方に高くそびえる塔を持ち、遠方からは黒い樹木が林立しているかのように見える、荘厳なる黒の魔宮である。
その静寂が破られたのは、正午を半刻もすぎたころだった。
「陛下に申し上げます! ただ今、ダイス・グウィド将軍率いる第三軍、トルキスにてカナンよりの人間軍約二千を壊滅との伝令にございます!」
薄暗い城内の玉座の間に、場違いなほど高い声が響いた。
「して、我が軍の損害は」
玉座の傍らに立つ小柄なエルフが、目線だけを兵士に向けて尋ねた。
灰青色のローブに身を包み、禿頭にわずかな白髪を残すばかりの老叟である。エルフはローブと同じ色の、深い目をしていた。
「はっ! 戦死者は数十名、五千の兵は重傷者も少なく、すぐにも次の作戦に移れるとの将軍のお言葉にて!」
跪く若い黒魔族の兵士は、頬を紅潮させて一息に答えた。まるで、つい今まで自分も戦場にいたかのようである。
「……それは重畳」
玉座に座る男が、おもむろに口を開いた。
なんの飾りもない、ゆったりとした黒衣をまとった王は、威風こそあるが随分と若い。
首の中ほどで切り揃えられ、前は眉がちらりと見える黒髪と、黒魔族にしては白すぎる肌。
切れ長の金の瞳は、どこを見ているのか判然としない。
口元に浮かぶ笑みが、その美貌をなおさら“悪魔的”に見せていた。
魔天王国国王、魔天王ガルシア。
世界を揺るがす大戦の、火付け役となった男である。
「詳しい報告は、のちほど伝令に聞く。しばし休ませよ。――下がれ」
「ははっ! では失礼致します!」
兵士が廊下に消えていくのを見送り、老エルフが眉をひそめて言った。
「今のところは、任務を果たしておるようですな」
王は答えず、兵士の去ったほうを眺めている。エルフは言葉を続けた。
「しかし、これほどあっけなく……おそらくは河沿いに陣を取るイレーヌ様に会わんとして、奮起したのでしょう」
「主の寵を受ける者に挨拶を怠るようでは、将たる資格はない」
顔を横に向けた王の左耳で、小さな黄金の耳飾りが光る。
「元より、あの者に将たる資格など」
「口がすぎるぞ、ゾノバ」
笑みを崩さぬまま、王は立ち上がった。
長い衣の裾が床を滑り、衣擦れの音を立てる。
「あれも私が選んだ魔天軍、七将軍の一人。その意とて、わかろう」
「しかし、万一イレーヌ様の御身に」
「万一……なんだ?」
さもおかしそうに、王は小さく声を立てて笑った。
「イレーヌとて最強の将軍。
あのウィザードを力で抑えられる者など、二人しかおるまい」
王は意味ありげに目を細める。
「私と――唯一人の、我が友とだ」
――
同じころ、魔天王国より遥か南は穏やかに晴れ渡り、静かな午後の時が流れていた。
北の国が短い冬を迎えようとする年の瀬でも、大陸の中ほどまで南下すれば暖かい。せいぜい涼やかな風を感じる程度で、少し動けば汗ばむほどの陽気である。
戦場となったトルキスでも、すでに剣の音は止んでいる。屍臭の漂う血生臭い大気も、西を往く大河に溶けていった。
清流なるクラウ河下流。
そこに魔天軍が陣を取っていた。主に白魔族とエルフよりなる、第四軍である。
幕舎が並ぶ陣営の空気は戦時中とは思えぬ穏やかさで、行き交う兵士たちも先の戦闘など知らぬ顔で寛いでいる。
その陣営から林を隔てた河岸の木陰に、流れに背を向け、一人の騎士が佇んでいた。
背中を覆うほどの、白魔族特有の白光した髪を首の後ろで束ね、額には髪留めと同じ文様の帯を着けている。
白いマント、薄青の生地にところどころ銀の刺繍をあしらった衣装、左腰に帯びた長剣。
どれをとっても、雑兵とは一線を画する優雅な出で立ちである。
「対峙した人間軍は、全滅かと思われます」
何よりもその品を醸し出す顔立ち。
寂しげな青銀の瞳を伏し目がちに、男は言った。
「あの者のことだ。降伏する者も、斬って捨てたであろうな」
男の背後、繁みの向こうの河から女の声が応じた。
「この河が赤く染まらぬうちに、そなたも水の恵みを受けるか?」
「――いえ、わたくしは」
男は端正な顔をわずかに曇らせる。
「冗談だ、ジーク」
愉快そうな声とともに、水飛沫が上がった。
ジークと呼ばれた男は一瞬羞恥の表情を見せたが、すぐに平静を取り戻し、宙を見つめる。
昼下がりの風が、その髪を軽く撫でていった。
「ジーク。気付けになる酒は、幕舎にあったか?」
「は?」
聞き返そうとした声は、突然の水音に掻き消された。
七色の羽が瞬間舞い上がり、先ほどまでの声の主――妖精が、ジークの前に降り立つ。
「イ……イレーヌ様!?」
妖精のたおやかな腕には、満身創痍の男が抱きかかえられていた。
短く乱れた黒髪、浅黒い肌、血に塗れ裂かれた戦闘服の、若い男だ。
その胸には、ジークのよく見知った紋章の刺繍があった。獅子の姿をかたどったその紋章は、魔天軍と抗する者の旗印である。
「人間!?」
「まだ息がある」
戸惑うジークを尻目に、イレーヌは右手を男の体に翳し、癒しの呪文を唱えた。
「治癒!」
傷口に光が集まり、見る間にそれは塞がっていく。
だが、ジークの眼に映っていたのは、男のほうではなかった。
――瞳は深い紅紫色。白い肌を水が伝う。
腰下まで流れる見事な金髪は緩やかにウェーブを描き、毛先まで水を含んで、光を吸っては照り返す。
妖精族フェアリア。
その中でも里を離れざるを得なかったほどの、世界で最も美しい女性。
眼前の主人は、紛れもなくその当人である。
この女性を前にして己を見失わずにいられる男が、一体どれほどいるだろう。
「幕舎に運べ」
その言葉で、ジークは我に返った。
「ジーク?」
振り返ったイレーヌの肩に自分のマントを掛けると、ジークは顔を背け、俯く。
「先に……お召し物を」
側近は己を恥じた。
「ああ、済まぬ」
妖精は小さく笑った。




