表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
MASTERY - マスタリィ【第1部】  作者: 洲澄英里
Period 1 MASTERLESS - 第1章 神の眷族
19/86

18.問われぬ罪

「……ク殿……ジーク殿!」


はっとして、ジークは傍らの、声の主を見た。


「何度もお呼びしたのだが、いかがなされた?」


イアンが心配そうに、自分の顔を覗き込んでいる。


「――失礼、イアン殿」


ジークはそう言って、前方の兵士たちに目をやった。


雨季の晴れ間、陣営内の広場に集った雑兵たちは、武具の手入れに余念がない。あちこちで、剣を交える音も聞こえてくる。

若い兵の多い第四軍は闘気に溢れ、戦地に再び立つことを、心待ちにすらしている感があった。


「やがてまた降ろうが、これが最後の休息でしょうな」


イアンは空を仰いだ。


「間もなく、雨季も終わる。ジーク殿も心は早、戦場へ向かわれたか」


「長すぎる休息に気の揉める向きもあったが、我が軍の志気に危惧することなどなかろう」


同僚の揶揄じみた言葉には応えず、ジークは前方から視線を逸らさず、言った。


「それは無論。皆一刻も早く、イレーヌ様に己が雄姿を、ご高覧いただきたいのだ」


イアンも兵のほうを見て、満足げに目を細めた。

その時、一際高い金属音が辺りに響いた。


ラシードが、手合わせを申し出たエルフの剣を飛ばしていた。

試合が済むとたじろぐ兵士たちを尻目に、面倒臭そうに輪を離れ、木陰の下に立っている。


「ほほう。なかなかの手練れですな」


イアンは、感嘆の声を洩らした。


「人間というのでどれほどの者かと思えば、大したものだ」


ラシードの存在が一般兵の知るところとなったのは、数日前のことである。


敗走中の自軍に見切りをつけ、雨に紛れてこの陣営に辿り着いた、ということになっていた。

当然、敵の間者として送り込まれたのではないかと、嫌疑をかけられた。だがイレーヌがそれを疑わず認めたことで、兵士たちは訝りながらも、ラシードを受け入れた。


仇を取っても、仲間の許に戻らないだろうことは、ジークにも予想が付いていた。


(よいのか。二度とは戻れまいが)


(邪魔者は、とっとと失せろってのか)


ラシードが軍に残ると聞き、ジークも真意を確かめた。


(しょうがねえだろ。俺も、お前と同じだ)


達観とした様子で、ラシードは淡々と言った。


(お前も同じなんだろ、結局。

……厄介な女に、関わっちまったよ。どうにもならねえけどな)


事由など問うまでもなかったが、ラシードもやはり、イレーヌからは離れられないと理解したのだ。


「メッサー殿の穴を埋めるほどにはならずとも、あれならば……」


何気ないイアンの言葉に、ジークは瞬間、体を硬くした。


メッサーは側近の任を解かれ、第四軍を抜けた――その後任を受けたイアンの口からは、そう発表された。

将軍の側近が軍を異動するとなれば、相応の理由があるはずである。しかし、イアンも何も聞かされていない。

イレーヌは兵士たちに向け、「王命によるものだ」と告げた。


(メッサーは、もはや戻らぬ。私が、そうさせたのだ)


呆然としていた、あの夜のイレーヌの言葉。残されていた剣。

ジークは事情を聞かなかった。問うことも、できなかった。

以前ラシードを迎え入れた夜、尋ねようとする口を塞がれたように。

――それよりも重い罪で。


(恨んでもよいぞ)


自分の腕の中で、主人は言った。


(そなたが咎めを受けることはない。だが、恨むがいい。私は、そなたを貶めた)


虚ろな光を宿した瞳には、何も映っていないような気がした。


(――恨むというのなら、わたくし自身をこそ)


ジークは静かに答えた。


(お許しを……)


それが、口にできた精一杯の言葉だった。


――どうして恨めるだろう。

十年想い続けた、唯一人の女性を。


側近くにありながら、心の奥深く沈めてなお、燻り続けた激情。

理由は知らない。しかし、ジークにはわかっていた。


イレーヌが自分に求めた罪は、ガルシアに所以(ゆえん)するものだと。

だからこそ、咎めを受けることはないのだ。


主人が欲したものが裁きなのか救いなのか、どちらにせよ、それは王に対する裏切りではない。裏切りではありえない。

イレーヌはただ、命じただけなのだ。そして、自分は従うのみの存在である。


とはいえ、やはり自分は従うべきではなかったのではないか。部下として自刃しようとも、止めるべきではなかったか。


――愚かな限りだ。この、未熟者が。


ジークは、自分が責められてならなかった。

自分は命令に従ったのではない、ただ、己が欲望に身を任せただけだ。そして、許されざる背信の輩になり下がった。


けれど、それも王にとっては、取るに足らぬことだろう。そう思われた。

自分ごとき卑小な存在がどうあろうと、気にも止めないのだろう。あまりにも小さき存在ゆえに。

こうして懊悩することすら、(おご)った振る舞いだとわかっている。

しかしそれでも、思いきれはしない。


一夜(ひとよ)の夢と、忘れる勇気すら、自分にはなかった。


「翳って参ったな」


イアンの言葉を待っていたかのように、雨が落ちてきた。降り出すと瞬く間に、辺りのものを濡らし始めている。


「それまでだ。皆、幕舎に戻れ!」


イアンが声を掛けるまでもなく、兵士たちはめいめい、幕舎内に戻っていった。ラシードの姿も、いつの間にか見えなくなっている。


「ジーク殿も、お早く!」


促されてイアンのあとを追いながら、ジークはこのまま、雨に打たれていたい気がしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ