17.罪と罰
「ジーク様、イレーヌ様のお召しにございます」
ジークの幕舎にやってきた侍女が、小声で告げた。
「イレーヌ様は、すでにご寝所ではないのか?」
ジークは訝しんで尋ねた。イレーヌが寝所としている幕舎に入れるのは、通常数名の侍女だけである。
「はい。先ほど、メッサー様もお召しになられました。
まだ、中においでかと思いますが」
「――わかった」
「では、私は失礼致します」
侍女は礼をして、自分の幕舎へ戻っていった。
剣を携えると、ジークも外に出た。雨は弱まっていたが、依然風は猛り狂っている。
イレーヌのいる幕舎の灯りは、周囲の幕舎より、一際明るく灯っていた。
ジークは吹き荒ぶ風に目を細めながら、静かにその中に入った。
「イレーヌ様、ジークにございます」
「……参れ」
奥から、イレーヌの声が応えた。
ジークが布を避けて進み入ると、イレーヌは寝台に腰掛けていた。その腕には、見覚えのある剣が抱えられている。
「――近く」
剣を見つめたまま、イレーヌが言った。ジークは一礼して近づき、それが誰の物であるかに気づいた。
濃紺の鞘に薄く彫られた、蔓草の文様。紛れもない、同僚の長剣である。
しかしその持ち主は、どこにもいない。
「メッサーもお呼びと、聞き及びましたが」
「――メッサーは、もはや戻らぬ」
「……は?」
イレーヌは独り言のように呟いて、その手から剣を滑らせた。
敷布の上に落ちた拍子に、鞘から抜けた刃の端がわずかに見え、鈍い光を放つ。
「私が、そうさせたのだ」
イレーヌは立ち上がり、背を向けた。その挙措には、いつになく生気がない。
「陛下も、惨いことをなさる……」
その言葉は、ジークにはよく聞き取れなかった。主人の様子にただならぬものを感じ、部下はその場に跪いた。
風の音が、一段と強まったようだ。
「寒い」
イレーヌは自分の肩を擦りながら、ぽつりと呟いた。
「ジーク」
部下は顔を上げた。
「――私を抱け」
ジークは絶句した。
我が耳を疑い、体が硬直する。
「どうした?」
ゆっくりと、イレーヌが振り返った。戯れに、部下をからかう表情ではない。
「そなたの望むところであろう。朝までこの体、好きにするがいい」
ジークの頭の中は、真っ白になった。
風はいよいよ激しく哭き、隙間から吹き込んで、燭台の炎を揺らしている。
俯き、ジークは絞り出すように、やっとの思いで声を出した。
「……イレーヌ様には、お疲れのご様子。早々にお休みを」
「ジーク」
言葉を遮ったイレーヌの声には、憤怒の色が籠もっている。
「私に二度、同じことを言わせるか」
ジークは動揺した。
「立て」
命じられるままに、ジークが立ち上がる。
イレーヌはその腰から剣を抜き取り、部下の肩に剣先を当てた。
「我が命は、陛下の命だ、忘れたか。
聞けぬとあれば、この場で首を刎ねられようとも、文句は言えぬぞ」
その目に、偽りの光はなかった。
「それとも、自害して果てるか。志半ばにして自刎するを厭わぬ、そなたの忠誠はその程度か?
答えよ、ジーク」
いつもの放縦とは、わけが違う。ジークは拳を握りしめた。
「――お許しを。その儀は……」
「もうよい!」
言い捨てて、イレーヌは剣を投げた。それは危うくジークの横髪を掠め、天井から降りている布を切り裂いて、真後ろの支柱に突き刺さった。
イレーヌは踵を返し、背を向けて吐き捨てた。
「我が命を聞く者を呼んで参れ!」
「イレーヌ様!」
「ラシードでも、誰でも構わぬ! 望む者にこの体、くれてやるわ!!」
ジークは動けなかった。途方に暮れて、頼りなげな背中を見つめる。
イレーヌの肩は、微かに震えている。何かを、必死に耐えているように。
見ているうちに、胸が熱く締めつけられる。
「……そなたが」
悲愁に満ちた声。
「そなたが責めなければ、誰が私を罰するのだ」
振り返る、縋るような瞳。鼓動が止まる。
白い腕が、首に絡みついた。――風の音が遠のく。
その一瞬後には、ジークにとって、すべてのものが遠くなっていた。
ただ腕の中の、愛しい人を除いて。




