15.王の「影」
「二千の兵が消えただと?」
報告を受けた玉座のガルシアは、まるで動揺を見せずに尋ねた。
「はっ! トリュグのほぼ真南にて、ダイス様の軍勢に相違ないかと」
白魔族の若い伝令は、顔面蒼白して答えた。その声も、恐れのためか震えている。
「二千ということは、第三軍のすべてではあるまい。テクスターナには五千からの兵が駐屯していたはずだが」
「仰せの通り、残る三千名はテクスターナに……」
「無事か」
「御意」
王はしばらく宙を見つめると、傍らの魔導士に問いかけた。
「ゾノバ、どう見る」
ゾノバは静かに答えた。
「……転位陣、でございましょうな」
「メティシストラ? 転位の『穴』が仕掛けられていたと?」
王の言葉に、老師は深く頷いた。
「おそらく。雨季に入る前、敗走の軍より別れた人間どもの仕業でありましょう。
陛下の軍を狙ってのことだったのでしょうが、ダイス様はその不穏な動きを、察知なされたのやもしれませぬな」
「万一のことを考え、兵を残し自ら動いた、と?」
「そんなところかと。推測の域を出ませぬが――
罠であればご無事なはずもなく、確かめるすべはございますまい」
「ふむ……」
ガルシアは思案げな表情で、伝令に向き直った。
「ともかくも、テクスターナの兵はそのまま留まらせよ。探索は、ほかの者に命じる」
「御意! では失礼致します!」
伝令は足早に去っていった。それを見送りつつ、ゾノバが呟いた。
「しかし……」
「なんだ?」
ゾノバは上目遣いに、ガルシアを見た。
「二千もの兵を気づかせることなく瞬時に葬り去る転位陣など、並の術者に作れるものではありませぬな?」
「それが人間の計り知れぬ力……といったところか?」
ガルシアは薄く笑って答えた。
「しばし考えることがある。下がれ」
「――御意」
ゾノバは深々と礼をし、広間を出ていった。その後ろ姿が廊下に消えていくのを見届けると、ガルシアは一人忍び笑いを洩らした。
ガルシアの許にはすでに一昨日、イレーヌからの密使がダイスの死を報せに来ていた。
報告によれば、「功労者」も第四軍に留まったとの話だった。
それは無理もない。有用な駒が増えたと、歓待してよいだろう。
次に考えるべきは、空席となった将軍の地位と、残された兵士の処遇である。
転位陣に消えた二千名以外の兵士は、おそらくダイスの手駒にはならなかった者どもだ。王に対する、ダイスの裏切りさえ知らぬだろう。ほかの者に、引き取らせる必要がある。
ふと思い立ったように、ガルシアは口を開いた。
「フェン。いるか」
「……お側に」
ガルシアの背後の影に、いつの間にか一人の男が立っていた。いや、男かどうかわからない、整ってはいるがなんとも中性的な顔立ちをしている。
髪は真っ白で腰の下まであり、瞳はほとんど色がなく、銀に近く見える。
白いマントが全身を覆っていて、体格も、種族さえ限定できない風貌である。
「転位陣は閉じたか」
「御意」
応える声も異質そのもので、幽玄な響きは、やはり男女を特定できない。
「行く先は」
「外海にて、助かろうはずはありませぬ」
「大儀」
振り返りもせず労いの言葉を掛けた王に、フェンと呼ばれた「男」は、無言で頭を下げた。
「今一つ働いてもらう。此度はしばらく、『表』で動け」
「何処へ参りましょう」
「イレーヌの許へ飛べ。ダイスのあとを継ぐ将軍位、お前に委ねよう。適当な者と『同化』致せ」
「同化の、相手は誰を」
「イレーヌに一任する」
「御意……」
もう一度丁寧に辞儀をすると、フェンは再び影の中に消えた。
――将軍候補の力を有する者となれば、第四軍には二人しかいない。選ぶのはイレーヌの意志だが、一体どちらになることか。
遠く思いを馳せながら、王はまた小さく笑った。




