13.予言
王宮のあるルーカスより東方、森三つと河一つを越えた地に、広大な城があった。
魔天公爵ラルフの私邸である。
元は魔天王所有の離宮であったが、ガルシアが王となった時分に、公爵位とともにラルフへ贈ったものだった。
ラルフは直接軍を率いることがあまりないため、雨季にまで陣営に留まりはしない。いつもこの城において、戦の閑期を過ごしていた。
広い城内には仕える者も多いが、主がいるときには、常よりも静寂な空気が漂う。
日ごろ留守の多いために公爵としての職務が待っており、ラルフの雨季は決して暇な時期ではない。今日も午前の執務を終え、昼食後のわずかな休憩を執務室の中で取っていた。
居城で過ごす以上仕事の合間にゆとりも生まれるが、若い公爵は正式な妻を持たず、側室も側には召さずに、独りで書物を読み耽る。
そして、時折「友」が来訪するのを待つのである。
しかし、おそらくこの雨季にはその訪問はないだろうと、ラルフは確信に近く予感していた。
窓の彼方に、王宮がある。
見えるほど近くはないが、そこにいる主の心は、誰よりもラルフが承知している。
静かに降り続ける雨の帳の向こうで、ガルシアは今も、自らの進む道行きを深慮していることだろう。
居城に戻る前に立ち寄った王宮で、ラルフはガルシアに将軍の所在を聞いた。あえて双方何も言わなかったが、ダイスの居所を口にした時、ガルシアは何か言いたげに笑みを零した。
ダイスはテクスターナ。イレーヌはチグリノに。
テクスターナからチグリノまでは、雨とはいえ半日とかからない。
――遂に、あの男も命運尽きた。
ラルフは、一人の男の死を予想した。
それを知りながら、ラルフの心には一片たりとも、憐憫の情が生じなかった。
ラルフにとって、唯一の友が絶対である。
友の恩顧を受けながら背反しようとする者に、同情の余地などありはしない。己の力すら解しえなかった者には、相応の報いがあって然るべきなのだ。
だというのに、こうして窓外を見やりながら、幾度も思い返している。造反の徒の行く末を。
(私以外に、手中にできる者があるとすれば)
燭台の炎に映し出された、ガルシアの顔を思い出す。
(お前くらいのものか)
それより遠く、十年も昔のあの日のことも。
――
太陽がいつになく、眩しかった。
その日、魔天軍元帥ラルフと二名の将軍は、王の召集を受けていた。
開戦前は魔天軍全体の将軍だったラルフは、侵攻が進んだころ将軍位から外されて、元帥となった。
その時点で将軍位にあったのは、開戦二十年後にウィザードとなった第二軍のヴェナと、ほぼ同じころ見出された第三軍のダイス、その二名であった。
召集の目的は、第四軍を編成し、新将軍を披露するためだった。
ラルフは事前に、噂で耳にしていた。
魔天軍があるエルフの里近くで小妖精の群れを見つけ、その地にガルシアが自ら出向いて手に入れた、フェアリアの女のことを。
フェアリーたちは、フェアリアに仕えるための存在である。
世界のどこかに、「フェアリアの隠れ里」があるとの伝説もあるが、真実か定かではない。
しかしフェアリーが群れているなら、そこには必ず、主人たるフェアリアがいる。
そのような「はぐれフェアリア」の存在は、歴史上何人か確認されていた。
偶然とはいえ、その「はぐれフェアリア」を見つけたばかりか、配下に治めて将軍位さえ与えるという。
先祖返りというのか、ガルシアがそうまでする以上、かつてのフェアリアが有した魔力の持ち主なのだろう。
それに加えて仮にもフェアリア、美しさも並々ではあるまい。
ガルシアの色好みは、ラルフもよく知っている。
養女として育てたヴェナを我がものとしたことも、別段驚くには当たらなかった。いまだに妃を持たぬのは、数多くの女を後宮に置いているがゆえのことだろう。
今さら一人増えたところで、関心を持つはずもない。
本当にそう思っていたのだ。
その姿を見るまでは。
――現れた女を見た瞬間、脳裏に蘇った幼き日の予言。
(じゃが、もしも……抗うことを望まれたなら……ご自身の従者の運命を、断ち切りたいと思されたならば)
老婆の世迷い言と、忘れ去っていた啓示。
(フェアリアの『女王』を、手に入れなさることじゃ。その方がこの世で唯一人……あなた様の運命に新しく、光をもたらすこととなろう――)
まさに、この女だ。
この女がその「女王」なのだ。
ラルフは凝然として、その女を見つめた。そして我知らず湧き起こる想いに、愕然ともしていた。
筆舌に尽くせぬ、だが、ただ二言で済む想い。
美しかった。
この女が欲しい、と思った。
自身の趨勢を変えたいわけではなかった。……ただ、欲しかった。
目と目が合った瞬間、ラルフは自分と同じ驚愕の色を、その女の瞳の中に見て取った。
そして瞬時に理解した。
これが二度目の、運命の出逢いであることを。
幼き日に初めて出逢った時、やはり同じ色を宿していた友の瞳。
あの時、己の生を見定めた。そのつもりだった。
しかし、自分にはもう一つの宿縁の糸が結ばれていたのだ。単に、女の美貌に惑溺してのことではない。
一人の女を、初めて自ら欲していた。だが。
女は、すでにガルシアのものだった。
女も、それを運命と信じていたのだろう。しかし彼女にも、もう一つの出会いが残されていたのだ。
そして、すべては遅すぎた。
(――つまりは、誰においても不可能だ)
かつて自分で呟いた言葉が、心に重く反響している。
イレーヌを手に入れなければ、変わらない宿命。
そして宿命を断ち切らなくては、イレーヌは手に入らない。
所詮はそういうこと――これが、自分の運命だ。未来永劫、変わることはない。
自分がガルシアを裏切ることは、ありえない。
それがわかっていながら、愚かな男の末路を予見することは、ラルフの心になお小さな影を落とす。
己が未来に、重ね見る余地もないままに。




