12.期する日
「よく降るな」
狭い幕舎の中で一人、衣装箱に腰掛けて雨音を聞きながら、ラシードはぽつりといった。
長雨に閉じ込められ、早十日が経つ。一時の晴れ間も、剣を振るうには物足りない。
ラシードがイレーヌの下に身を置き、四ヶ月になろうとしていた。
魔術の修行は捗々しいものではなかったが、剣技はかなりの冴えを見せ、時にはジークの死角を見切って動けることもあるほどだった。
とはいえ隙を突くまでには至らず、その一瞬後には、自分の剣を飛ばされているのだが。
こんなときに、ふと仲間のことを思い出す。
戦で両親を亡くし、天涯孤独であるラシードに血縁のある家族はないが、兄妹同然に育った娘がいた。
トルキスでの敗戦は全滅として報されただろう。自分の無事を知る者など一人もなく、弔いすらされているかもしれない。
(信じてるからね!)
そう言って自分を送り出してくれた、勝気な娘。
(あんたは悪運が強いんだから。
村ごと焼き払われてもたった一人で生き残って、それで父さんに助けられたくらいだもん。絶対死んだりしない)
不安を気づかれまいと、笑顔のままで。
(あたし待ってるからね。絶対戻ってくるって……信じてるからね、ラシード!)
彼女は今ごろ、悲嘆に暮れているのだろうか。
「……クリスティン」
思わず、その名を呟いた。
「誰の名だ?」
振り向くと、いつの間にそこにいたのか、イレーヌが立っていた。
ラシードはたじろいで立ち上がると、決まり悪そうに数歩退いた。
「そなたの恋人か?」
イレーヌは意地悪く、笑って言った。その目さえ妖しくて、ラシードはどきりとする。
「義妹だ」
ぶっきらぼうに答えて顔を背けたラシードの、その頬が赤らんでいるのを、イレーヌは見逃さなかった。
「なんの用だよ。また魔術の訓練か?」
顔を横に向けたまま、ラシードは憂鬱そうに言った。
雨季に入ってからというもの、魔術の修行ばかりで、辟易しているのである。
「魔力を磨くはそう容易くはない。時を惜しんで根を詰めたところで、集中を欠くだけだ」
「じゃ、なんだ」
イレーヌは少し、間を置いて言った。
「雨は恵みだ。雨中においては退くも往くも大儀なれど、その動きとて見えぬ。
――秘したる者には、まさに絶好」
ラシードははっとして、イレーヌを見た。
「あやつ……動くぞ」
イレーヌは例の、凍りつく笑みを浮かべた。
「此度は雨の入りが遅かった。遅れた雨季は、決まって長引く。長引けば、勢い弱まるときも来る。
思うところあらば、兵の動けぬこととてない。雨季は戦をせぬもの、と誰が決めた?」
ラシードは瞬きも忘れて、イレーヌを凝視した。
「あと幾日――というところであろうな」
喉が渇き、足元から震えていくのがわかる。だが、動けない。
「怖いのか?」
イレーヌは優しく言って、ラシードの頬に手を当てた。
「恐れを恥じることはない。待ち焦がれたときを前にして、平静でいられる者などいはしない」
ラシードの頭の中は真っ白になり、心だけが怨嗟の炎で滾っていた。それとは裏腹に、背筋は寒く凍っていく。
するとイレーヌが、聖母のごとく微笑んだ。
「私がいる」
その言葉に緊張の糸が切れ、ラシードは無我夢中でイレーヌを抱きしめた。
まるで子供が、母に縋って泣くように。
森にはただ、雨音が響いていた。




