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MASTERY - マスタリィ【第1部】  作者: 洲澄英里
Period 1 MASTERLESS - 第1章 神の眷族
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11.もう一人の側近

やがて、世界は雨に包まれた。

これからひと月ほどの間、陽の光は身を潜め、夥しく流れた血が地上より洗い流されて、海に溶け込んでゆくのである。


この雨は、人間にとってはまさに恵みの雨であった。降り続く雨は魔天軍の進軍を阻み、逆に撤退を易くする。

いわば天の仲裁によりもたらされた、しばしの休戦期間である。


雨季に動く兵は敗走の軍と、今一つ、偵察隊のみに限られるのだ。


「ではダイス様には、雨季の去るまでこの地にて、露営なされると?」


雨を避ける厚い幕舎内、将軍の前に跪いてメッサーは言った。


ダイスはメッサーをことさら見下すように頬杖をつき、威勢ありげにというよりは、やや品格に欠ける態度で、椅子に座っている。


「そうだ。兵士を収めきれる宿舎となると、近くはない。

無理に退くよりも、このまま休息して英気を養うほうがよかろうと思ってな」


「もっともな仰せにございます。

我が主人におかれましても、チグリノの森近くにて、雨季を過ごされるご所存」


「ほう。イレーヌ殿も?」


ダイスは軽く、身を乗り出した。


「はい。あの森ならば、ユフラシオ河の氾濫も届きませんので」


そう答える使者の目に嘲弄の光が宿っていることに、ダイスはまるで気づかない。顎髭を撫でながら、嬉しそうに頷いている。


救いがたい愚鈍さだ、とメッサーは心の中で呟いた。


これでも将軍だというのだから、王の酔狂も度がすぎる、とさえ思う。

主人の命令でなければ、自分とて近寄りたくもない見苦しさ。こんな男に想われる、主人こそ気の毒だ。これならば、人間のほうがまだ幾らか、ましだろう。


「では、わたくしはこれにて」


上品な微笑に心中を押し隠して、メッサーは頭を下げた。


「うむ、イレーヌ殿にもよく伝えよ」


下卑た声だ、と思いながらも慇懃に挨拶をすると、メッサーはその陣営を後にした。


これでやっと戻れる。


雨季前から続いた任務を終えて、メッサーは自軍に思いを馳せた。


以前はジークも偵察の任を受けたことがあった。

が、実直ゆえに無愛想な感のあるジークよりは、人当たりよく社交的なメッサーのほうが、情報も集めやすい。

そうイレーヌに判断されているのは、間違いなかった。


自分の能力を見込まれての任務は、喜ぶべきことではあった。

しかしその間、ジークがイレーヌの間近に控えていることは、苦々しい。長らく自軍を離れる任務が続いていたので、メッサーは今はただ一刻も早く、イレーヌに会いたかった。


――


「早かったな、メッサー」


そう言って微笑む主人を目の前にした時、それだけで旅の疲れは一瞬のうちに癒された。少なくとも、メッサー自身はそう感じていた。


「帰還は明日になるかと思っていた。疲れておろう、報告は明朝でよいぞ」


足を組んで座るその優美な姿、端麗で気高い声は、この世のものとも思えない。


「いえ、疲れなど……もう忘れました」


メッサーが夢見心地で答えると、イレーヌはふっと笑った。


「忘れた、か。それはよい」


立ち上がったイレーヌは、傍らの台上から杯を二つ、手に取った。


「少々面やつれしたようだ。とりあえず寛ぐがよい。

ようやく戻ってきたばかりで、“不愉快なこと”を思い出すこともあるまい?」


「イレーヌ様……」


メッサーには野卑な男の記憶など、脳裏から消え去ったも同然だった。


自分はこの女性のためだけに存在している。この身も、魂も、すべてがこの美しい人のためにある。

そう、あの日から今日まで。


王に選ばれて、ジークとともに初めてその姿を拝した日から、その想いは変わらない。自分の死は、この人を護るために訪れるだろう。


それこそ、本望。いささかの悔いもない――

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