第1部 米軍反攻作戦 第6章 市谷は何を想う
東京 市谷 陸海軍統合連絡会議
1943年 11月4日 23:00
市谷の陸軍省の建物に隣接して増築というより、より増殖巨大化された建物に
陸海軍の統合連絡会議は入居していた。
昭和13年に古色蒼然とした大本営に代わり、近代戦を遂行するために設置された
のがこの組織で。当時大番狂わせで陸軍次官になった石原莞爾と、抗争の末に
海軍大臣に内定していた山本五十六が、鉄道大臣であった中島知久平を仲立ちと
して組み、一気呵成にやり遂げたのが本組織であった。
もっとも、官僚組織が掲げる変革の常として当初の真の目的は違っていた。
なにしろ2人とも省内に敵を事欠かない、組織を全く変える事によって、そこに
巣くう反対勢力の将軍や提督を纏めて予備役編入させてしまったのだ。
後に昭和が終わってらは昭和軍隊維新とか、三巨頭枢軸クーデターなどと呼ば
れることとなる大変革とはこのようなものものであった。
但し、大風呂敷の傲岸不遜男と、独断専行で感情の起伏の多いばくち打ちでは
纏まるものもまとまらない。このため実質的なグランドデザインを描いたのは
理系の中島知久平機関大尉であったと言われている。
宮内省の一部、昭和帝の理解と押しもあり、これらは数カ月という短い期間で
遂行された。
この建物の2階の広い一室、表札には1号作戦室と書かれた札が掲げられた部屋が
ある。当然2号作戦室もあるが、それは地下に予備として供えられていて、今現在
はこの1号作戦室にて、帝国の陸海軍の状況が一目でわかる巨大なビリヤード台に
似た巨大な地図を載せた作戦盤が設置されている。
その一角、南東太平洋方面のエリアでは陸海軍の略服を着た作戦課員が入り乱れ
て取りつき、盤上の駒を動かしたり、附票に細かい内容を書き込んで駒に付けた
り。または、状況板に見入っていた。
ニューギニアやラバウル、トラックは日付が変わる時間であったが、東京は時差
の関係で1時間遅い。
3時間ほど前から本日の戦況報告が続々と上がってきていて、それが次々に作戦
盤と戦況掲示板に反映されている。
皆、あまりいい顔をしていない。敗北ではないが、当初想定されていたより被害
がかなり大きい。
そのとき奥の連絡通路の扉が開き、小柄な背広姿の人物か一人入ってきた。
背広が似合っていない、華奢な体に背広を着させられている、そのように見える。
敬礼をする警衛の陸軍兵に、よう~ご苦労さんと言い作戦盤に近づいてきた。
一同、慌てて敬礼をすると、その人物はニヤリと子供のような笑いを浮かべ、か
なり適当な答礼を行った。
作戦盤に両手を当てのぞき込むように状況を見始めた。その時の目は、先ほどと
打って変わって、恐ろしく鋭い。眼光という言葉が当てはまる面構えをしている。
「大作戦じゃねぇ~の」
庄内訛りが多少出ている、予備役陸軍大将にして現内閣総理大臣石原莞爾その人で
あった。
「南のモレスビー重爆群と北の空母搭載機はあらかた片付いた。
トラックの基地、海軍工廠は無傷、但しラバウル周辺はかなり叩かれている」
この理解でいいか、と石原は近くに居た海軍の統制官に尋ねた。
「はい、そのご理解で合っとります。ただ・・・」
「ただ・・?、このラバウルとトラック間に出てきた正体不明の空母か?」
「未だ、判断しかねております」
「英空母ではないんだろ」
「違います。来襲した搭載機の数からみて米空母に違いありません」
「なら、問題ねぇよの〜」
石原総理は元の笑顔に戻った。




