第4部 遠い島 第5章 各々の立場、各々の戦場
ソロモン諸島 サンタイザベル島 バロア尾根付近
1943年 12月19日 22:00
豪雨が山全体を叩いている。無数の大粒な水滴があらゆるものを打ち付ける様はまるで滝の中にいるようであった。
尾根から僅かに南へ降りた猫の額ほどの小さな平らになった場所に高床式の小さな葉葺き小屋を作りオーストラリア軍のコーストウオッチャー配下のスカウトが潜んでいた。
ソロモン諸島の連合軍の監視所は、そのほとんどが山の頂上や尾根付近に設けられていた。見晴らしがよいのと、勢力が拮抗しているこの地域は、大発や哨戒艇に乗った日本軍の討伐隊が定期的に巡察に来るからだ、このため海岸沿いへの監視所設置は避けるようになっていた。
今、持ち上げ式の軒を開け、スロットや西のマニング海峡を監視しているスカウトの名前はベンと呼ばれていた、年は10代半ばくらいと思われたが本人もよくわかっていない。
ベンに苗字は無い、小さな子供の時分に甘いお菓子をくれる白人の神父に付けてもらった名前がベンで、以来自分でも部族でもそう呼ばれている。
バケツをひっくり返したような雨に、何も見えず、何も聞こえない。今日はもう止めるかと後ろを振り向くと同僚のダニエルは腕枕をして寝込んでいた。
それを見ると、ベンは軒を降ろし、ダニエルから少し離れて横になった。大きなな雨音は全く苦にならなかった。
ベンは直ぐに眠りの国へ旅だった。
ブーゲンビル島南西沖 第77任務部隊 グリーブス級駆逐艦エドワーズ
1943年 12月20日 01:30
雨は降り止んだが、開け放たれたハッチから吹き込んでくる風は温く重い、湿度が100パーセントはあるのではないかと思われる空気で乗員を蝕んでいる。
駆逐艦エドワーズは、その中を独行していた。正確には本隊の隊列から西方へ一定の距離をとり、南北を往復する本隊のピケット艦としての役割を果たしていた。つまり西から急迫してくると思われる日本海軍に対するトラップワイヤーの役目についていた。
艦長のケッチャム少佐は、艦内のCICから艦橋へ上がって来ると、角の保温ポットからバグジュースを自身の琺瑯カップへ注ぐと一息に飲み干した。ジュースは生暖かく、強い甘みと酸味があり、ある意味で気付けとなった。但し味覚はまた別の話で、顔をしかめると彼は露天艦橋へ上がっていった。
ブーゲンビル島 タロキナ北東の谷間 舞鶴第4特別陸戦隊
1943年 12月20日 00:15
先ほどまで行われて艦砲射撃はひと山隔てた谷合でも腹に響いた、音というより空気を震わす衝撃波で殴られているように感じる、また雨が降りしきる中でもその飛び散る砲火は夜空に浮かび周囲を真昼のように照らしていた。
部隊は、谷合の山襞に現地の土民が作る葉吹の長屋を多少上等に作ったものを多数巧みに偽装建設し、その中で雨を凌いでいた。
分隊兵曹の話では敵の戦艦が来ているとのことであった。北丹2水は、初めて戦艦の艦砲射撃というものを肌で実感した。
なにしろ、彼は戦艦というものを海兵団入営以来見たことが無かった。昔、日本海軍にも戦艦があったことは知っていたが、彼が海軍に入営した時分には全て電炉で鋼材として消え去っていたからだ。
いや、巡洋戦艦の金剛と比叡のみは、観艦式のお召艦用ということで横須賀に残っていると聞いている。
長門と陸奥は日本の誇り、子供自分のカルタの言葉は永遠に消え去ってしまっていた。
ブーゲンビル島 ブイン:カヒリ飛行場付近掩体壕 舞鶴第4特別陸戦隊ブイン分遣隊
1943年 12月20日 05:10
雨は止んでいた、昨夜都合3派を数えたアメリカ重爆群の爆撃に飛行場付近は酷い有様になっていた。
咲田2水は、横手の掩体壕の土壁の上へ登って辺りを見廻してみた。
主滑走路と横風用滑走路の交差点付近を中心に手酷く叩かれている、屋根付整備所は跡形もなく吹き飛ばされている。ねじ曲がった鉄くれは、おそらく油槽車であろう、滑走路付近にあった形あるものは全て潰されている。
彼や同僚の重機の操縦手が、タロキナから平底船で重機と共に運ばれて以来作りまくった航空機用掩体もあらかた破壊されていた。
日中の設営工事の合間に、陸軍の工兵中尉から滑走路の急速造修の手法を座学で教わってはいたが、見たところ、とてもその知識を生かすことができる損害には見えなかった。




