第4部 遠い島 第1章 ナイト・ハンター
珊瑚海中部 第77任務部隊 グリーブス級駆逐艦エドワーズ DD-619
1943年 12月16日 2:30
赤道モンスーンの作る、ゆっくりとしたうねりの中を16ノットの巡航速度で『エドワーズ』は進んでいる。
艦首が波頭を穏やかに乗り越え、ゆっくりと持ち上がった後に、一瞬、無重力になるような感覚が数秒おきに訪れる。
艦橋の開け放たれた窓からは、心地よい相対風が艦橋を吹き抜けていく。
所々にある赤色灯以外は、あたりは一面の闇で、その中を艦首に砕ける波の音だけが響いてくる。
日本軍の脅威さえ無ければ、南半球の夏を満喫できる航海だった。
しかし、乗員の誰もが知っていることだが、かって珊瑚海は日本海軍潜水艦の庭であった。
ここで撃沈された艦艇、商船の総数はオーストラリア政府に悲鳴をあげさせるには充分すぎる量で、このためアメリカ海軍作戦部長のキング提督は、大西洋からベテランのハンターキラー部隊を無理に引き抜き対潜作戦をつい先日まで行っていたほどだった。
今のところ周囲に不審電波の発信、レーダーの反応などは無かったが、誰もがいずれ訪れるであろうその瞬間がくることを予想し達観していた。
先行し、上空を周回軌道で飛んでいるダグラス P-70『ナイトホーク』からの連絡はない。もっとも、それがどれほどの意味を持つかを理解しているのは、艦長を含む上級士官と古参の下士官だけであった。
そして、対潜スクリーンラインの先頭を切る『エドワーズ』が最も対敵する確率が高いことは乗員の誰もが知っていた。
『エドワーズ』の艦橋では、当直士官がチラリと腕時計を確認し、声を挙げた。
「ジグザグ実施、針路110度、面舵準備」
「了解。110度へ向け面舵準備」
操舵手が応じる。
「発動」
「舵角十五度、右へ回頭中」
「…100度通過… 105度…110度、定針、舵中央」
当直士官 は羅針盤を確認した。
「よし、110度、定針維持」
ヘッドホン式の艦内電話を装着している当直上等水兵は、胸のマイクスイッチ押すと報告した。
「艦橋よりCIC、ジグザグ・プラン“ベイカー2”実施。新針路110度」
艦内電話から特有の甲高い音声が返ってきた。
「CIC了解、新針路110度……艦橋へ、今、短い電波バーストを捕捉、相対方位240、潜水艦の送信と思われる」
「艦橋了解、240相対で短波受信」
受答えを聞いていた当直士官は、既にこちらを向いている。
「潜水艦らしき電波、方位240」
上等水兵が申告する。
「艦長に報告する」
そう言い残し、当直士官は露天艦橋へ上がって行った。
『エドワーズ』艦長のロイ・ケッチャム少佐は遮風板に身を寄せて前方を見ていた。
中西部のどこにでもいそうな体格と顔付の男だが、部隊では仕事ができる艦長として知られている。
下士官上がりでありながら、他艦を差し置いて艦隊の先鋒を任されている事実が、その評価を裏付けていた。
報告を受けたケッチャムは、振り返りながら短く答えた。
「確認しよう」
声の調子はいつもと変わらない。
当直士官はしゃがむと、昇降ハッチに向けて続けざまに命令した。
「操舵手、針路180へ、速度20ノットまで増速」
「甲板員、伝令回せ。全見張り員、左舷後方を重点監視」
『エドワーズ』はゆっくりと回頭すると増速をはじめた。
壁のスピーカーホンが急に鳴った。
「CICより艦橋、2度目の短波バースト、方位は同じ240,先ほどより強め」
ケッチャム艦長は帽子をかぶり直すと静かに言った。
「これは、通報発信だね」
アメリカ軍のブーゲンビル島攻略作戦「トーチライン作戦」が露見した瞬間であった。




