第3部 前夜 第7章 ザ・ダンジョン
合衆国ハワイ準州 オアフ島 真珠湾海軍工廠管理棟地下 第14海軍区情報部
1943年 11月25日 15:30
合衆国海軍太平洋艦隊が、対日暗号解読の枢要として運用していた組織の所在地は、一般に知られた真珠湾に浮かぶフォード島ではない。
それは、対岸のオアフ島海軍工廠、そのなかに置かれた管理棟の地下に隠蔽されていた。
その秘匿された空間に充満しているのは、IBM製パンチカード統計機が紡ぎだす織機に似た機械音の連続と、巨大な機械から生じる排熱、二十四時間体制で勤務する課員たちが消費する夥しい煙草の煙である。
このため、その実態を知る極少数の者たちは、そこを「地下牢」と呼んでいた。
今日、早朝からそこでひと騒動が持ち上がっていた。
前日に発生した日本海軍暗号JN-25の重複、すなわち乱数表の使い廻しという失策により、今朝統計機の吐き出した5桁の数字が意味をなすことをジョセフ・ロシュフォール海軍中佐が突き止めていたのだ。
トラック環礁の第4艦隊司令部から、東京宛に送られた暗号電は何らかの攻撃、増援を示唆するように読み取れた。だが、肝心の部隊名が判然としない。ロシュフォールは「未知の部隊名が現れた」と主張したが、同僚のトマス・ダイアー中佐は、過去の事例との類似性を疑っていた。
雑然と積まれた解読用紙や、吸い殻が山をなす灰皿、その汚れた作業台を挟んで二人は意見を戦わせていた。
そこに、定時報告を終えて帰ってきたエドウィン・レイトン中佐も加わった。
「部隊名はショーキ、そう読み取れる」
ダイアーがレイトンへ向けて言った。
日本海軍のJN-25は2段階の暗号化を行う。第1段に置いては、言葉を5桁の数字に変換、第2段に置いて、乱数を足し暗号化される。
よって、これを解読した場合に5桁の数字がカナ音を表しているので、カナ音だけは判明するが、そこから先が何を指すのかが判らない。また漢字の壁という難物が彼らに立ち塞がってくる。
「『勝機』『小機』・・・なんだろう?」
レイトンはつぶやいた。
部屋の空気は淀み重く、統計機の駆動音だけが激しく響いている。
レイトンとロシュフォールは、当時の合衆国の中でも数少ない“日本通”だった。
彼ら二人は公費留学生として昭和初期の日本に滞在しただけではなく、日本語の文語にも通じ、日本海軍軍人とのプライベートの縁も持っていた。
「もっと、こう、固有名詞ではないか?」
ロシュフォールが応えた。
「いや、造語の可能性もある」
ダイア―が返した。
ロシュフォールはヨレヨレのガウンのポケットから潰れたキャメルの箱を取り出して中を覗き、煙草も箱と一緒に潰れているの見て、それを隅のゴミ箱に放り込んだ。
「今、ふと思ったんだが……『鍾馗』じゃないか。伸ばし棒が付いている」
「あの日本の武神か?」
レイトンが尋ねた。
「いや、日本と言うより東洋、元は中国の神だ」
ダイア―が答えた。
「『鍾馗部隊』か?皆、何を思い浮かべる?」
ロシュフォールはレイトンから煙草を1本もらい、ジッポーライターで火を付けた。
三人はしばらく黙り、天井を見上げた。
「あの、よろしいですか」
そのとき、作業机の向こうで統計機に向かい電動複製穿孔機でカードに孔を開けていた特務専門官の女性が振り返った。
レイトンがうなずく。
「日本陸軍が使う迎撃機の愛称が『鍾馗』ですわ」
彼女は椅子を反回転させて微笑んだ。
「なるほど。迎撃機の増派か。あり得るな。ただ惜しいことに、それは陸軍機だ」
レイトンが言う。
「ええ、確かに。ただ、ここ数カ月、日本軍航空部隊は南太平洋戦域で陸海軍の共同運用を始めていますわ」
全員が目を見開いた。
「皆さん、お読みになっていないのですか。前に送られてきた日本軍動向の変更点を」
彼女はそう言って、書類保管用のロッカーを開けると一通のファイルを取り出した。
それは、年初にソロモン諸島へ強襲を試みた米海軍空母任務部隊の記録だった。
攻撃部隊は目的地はるか手前の洋上で、海軍機の迎撃を受け、護衛戦闘機が格闘戦に巻き込まれているところを、日本陸軍の迎撃機に奇襲され、さらに島嶼部手前で再度陸軍防空部隊に叩かれ、帰途には別の海軍機の“送り狼”に襲われた。
記録には、そうした一連の被害が淡々と記されていた。
「ロシュフォール、『鍾馗』が向かう先はどこだ?」
レイトンの声はかすれていた。
ロシュフォールは積んである紙の山から一枚の白地図を引っ張り出し、指で指し示した。
「ここだ、ブーゲンビル島」




