第3部 前夜 第3章 陸軍省のディーラー
「マッカーサーという男の自尊心は、重力に抗って上昇を続ける気球のようなものだ。だが、その気空を繋ぎ止めている砂袋が、アメリカ合衆国の国益であることを彼は忘れている」
——ジョージ・C・マーシャル
アメリカ合衆国 ワシントンD.C.
1943年 11月7日 11:00
ワシントンD.C.、陸軍省の窓を叩く雨は、まるで合衆国陸軍参謀総長ジョージ・マーシャル大将の心境を代弁するかのようだった。
彼の目の前にあるのは、一通の電文と、それ以上に忌々しい数紙の新聞記事である。
新聞の1面には大きく題字が踊っていた。
『第五航空軍、ラバウルを制圧! 陸軍の英雄マッカーサー、海軍の窮地を救う』
マーシャルと、傍らの有能な実務家である参謀次長ジョセフ・マクナーニーが、二人揃って眉を顰めていることが全てを物語っていた。
現実は非情だった。
日本軍の防空網——彼らが「独角陣地」と呼称するブーゲンビル島を前衛としたレーダー網と、大量の防空用戦闘機の壁。
第五航空軍はマッカーサーの無謀な強襲命令により、文字通り「溶けて」消えた。
一方で、実質的な戦果を挙げたのは、犠牲を払いながらも日本軍のレーダー網と哨戒線の空隙を突いた海軍の空母任務群である。
だが、マッカーサーは負けを認めない。それどころか、戦果を独り占めするために新聞王ハーストを動かし、海軍を「無能な補助兵力」として貶める広報工作に打って出たのである。
マーシャルは深く息を吐いた。彼とマクナーニーはこの数時間、ホワイトハウスの裏廊下と海軍省の間を、まるで使い走りのように駆けずり回っていた。
「艦隊の派遣要請にについて、キング提督はどうだった」
マーシャルは、キングの怒りに対して、マクナーニーの知性、圧倒的なデータと組織論で淡々と切り返す手法が通用するのではないかと考え、彼を再交渉に派遣していた。
「キング提督は『マッカーサーの指揮下に一隻のタグボートすら出すつもりはない。ブーゲンビルを叩きたいなら、マッカーサーに水の上を歩かせれば良かろう』と」
マーシャルは深く椅子にもたれかかった。
「だが、マッカーサーを黙らせ、かつ南太平洋の膠着を打破せねばならん。キングをうなずかせ、それも、彼が拒絶できないほどの巨額のチップを積んでだ」
二人の脳裏に、オーストラリア軍最高司令官トーマス・ブレイミー大将からの書簡が浮かんだ。その内容は悲鳴を上げているように思えた。
マーシャルはペンを執り、メモを走らせた。それはルーズベルト大統領にも秘匿された統合参謀本部の最高幹部における禁断の取引材料だった。
1. オーバーロード作戦の順延と予算転用
2. 対ソ・対中レンドリースの一時停止と流用
3. ホワイトハウスへの秘匿
書いたメモをマクナーニーの前へ滑らせると
「まずはこれだ。1944年に予定している欧州反攻を半年、あるいはそれ以上順延させる。浮いた輸送船、物資、そして予算を太平洋艦隊へ付け替える」
「次に、スターリンと蒋介石には泣いてもらう。技術的トラブル、あるいは輸送路の危険増大を理由に、彼らへの仕送りを一時止める。その分を海軍の新型機生産と艦艇建造に回す」
マーシャル大将は腹の上で手を組むと
「これらはすべて『技術的・ロジスティクス上の不可抗力』として処理する。大統領官邸には、種々の手段を使って、実態を悟らせん」
マクナーニーはマーシャルの提示した「巨額のチップ」を凝視した。
「閣下、キングがどこで折れるかですが。『3』は前提条件として、『2』の対外援助停止程度では、彼は鼻で笑うでしょう。海軍の払う代償のためにはもっと大きな獲物を要求するでしょう」
「やはり『1』か」
「左様です。『1』のオーバーロード作戦順延こそが、キングにとってのチップでしょう。欧州へのリソース集中について前から不満を持っていた提督にとって、これ以上の妥当な理由はありません」
それを聞きくと、マーシャル大将はメモをクリスタル製の灰皿に載せ、マッチで火をつけた。
メモが燃えつきるまで二人は黙っていた。
一つ懸念があります、マクナーニーは首を傾げた。
「キングは空母を出さないでしょう。正確には、出せないのです。艦載機の消耗が激しすぎます。エセックス級の艦載機は3割が失われています、これは数字以上の意味を持ちます。攻撃隊の編制は難しく、防空のローテーションすら維持できません」




