第3部 前夜 第1章 隠密会合
トラック環礁 夏島 支庁前入舟町某所
1943年 11月12日 9:30
トラック環礁の夏島には戦前から南洋庁の支庁が置かれ、日本のトラック環礁
統治の中心として栄えていた。特にその南岸にあった入舟町は 当時「南洋の
シンガポール」と称されるほどの商業的な賑わいをみせていて、街には、日用品
店、飲食店、カフェ、さらには映画館やビリヤード場、芸者置屋といった娯楽施
設まで揃っており内地と変わらない生活感があった。
その繁華街も、戦争が始まってから一般人の渡航が大幅に制限されたため、い
ささか寂れた雰囲気を漂わせていた。
その一角、表通りの薬局と縄暖簾の間の路地を入ったところに、赤い弁柄
(べんがら)塗りの壁でできた2階建ての家があった。
戦争が始まって廃業してしまった貸座敷(遊郭の一種)で、当主は、稼げる
ピー屋に転進しラバウルで幅を利かせている。
その1階の奥まった一室に人影がある。
「皆様、ご足労痛み入ります。陸海の壁を超えてお集まりいただいたこと、一
軍人として誇りに思います。ありがとうございます」
八原博通中佐は、座卓を囲んでいる面々に向かい頭を下げた。
面々といっても八原中佐をいれて4人しかいない、囲んでいる座卓はこの時代の
一般家庭にあった丸く黒いちゃぶ台であった。
「男ばかり4人で集まる場所とは思えませんな」
髭を生やした整った顔立ちの男が周りの赤い弁柄色の襖や塗籠の壁を見廻しな
がら言った。
「いや、ご無礼をお許しください、何分内密を要する集まりですので、このよう
な場所となりました」
隅で鋳物でできた扇風機が回って、温い空気をかき回している。
みな上着を脱いでシャツ一枚になっているが額に薄く汗が滲んでいる。
全員の視線が集まった事を見て八原中佐は切り出した。
「この場の4人でもって、来るべきアメリカ軍の来襲予測を考えていただきたい」
その言葉に3人は、いずれも訝しげに首をひねっている。
「それは艦隊や方面軍の仕事ではないかね?」
細身のポーカーフェイスの男が言った。
「仰る通り司令部が予測・作戦を練るは当然の筋道です。現に作成中と聞いております。ですが、我々が課せられたのは、既定の方針に縛られぬ別画の起案であって、既存の観念にとらわれないものを期待されています」
「つまり、我々は第三者的な作戦原案を作れと言う理解でいいのかね」
髭面の整っ顔立ちの男が言った。
八原中佐は、彼を引き入れた首席参謀の名前を出し、あの方からそのように
言われていますと引き取った。
「この前の、積算ミスと、哨戒の網にもかからなかったから不安なのだろう」
今までしゃべらなかった、この座では一番階級が上とみられる男が言った。
「我々の案が採用された場合、実際の詳細な作戦は、我々の案を元に艦隊と方面軍
司令部が作成します。つまり、時間がありません。我々は1週間で原案を作らねば
なりません」
八原中佐はここで一息つき、全員の顔見廻した。
「1週間ここで缶詰となっていただきます、食事は角の縄暖簾から運ばせます」
全員、押し黙ってしまった。
「こんな横車、宮様でなければできないだろうな」
細身のポ-カーフェイスの男がポツリと漏らした。
トラック環礁 夏島 支庁前入舟町某所
1943年 11月16日 3:30
全員に各種情報数値が記載されたガリ版と地図が記載された青焼きの束が
渡された、家屋の性質上部屋の数だけは余りあるので、それぞれ部屋を選び
座卓やちゃぶ台を据えて作成にとりかかった。
足りない数値や地図、書類などは電話を掛ければ直ちに届けられた。
2時間に1回集まり、それぞれの進捗状況や案の批評会がなされた。
それを元に原案が修正され、各種想定状況が定まったのが、4日後の深夜
であった。
軍用罫紙と図面用方眼紙を綴じた厚みのある作戦計画綴をカバンに入れると、
皆様ありがとうございました、正規の軍務ではありませんのでこの事は内密にお願いします、と言って八原中佐は急ぎ足で出て行った。
残った3人は、不精ひげが生え脂ぎった顔を見合わせ、この時間だと銭湯も開いていない、どうすると言いながら帰り支度を始めた。




