第40話 トトという黒魔導士について④
「もう少し広い場所で戦いたかったね」
ネコさんの声が背中から聞こえてくる。
「そうですね」
前を見据えたまま答えた。坑道内は幅が数メートルほどしかなく、長剣を振り回すにはいささか窮屈に思えた。また、敵との位置関係が直線状になる為、レイオンさんの攻撃魔法も使いどころが制限されそうだ。
「あの、だったら、場所を移しませんか? 今のうちに動けば間に合うだろうし」
レイオンさんの声が坑道内に響く。
「いや、もう見つかってるから無理だろうね。ていうか、すぐそこまで来てるね」
ネコさんの声が低くなり、その声に紛れるように鋭い風切り音が辺りに響いた。
「トッドさん!」
対象から目を離したつもりはなかった。数百メートル向こうにいたはずの獣人は、たしかに数秒前まで俺の視界の中に留まっていた。しかし、わずか瞬き一つの間に、奴は俺たちの目の前にまで移動していた。
「ろあ・うぃどう」
そいつの攻撃は魔物とは思えない程に洗練されていた。意識の外から現れたそいつは、片手に携えた手斧をトッドさんの頭に向けて素早く振り抜くと、反応の遅れた俺に対しては発動の速い風魔法を放った。
「風の槍」
防御は不完全だったが支援魔法のおかげで大したダメージは無かった。俺はそいつと同じ風魔法を使って反撃し、すぐに体勢を整える。
「いたたた、何があったんですか。あいつは?」
トッドさんがのそりと立ち上がって言う。彼の体は白い光に包まれてもうもうと輝いていた。ネコさんの聖魔法がギリギリのところで間に合ったのだろう。
「あれがコボルトロード? 依頼書には灰色の体毛って書いてあったけど」
「依頼書が間違ってたんじゃないですか。あんな化け物見たことないですって」
ネコさんとレイオンさんの会話を背中で聞きながらも獣人からは目を離さずにいた。テレポート系の魔法なのか、獣人は数百メートルの距離を一瞬で詰めてくる。
「ひとまず、倒すしかなさそうだね。トトちゃんは防御魔法と回復魔法を前衛の二人に、ミツメ君はトッドさんのサポートを、レイオンさんは敵との距離ができた時に攻撃魔法で援護してください」
「イヨさん、私たちも行きますか」
トッドさんの声に真剣味が増していた。どうやら今の一撃で本来の緊張感を取り戻してくれたようだ。
「多分テレポート系の魔法と風魔法を使ってきます。気をつけて下さい」
俺は先陣を切って駆け出した。敵との距離は目測で三十メートルほど。こちらも一息で詰め切れる距離だ。
「おおおお!」
地面を蹴るたびに体が軽くなっていく。数種類の支援魔法が次々に付与されていくのが体感で分かった。俺は自身の長剣にも攻撃力付与の魔法を唱え、獣人の肩口目がけて全力で振り下ろした。
「グオ、アググ、ガッ」
坑道内に甲高い金属音が響く。
袈裟懸けに振り下ろした一撃は獣人の手斧によって止められていた。しかし、それでも手応えは十分だった。防がれはしたが、十分な隙を作れたはずだ。
「トッドさん!」
「わかってます! いきますよー!」
俺の呼びかけの前にトッドさんは動いていた。俺の影から現れたトッドさんは長剣を腰に構え、大ぶりな動作で剣を水平に振り抜いた。その動きは剣士のそれとは大きく異なり、日常的に大きな武器を扱っている者の動きだった。
「ギャアォ、グゥオオ、グググ」
横薙ぎに払い飛ばされた獣人が苦痛に顔を歪めながら低く呻いた。
「一撃で決めろよ。下手くそ」
その時、嫌味ったらしい声が俺の横を駆け抜けていった。その声は暗闇に紛れるような漆黒の姿に変化し、獣人の元へ猛然と迫っていく。
「ミツメ、そいつ飛ぶ気だぞ!」
咄嗟に声を掛けた。獣人の足元に微かな魔力の動きがあった。
さっきは遠すぎて気が付けなかったが、獣人の足元には薄緑色の小さな魔法陣が幾重にも展開されていた。あの魔法陣が恐らくテレポートのタネなのだろう。
「そんなこと知ってるよ、イヨ」
獣人の胸に深々と黒剣を突き刺してミツメは言った。
その時のミツメの姿は暗闇に溶け切っていた。人としての輪郭は酷く曖昧で、まるで暗闇そのものと対峙しているような感じがした。
「サチさん、これで終わりですか?」
「どうだろうね。ちょっとあっけなかった気もするけど」
ネコさんが獣人の元へ歩いて行く。獣人の体は足元から徐々に光の粒に変わり始めていた。この獣人がコボルトロードならクエストは完了となるはずだ。
「あ、鑑定なら私がしますよ。鑑定スキルは私が一番高かったはずですから」
「それじゃあ、お願いしようかな。イヨ君とミツメ君は周囲を見張っててね」
「任せて下さい。戦闘じゃ全然役に立てなかったんで」
レイオンさんはぎこちない笑顔を見せながら獣人の体に手を触れた。
「あの、ネコさん。この手斧なんですけど、私が貰ってもいいですか?」
「もちろん。ドロップしたアイテムはみんなで分け合うっていう約束ですから」
「いやぁ、ありがとうございます。こいつが手に入っただけでもこのダンジョンに来た甲斐がありましたよ。良い武器だ。見て下さいよ、この重量感」
トッドさんが獣人の手から武器を取り上げて掲げた。ネコさんはその姿に愛想笑いを送りながらトトさんの元へ歩いて行った。
「トトちゃん、どうだった? 楽しかった?」
「え、あ、はい。楽しかったです。こんなに難しいクエスト初めてだったから、ちょっとドキドキしました」
「そっか、それは良かった。ウチはいつもこれくらいのクエストを受けてるからさ、たまに黒猫に遊びにおいでよ。歓迎するよ」
ネコさんはさり気なくトトさんの肩に手を置いた。それは傍から見ると、繁華街によくいる怪しい客引きと田舎から出てきたばかりの無知な少女のようだった。
「無茶苦茶なノルマがありますけどね、ウチ」
俺はトトさんを助けるつもりで口を挟むことにした。
どう見てもエンジョイ勢であるトトさんを、ガチギルドである黒猫に引き入れるのはさすがに可哀想に思えた。実際に黒猫の尻尾ではクエスト達成のノルマも存在したし、それを一般プレイヤーに求めるのは無茶に思えたからだ。
「トトちゃんはノルマなんて気にしなくていいんだよ。本当にただ遊びにきてくれればいいからさ。ほら、イヨ君も余計なことを言わなくていいから!」
「はいはい。じゃあ、俺は帰りの用意をしておきますよ」
ネコさんに目で追い払われ、俺は帰還の魔法の準備を始めることにした。
「あ、あの、ネコさん!」
その時、レイオンさんが慌てた様子でネコさんの元に駆け寄っていった。
「鑑定が終わりました」
その言葉に全員の視線がレイオンさんに集まる。
「それで、どうでした?」
そう訊ねるネコさんの表情は、ひどく曇っていた。




