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二階堂合戦記  作者: 犬河兼任
第十四章 踊る関ヶ原の戦い(上)
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99/103

1600-6 愚物

<1600年 7月中旬>


 慶長五年六月六日。

 初夏の強い陽光が大坂城の巨大な白壁と金箔瓦を焼きつける中、西の丸の大広間にて、天下の耳目を集める評定が進められていた。

 徳川家康による、奥羽征伐——すなわち伊達政宗討伐のための軍評定である。


 上座には、堂々たる体躯を据えた徳川家康。

 その両脇から広間を埋め尽くすように、名だたる大名たちが左右に居並んでいる。


 人質同然の身である俺もその場に呼び出されており、徳川の譜代の家臣団に囲まれてる状態だ。

 もっとも、俺自身に動揺はない。


 徳川家康はすでに宇都宮にいる俺の嫡男・二階堂盛隆と裏で話をつけている。

 盛隆が提示した条件はただ一つ、「父・盛義と母・阿南の身柄の安全な引き渡し」。

 その引き換えとして、徳川家康率いる大軍に対し、下野から白河口を経て仙台に至る進軍路の道案内を確約していたのだ。


 無論、それは盛隆の独断ではない。

 俺が豊後臼杵を発つ前、あるいは上洛の折に伏見から飛ばした密書による指示通りに、息子が見事に立ち回ってくれた結果であった。


「皆々、よく参られた」


 徳川家康の低く重々しい声が、静まり返った大広間に響き渡る。

 居並ぶ諸将を見渡し、獰猛な光をその細い眼奥に宿らせながら口火を切る徳川家康。


「過日、奥羽鎮守府の伊達陸奥大納言に対し、イスパニアとの無断同盟の真意、ならびに公儀の命たる金山銀山の引き渡しについて使者を立てた。……されど、返答は言語道断。彼奴(きゃつ)の腹心の片倉備中守(景綱)より、公儀を侮蔑し、天下の静謐を乱す挑戦状が送りつけられてまいった」


 広間に座す諸将の間に、微かなざわめきが走る。

 徳川家康はそこで一旦言葉を切り、ふっと不敵な笑みを浮かべると、視線を俺の方へと向けてくる。


「されど、奥羽の者共が皆、不忠の徒というわけではない。……ここに参られたる二階堂左京亮殿。その御子らの二階堂宰相殿(盛隆)、岩城侍従盛殿(盛行)は、伊達の不義不忠を深く嘆き、公儀に恭順の意を示された。彼らは奥羽鎮守府と袂を分かち、我が征伐軍の先導を務めることを確約してくれておる!」


 徳川家康が高らかに二階堂家と岩城家の離反を明言し、その証拠として俺を紹介した瞬間、大広間の空気が沸騰した。

 奥羽鎮守府の屋台骨であり、下野・南奥羽に強大な勢力を張る二階堂、岩城両家の合して百万石が、伊達から離反して徳川の味方につく——その軍事的な意味を、ここに居並ぶ歴戦の武将たちが理解できぬはずがない。

 敵国の首都である仙台まで道筋、仙道筋が戦わずして開かれたのだ。


「おおっ! 左京亮殿が!」


「二階堂が道を開けるならば、奥羽など物の数ではないわ!」


 福島正則が膝を叩いて快哉を叫び、池田輝政や浅野幸長、細川忠興、田中吉政らが興奮を隠さず顔を見合わせる。

 黒田長政にいたっては、徳川家康の智謀に心酔しきったような輝く眼差しを上座に向けていた。

 徳川親派の武断派諸将は、早くも戦勝の絵図を描いて沸き立っている。


 だが、広間が歓声に包まれる一方で、その反対側に座す諸将の表情は、絵に描いたように苦渋に満ちていた。


 五大老の一角である毛利輝元、五奉行の増田長盛、長束広家、前田玄以は、唇を真一文字に結び、苦々しい顔で畳を見つめている。

 もう一人の五大老、宇喜多秀家もまた露骨に不快感を露わにし、拳を握りしめていた。

 病を押して列席していた大谷刑部(吉継)は、白布の覆面で顔を隠しているため表情は窺えないが、その全身から冷え冷えとした無言の重圧を放っている。


 豊臣の天下が、徳川家康の手によって強引に切り裂かれていく様を、彼らはなす術もなく見せつけられているのである。


 そんな喧騒の中、奥羽征伐が現実味を帯びて以降、俺と同じようにその去就に注目が集まっていたある若武者が、静かに進み出てくる。


 岐阜中納言・織田秀信。

 織田信忠の長男にして、幼名を三法師と云う。

 織田信長公の正統なる血筋を受け継ぐ、弱冠二十一歳の貴種であった。


 織田秀信は、俺が関白・豊臣秀次公の付家老を務めていた折、秀次公の差配によって伊達政宗の従妹である駒姫を正室に娶っている。

 それゆえ、紛れもない「親伊達派」と世間から見なされている。

 伊達討伐となれば、もっとも板挟みとなり、身の振り方に苦しむはずの立場であった。


 織田秀信は凛とした足取りで広間の中央へ進み出ると、徳川家康の御前で深々と平伏する。

 そして、張り詰めた声を大広間に響かせた。


「徳川内府様! 此度の奥羽征伐、この秀信に、ぜひとも先鋒をお言いつけくださりませ!」


 その申し出に、諸将のざわめきがぴたりと止まった。

 平伏する織田秀信の背中は、必死の覚悟で強張っていた。


(……なるほどな。駒姫のためか)


 俺は心の中で小さく息を吐いた。


 織田秀信が妻の駒姫を熱愛していることは、上方の諸大名の間でも知られた話だ。

 折しも、駒姫には懐妊の噂すら囁かれていた。


 もし親伊達派として徳川に疑われ、最愛の妻と強制的に離縁させられでもしたらどうなるか。

 腹に我が子を宿しているやもしれぬ妻を追い出すことなど、織田秀信には到底耐えられないはずだ。

 その疑念を微塵も残さず晴らし、愛妻と生まれてくる我が子の身の安全を徳川から勝ち取るための埋め合わせとして、自ら進んで義理の親類筋である伊達攻めの先鋒に志願してみせたのだ。


 史実の関ヶ原前夜において、織田秀信は会津征伐への出陣が遅れた隙を突かれ、石田三成ら西軍に取り込まれた。

 その結果、本拠である岐阜城が東軍の第一の攻略目標として福島正則や池田輝政に包囲・陥落させられ、改易・高野山追放という没落の憂き目を辿ることになる。


 だが、この世界線では違う。

 妻を守らんとする織田秀信の必死の懇願により、彼は徳川の軍列の先頭に組み込まれようとしていた。


「うむ、岐阜中納言殿のその忠節、誠にあっぱれ。先鋒の儀、しかと聞き届け申した。大いに励まれよ」


 徳川家康は満足げに頷き、鷹揚に微笑んでみせた。


 平伏し続ける織田信長公の嫡孫と、それを上座から鷹揚に見下ろす徳川家康。

 その奇妙な光景を眺めながら、俺は座の一角で静かに腕を組んだ。


(……尾張や美濃の叩き上げの将たちの目には、この様はいったいどう映っておるのやらな)


 俺自身は遠く奥州須賀川の地で自家の生き残りに必死だった身ゆえ、徳川家康がかつて織田信長公の同盟者という名の風下に甘んじ、どれほど理不尽に振り回されていたのかを直に見たわけではない。

 だが、天下の耳目が集まるこの大広間で、かつての主君の直系たる青年大名を、いまや徳川家康が手駒のように自在に使い回しているのは歴然たる事実であった。

 主従の逆転を、これほど残酷なまでに諸将へ見せつける格好もそうはあるまい。


 そして、この場に居並ぶ心ある者たち——特に尾張以来の古参や豊臣の補佐役を務めてきた者たちならば、織田秀信の痛々しい姿の向こう側に、誰もが同じ不吉な未来を透かし見ていたはずだ。

 いずれは秀頼君もあの秀信殿と同じように使い潰され、徳川の軍門に降らされてしまうのではないか、と。


 口をへの字に結ぶ毛利輝元の険しい目つきにも、怒りを押し殺す宇喜多秀家の眼差しにも、白布に覆われた大谷刑部の凍てついた沈黙にも、その共通の危機感がはっきりと見て取れた。

 徳川家康が自らの圧倒的な権威を示せば示すほど、座の底流では、豊臣の命脈を守らんとする者たちの決意が、静かに、そして決定的に研ぎ澄まされていく。


 大坂城西の丸。

 天下を二つに裂く破滅の引き金が、いま、音を立てて引き絞られようとしていた。






 織田秀信の先鋒志願が認められ、一座の熱気が冷めやらぬ中、徳川家康は次なる差配へと移る。

 この評定の場において、奥羽攻めの軍役、部署、そして進軍の陣立てを諸将の面前で次々と定めていく。


 人質同然の身である俺がその場に居合わせているにもかかわらず、徳川家康は自軍の手の内を晒すことを少しも意に介していない様子であった。

 無論、侮りや油断からくる軽挙ではない。


 手の内を隠す必要すらないほどの圧倒的な戦力差と、退路を寸断する包囲網を白日のもとに晒すことで、戦う前から奥羽の戦意をへし折り、小細工の余地を完全に封殺する——それこそが、徳川家康の狙いなのだろう。


 勝兵はまず勝ちて、のちに戦いを求む。

 かつて三方ヶ原で己を完膚なきまでに打ち破った武田信玄の用兵を、いま目の前の徳川家康は忠実に踏襲していた。


 徳川家康の促しを受け、徳川四天王の一角・井伊直政がすっと立ち上がり、広間に広げられた巨大な軍絵図の前に進み出る。

 直政は居並ぶ諸将を見据え、凛とした声音で軍勢の配置を朗々と説明し始める。

 その口ぶりは、奇策や伏兵など端から念頭にない。

 「大軍に区々たる用兵は必要なし」と言わんばかりの、力で圧殺する正攻法そのものであった。


 進軍計画の骨子は極めて明快。

 まず、徳川軍の旗本を中核とした本隊の大軍勢が、仙道筋の奥州街道を堂々と北上し、街道沿いの要衝を制圧しながら仙台を目指す。

 これに呼応し、東の海道筋(常陸・浜通り方面)からは佐竹義宣率いる軍勢が北上を開始。

 二方向から伊達の本拠地である仙台を挟撃する布陣である。


 さらに、伊達方の猛将・伊達成実が守る越後に対しては、北陸と信濃の両面から完璧な封じ込めが敷かれた。

 前田利長が加賀・越中の軍勢を率いて国境の難所・親不知へと兵を進め、信濃方面からは蒲生秀行や真田昌幸ら信州諸将が国境に布陣。

 越後の背後を二正面から強烈に圧迫し、伊達成実の軍勢を一歩たりとも仙台への救援に向かわせぬ構えである。


 直政の口から読み上げられた動員数の総計は、じつに二十八万四千人。

 広間が静まり返るほどの、まさに破格の巨軍であった。


(二十八万四千……なるほど、そういうことか)


 俺はその数字を聞いた瞬間、内心で思わず苦笑を漏らす。

 かつて鎌倉幕府を開いた源頼朝が、奥州藤原氏を攻め滅ぼした「奥州合戦」において動員した鎌倉方の兵力が、まさに二十八万四千余騎と伝えられている。


 日頃から『吾妻鏡』を愛読し、源頼朝の事跡を己の天下取りの鑑として崇拝する家康のことだ。

 源頼朝の奥州征伐の故事にきっちりと数字を合わせ、自らを源氏の長者、武門の棟梁たらしめんとする強い自己演出が透けて見えていた。


 豊臣秀吉が生前に成し遂げた九州征伐、小田原攻め、さらには二度にわたる唐入り(朝鮮出兵)の動員規模をも凌駕する空前絶後の軍事行動である。

 徳川家康はこの奥羽征伐を完遂させることによって、豊臣の威光を完全に過去のものとし、自らの天下取りへ一気に王手をかける腹づもりなのだ。


 だが、その盤石に見える大軍勢の編成において、奇妙な「空白」が存在していた。

 南九州の雄・島津家の動向である。

 この時点で、島津義久、島津義弘、島津豊久の三将はいずれも薩摩・大隅の本国に留まっており、公儀の調停を無視して強引に庄内の乱(伊集院忠棟父子の反乱)を鎮圧した島津家の真意は、上方からでは全く測りかねる状況にあった。


 その不穏な動静を口実に、徳川家康は九州諸将への差配を言い渡す。

 肥後の加藤清正をはじめ、豊後、日向、南肥後に領地を持つ諸将に対し、奥羽への従軍を免じる代わりに、九州本土に留まって不気味な島津を警戒・監視する役目を命じたのである。


(やはり、そう来たか)


 俺は表情を微塵も動かさず、胸の裡で深く息を吐いた。

 対島津の監視を名目として、我が南豊後二十万石・臼杵二階堂家の動きを現地で完全に封じ込める作戦だ。

 俺自身を大坂から東国への軍列に同行させて人質とし、国元の臼杵には加藤清正らの監視の目を光らせる。

 もし俺や息子たちが怪しい動きを少しでも見せれば、加藤清正らに命じて臼杵城を一気に攻め落とせるよう、裏で密命を下しているのは疑いようがなかった。


 軍の陣立てと留守居の差配を一通り終えると、徳川家康は満足げに頷き、出陣の日取りを高らかに告げた。


「出陣の日は、十日後の六月十六日と定める!」


 大坂城西の丸を揺るがすような号令とともに、軍評定は幕を閉じた。

 大老の毛利輝元、宇喜多秀家、そして土佐の長宗我部信親らに対しては、奥羽征伐への出兵準備を整えるため、直ちに国元へ下向することが許可された。






 評定が解かれ、諸将がざわざわと立ち上がる中、安国寺恵瓊や宇喜多秀家が、鋭い視線をこちらへ向けながら足早に歩み寄ってこようとする気配があった。

 二階堂が本当に徳川へ降ったのか、それとも何か別の意図があるのか——奥羽の真意、あるいは俺自身の肚の内を確かめようと、直接言葉を交わす隙を窺っていたのだろう。

 だが、その接近を許さぬよう、素早く動いた者たちがいた。


「左京亮殿、此度の先導役の儀、内府様も大層心強く思われておりますぞ」


「道中の割り振りや旅宿の手配など、詰めておかねばならぬ仔細が山ほどござる。さあ、こちらへ」


 本多忠勝や榊原康政ら徳川譜代の重臣たちが、まるで労うかのような笑顔を浮かべ、わざとらしく俺と毛利・宇喜多らの間に割り込んできたのだ。

 秀家が苛立たしげに眉をひそめ、さらに歩み寄ろうとするや、徳川の旗本たちが「諸将の退出が滞りますゆえ」と丁重かつ強引に割って入り、壁となってその進路を遮る。


 あからさまな妨害ではない。

 あくまで「大役を任された二階堂殿への気遣い」という体裁を取り繕いながら、一分の隙もなく周囲を囲い込み、俺が反徳川派の大名たちと一言たりとも私語を交わすことを許さない。

 俺が毛利や宇喜多、あるいは大坂の奉行衆に余計な情報を漏らすのを、水際で完全に遮断する構えであった。


(……やれやれ、手抜かりのないことだ)


 背後で俺を護衛する前田利益が、あきれたように小さく肩をすくめるのが見えた。

 俺を東征の先導役として持ち上げ、恭順の証として利用する一方で、その舌先から徳川に不都合な企みがこぼれ出さぬよう、徹底して耳目を塞ぐ。

 人質に対する徳川家の監視と情報統制の冷徹さを、まざまざと見せつけられた思いであった。


 徳川譜代の分厚い人の壁に囲まれながら、俺は冷徹に世の大局を見つめていた。

 徳川家康は意気揚々と天下の大軍を東へ率いていく気満々だが、大坂に残される毛利や宇喜多が、このまま大人しく従軍の兵を出すはずがない。

 彼らが大坂を離れ、国元で兵をまとめ始めた瞬間こそが、天下を揺るがす大反転の狼煙となるのだ。


 初夏の風が吹き抜ける大坂城。

 見せかけの威風に満ちた巨大な軍勢が、破滅の足音を忍ばせながら、東へ向けて動き出そうとしていた。






<1600年 7月下旬>


 慶長五年六月十五日。

 奥羽征伐への出陣を翌日に控えたこの日、徳川家康は大坂城本丸を訪ね、豊臣秀頼ならびにその生母・茶々姫に暇乞いの挨拶言上に及ぶ。

 そして——実質的にただの人質という立場の俺もまた、徳川家康の供回りの一人として、その拝謁の席へと同行させられる羽目になっていた。


 豪奢を極めた大坂城奥御殿の上段には、まだあどけなさの残る七歳の豊臣秀頼と、その後見として薄衣を優美に纏った茶々姫が座している。

 久しぶりに間近で見る茶々姫は相変わらず肌の艶もよく、充実した生活を送っているようであった。


 それもそのはずだ。

 表向きは宇都宮の餃子職人として、城内の台所番に潜入させてある石川五右衛門が、夜な夜な寝所を訪れて情愛を交わし合っているのだから。

 愛しい男と我が子の父を間近に置き、満ち足りた日々を過ごしていることは、その表情を見れば一目瞭然であった。


 徳川家康が恭しく平伏し、出陣の挨拶を述べると、茶々はわずかに眉を寄せ、憂いを帯びた声で問いかけてきた。


「徳川内府殿。奥羽は遠く、鎮守府大将軍の兵は異国の武器で武装しており精強と聞いています。大丈夫でありましょうか」


 妹の江が徳川秀忠に嫁いでおり、その娘の千姫は秀頼の許嫁に定まっている。

 義理の親類である徳川軍の身の上を案じるものとしても、純粋な心配から出た声であった。

 すると、平伏していた家康が顔を上げ、実にいけしゃあしゃあとした笑顔を浮かべて応じた。


「なに、心配入りませぬ。ここに控える二階堂左京亮が仙台までの道案内を約束してくれましてな。難儀など何も起こりませぬ」


 徳川家康の言葉を受け、俺は下座の畳の上でひたすら額を擦りつけ、黙して平伏を貫いた。

 反論も肯定もせず、ただ従順な道案内役に徹するのみだ。


 先の戦評定に引き続いて、実質的にただの人質である俺を、わざわざこの場へと同行させた理由は極めて明快であった。


 『二階堂家は徳川の敵ではない。それどころか、こうして公儀の主君の御前で膝を揃え、東征の先導役を務める間柄である』

 

 その事実を、徳川に味方する諸大名のみならず、敵対する奥羽鎮守府の伊達政宗に向けて、これ見よがしに見せつけるための政治的な布石なのだ。


(二階堂と伊達の離間、そして味方の引き締めか……)


 伊達と血縁深く、東国に確固たる地盤を持つ二階堂が徳川に従っているという絵面は、味方の士気を上げるこれ以上ない薬となる。

 同時に、伊達政宗に対しても「奥羽の玄関口を固めるはずの二階堂は、すでにこちらの手中にあるぞ。白河の関は開けっぴろげよ」という無言の恫喝となり、疑心暗鬼を植え付ける楔となるのだ。


 俺を大坂城の奥殿にまで連れ出したのは、まさにその効果を徹底的に知らしめんとする、徳川家康ならではの冷徹な作戦であった。


 ふと視線を上げると、上段の茶々姫と一瞬だけ目が合った。

 茶々姫はそれ以上無駄な口を利くこともなく、「わかってますよ」とばかりに密やかな視線だけをこちらへ送ってくれた。


(……五右衛門のやつ、うまく差配しておるな)


 俺は内心で安堵した。

 すでに八卦衆を使って石川五右衛門には指示を出してある。

 徳川家康が東へ出陣した後、上方を占拠した毛利輝元や宇喜多秀家、三奉行らの一派が秀頼の出馬を願い出てきても、決して応じるな、と。


 極力戦さを長引かせるための指示であった。

 自分があまりに西軍にテコ入れし過ぎて、さらにここで豊臣秀頼出馬となると、東軍の圧倒的な敗北になりかねなかったからである。

 そうなると徳川と毛利の立場が逆転するだけで、奥羽鎮守府の勢力が拡充される隙間が生まれない。


 今回の戦さは奥羽征伐も含めて、あくまで豊臣家の家臣同士の戦いという位置付けを、片桐且元をはじめとする秀頼側近連中を含め、茶々姫に徹底させるのが石川五右衛門の仕事であった。


 どうやらその仕事は上手くいっているようで、胸を撫で下ろす。


 やがて、茶々姫に促された幼い豊臣秀頼が、小さな背筋を伸ばし、甲高い声で下知を述べた。


「内府。てんかの静謐をまもるため、奥羽の征伐、たいぎであるぞ。そなたの忠節をしょうし、黄金二万枚ならびに兵糧米二万石をつかわす」


 まだあどけない面立ちながら、母の言い含め通りに堂々と紡がれたその台詞とともに、莫大な下賜が徳川家康へと申し渡された。


 すでに徳川家康は、後陽成天皇から晒布百反を下賜されている。

 朝廷からの晒布に続き、豊臣の主君からも莫大な軍費を賜ったことで、徳川家康率いる奥羽征伐軍は名実ともにほぼ官軍扱いとなったわけだ。


(……とはいえ、錦の御旗まで下されたわけではないがな)


 朝廷とて馬鹿ではない。

 奥羽鎮守府がもたらす佐渡や院内の莫大な金銀によって、いまや内裏も公家衆もすっかりその胃袋を掴まれているのだ。

 徳川の権勢に配慮して体裁ばかりの晒布こそ下したものの、奥羽を明確な朝敵と断じるような綸旨など出すはずもない。

 公家どもは双方の金の出処とパワーバランスを天秤にかけ、実に抜け目なく立ち回っている。


 そして——その欺瞞を、目の前で平伏している徳川家康自身が誰よりも熟知していた。


「ははあッ! 身に余る過分なる仰せ、恐悦至極に存じ奉りまする! この家康、粉骨砕身して奥羽の不忠の徒を成敗し、天下に再び静謐をもたらしてご覧に入れましょうぞ!」


 徳川家康は大広間に響き渡る声で平伏し、大仰にありがたがって見せた。

 朝廷の晒布も、豊臣の金子も、中身が伴わぬ薄っぺらな「お墨付き」に過ぎないことなど百も承知。

 それでも、天下の諸大名を軍列に縛り付けるための大義名分として使えるなら、どんなものであろうと最大級に利用し尽くす。

 家康はすべてを飲み込んだ上で、自覚的にこの「官軍の将」という役回りを完璧に演じきっているのだ。


(やはり、大したものよな……)


 前世の知識という下駄を履いているに過ぎない己のような存在とは根本から違う。

 数々の修羅場を自らの才覚と忍耐でくぐり抜けてきた、本物の天下人ならではの徳と器量。

 その底知れぬ胆力と図太い道破りの前には、ただ舌を巻くしかなかった。


 この本物の怪物を向こうに回し、一歩も引かぬ策を練り上げねばならぬのだ。

 冷徹に頭を垂れながら、俺は改めて身の引き締まる思いで、徳川家康の芝居がかった背中を見つめていた。







 慶長五年六月十七日の夕刻。

 奥羽征伐のための軍勢を率いた徳川家康が伏見城へと入る。


 人質として同行させられた俺もまた、伏見城下の二階堂屋敷へ戻ることを許された。

 だが、南御前が待つその屋敷の門前は、以前にも増して物々しい空気に包まれている。

 望月千代が率いる鳥居家の兵たちが「警備」の名目のもと、屋敷の周囲を幾重にも厳重に包囲していた。


 今頃、伏見城の本丸では、結城秀康から伏見城代を引き継いだ鳥居元忠と、徳川家康が名残を惜しむように盃を酌み交わしているはずだ。

 己が奥羽に兵を進めている間に、もし上方で反徳川の誰某かが兵を挙げた場合、いかにこの伏見城を死守すべきか——生きて再び相見えぬことを互いに覚悟した上での、最後の軍議が執り行われているに違いない。


 そして、俺もまた明朝の出立に備えて動かねばならなかった。

 屋敷の奥の広間に、南御前、吉次、前田利益、名古屋山三郎、そして伏見留守居の護衛役として待機させていた風魔八卦衆の【月門】音羽を集め、今後の前後策を講じる。

 もっとも、大枠の指示はすでに出してある。


 南御前と前田利益は、俺とともに徳川軍に守られながら——実質的には監視の目を光らせられながら、明日の朝一番で東海道を江戸へと向かう。

 吉次はこの伏見の二階堂屋敷に残り、豊臣家への人質としての役目を表向き果たす。

 そして、もし上方で反徳川軍が挙兵に及んだならば、留守居役の名古屋山三郎が音羽と連携し、妻である出雲の阿国の一座の巡業隊へ吉次を紛れ込ませ、速やかに洛外へと逃がす手筈となっていた。


 此度の席で、改めて下す指示はたった一つだけであった。

 俺は懐から封を施した一通の手紙を取り出し、吉次の前へと差し出した。


「吉次。反徳川軍が挙兵した際、この文を何としても石田治部(三成)殿へ届けてくれ」


「……治部少輔様へ、にございますか」


 吉次が静かに文を見つめる。

 手紙に認めた中身は、三点。


 一つ、真の武士に人質は効かぬ。そのような敵の人質を力づくで捕らえ、ましてや命を奪うような真似をすれば、単に敵の憎悪が増すだけである。味方にとって一利なしと心得るべし。

 二つ、近江の大津城は、美濃と山城を繋ぐ極めて重要な城である。たとえ浅井三姉妹の初姫の居城であろうと、情は無用。必ずや開戦と同時に占領し、真に信頼のおける将に預けて死守せしむべし。

 三つ、徳川内府を相手に、野戦を挑むことなかれ。もし戦いを避けられぬ局面に至ったならば、深く塹壕を掘り、柵を固く立て、地の利を徹底して活かした防御戦に徹すべし。


 史実において三成が踏み抜いた致命的な地雷——諸大名の妻子人質作戦の瓦解、大津城包囲による一万五千の精鋭の足止め、そして関ヶ原における野戦の決断。

 それらを未然に回避させるための、俺からの精いっぱいの助言であった。


「かしこまりました。絶対に治部少輔様のお手許へ届けさせましょう」


 吉次は居住まいを正し、両手で恭しく文を受け取った。


 張り詰めた空気が漂う中、それまで腕を組んで黙して聞いていた阿南が、ふっと切れ長の目を和らげ、珍しく吉次へと声をかけた。


「……吉次」


「は、はい、御前(ごぜん)様」


 思いがけず名を呼ばれ、吉次がわずかに目を瞠る。阿南は低くハスキーな、しかし慈しみのこもった声で短く告げた。


「生きて、また会おうぞ」


 側室として、商人として、長年己の夫を陰から支え続けてきた女への、正室なりの確かな信認の言葉であった。吉次は目元をわずかに潤ませ、深く頭を下げた。


「……御前(ごぜん)様も。どうか、ご無事で」


 歴史的な和解が成った瞬間である。






 明けて慶長五年六月十八日の早朝。

 まだ空に白みが差し始めたばかりの薄明かりの中、表の門前の方角から、野太い怒声が屋敷の奥までビリビリと響き渡ってきた。


「――刻限でござるッ! 二階堂左京亮殿、出立の刻限にござるッ!」


 地を揺るがすような怒声と、門外に控える兵たちの甲冑が擦れ合う無数の金属音。

 徳川からの迎えが来たのだ。

 門前で催促するその声には、有無を言わせぬ威圧が込められていた。


「……行くとしよう」


 俺が立ち上がると、阿南と利益も静かに立ち、身なりを整えて歩き出す。

 玄関を出て表門の扉を開け放つと、朝靄が立ち込める通りを、厳重な兵の列が埋め尽くしていた。


 その隊列の先頭に、二人の武者が並び立っている。

 ひとりは、昨日まで俺たちを見張ってきた黒漆の胴丸姿の女武者・望月千代。

 そしてその隣には——前田利益にも引けを取らぬ大柄な体躯を誇り、獰猛な野獣の如き気迫を隠そうともせぬ偉丈夫が、仁王立ちしていた。


 俺と南御前が門前に姿を現すと、まず望月千代が一歩前へ進み出て、居住まいを正して一礼した。

 そして、落ち着いた声音で口を開く。


「左京亮様、ならびに奥方様。これより江戸への道中、お二方の護衛ならびに監視の役目は、鳥居隊からこちらの水野藤十郎様に引き継ぎと相成りました。内府様の軍列に付き従い、水野殿の指示に従って東海道をお進みくださりませ」


 望月千代の引き継ぎの言葉を受け、隣に控えていた巨躯の武者——水野勝成が太い腕を組み、不敵な笑みを浮かべながら進み出てきた。


「――お久しゅうござるな、左京亮殿。……拙者の顔を覚えておいでですかな?」


「忘れるはずもなかろう。かつて倉敷で押し掛け仕官してきた、あの倫魁不羈(りんかいふき)の猛将殿よな」


 俺がそう返すと、水野勝成は「ハハッ!」と豪快に破顔した。


「左京亮殿が『備中で余生を待ち、いずれ家康殿を頼れ』と道を示してくださったおかげで、親父殿とも無事に和解できましてな。こうして目出度く徳川の陣列に復帰が叶ったというわけでさあ。此度はお手前方の道中、某がお供仕る」


(……まあ、そうなることは初めから分かっておったがな)


 史実の知識を持つ俺からすれば、豊臣秀吉の死後に彼が徳川家康の元へと駆けつけ、父・忠重と和解して水野家の後継へと返り咲くことなど、完全に織り込み済みの既定路線である。

 だが、いざこうして徳川の重臣として堂々と目の前に立たれると、やはりその威圧感は只者ではない。


 水野勝成との挨拶を交わし終えたところで、役目を引き継ぎ終えた望月千代が、旅立とうとする俺と前田利益の前へと歩み寄ってきた。

 そして、これまでの冷徹な表情を微かに崩し、深く頭を下げてくる。


「この二月に渡り、もろもろご無礼をお掛けした段、ひらにご容赦くださりませ」


 その声音には、もはや先日までの刺々しい棘はない。

 顔を上げ、前田利益の顔を真っ直ぐに見据える望月千代。


「壬生に戻られたら、奥方にお伝えくださいませ」


「……何をかね?」


 前田利益が問い返すと、望月千代は自嘲するように微かに口元を綻ばせた。


「同じ境遇になってみて、仇を愛するような……バカな女の気持ちが、ようやく私にも分かった、と。……そなたの抜け忍の罪を、許す、と」


 武田家はとうの昔に滅び去り、歩き巫女のくノ一集団も解散して久しい。

 今さら抜け忍の罪を許したところで、何の意味もない。

 世間的には何の効力も持たない、虚しい許しだ。


 それでも——かつて頭領として部下を縛り、裏切りを許せなかった彼女が、己もまた鳥居元忠という一人の男に命を懸けて寄り添う身となった今、かつての愛弟子へ贈ることのできる、彼女なりのケジメだったのであろう。


 これから鳥居元忠とともに伏見城の守備につくことになる望月千代は、夫と己に待ち受ける過酷な運命を完全に悟っていたのだ。


「……承知した。確かに阿蛍へ伝えておく」


 前田利益が低く太い地声で応じると、望月千代は満足そうに小さく一礼し、踵を返して去っていった。


 水野勝成の兵に前後を挟まれ、俺たちは伏見の町を抜け、東海道へと歩みを進める徳川軍の隊列へと混ざっていく。


(鳥居元忠、そして馬場千代……か)


 これからこの伏見の地に訪れるであろう、凄惨な落城の炎と、あの二人の最期を思わずにはいられなかった。


 助けられるものなら助けたい。

 だが、彼らは決してそれを望まないだろう。

 主君・徳川家康が築こうとしている天下太平の世を信じ、その礎となるために、文字通り己の命を捨てようとしているのだから。


 そのひたむきな覚悟に、胸の奥が熱く焼かれるような思いがこみ上げる。

 ——だが、それと同時に。

 そんな者たちの忠義や死生観でさえ、己の生き残りと天下の趨勢を操る盤上の駒として冷徹に利用しようとしている、自分自身の透徹した傲慢さを思い知らされていた。


(……相変わらず、どこまで行っても救いようのない愚物だな、俺は)


 馬上で小さく自嘲の息を漏らす。


 朝靄の晴れゆく伏見の空を背に受けながら、俺は手綱を握り直し、運命の東海道を東へと進んでいった。


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× 大軍に確たる用兵は必要なし 〇 大軍に区々たる用兵は必要なし 区々たる(くくたる):価値が低い、取るに足りない、些細なことにこだわる様子
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