1600-5 魔王
<1600年 6月上旬>
初夏の風が鴨川のせせらぎを渡り、洛中の青葉を爽やかに揺らす季節となった。
徳川家康に付き添っての豊臣神社詣でと御所への参内を終えた俺は、かねてよりの約束通り、南御前を連れて京の名所を見て回ることにした。
「ほれ、夫殿。あれに見えるのが八坂の塔か。須賀川や仙台にも名刹はあるが、やはり洛中の普請は古色蒼然として壮大だな」
豪奢な小袖を纏った南御前が、低くハスキーな声で淡々と指を差す。
今年で五十九歳を迎える我が妻だが、百七十センチを超える引き締まった長身と、背筋を凛と伸ばした立ち姿の威厳は昔のままだ。
かつて須賀川で薙刀を振るい、今や奥羽・下野・越後の約三百六十万石の血脈を束ねる女傑としての気骨を漂わせつつも、その切れ長の瞳には、長年の労苦から解き放たれた落ち着きと、久しぶりの物見遊山を楽しむ気配が宿っていた。
「左様。あれあれが聖徳太子ゆかりの塔よ。阿南、足元に気をつけよ。せっかくの京洛見物。ゆっくりと見て回ろうではないか」
「何を言うか。誰に向かって口を利いておる。私をそこらの年寄り扱いするな。そなたこそ、旅の疲れでへたり込むなよ」
相変わらずの軽口を叩き合いながら、俺たちは洛中のそぞろ歩きを満喫する。
すぐ背後には、巨躯を揺らす前田利益がピタリと寄り添い護衛についてくれていた。
朱槍こそ収めているものの、爛々と光る眼光と周囲を圧する偉容は、いかなる刺客も寄せ付けぬ鉄壁の盾そのものである。
そして——その前田利益の後ろから、一定の間隔を保ちつつ無言で追従してくる一団があった。
伏見城留守居・鳥居元忠配下の監視兵たちである。
その先頭に立ち、鋭い視線をこちらへ投げかけているのは、黒漆の胴丸を着こなした女武者・望月千代であった。
年は五十前後、落ち着き払った佇まいに百戦錬磨の気配を漂わせている。
洛東の高名な寺に立ち寄り、見事な借景の庭園を愛でさせてもらった時のことだ。
庭の隅に設えられた瀟洒な東屋へと案内され、住持の坊主から結構な薄茶が振る舞われた。
阿南が茶を喫して一息ついたところで、俺は東屋の外に直立不動で控えている望月千代へと視線を向け、手招きをした。
「千代殿。見ての通り、逃げも隠れもせぬ。茶坊主殿が結構な茶を点ててくださったのだ、千代殿もこちらへ来て一服召し上がられよ」
穏やかに誘いかけたのだが、望月千代はぴくりと眉を動かし、冷たく表情を強張らせた。
「……お心遣い、痛み入りまする。されど某は公儀の命を受け、左京亮様を見張る役目の身。そのような相伴に預かる筋合いはござりませぬな」
声こそ慇懃だが、その双眸の奥には、単なる職務上の警戒心とは明らかに異なる、刺々しい冷たさと微かな「隔意」が宿っていた。
特に、俺の傍らに控える前田利益へ向けられる視線には、隠しきれぬ敵愾心のようなものがチラついている。
(……ん? どうもおかしいな)
公儀の監視役としての堅苦しさだけではない。
はて、鳥居家中の者に何か恨みを買うような覚えがあっただろうか。
徳川との腹の探り合いは日常茶飯事だが、鳥居元忠個人やその配下に個人的な怨恨を残すような真似をした記憶など、いくら頭を捻っても思い当たらない。
考えても分からぬことに頭を抱えるのは性分ではない。
モヤモヤするくらいなら、いっそ本人に直接聞いてしまうが早い。
「千代殿」
俺は茶碗を置き、居住まいを正して望月千代を真正面から見据えた。
「そなた、鳥居殿に仕える者として職務に励んでおるのは重々承知しておる。だが……どうにもそなたの目つきを見ているとな、単なる公儀の見張りというだけでなく、儂や利益に対して私的な遺恨でもあるように思えてならぬのだ。もし儂らに何か不始末や行き違いがあったのなら、腹を割って申してみてくれぬか」
単刀直入に問いただされ、望月千代は一瞬、不意を突かれたように目を瞠った。
隣の前田利益も「ほう」と面白そうに腕を組む。
望月千代は氷のように冷たい視線を前田利益へと向け、低く澄んだ声音で口を開いた。
「……左京亮様は、噂に違わず鋭い御仁にございますな。見抜かれては詮無きこと。……私の亡父は、甲斐武田家にて信玄公・勝頼公に仕えた馬場美濃守信春にございます。かつては我が父の背を見つつ、甲斐の忍び、歩き巫女たちを束ねる頭領を務めておりました」
(馬場信春の娘……! 武田四名臣筆頭、あの『不死身の鬼美濃』の娘が、甲斐の乱波を率いておったか)
思いがけない勇将の名に俺が内心で息を呑むと、望月千代は吐き捨てるように言葉を継いだ。
「左京亮様の養女となり、前田殿の妻となった阿蛍……あやつは元々、我が配下のくノ一にございました。武田と佐竹が同盟を結んだ折、阿蛍は我が命を受け、佐竹の依頼を受けて左京亮様を討つべく宇都宮に潜入したのです。……されど結果はご存知の通り。前田殿に絆されて抜け忍となり、あろうことか二階堂家の養女として仇の妻の座に収まり、その仇の子を幾人も産み落とす始末」
望月千代の瞳に、長年積もり重なった苦々しい怒りが宿る。
「手塩にかけて育て上げた優秀なくノ一を骨抜きにして奪い去った前田殿に対し、私は長年、煮え湯を飲まされたような思いを抱き続けてまいりました。伏見の屋敷前でお会いした折も、内心では刃を交えたい衝動を抑えるのに必死でございました。……武田家が滅び、今となっては詮無きこととはいえ、私怨はそう容易く消えるものではございませぬ」
望月千代の言い分を聞いて、俺と前田利益は顔を見合わせた。
「おいおい、手厳しいな」
前田利益は頭を掻きながら肩を竦める。
(なるほど……そういうことであったか)
育て上げた部下に裏切られ、敵に寝取られたのだ。
甲州乱波の面目を潰された望月千代が、前田利益や二階堂に対して憤りを抱くのも無理はない。
武田が滅び、今は徳川に仕えているからといって、長年胸に燻った怒りや執念がそう簡単に割り切れるはずもないのだ。
「……事情はよく分かった。なら、そなたが儂らに隔意を持つのも仕方あるまいな」
俺がそう言って頷くと、望月千代はフンと短く鼻を鳴らし、再び感情を押し殺した無表情に戻って背筋を正した。
私怨が晴れたわけではない。
互いに相容れぬものを抱えたまま、ただ「そういうものだ」として対峙を続ける。
乱世を生きる者同士、それで十分であった。
望月千代の監視の目は相変わらず鋭く、公儀の忍びとしての職務には寸毫の油断もなかった。
俺は名所を巡り、南御前との夫婦の会話や茶屋での一服を装いながら、苦労して望月千代の死角を突き、京洛に潜伏させていた風魔八卦衆と極秘裏に連絡を取り合う。
徳川家康による奥羽征伐の進発は目前に迫っている。
そして近いうちに、傷の癒えた石田三成が大坂で挙兵し、天下を二分する『関ヶ原の戦い』が勃発することは、チートの歴史知識を持つ俺にとって疑いようのない確定した未来であった。
東西二つの巨大勢力間で激突が起きた時、徳川家康に人質として身柄を拘束されているであろう俺にとって、最大の生命線となるのは「正確無比な情報」だ。
軍列に同道させられ、身動きを封じられた状況にあっても、各地の戦線の状況を可能な限りリアルタイムで把握し、一手先を読み切らねばならぬ。
そのための布石として、俺は手持ちの諜報戦力である風魔八卦衆を、日ノ本全土の要所へと戦略的に散開させる密命を下す。
風魔八卦衆に割り当てた配置と任務は、以下の通りである。
【陽門】御影:引き続き大坂に潜伏。
台所番として大坂城に潜入している石川五右衛門の指示を受け、俺や全国に散った他の八卦衆との連絡・中継を統括する最重要ハブを務める。
【金門】九谷:引き続き加賀・金沢で潜伏。
芳春院の側に仕え、前田家家中および越前の諸将の動静を監視し、北陸の情勢を探る。
【火門】冨山:越後・親不知へ派遣。
北陸の前田勢がもし伊達領である越後へ侵攻した場合に備え、国境地帯の軍事的な動きを即座に通報する。
【木門】鈴鹿:北伊勢へ派遣。
西軍が伊勢路を経て尾張・三河へ進撃するルートを警戒・監視する。
【月門】音羽:伏見に残留。
西軍による伏見城攻めが勃発した場合に備え、伏見にあって吉次の身柄を守り、安全に脱出させる護衛任務を担当。
【風門】舞鶴:丹後へ派遣。
細川幽斎が籠もる田辺城に対し、西軍が包囲攻城戦を仕掛けた場合の戦況を逐次報告する。
【水門】滋賀丸:南近江へ派遣。
大津城を巡る東西両軍の攻防に備え、水陸両面から敵味方の動向を探る。
【土門】伊吹:西美濃へ派遣。
やがて東西両軍の主力が激突することになる関ヶ原での戦いに備え、決戦の火蓋が切られる瞬間を捉える。
(これでよし……)
望月千代の目を盗み、寺社の絵馬掛けの裏や茶屋の腰掛けの隙間を通じて、次々と風魔八卦衆へ暗号の指令書が手渡されていく。
八門の精鋭たちが音もなく京を離れ、それぞれの配置へと疾駆していく気配を肌で感じながら、俺は深く息を吐く。
「夫殿、何をぼんやりしておる。次は八坂の塔へ参るぞ」
南御前の澄んだ低い声に呼び戻され、俺は「ああ、今行く」と応じて歩調を合わせる。
初夏の陽光の下、運命の決戦へ向けた蜘蛛の巣のような情報網が、静かに、そして確実に日ノ本全土へと張り巡らされていった。
<1600年 6月中旬>
望月千代ら徳川の監視の目をかいくぐり、風魔八卦衆を各地へ散らせてから数日。
南御前を連れて洛中の名所をそぞろ歩き、穏やかな物見遊山に興じる日々を送っていた俺のもとに、思いがけない場所から文が届いた。
差出人は、京都新城に御座所を構える北政所。
「夫婦揃うて、茶の湯を一服召し上がりにいらっしゃいませ」という、直々の招きであった。
京都新城——。
聚楽第が破却された後、豊臣秀吉が最晩年に京都における豊臣家の威信を示すべく、仙洞御所の東隣に築かせた城郭風の壮麗な屋敷である。
元々は秀頼君の洛中滞在用の御座所として、あるいは豊臣秀吉が己の隠居城として構想したとも囁かれるが、完成を迎える前に豊臣秀吉は病に倒れて没した。
その後、伏見城から大坂城へ移る茶々姫と入れ替わるように大坂を去った北政所が、自らの隠居屋敷として入ったことで、今や事実上の「北政所の城」として機能している。
堀や石垣を備え、御所に隣接するこの要塞じみた新城は、表向きは落飾した女性の住まいに見えながら、豊臣家における北政所様の揺るぎない政治的権威を象徴する場でもあった。
これまでに俺が北政所の姿を間近で見る機会を得たのは、鶴松の葬儀と、大政所の葬儀の二回きりである。
俺個人として親しく言葉を交わしたことなど一度もない。
大坂城や伏見の政変から距離を置き、京都新城に隠棲している北政所が、なぜ今この時期に、この俺を招くのか。
不思議に思いつつも、天下人の正室であった北政所からの誘いを無下には断れない。
俺は阿南を伴い、京都新城を訪れることとした。
新緑の美しい庭園を望む数寄屋造りの茶室にて、北政所は穏やかな微笑みを浮かべて俺たちを迎えてくれた。
「秀長殿や、あの子……秀次が随分と頼りにしていた左京亮殿とは、一度じっくりと会うてみたいと思うておりました。亡き夫も、折に触れて貴方のお名前を口に出しておられましたよ。『あれは官兵衛並みに油断のならぬ男じゃ』とね」
茶を点てながら、北政所はコロコロと鈴を転がすような声で、決して聞き捨てならない情報を漏らしてくる。
北政所様は今年で五十一歳。
俺や南御前に比べれば年下である。
それゆえか、年配であるこちらを立てるように細やかな心遣いを見せてくるが、その身に纏う気品と威厳はただ者ではない。
朝廷からは従一位准三后という皇族や摂関家に匹敵する最高位の位階を賜り、さらに河内国内に一万六千石もの広大な隠居領を持ち、実質的に女大名そのものだ。
何より、あの身代ひとつから天下を平定した豊臣秀吉の正室を長年にわたって務め上げ、荒くれ者の子飼い大名たちを束ねてきた実績がある。
可憐で温和な佇まいの奥に、一筋縄ではいかない底知れぬ胆力を秘めた女性であった。
「亡き太閤殿下からそのように買い被られていたとは、身に余る光栄にございます」
俺が平伏すると、北政所はふふっと優しく目を細める。
その時である。
茶室の躙口から、衣擦れの音とともに新たな客人が姿を現した。
「……これは、先客がおいででしたか」
現れたのは、頭を丸め、質素な黒染めの羽織を纏った痩身の老将であった。
足を引きずり、杖をつきながらも、その双眸の奥には剃刀のような鋭利な光が宿っている。
つい先程話題に上がった黒田如水だ。
「如水殿。よいところへいらっしゃいました」
北政所が微笑んでいる。
黒田如水は豊臣秀吉の天下取りを支えた名軍師であり、嫡男・長政に家督を譲って隠居の身である。
近々、領国である豊前中津へ下向するらしく、その前に北政所へ暇乞いの挨拶に訪れたという体であった。
(……偶然のわけがあるまい)
俺は内心で黒田如水の老獪さに舌を巻く。
もちろん偶然この場に居合わせたのではない。
黒田如水が北政所を動かし、俺と会う機会そのものを自ら作り上げたのだ。
黒田如水が隠居する前、黒田官兵衛考高と名乗ってた織田信長公がブイブイ言わしてた時代。
摂津の荒木村重が『もう刀に刺された饅頭を食うのは沢山じゃ!』と突如として謀反を起こした。
その村重を単身説得すべく有岡城へ乗り込んだ黒田官兵衛は、逆に捕縛されて土牢へと幽閉され、世間には「黒田官兵衛が荒木に寝返った」との虚報が流された。
激怒した信長公は、人質として預かっていた黒田官兵衛の嫡男・松寿丸(後の黒田長政)の処刑を羽柴秀吉に下命。
その絶体絶命の危機を救ったのが、竹中半兵衛の機転と、松寿丸を我が子のように匿い庇護した他ならぬ北政所であった。
黒田如水と北政所の間には、二十余年に及ぶ命の恩義と絶対的な信頼関係がある。
徳川家康がいま必死になって取り込もうとしている、加藤清正、福島正則、黒田長政ら豊臣家子飼いの武将たちにとって、北政所は「母」も同然の存在だ。
ゆえに、いくら俺の監視が任だからと言って、その御所へ土足で踏み込んで機嫌を損ねるわけにはいかない。
望月千代ら鳥居家の兵たちは、門外で指をくわえて待機するほかなくなる。
徳川の盗聴も監視も届かぬ鉄壁の聖域を作り出し、俺と二人きりで腹蔵なく語り合うために——黒田如水はこの長年の絆を利用して、この場を整えてみせたのである。
「左京亮殿の奥方様、遠路はるばる奥羽から九州まで下られたとか。……よろしければ、奥州の須賀川や豊後の臼杵のお話を、あちらの庭園で聞かせてくださりませぬか」
北政所が機転を利かせ、阿南へ向けて優しく声をかける。
男たちに密談の場を譲るための、完璧な差配である。
南御前は俺へすっと視線を向け、顎を引いて「承知した」と目配せを送ると、立ち上がった。
「忝のうございます。須賀川の山川の話など、お耳汚しになりましょうが」
南御前が北政所に伴われ、静かに茶室の縁側から庭園へと下りていく。
茶室に二人きりとなった俺と黒田如水。
黒田如水と言葉を交わすのは、慶長の役において朝鮮の地に渡り、着任の挨拶の席で顔を合わせて以来であろう。
「如水殿、ご息災で何より。して……領国へ戻られる前に、わざわざ儂に聞かせたい話がおありのようですな」
俺が水を向けると、黒田如水は口元に薄い笑みを浮かべ、膝を引き寄せてきた。
「左京亮殿。貴殿もご承知の通り、徳川内府様は伏見にとどまり、精力的に奥羽征伐の準備を進めておりまする」
黒田如水は声を潜め、昨今の政情を語り始めた。
「五大老の一人たる毛利中納言(輝元)殿、そして残る三奉行……増田長盛、長束広家、前田玄以の面々が、病をおして登城した越前敦賀城主の大谷刑部(吉継)殿とともに、内府を諌めました。『太閤殿下の御遺命に背き、亡くなられて三年も経たぬうちに天下の兵を動かすべきではない。奥羽征伐は年内見合わせるべし』と。……されど徳川内府様は、いっさい取り合わなんだ」
「ふむ……徳川内府殿らしい頑迷さよ」
「それどころか、です」
黒田如水の瞳が怪しく光る。
「徳川内府様は、『伊達政宗の腹心たる片倉景綱より、前代未聞の無礼千万な返書が届いた』と言いふらし、これを口実に奥羽鎮守府の解体を朝廷に奏請するよう、増田らに指示を飛ばしたそうで」
「片倉小十郎が……? そんな無礼な手紙を?」
俺は思わず眉をひそめた。
俺の知る片倉景綱は、沈着冷静で主君の暴走を抑える分別ある男だ。
そのような挑発丸出しの乱暴な文を、公儀の筆頭大老へ宛てて送りつけるはずがない。
(……なるほどな)
史実における直江兼続の「直江状」と同じ構図だ。
後世に伝わる直江状も、徳川方が開戦の正当性を得るために誇張・捏造したプロパガンダの側面が強いと言われている。
片倉景綱の弁明の返信の内容を針小棒大に言い立て、大義名分をでっち上げるのは、徳川の常套手段であった。
「徳川内府様は全国の諸大名に向け、今日にでも奥羽征伐の陣触れを発しましょう」
黒田如水は身を乗り出し、ギラついた野心の光を瞳に宿して、俺の顔を覗き込んできた。
「……天下が三つに割れますぞ。して、左京亮殿。貴殿はこの盤上において、いかに動かれるおつもりか?」
試すような、底知れぬ眼光であった。
天下が乱れることを心底から愉しみ、その混乱に乗じて何か途方もない絵図を描こうとしている男の顔だ。
背筋に冷たいものが走ると同時に、俺は胸の内で深く息を呑んだ。
(そうだった……忘れるところだった)
徳川家康や石田三成だけではない。
この男——黒田如水という稀代の怪物も、九州を足場に何をしでかすか分かったものではなかった。
黒田如水、いや黒田官兵衛孝高。
播磨に生まれ、播磨に育ったこの男は、かつて豊臣秀吉の軍師としてその智謀のすべてを捧げ、秀吉の天下取りに絶大な貢献を果たしてきた。
だが、己が仕えたその巨星はもはやこの世にない。
主亡き今、黒田官兵衛はようやく己のためだけに、その無類の知略を縦横無尽に駆使しようとしているのだ。
他でもない、黒田官兵衛自身の天下取りのために。
この男が胸の裡で描いている青写真は、おおよそ以下のようなものであろう。
徳川家康が奥羽征伐のために関東へと出張った間隙を突き、大坂で毛利輝元ら反徳川の諸将が挙兵するよう背後から巧妙に誘導する。
中央で天下を二分する大会戦が勃発している間、自身は本拠である豊前中津で兵を挙げ、家康の奥羽征伐に従軍して留守となった九州諸大名の空き城や領地を電光石火の勢いで平らげていく。
先の庄内の乱による深い傷痕で身動きの取れぬ島津をも屈服させ、瞬く間に九州全土を黒田の旗下に収める。
その後、家康との決戦で後背ががら空きとなっている毛利の中国地方へ軍を進めて東進。
黒田家の故地である播磨へ到達する頃には、東西両軍のいずれにとっても無視できぬ規格外の大軍勢へと膨れ上がっているであろう。
そして疲弊しきった中央の勝者相手に勝負を挑んで、最後に最強の覇者として天下に号令をかける――。
ただし、黒田官兵衛の嫡男・長政は生粋の豊臣恩顧でありながら、武断派の急先鋒として徳川家康を盲信している状態である。
徳川家康への忠誠を誇示するためか、長年連れ添った正室の糸姫を男子を産めなかったと一方的に離縁して蜂須賀家へ追い返し、新たに家康の姪(保科正直の娘)で養女となった栄姫を正室に迎え入れようと、血道を上げているほどだ。
そこまで徳川家康に傾倒する息子に対し、もはや説得の余地なしと見切りをつけたのか、黒田官兵衛は中央の長政とは明確に袂を分かち、独力で天下を掠め取るべく国元へ戻ろうとしていた。
そんな男が、北政所を動かしてまで俺と二人きりの場を設けた理由。
黒田官兵衛が喉から手が出るほど知りたがっているのは何か。
それは、南豊後二十万石を領する我が臼杵二階堂家が来るべき大乱でどう動くのか、という一点に尽きる。
自らの野望を阻む障害となるか、それとも利用し得る駒となるか、その肚の内を探りに来たのだ。
「……して、左京亮殿。貴殿はこの盤上において、いかに動かれるおつもりか?」
鋭く重ねられた問いに、俺は茶碗を弄びながら、こともなげに笑って見せた。
「どう動くも何も。この場に居るのが既に答えよ。儂は徳川内府殿の軍列に同行し、東国へと下ることになろう」
「……ほう」
黒田官兵衛は片眉をピクリと跳ね上げ、怜悧な光を瞳に湛えた。
「徳川内府様と二階堂宰相(盛隆)殿の手打ちの具として、御身自らを差し出される捨て身の策。見事というほかありませぬな。……されど、問題はその後にござろう。東国で高みの見物を決め込むおつもりか?」
西軍が大坂で決起することは、もはや言葉にして確認するまでもなく、俺と黒田官兵衛の間では自明の前提であった。
俺はその前提のまま、肩をすくめて言葉を継ぐ。
「そうよな。そなたの言う通りよ。臼杵の城を任せてある行栄にも、勝馬に乗るようにとあらかじめ指示を出しておる」
「……勝馬、でございますか」
黒田官兵衛は身を乗り出し、探るような視線を俺の顔へと突き刺してきた。
「左京亮殿の慧眼から見て、どちらが勝馬になりましょうや? 後学のために、ぜひとも見通しをお教え願いたい」
「さてな、それは儂にも分からん。……実を申せば、いろいろと策を弄しすぎてな。正直なところ、どちらが勝つかわかったものではないのだ」
嘯いているわけではない。
俺は内心で、これまで自らの手で仕掛けてきた「西軍強化の布石」の数々を思い浮かべていた。
一、小早川家の幕僚から、徳川方に靡きそうな人物をあらかじめ排除しておいた。
一、小早川秀秋の越前減封を防ぎ、徳川家康が恩を売る機会そのものを握り潰した。
一、吉川広家に対し「主君たる大将のお墨付きなき約定など、ただの空手形に過ぎぬ」と前もって吹き込み、徳川方の調略コマンドの難易度を跳ね上げておいた。
一、細川幽斎への古今伝授の相伝を早めさせ、丹後田辺城の包囲攻城戦が無駄に長期化する要因を未然に取り除いた。
一、宇喜多家の家老・長船綱直を使嗾して宇喜多詮家を毒殺させ、家中が分裂する宇喜多騒動を防ぎ、強力な軍事力を温存させた。
毛利家の両翼が十全に機能し、田辺城攻めが早期に片付き、宇喜多家の主力が精鋭として戦場に並ぶならば、西軍は東軍を相手に互角どころか、それ以上の戦いを繰り広げるはずだ。
あとは大坂の石田三成に対し、「不要な捕虜は取るな」「京と近江を繋ぐ大津城は、どんな手段を使ってでも強引に接収しろ」という二点さえ伝えられれば、盤石の態勢が整う。
だからこそ、チートな歴史知識を持つ俺にとっても、勝敗の行方は完全に分からなくなっていた。
正直に答えているので、黒田官兵衛も痛くもない腹は探れまい。
俺は静かに身を乗り出して黒田官兵衛の瞳を正面から見据えた。
「――だがな、官兵衛。九州という盤面に限って言えば、誰が勝馬かなど予想するまでもなかろう」
「……何と仰せで?」
「そなたよ、官兵衛」
俺がはっきりと告げると、黒田官兵衛の呼吸が一瞬止まった。
「天下の趨勢がどう転ぼうと、九州の覇権を握るのはそなただ。もしそなたが豊前中津で兵を挙げるならば、臼杵の行栄には黒田家を助けるよう指示を出しておこう。……その代わり、勝利の暁には豊後一国を二階堂に差し出せ。我が二階堂家への褒美は、それで十分だ」
九州全土を切り従えんとする黒田官兵衛にとって、背後を守る同盟軍として南豊後の二階堂勢を味方につけられる利点は計り知れない。
しかも、要求は豊後一国のみ。
九州の覇者たらんとする黒田にとって、これ以上なく呑みやすい、破格の取引であった。
刹那――。
老いたはずの黒田官兵衛の双眸に、底知れぬ狂気と野望の炎がギラリと爛々と燃え盛った。
その痩身から、周囲の空気を凍てつかせるほどの禍々しい覇気が立ち上る。
「フ……フハハ……」
喉の奥から絞り出すような低い嗤い声が漏れたかと思うと、黒田官兵衛は膝を叩き、狂気すら孕んだ歓喜を爆発させて身を震わせた。
「フハハハハハハッ! 感謝する! 感謝しますぞ、左京亮殿ッ!」
その顔は、もはや枯れた隠居老人のそれではない。
己の覇道のためならば、天下を再び大乱の坩堝へと巻き込むことすら厭わぬ、魔王の顔であった。
剥き出しの牙を見せつけるように笑いながら、爛々と輝く目で俺を射抜いてくる。
「南豊後の憂いが消え、背後が盤石となるならば、我を遮るものなど九州のどこにもおらぬ! 豊後一国など幾らでもくれてやるわ! これで……これで我が天下への道は、見事に開かれ申したッ!」
凄まじい眼光で高笑いを響かせる黒田官兵衛。
まだ起きてもいない戦の皮算用をし、五十代後半の爺さん二人が勝手な妄想を膨らませて悦に浸っているのだから、傍から見ればこれほど滑稽な絵面もあるまい。
だが、互いの腹の底に宿る野心だけは本物であった。
かつて太閤となったばかりの豊臣秀吉が、「自分の次に天下を取るのは誰ぞ」と御伽衆に戯れに問うたことがあったという。
ある者は徳川家康と答え、ある者は前田利家と答えたが、豊臣秀吉はからからと笑って否定し、こう言い放ったそうだ。
『わからぬか、官兵衛よ!』
あの、瘡頭に大領を与えれば、あっという間に豊臣の天下を奪い取られてしまう。それゆえに豊前中津の小領で我慢させておるのよ――と。
嘘か誠か、まことしやかに囁かれた話ではあるが、いま目の前にいる男の凄まじい気迫を見れば、それが決して故人の軽口などではなかったことが嫌というほど思い知らされる。
あの豊臣秀吉がもっとも恐れた才が、老境に入っての最後の大博打のつもりか、いま再び九州の地を響動もそうとしている。
徳川の東軍、大坂の西軍、そして伊達と二階堂の奥羽鎮守府。
そこへさらに、西海にて黒田が名乗りを上げるのだ。
(天下は三つどころか……四つに割れるやも知れぬな)
混迷を極める乱世の行く末を思い描きながら、俺は冷めかけた茶を静かに喉へと流し込んだ。
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