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二階堂合戦記  作者: 犬河兼任
第十四章 踊る関ヶ原の戦い(上)
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1600-4 会見

<1600年 5月下旬>


 旅装を解き、埃にまみれた小袖から格式ある直垂へと身なりを改めた俺は、護衛として前田利益ら数名を従え、屋敷の門前に陣取っていた結城秀康や鳥居元忠の手勢に囲まれるようにして伏見城へと向かった。

 表向きは「天下の大老による丁重なるお召し出し」という形を取り繕ってはいるものの、四方を徳川の鳥居兵の槍衾に固められたその隊列は、誰がどう見ても連行そのものの異様な光景であった。


 だが、その物々しい行軍の最中、隊列の先頭を行く結城秀康の様子は、先ほど門前で抜刀しかけた激情が嘘のように上機嫌であった。

 見れば、前田利益と轡を並べ、少年のように目を輝かせながら盛んに言葉を投げかけている。

 前田利益のほうも満更ではない様子で、巨躯を揺らして豪快に笑いながらそれに応じていた。


(……何をそんなに嬉しそうにしておるのだ?)


 馬上で首を傾げつつも、道中で無用な詮索を挟む野暮は避け、俺たちはそのまま伏見城の門をくぐって本丸へと至った。

 大広間へ入る手前の式台にて、結城秀康が俺たちを見送るべく足を止める。

 ここでひとまず別れとなる段取りであった。


「左京亮殿、これより準備が整うまで、大広間にてお待ちくだされ」


 結城秀康の養父である結城晴朝とは、俺が下野にいた頃、佐竹義重らと共に対北条の共同戦線を張り、長年にわたって肩を並べて戦った旧知の仲である。

 小田原征伐の後、豊臣秀吉の強引な差配によって羽柴秀康が結城家へ婿入りした経緯がある。

 名族・結城の家督を背負う徳川家の貴公子としての落ち着きと凛とした佇まいには、確かな器量の良さが窺えた。


「相分かった。城内までの警護、かたじけなく存ずる」


 俺は頷き、供の者が恭しく抱えていた錦の包みを受け取ると、結城秀康の前へと一歩進み出た。


「結城殿、無事に登城を果たせたこと、手厚き護衛に深く感謝いたす。これは儂個人からの心ばかりの礼にござる。我が二階堂家の蔵に眠っていた陸奥の舞草が鍛えし太刀一振りにござるが、武辺を尊ぶ結城殿にお納めいただきたく存ずる」


 包みを解き、現れた白鞘を両手で差し出す。

 差し出された白鞘を見つめた瞬間、結城秀康はハッと息を呑み、居住まいを正した。


 結城秀康の双眸にみるみる熱い敬慕の光が宿り、震える手で恭しく刀を押し頂いてきた。


「……“東国の今元就”と名高き左京亮殿より、直々に佩刀を賜ろうとは……! 身に余る武門の栄誉、かたじけなさに胸が熱うなり申す! 我が結城家の至宝として、生涯大切に帯びさせていただきまする!」


 感極まった面持ちで深く頭を下げる結城秀康。

 その顔を見て、俺は内心で苦笑する。

 どうやらこの若武者にとっては、刀そのものよりも、奥羽を率いてきた老骨の俺から直に武芸を認められたこと自体が、何より誇らしかったらしい。


 俺は柔らかく笑みを浮かべて、道中から気になっていたことを問いかけた。


「結城宰相殿、そう喜んでいただければ何より。……時に、道中では我が娘婿の利益と随分と楽しげに轡を並べておられたようだが、何か良きことでもおありであったのかな?」


 俺の問いに、結城秀康は一瞬照れくさそうに頭を掻いたが、すぐに目を輝かせて熱っぽく語り出してきた。


「左京亮殿、お恥ずかしい限りなれど……実は、それがしが亡き太閤殿下の養子となり、羽柴三河守と名乗っていた折のことにござる。天正十四年の第二次手取川合戦、あれが某の初陣にござった」


「第二次手取川合戦……」


「左様! あの戦において、佐々成政殿の猛攻に味方が散々に打ち破られ、亡き太閤殿下の本陣までもが危うくなった折……手取川に姿を潜めていた前田殿の軍が、川を渡って佐々勢の後背を突いたのです。全軍を前線に繰り出していた成政殿に対し、手負いの身で真っ向から一騎討ちを挑み、死闘の末に見事その首を討ち取ってみせたのが、他ならぬこの前田殿であった! 陣中からその凄烈極まる槍働きを目の当たりにした十四歳の某は、全身を雷に打たれたような衝撃を覚えましてな……天下にはこれほどの豪傑がいたのかと、それ以来、ずっと前田殿に焦がれるような憧れを抱き続けておったのよ!」


「ははっ、過分なお言葉! されど、あの戦さは確かに心躍るものでござった。佐々内蔵助殿のような剛勇の士と命を削り合えたのは、いくさ人冥利に尽きもうした」


 死闘の相手を誇り高く称えるその眼光に、結城秀康は息を呑み、心底から打たれたように頷いた。


「手取川の英雄たる前田殿と、こうして轡を並べて城へ上がれるなど、夢にも思わぬ僥倖にござった! 門前では我が配下が無礼な真似を仕り、まことに面目次第もござらぬ。手前が前田殿に寄せる敬服の念は、昔も今も少しも変わってはおりませぬ!」


 武骨で愚直、戦さ人の魂を隠そうともしない結城秀康の告白。

 なるほど、彼が単騎で二階堂邸まで駆けつけ、望月千代の無体な暴走を強引に押し留めてくれた理由がようやく腑に落ちた。

 門前で屋敷への入邸をすんなりと認めてくれたのも、憧れの豪傑と二階堂家に対する、この若武者なりの誠意と敬意の表れだったのだ。


(なるほど……若いにも関わらず威厳もあり、気持ちのいい男である)


 俺は結城秀康の真っ直ぐな瞳を見つめながら、心中で深く頷いた。

 だが、その胸の透くような好ましさを覚える一方で、冷徹な思考が頭をもたげてくる。


(……だからこそ、徳川家康が彼を後継者に選ばなかったのもよくわかる)


 この結城秀康からは、為政者として必要な陰惨さや冷酷さが感じられない。


 まだ血で血を洗う乱世が続くのであれば、将兵を率いて先頭に立つ結城秀康のような武将でも良かったかもしれない。

 だが、天下が統一され、太平の世を統治する治世が来るとなれば話は別だ。

 求められるのは戦場の武威などではなく、味方すら欺いて駒として冷酷に切り捨てる権謀術数の才である。


 我が子への情に溺れることなく、その器量と能力の適性を冷徹に見極め、武辺に生きる結城秀康の性分を正確に測って乱世の抑えに留め置く。

 この結城秀康の扱い方一つ取ってみても、徳川家康という本物の天下人の政治力の凄まじさを、改めて思い知らされる。


 賜った刀を抱きしめるようにして再び深々と礼を尽くす結城秀康に見送られ、俺たちは大広間へと足を踏み入れた。






 通されたのは、伏見城の本丸大広間である。

 豪奢な金箔の障壁画が張り巡らされ、静まり返った広間の中央に座らされたまま、俺たちはただ無言で待たされた。

 主無き広間に漂う冷ややかな威圧感。

 背後に控える利益が、退屈そうに口元を歪めながらも、視線だけは油断なく障子の隙間や天井の梁を走らせているのが気配で分かる。


 どれほどの時が流れたであろうか。

 やがて、重々しい足音とともに大広間の襖が左右へと厳かに開かれた。

 先頭を切って現れたのは、天下の大老首座・徳川家康である。

 その背後には、伏見城留守居を務める結城秀康、その配下の城代である鳥居元忠、天下無双の剛勇を誇る本多忠勝、そして怜悧な光を宿した智謀の臣・本多正信が、影の如く従っていた。


「……」


 俺は深く頭を下げ、畳に両手をついて平伏の礼を取った。

 耳朶を打つ衣擦れの音。徳川家康は鷹揚な足取りで上段へと進み、伏見城の主人気取りで、極めて自然に、当然の権利であるかのようにただ一人、上段中央の上座へと腰を落ち着けた。

 付き従ってきた四名もまた、分かれて下段に着座する。

 下座の向かって右手には、上座の徳川家康に近い位置に結城秀康が座し、その隣に鳥居元忠が控える。

 対する向かって左手には、同じく徳川家康に近い上席に本多忠勝が構え、その隣に本多正信が腰を下ろした。


 数年前まで、あの小柄で爛々たる眼光を放っていた豊臣秀吉が上座に座し、その左右を浅野長政や石田三成をはじめとする豊臣の家老や奉行衆が固めていた場所に、いまや徳川家康とその家臣団が我が物顔でそっくり入れ替わって収まっている。

 城主面をして堂々と居並ぶ主従の姿に、豊臣の公儀が丸ごと徳川一色に塗り込められてしまった現実と、時の流れの無常をこれほど生々しく実感させる光景もなかった。


「面を上げよ」


 低く、腹に響く徳川家康の一声が落ちてくる。

 俺は促されるままに、ゆっくりと面を上げた。

 去る慶長四年(一五九九年)の正月、伏見城の大広間で行われた新年の拝賀の儀で姿を見かけて以来、約一年半ぶりに対面する徳川家康の姿。

 その輪郭を目にした瞬間、俺は内心でわずかに眉を動かした。


(……前よりも、いささか恰幅が良くなったな)


 一年半前と比べ、わずかに顎の肉が厚みを増し、その体躯はどっしりとした重厚感を帯びていた。

 思い起こせば今から七年前、文禄の役において名護屋へと出陣する徳川家康らを饗応せよと豊臣秀吉から命じられた折、俺はキッチンスタジアムなる前代未聞の趣向を凝らし、天ぷらやエビフライを振る舞ったことがあった。

 あの時、本多正信に懇願されて伝授した門外不出の揚げ物レシピが、どうやらこの男の食習慣に少なからぬ影響を与え続けていると見える。


 ふと視線を下段、向かって右手の列へと落とす。

 まず目に飛び込んできたのは、上席に座す結城秀康の姿であった。

 こちらの視線に気づいた結城秀康は、家康や他の重臣たちに悟られぬよう、わずかに表情を緩めて小さく会釈を返してきた。

 先ほど進呈した刀が効いているのか、その面魂には俺に対する確かな敬意と親しみの色が宿っている。

 俺もまた、気付かれぬ程度に微かに顎を引いて返礼した。


 その結城秀康の隣に控えるのが、鳥居元忠である。

 伏見城留守居役である秀康を支える実質的な城代の重臣であり、鳥居元忠と直接顔を合わせるのもこれが初めてであった。

 今年で六十二歳を迎えるはずの老骨でありながら、深い皺の刻まれた武骨な面魂に宿る眼光は、少しの濁りもなく異様な鋭さを放っている。衰えなど微塵も感じさせぬその頑健な佇まい。

 俺の知る史実の記憶によれば、この男は今年の夏、結城秀康が下野へ発った後の伏見城を預かり、大軍で押し寄せる西軍の前に立ち塞がって孤軍奮闘の末、全滅して果てる運命にある。

 主君・徳川家康の覇道のために己が命を一片の惜し気もなく投げ捨てる、まさに三河武士の鑑というべき凄烈な武将であった。


 視線を転じ、向かって左手の列、上席に座す本多忠勝の岩をも砕かんばかりの厳つい面魂を見つめる。

 その筋骨隆々たる姿を前に、俺の脳裏には一年前の初夏に大坂の真田屋敷で顔を合わせたあの女性の姿が蘇っていた。

 本多忠勝の実の娘であり、真田信幸の正室となった稲姫である。

 すらりと伸びた長身に、端正にして涼やかな目鼻立ち。

 現代の世ならば一流のファッションモデルとして街中の視線を釘付けにしているであろう、非の打ち所のない美貌の持ち主であった。


(……それにしても、だ)


 目の前で鬼神の如き眼光を放ち、顎鬚を震わせているこの猛将の武骨極まる顔つきと、あの涼やかな美女の面影を頭の中で並べてみる。

 背筋をすっと伸ばした立ち振る舞いの凛々しさや気骨こそ確かにこの父親譲りであったが、顔立ちの造形そのものはまるで似ていない。

 この勇ましさを煮詰めたような男から、どう転んだらあのような麗しい娘が産まれてくるというのか。


(……となると、忠勝殿の奥方がよっぽどの美人さんなのだな、きっと)


 遺伝の妙というべきか、母親の血の強大さに内心で深く合点がいった。

 天下無双の槍働きで知られる本多忠勝も、家へ帰れば美しい妻の前に頭が上がらなかったりするのだろうか。


 そんな埒もない妄想を頭の片隅で転がしつつ、最後に本多忠勝の隣に座す本多正信へと視線を移した。

 かつて雪の宇都宮城で差し向かい、関東奥羽惣無事令を巡って腹を探り合ってから十二年余り。

 先年の春に伏見の街道で、仙台に戻る伊達政宗の豪奢な隊列を共に眺めながら軽口を叩き合ったのは記憶に新しい。

 それ以来の再会となるが、この男の佇まいは相変わらずだ。


 まるで隠居した好々爺のように肩を落とし、薄笑いを浮かべてどこか気のない風を装っている。

 だが、細められた双眸の奥に淀みなく宿っている底知れぬ冷徹な光は、見る者が見れば丸わかりだ。

 一見すれば温和で飄々とした老人にしか見えぬその姿の裏で、こちらの些細な呼吸や身じろぎ、視線の揺らぎ一つに至るまで、寸分漏らさず観察し値を踏んでいるのだ。

 本多忠勝の剥き出しの剛勇ももちろん傾注すべきだが、この男の視線一つの方が余程油断がならなかった。






 右に名門を継いだ若き結城秀康と、死を恐れぬ忠義の塊たる鳥居元忠。

 左に剛の本多忠勝と、柔にして底知れぬ智の本多正信。


 かつて豊臣秀吉の家臣たちが忠勤に励んでた伏見城内を完全に私物化し、この盤石なる徳川の四重臣を従えて上段に君臨する徳川家康の構えに、俺も改めて丹田に気合いを入れ、気を引き締め直す。


 こちらの観察を見透かす風もなく、徳川家康は柔和な笑みを浮かべ、両手を膝に置いて頷いてみせた。


「左京亮殿、久しいの。日向庄内でのお骨折り、まことにかたじけない」


「恐悦至極に存じまする。徳川内府殿におかれましても、ご健勝のご様子にて何よりにござります」


 儀礼の挨拶を返す俺に、家康はさも心苦しそうに眉根を寄せ、わざとらしく嘆息してみせた。


「いやはや、此度は手厚く迎え入れよと命じたはずが、何やら行き違いがあったようでの。長旅を終えたばかりの貴殿に対し、物々しく登城を迫るような不調法を働いてしもうた。平にお許しくだされ。…… 彦右衛門、そちからも謝れ」


 徳川家康に促され、下段右手、結城秀康の隣に控えていた鳥居元忠がずいと前に進み出ると、畳に額を擦りつけるようにして平伏した。


「昨今、京伏見の地では奥羽の者たちを大いに恐れる風潮これあり。不穏な世情の折、万が一にも左京亮殿に危害を加えようとする者が現れては一大事と、城下の無事を預かる手前の独断にて、望月千代を名代として警護の軍兵を差し向けたまでにござります。……三河武士の粗忽にて、なにとぞごめんくださりませ」


 慇懃無礼極まりない言い草であった。

 結城秀康の名を隠れ蓑にしつつ、望月千代を先頭に立てて屋敷を包囲し、問答無用で城へ連行しようとした狼藉を、よくも抜け抜けと「三河武士の粗忽」などという都合のいい言葉で片付けられたものである。

 俺のすぐ後ろに控える前田利益から、ふつふつと凄まじい怒気と殺気が立ち上った。

 その殺気に即座に反応したのが、下段左手に控える本多忠勝である。

 鋭利な刃物の如き眼光が利益の巨躯を射抜き、無言のまま互いの気が火花を散らして衝突する。


 大広間の空気が一瞬にして凍りつきかけたが、俺はわざとらしく呵呵大笑し、鷹揚に手を振ってみせた。


「なんのなんの、鳥居殿! 頭をお上げくだされ。見知らぬ上方で凶漢の襲撃に怯えながら入城するより、徳川殿の精強なる軍兵に守られて参る方が、老骨にとっても余程心強いというもの。その手厚きお心遣い、深く痛み入りまする」


 受け流された鳥居元忠は小さく息を呑み、本多忠勝もまた張り詰めた殺気をわずかに緩めた。

 前田利益の怒気も、俺が背中で制したことで静かに霧散していく。

 留守居役の結城秀康も、胸を撫で下ろすように小さく頷いていた。


 一幕の茶番劇が収まったのを見届け、下段左手に控えていた本多正信が、いかにも知謀の臣らしい細めた眼差しをこちらへ向けてきた。


「さて、左京亮殿」


 声音は穏やかだが、その奥には獲物を品定めするような冷徹さが潜んでいる。


「公儀の沙汰に従わず、都之城を攻め下した島津豊久殿の戦いぶりについて、少しばかり伺いたく存じまする。直近まで陣を共にしておられた左京亮殿の目から見て、かの豊久殿の人品骨柄、性格をどのようにお感じになられたか。忌憚のないところを、率直にお答えあれかし」


 本多正信の探るような問い。

 さらには、

「それと、もう一点。伊東祐兵殿から伊集院方への兵糧の差し入れが裏で行われていたという風聞がございますが……あれは真実であったのかどうかも、併せてご教示願いたい」


 徳川家康の意図は明白だ。

 勝手に都之城を落として公儀の面目を潰した島津豊久をどう処遇すべきか、そして日向の仕置きをどう転がすかを測るための諮問である。

 俺は微塵も動じることなく、淀みない口調で応じた。


「佐渡守殿、まずは島津豊久殿の件にございますが……かの者に、公儀に対する反逆の意思など微塵もござらん。あれは身内の恥、家中の乱れはあくまで己が身内の手で落着させ、公儀の内府様に無用な調停の手間やご心痛を掛けさせまいとした、不器用極まる忠義の現れと見受けられました。武骨一辺倒な武将ゆえ、手順を誤り粗相を働いたように見えましょうが、根にあるのは豊臣の公儀への恭順にほかなりませぬ」


 三十歳の働き盛り、気性の激しい戦闘狂である豊久の暴走を、あえて「健気な忠義」として美化してやる。

 島津家に大きな貸しを作ったままの俺としては、ここで島津豊久を庇っておくのが最も得策であった。


「また、伊東殿の兵糧差し入れの件にございますが――少なくとも、我が二階堂勢が国境を封鎖した以降におきましては、そのような物資の流通は一切確認されておりませぬ」


 余計な憶測や風聞の真偽には踏み込まず、自軍が現場で押さえた事実のみを淡々と告げる。

 これならば島津家の言いがかりと決めつけることにもならず、同時に伊東家に余計な火の粉を浴びせることもない。

 正信は顎を撫で、「なるほど、左京亮殿がそう仰るならば間違いありますまい」と薄い笑みを浮かべて引き下がった。庄内の乱を口実にした小手調べは、これにてあっさりと幕を閉じた。


 ――そして。

 上段に座す徳川家康が、いよいよその分厚い両膝を乗り出し、本題へと切り込んできた。







「ところで、左京亮殿。すでにお聞きおよびであろうが……」


 徳川家康の声の温度が、すっと一段低くなる。


「つい先日、土佐の浦戸に流れ着いた紅毛人に、直接話を聞く機会がありましてな。彼らが申すには――陸奥大納言(伊達政宗)が何やら異国と結び、大量の兵器を買い付けておるそうでな。その真偽を問うため、我が徳川より使者を陸奥へと送り、詰問しておるところなのじゃ」


 大坂城の石川五右衛門から吉次経由で届いていた、まさにあの件である。

 徳川家康は鋭い光を放つ瞳で俺を射抜くように見据え、言葉を重ねた。


「もしそれが真ならば、公儀に対する重大なる反逆。亡き太閤殿下より天下の国政を預かった身として、決して無視できぬ事態よ。……場合によっては、兵を率いてこれを力尽くで懲らしめねばならぬやもしれぬ」


 大広間の空気が、ずしりと重く沈み込む。

 徳川家康は獲物の喉首に刃を当てるかのように、さらに言葉を鋭く尖らせた。


「陸奥大納言に従う二階堂宰相(盛隆)殿、ならびに岩城侍従(盛行)殿は、他ならぬお手前のご子息たち。……左京亮殿、お手前の方から、陸奥大納言を懲らしめるのに合力してくれるよう、ご子息たちを説得してはいただけまいか」


 畳み掛けるように、下段左手の本多正信がすかさず言葉を挟んでくる。


「左京亮殿。かつて我が殿が自らの筆にて、『万一、二階堂家に取り潰しの危機が迫るような事あらば、一度は助ける』と一筆したためたお墨付きをお渡ししたことがござりましょう。殿は、あの折の約束を今もしかと守りたいと仰せなのです」


 七年前、天ぷらとエビフライの調理法を教えた引き換えに、徳川家康から巻き上げたあのお墨付きのことだ。

 その約束を今ここで持ち出し、「政宗と一緒に奥羽ごと叩き潰しても構わぬが、約束通り二階堂だけは助けてやろう。だから息子たちを説得しろ」と、甘言の皮を被った恫喝を仕掛けてきているのだ。


 だが、俺とてこの程度のプレッシャー、これまで何度も乗り越えてきた男だ。

 困り果てたように眉を八の字に曲げ、両手を広げてみせた。


「……いやはや、これは困りましたな。此度の上洛のお呼び出し、かねてより公儀にお願い申し上げておりました隠居願いを、内府様に直接お目通りしてお願いする良き機会と思い、罷り越しただけにござります。まさかそのような、恐ろしき仕儀になっていようとは露知らず……」


「なに、隠居とな?」


 予想外の言葉に、徳川家康が目を丸くして身を引いた。


「左様でございます。日向の庄内の戦さも無事に終わり、代官職を仰せつかった大分郡七万石の復興にも、ようやく目処が立ち申した。臼杵の後は息子の行栄にすべて任せ、妻ともども生まれ故郷の須賀川へ戻り、余生を静かに過ごしとうござる」


「……御正妻の南御前様も、伏見の屋敷に入られたとか」


 下段左手の本多正信が怪訝そうに目を細めて突っ込んでくる。


「ええ、左様で。以前から妻に約束しておりましてな。『隠居が叶ったら、長年連れ添った礼として、京の名跡を二人でゆっくり案内してやる』と。わっはっは」


 とぼけた調子で笑い飛ばす俺に、徳川家康も本多正信も毒気を抜かれたように押し黙る。

 だが、俺はそこでふっと笑みを収め、居住まいを正して上段の家康を真っ直ぐに見据えた。


「――徳川内府殿のお話、重々承知仕りました。……されど、まさか我が従甥であり、妻の甥でもある政宗殿が、天朝に背く行為をするとは、自分には到底思えませぬ。かの者が正々堂々と申し開きをし、身の潔白を明かしてくれることを、まずは静かに見守りたく存じまする」


 きっぱりと言い切った上で、俺は老獪な笑みを口元に浮かべた。


「されど――もし万が一、徳川内府殿の仰る通りそれが真実であったならば。その折には、我が息子たちを説得すること、毛頭やぶさかではござりませぬ。……我が隠居をお認めいただき、身共と我が妻の須賀川への帰郷をお許しいただけるのであれば、内府様のご命令に従いましょうぞ」


 息子たちを動かしてほしければ、俺たちの隠居と安全を保証しろ――。

 天下の大老首座に対する、あからさまな条件闘争であった。


「不遜でござろう、左京亮殿ッ!」


 怒声を轟かせ、怒髪天を衝く勢いで立ち上がったのは、下段左手に控えていた本多忠勝であった。

 名槍・蜻蛉切こそ手にしていないものの、歴戦の鬼神が放つ怒気は大広間をビリビリと震わせる。


「天下の大老・徳川内府様を前にして、己の隠居などを引き合いに出し、取り引きを持ちかけようなどと! 言語道断にござる!」


「忠勝殿、そう怒鳴られますな」


 俺はケロリとした顔で肩をすくめてみせた。


「隠居先となる須賀川の地が無くなってしまっては、元も子もありませんからな。老い先短い身なれば、何卒ご容赦を」


「貴様……っ!」


「まあ待て、平八郎。控えよ」


 さらに猛り狂おうとする本多忠勝を、上段の徳川家康が静かに片手を上げて制した。

 徳川家康の瞳には、怒りよりもむしろ、思惑の読めぬであろう俺に対する警戒と苦笑が混ざり合っていた。


「……すべては陸奥大納言の返答次第、ということじゃの」


「左様にござります」


「良かろう。それまでの間、左京亮殿と奥方の身の安全は、この家康がしかと保証いたすゆえ、心ゆくまで京の名所巡りを堪能なされよ。……二階堂屋敷の警護と、お出かけの際の護衛のための兵は、すべて我が徳川より手配いたそう」


 隠居を許すとも許さぬとも明言せず、二階堂屋敷に厳重な監視兵を張り付けたまま、実質的に俺と南御前を人質として軟禁し続けるという冷徹な宣言であった。

 だが、こちらも元よりそのつもりで虎口に飛び込んでいるのだ。想定通りの着地点に、俺は内心でほくそ笑む。


「手厚きご配慮、かたじけなく存じまする」


 平伏する俺を見下ろしながら、徳川家康は最後に思い出したように、極めて自然な調子で言葉を継いだ。


「それとな、左京亮殿。明日はまず東山の豊国神社を詣で、その足で直ちに禁裏へ参内する手筈となっておる。手前は国許の豊後に戻っておったゆえ、まだ豊国社へも詣でてはおるまい。……明日は一日、わしに付き合ってくれ」


「……御所へも、でございますか?」


 思わぬ参内への同道依頼に、俺は伏せていた顔をわずかに上げ、目を瞬かせた。

 俺の官位は従五位下・左京亮ゆえ昇殿の資格はあるが、徳川家康が直々に供として引き連れるには、いささか唐突に思えたからだ。


 戸惑う俺を見て、下段左手の本多正信がふぉふぉと低く笑い、掠れ声を挟んできた。


「左京亮さま、不審にお思い召されますな。実のところ、帝(後陽成天皇)が『ぜひ一度会ってみたい』と仰せなのでございますよ」


「主上自らが……?」


「左様。過日、八条宮様や三条西実条様への『古今伝授』の相伝を一日も早く進めるよう、大坂の奥や細川幽斎殿へ働きかけられたのが、他ならぬ左京亮さまであったと朝廷にも伝わっておりましてな。歌道の正統を守ったお働きを、帝はたいそう喜ばれたご様子。ぜひ顔を拝したいと仰せなのです」


(……なるほど、そういうことか)


 俺は内心で深く得心がいった。

 かつて大坂城の奥殿を動かして古今伝授を前倒しさせた一件。

 田辺城攻めで朝廷に邪魔立てさせぬための布石であったが、古典の正統相伝を重んじる帝にとっても、願ってもない好手と映っていたのだ。


 そして徳川方の真の狙いも、極めて明白であった。

 豊国神社への参詣と禁裏への参内に俺を従属させることで、「二階堂家が徳川方についた」と天下に誤認させるための大芝居なのだ。

 朝廷との間を取り成す潤滑油として利用しつつ、前当主である俺が徳川家康の影のように付き従う姿を諸侯に見せつければ、世間には「二階堂は伊達を裏切り、徳川に恭順した」という強烈な印象が刷り込まれる。

 二階堂が伊達と袂を分かったとなれば、これまで奥羽鎮守府三百六十万石の威容を恐れて奥羽征伐に躊躇いを覚えていた大名たちも、雪崩を打って徳川方に加勢し、兵を出しやすくなる。

 奥羽と東国を根底から揺さぶり、伊達と二階堂の間を切り裂くための、実に狡猾極まる離間の計であった。


 だが、裏を返せば、朝廷との縁を繋ぎつつ、豊臣の忠臣を演じる絶好の機会でもある。断る理由はどこにもなかった。


「過分なお言葉にござります。帝の御前に罷り出ることができますること、望外の喜びにござりまする。明日は謹んでお供仕りましょう」


 俺が再び平伏すると、徳川家康は今度こそ満足そうに大きく頷いた。


 奥羽征伐の幕が上がる直前、東山と禁裏の御所において繰り広げられる次なる芝居の舞台が、こうして整えられたのであった。


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