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二階堂合戦記  作者: 犬河兼任
第十四章 踊る関ヶ原の戦い(上)
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1600-3 伏見

<1600年 5月中旬>


 豊後臼杵を出帆した二階堂家の船団は、穏やかな豊後水道を北上し、波静かな瀬戸内海を順調に東へと進んだ。

 初夏の陽光に照らされた播磨灘を渡りきり、船団は播州随一の港町・室津へと入港する。

 

 御座船の長旅が終わり、ようやく陸地へと降り立つ。

 ここからは山陽道を東へと進む陸路の旅となる。


 伏見へ急ぎたいのは山々であったが、何より此度の上洛には、南御前のみならず、その身の回りの世話役を務める侍女たちも同道している。

 幾ら肝の据わった女傑の南御前とはいえ、連日の船揺れによる疲れは隠しようもない。

 女衆の体調を損ねては元も子もないため、無理な行軍は厳禁だ。

 まずはこの室津の宿場にて旅装を解き、一泊して十全に英気を養う段取りとなっていた。


 先行して宿場に入り、本陣の手配を整えてくれていた前田利益の差配により、港を一望できる手頃な旅籠が貸し切られている。

 荷を解き、足を洗って一息ついていると、廊下を踏み鳴らす独特の足音とともに、前田利益が部屋の障子を引いて入ってきた。

 その口元には、何やら面白がるような笑みが浮かんでいる。


「――義父殿、少々耳寄りな報せがあり申す。隣の宿場に、肥後半国の大名・加藤主計頭清正殿が陣取っておいでだ」


「ほう、加藤清正が……」


 前田利益の報告に、俺は眉を動かす。


 加藤清正が置かれている現状は、伏見の吉次からの文で把握済みだ。

 庄内の乱において、加藤清正は裏で伊集院家に兵糧や物資を援助していた。

 天下静謐のお題目を掲げ、大老首座として事態の収拾を図っていた徳川家康は、この勝手な介入に対して烈火の如く激怒。

 加藤清正は徳川家康から上洛差し止めを食らってしまう。


 それでも加藤清正は、徳川家康の怒りを解かんと、二月に亡くなった家康の八男・松平仙千代の弔問という口実で、無断で大坂へと上り直談判を試みている。


 だが、当の徳川家康は加藤清正に門前払いを食らわせ、会見すら拒否。

 それどころか、徳川家康の命を受けた有馬則頼によって大坂を追い出され、不面目極まりない形で肥後へと戻る途上のようである。

 それが、まさかこの室津の地で隣り合わせになるとは、奇妙な巡り合わせであった。


(……これは、またとない好機かもしれんな)


 もし徳川家康が奥羽征伐の兵を挙げ、全国の大名の兵を奥羽に集結させた場合、徳川方は留守となる九州の抑えとして、南九州の諸将に我が二階堂家や島津家の監視・包囲を命じるはず。

 そして、その包囲軍の束ね役を任される筆頭格こそが、他ならぬ加藤清正であろう。

 肥後へ戻る途上の加藤清正とここで腹を割って話し合い、気脈を通じておくことは、臼杵の留守を守る行栄にとって極めて大きな保険となる。


 果たして、この日の夜のこと。

 障子の向こうから、重々しい足音が近づいてくる。


「加藤主計頭清正、二階堂左京亮殿にお目通り願いたく罷り越した」


 野太く、そしてどこか鬱屈した熱を帯びた声が響く。

 隣宿に見知った二階堂の家紋を見止め、居ても立ってもいられずに訪ねてきたらしい。

 俺は朱槍を脇に置き静かに控える前田利益を従え、部屋の主座に座り直すと、清正を迎え入れる。


「これは加藤殿。思いがけぬ場所での再会にござるな。どうぞ、楽になされよ」


 入室してきた加藤清正は、長身痩躯ながら全身に鋼のような筋骨を宿し、歴戦の猛将特有の鋭い眼光を放っていた。

 豊臣恩顧の筆頭格たるこの猛将が、本来なら奥州の外様大名の老骨に過ぎぬ俺に対してこれほど親身に接し、心底から信頼を寄せてくれるのには、確たる三つの理由がある。


 一つ目は、加藤清正にとって主筋であり親戚でもあった関白・豊臣秀次公の件である。

 かつて俺が付家老として豊臣秀次公に仕えていた折、十五条に及ぶ綿密な進言によって豊臣秀次公を支え抜き、切腹に絡む数々の火種を揉み消して完璧に補佐し切った俺の手腕に、加藤清正は深く敬服していた。

 あまりに見事に補佐しすぎたがゆえに「孫七郎を操り国政を壟断する気か」と豊臣秀吉の逆鱗に触れ、豊後へと左遷される憂き目に遭ったその経緯も含め、加藤清正の目には「豊臣の行く末を案じるがゆえに尽くした無二の忠臣」と映っていたのだ。


 二つ目は、先年の慶長の役における蔚山城の戦いである。

 加藤勢が普請を担当していた蔚山城において、急造の城ゆえに水と兵糧の欠乏で地獄を見るはずだったところを、俺があらかじめ先手を打って十分な兵糧と水の手を完璧に手配していたのだ。

 そのおかげで、敵の大軍に包囲されながらも蔚山での籠城戦はまるで史実のような悲劇とはならず、文字通りのイージーゲームとして明・朝鮮連合軍を撃退できた。

 これも加藤清正にとって、命を救われたに等しい大恩であろう。


 そして三つ目は、唐入りにおける陣中政治である。

 石田三成ら文治派による理不尽な査定や軍監の妨害が武断派の前線部隊に及ばぬよう、俺が矢面に立って盾となり、加藤清正ら武断派の将たちが戦場で少しでも存分に腕を振るえるよう、泥を被って立ち回ってやったのだ。


 加藤清正にとって俺は、豊臣の忠臣であり、戦場の命の恩人であり、理不尽から身を守ってくれた最大の理解者でもあった。

 だが、その精悍な顔つきには、長旅の疲れ以上に、大坂で門前払いを食らったことによる憤懣と屈辱の色が濃く滲んでいる。

 床に腰を下ろし、一通りの儀礼的な挨拶を終えるや否や、加藤清正は身を乗り出し、堪えきれぬといった様子で切り出してきた。


「左京亮殿! 単刀直入に申すが……庄内の乱における我が加藤家の立ち回りについて、島津の者どもが『伊集院に物資を横流しした』と讒言しておるようだが、あれは全くの世迷い言でござる! 我が領内にて商人どもが幾許か勝手に米を売り捌いたやもしれぬが、それがし自身が伊集院忠真に兵糧弾薬を送りつけて反乱を長引かせたなど、断じて身に覚えのない言いがかりにござる!」


 切迫した面持ちで弁明をまくしたてる加藤清正。

 大老首座の徳川家康に睨まれ、中央での立場を危うくしている男の、剥き出しの焦燥であった。

 俺が穏やかに頷いて見せると、加藤清正は一度荒い息を吐き、声を潜めてさらに言葉を継いだ。


「……それだけではない。左京亮殿、そなたに一刻も早く警告せねばならぬことがあって参った。徳川内府殿は、いまや大坂を我が物顔で牛耳り、あろうことか奥羽征伐へと乗り出そうとしておられるぞ!」


「奥羽征伐、でござるか」


「左様じゃ!」


 加藤清正は膝を強く叩き、悔しげに奥歯を噛み締めた。


「亡き太閤殿下の御遺体を阿弥陀ヶ峰に納め、皆で豊国大明神と奉ってからまだ一年足らずぞ! 殿下の御遺命たる天下静謐を、五大老の筆頭たる大老首座が自ら破り、国を二分する戦を起こそうなど断じて言語道断、それがしは断固として反対でござる! そもそも、ガレオン船を建造しての南蛮貿易など、生前の太閤殿下自らが政宗殿にお許しになられたことではないか! 浦戸の南蛮船の件を理由に咎め立てするなど、言いがかり、難癖以外の何物でもない! 力尽くで奥羽をねじ伏せんとするあの徳川内府殿の専横、太閤殿下の御心に背くものと嘆かざるを得ぬ!」


 吐き捨てられる言葉は、豊臣の天下を誰よりも誇りとし、太閤秀吉への恩義に生きる清正ならではの悲憤であった。

 だが、そこまで激情を露わにした清正は、ふっと肩を落とし、苦渋の表情を浮かべた。


「……されど、内府殿は某の面会すら拒み、有馬の手勢を使って大坂から追い出しおった。我が声など、もはや徳川内府殿の耳には届かぬ。……左京亮殿、そなた、このまま伏見へ上れば、確実に徳川内府殿の罠に嵌まり、身柄を拘束されますぞ! 陸奥の盛隆殿や盛行殿への人質とされるに決まっておる! なぜわざわざ、虎の口へ飛び込むような真似をされるのか!」


 真摯に俺の身を案じ、忠告してくれる加藤清正。

 その真っ直ぐな気性に俺は感謝を示しつつ、この「豊臣家第一の忠臣」の心を完全に掴むための芝居を打つこととした。


 俺は静かに首を横に振り、柔らかな笑みを浮かべて見せた。


「加藤殿、まずはご安心召されよ。庄内における加藤家の介入など、何かの間違い、あるいは島津の誤解であろうと、それがしも伏見で徳川内府殿にしかと言上するつもりでおったところよ」


「……ま、真か! 左京亮殿がそう取り成してくださるか!」


 パッと表情を明るくする清正に、俺はさらに深く、厳かな声音を重ねた。


「そして、我が上洛の儀についてじゃが……加藤殿の懸念、痛いほど身に沁みる。されど、我が二階堂家が秀頼君へ寄せる忠節は、昔も今も微塵も変わってはおりませぬ。それは遠国におる息子の盛隆も盛行も同じこと。我らが豊臣の御家に弓を引くなど、天地神明に誓って滅相もないことよ」


 居住まいを正し、真っ直ぐに加藤清正の目を射抜く。


「徳川内府殿が奥羽に疑念を抱いておられるならば、親たるこの盛義が自ら伏見へ赴き、秀頼君の御前で二階堂の身の潔白を明かさねばならぬ。……それだけではない。徳川と伊達、豊臣を支えるべき両雄が相争うことになれば、天下の民草が再び戦火に塗れ、太閤殿下が遺された天下の静謐は灰燼に帰してしまう。ならば、その間に立ち、命を賭して仲を取り持つことこそが、双方の間に領地を持つ我が二階堂家の役目というもの」


 俺は自嘲気味に、だが凛とした笑みを口元に浮かべて嘯いてみせた。


「たとえこの老骨が伏見で捕らわれ、あるいは刺客の手にかかって果てようとも……二階堂が身を挺して両家の衝突を押し留められるならば、それこそが、儂が太閤殿下、そして秀頼君へ捧げられる最後の御奉公と心得ておりまする」


「左京亮殿……! そこまで、そこまでの御覚悟で……!」


 豊臣家への無私の忠義と、天下静謐のために一命を捨てる老臣の覚悟。

 武骨で情に厚い加藤清正の琴線に、その言葉は見事なまでに突き刺さった。

 加藤清正の目にはみるみるうちに熱い涙が盛り上がり、膝の上で握りしめた拳を震わせ、心底からの感動に打たれて絶句している。

 傍らで控える前田利益が、感心したように口元を歪めているのが視界の端に見えた。


 加藤清正が俺への敬意で胸を一杯にしたこの機を逃さず、俺は声音を改め、最後に最も重要な釘を刺す。


「……時に、加藤殿。儂が伏見へ上るにあたり、豊後臼杵の領国は四男の行栄に全て託してまいった。若い行栄には『いかなる変事が起ころうとも、決して軽挙妄動せず、臼杵の城と民を守ることに専念せよ』ときつく言い含めてござる」


「うむ……若君に、しかと後事を託されたか」


「左様。もしも万一、上方の情勢が乱れ、九州の諸将が臼杵を敵視するような事態に相成った折には……加藤殿、どうか我が息子・行栄の良き理解者となり、あやつを、そして臼杵の二階堂家を支えてやってはくださらぬか。儂の留守中、頼れるのは加藤殿、貴殿をおいて他におりませぬ」


 俺が深々と頭を下げると、加藤清正は感極まった顔で大きく頷き、力強く胸板を叩いてみせた。


「言われるまでもない! 左京亮殿のその崇高なる御覚悟、この加藤清正、しかと見届け申した! 臼杵の若君のことは、我が命に代えても決して無体な真似はさせぬ! 肥後加藤家が、若君の背後をしかとお守りいたす!」


「おお、かたじけない……加藤殿のそのお言葉があれば、儂も心置きなく伏見の虎口へと飛び込めまする」


 熱い誓いを交わし合い、固い握手を交わした加藤清正は、やがて晴れ晴れとした、だが俺の身を案じる複雑な面持ちで夜の闇へと帰っていった。


 加藤清正の足音が完全に遠ざかったのを見届け、俺はふうと深く息を吐き出し、畳の上に背中を投げ出したい衝動をぐっと堪えた。


「……やれやれ、何とも熱い男よ」


「いやはや、義父殿の悪辣な舌先三寸には恐れ入り申した」


 呆れたように肩をすくめる前田利益に、俺は苦笑いを返した。

 だが、これで豊後包囲網の要たる加藤清正への手当ては完了した。


 臼杵の安全を確保した俺たちは、いよいよ明日、徳川家康の待つ伏見へと向けて出立する。






<1600年 5月下旬>


 室津を発した我が一行は、山陽道を東へと進み、やがて山城国の伏見へと至った。

 道中、決して隠密の旅などを装うことはせず、二階堂家の家紋を掲げた旗指物を堂々と翻す。

 規定通り事前に伏見城へ到着の連絡を伝える先触れを放っての、威風堂々の行軍であった。


 伏見城下の木戸は、拍子抜けするほどあっさりと通過することができた。

 だが、安堵の息を漏らすのは早計であった。


 二階堂家の伏見屋敷が立ち並ぶ通りへと差し掛かった瞬間、隊列の空気が一気に張り詰める。

 ――屋敷の門前に、異様な数の軍兵が溢れかえっていたのだ。


 立ち並ぶ鉄砲や槍の穂先が、初夏の光を浴びてぎらりと鈍い光を放っている。

 具足に刻まれた家紋を見れば、伏見城詰めの徳川家の宿老・鳥居彦右衛門元忠の手勢に相違ない。

 早くも徳川家は二階堂屋敷を包囲する体勢を整えているようであった。


「――何事ぞ」


 隊列の先頭を行く前田利益が、地を這うような低く太い声を漏らし、静かに愛馬を下りた。

 巨躯を揺らし、朱塗りの長槍を肩に担いで大股で前へと進み出ると、鳥居家の兵たちがそのただならぬ武威に圧されてざっと波のように身を引く。

 その兵の群れを両側に割って、一騎の武者が前に進み出てきた。


 見れば、見事に胴丸を着こなした、武者姿の女であった。

 白皙の肌には皺ひとつ見当たらぬが、その双眸に宿る怜悧な光と佇まいには、幾多の修羅場をくぐり抜けてきた者にしか出せぬ凄みがある。

 若々しくも見えるが、齢を尋ねられれば五十前後とも思える、得体の知れぬ年輪を秘めた女武者だ。

 女は前田利益の威圧を柳に風と受け流し、静かに口元を緩めて頭を垂れた。


「伏見城留守居・鳥居彦右衛門に仕える、望月千代と申しまする」


 落ち着き払った声音には、揺るぎない余裕と自負が満ちていた。

 望月千代は視線を前田利益から、その後方に控える俺へと滑らかに移す。


「大老・徳川内府様よりの言いつけにございます。二階堂左京亮様、伏見へ着御の砌(みぎり)には直ちに伏見城へとお連れいたすよう仰せつかっておりまする。……長旅を終えたばかりのところあいすみませぬが、このまま城へご同行くださいませ」


 慇懃な物腰の裏に、寸毫の猶予も与えぬ冷徹な意志を潜ませた要求。

 挨拶もそこそこに網を絞り上げてきた徳川方の手に、前田利益が朱槍の石突を静かに地面へ叩きつけた。

 ずしり、と重い地響きが走る。


「遠路遥々、上洛に応じられた大殿に対する出迎えがこれとはな。徳川の家中も、いささか作法が乱れたと見える」


 低く唸るような前田利益の言葉にも、望月千代は眉ひとつ動かさず、静謐な笑みを湛えたまま視線を外さない。


「まあ待て、利益。槍を引け」


 一触即発の空気を割るように、俺は馬を下りて前田利益の前に進み出た。

 そして、泰然と構える望月千代に向き直る。


「千代殿、鳥居殿の忠節は重々察するが、いささか無茶が過ぎるというもの。見ての通り、この隊列には我が妻とそのお付きの侍女らも同道しておるのじゃ。長旅の船と輿に揺られ、女衆はみな疲れ果てておる。まずは彼女らを屋敷に入れて休ませてやりたい。それに儂自身も、旅塵を落とし身綺麗に着替えてからでなければ、天下の伏見城へ登城するなど礼を失しよう。少しばかり猶予を願えまいか」


「……奥方様が、でございますか?」


 それまで揺るがぬ余裕を保っていた望月千代の表情が、一瞬にして凍りついた。

 すっと細められた望月千代の眉が、まさか、と疑念と動揺を孕んで微かに顰められる。

 徳川内府から下されていた密命は「二階堂盛義が到着次第、身柄を確保せよ」という一点のみのはずだ。

 まさかその隊列の中に、二階堂家の正室が自ら同道しているなど、露ほども想定していなかったに違いない。


 望月千代が小さく息を呑んだ、その時であった。

 俺の背後から、静かに軋みを上げて進み出てきた一台の豪奢な駕籠が止まる。

 すっと簾が持ち上がり、中からゆっくりと姿を現したのは、威風堂々たる気品と峻厳な空気を纏った南御前であった。


 南御前は、周囲を囲む鳥居家の軍兵どもを一瞥すると、冷ややかな眼差しで望月千代をじろりと睨み据えた。


「――なんじゃ、そなたらは? 遠路はるばる夫の供をしてまいった私に、挨拶ひとつなく槍衾を向けるとは……徳川殿の家中とは、随分と礼儀を弁えぬ野蛮な者どもの集まりと見えるな」


 その場の空気が完全に凍りついた。

 奥羽に君臨する二階堂盛隆と岩城盛行の実母にして、伊達政宗の実の伯母。

 奥羽越後下野に広がる三百六十万石もの大領を結ぶ血縁の要たる女傑が放つ圧倒的な威光(オーラ)に、望月千代の怜悧な瞳が微かに揺らぐ。


「まことに……二階堂左京亮様のご正室、南御前さまでございますか?」


「そうだ。南よ。このようなところで、我が身元を偽って嘘をついてどうする? そなた、この私を城へ引っ立て、罪人の如く牢にでも押し込めるつもりか? 奥羽の政宗や盛隆たちがそれを知れば、いかなる返礼を徳川殿に返すか……その頭でよう考えてみるがよい」


 傲然と言い放つ南御前の言葉は、徳川方に対する決定的な牽制であった。

 望月千代は深く息を吸い、瞬時に己の動揺を呑み下すと、南御前がここに座している政治的な重みを冷徹に勘案したようである。

 力ずくでこの盛義を引っ立てれば、この女傑を巻き添えにすることになり、奥羽全土との全面衝突の火種を鳥居元忠、ひいては徳川家康が背負うことになる。


 だが、ここで手ぶらで引き下がれば、公儀の面目は丸潰れだ。

 望月千代の瞳に、元武田の乱波特有の酷薄な光が冷たく宿る。


「……なれば、なおのこと。左京亮様のみならず、奥方様もご一緒に伏見城へお越し願いましょう。城内にて、手厚くおもてなしいたしまする」


 二階堂盛義だけでなく、奥羽・越後・下野の三百六十万石の要たる南御前までも一網打尽に抑え込む腹づもりとなったようである。

 望月千代の手が、合図を送るべく懐へと伸びかける。

 前田利益の朱槍が低く構え直され、一触即発の殺気が門前に満ちた――その刹那であった。


「――そこまでだ、千代ッ! 控えよッ!」


 雷鳴の如き怒声が通りを切り裂いた。

 激しい蹄の音とともに、一騎の武者が猛然たる勢いで割り込んでくる。


 見事に黒漆の胴丸を着こなし、筋骨たくましい名馬を巧みに操る堂々たる体躯の偉丈夫。

 彫りの深い精悍な面魂には、若武者特有の剥き出しの覇気と野性がギラギラと宿っている。

 青年は望月千代と俺たちの間に馬をねじ込むと、手綱を強く引き絞り、馬上の望月千代を一喝した。


「千代よ、何を血迷うておるか! 父上・内府様の命は、あくまで左京亮殿に対する『丁重なる登城のお召し出し』であろうが! 遠路はるばる上洛された奥方殿にまで槍衾を向け、力づくで連行するなど、天下の公儀を預かる徳川の面汚しぞ!」


「……ひ、秀康様!」


 望月千代が息を呑み、慌てて馬を降り、馬前で片膝をついた。


 秀康――結城参議秀康か!

 徳川家康の実質的な長男にして、かつて小牧・長久手の戦いの後に豊臣秀吉の養子となり、いまや下総結城十万石を継いだ男が、単騎で駆けつけてきたのだ。

 望月千代を一喝した結城秀康は、すぐさま愛馬からしなやかに飛び下りると、佩刀を鳴らして背筋をすっと正し、堂々たる足取りで俺と南御前の前へと進み出てきた。

 そして、大老・徳川家康の血族に相応しい威厳を保ちながらも、居住まいを正して深々と一礼を交わす。


「二階堂左京亮殿、ならびにその奥方殿。手前どもの配下が無礼を働き、誠に申し訳ござらぬ。それがしは徳川内府が次男、結城参議秀康にござる。公儀の命により伏見城留守居役を務めておりまするが、長旅の女人に刃を向けるが如き無粋な真似、武士として誠に恥じ入る限りにござる」


 名門・結城家の当主たる風格を崩さず、それでいて筋の通った礼儀を尽くす。

 実に清々しい振る舞いであった。


 南御前は傲然と立ち姿を見せると、低く響くハスキーボイスで秀康を見据えた。


「……二階堂左京亮の妻、南御前である。徳川の家中にも、少しは話の通じる者がおったようだな」


「過分なお言葉にござりまする、奥方殿」


 結城秀康は南御前の放つ威光に対しても、少しも怯むことなく堂々と会釈を返した。

 そして、俺に向き直る。


「左京亮殿、奥方殿。長旅の疲れを癒やす間もなく登城を迫るなど、礼を失した仕儀にござる。まずは屋敷へお入りいただき、旅塵を落として身支度を整えられよ。手前が鳥居の手勢を率い、門前にて屋敷の警護を務めさせていただきまする。支度が整いました折に、伏見城へとお供願えれば幸いに存じます」


「結城宰相殿の過分なるご配慮、深く痛み入りまする。なればお言葉に甘え、しばし休息をいただきとう存ずる」


 俺が会釈を返すと、望月千代は唇を噛み締めながらも、結城秀康の下知に黙って従い、兵たちを散開させて警護の陣形へと移行させた。

 野戦だけでなく権謀術数も何のそのな徳川家康の血筋にあって、この結城秀康という男は、驚くほど真っ直ぐで清々しい好青年であった。


 俺たちは結城秀康に一礼を交わすと、南御前の駕籠を先頭に屋敷の門をくぐらせた。





 

 二階堂屋敷の玄関へ足を踏み入れると、甲冑を身にまとって武装した二人の人物が、床に膝をついて俺たちを出迎えてくれた。

 伏見の留守居を任せていた吉次と、その警護を務める美男の剣客・名古屋山三郎である。


「大殿、御前(ごぜん)様、ご無事の御着、恐悦に存じます」


 吉次が頭を下げて顔を上げた瞬間――出迎えた吉次と南御前の視線が、真正面から交錯した。


 南御前と吉次。

 正妻と側室同然の女商人という間柄でありながら、二人は競い合うようにそれぞれ三人ずつ、俺の子を産み落としている。

 視線がぶつかり合い、バチバチと火花が散るかのように一瞬、空気がビリリと震えた。


(……うう、こわいこわい)


 俺は一切見なかったことにして視線を逸らし、咳払いをひとつ落とした。


 一行の全員が敷地内へ入りきったのを確認した名古屋山三郎が、表門の警備に当たっていた配下の武士たちへと鋭く下知を飛ばす。


「門を閉めよ! 閂を厳重に下ろせ!」


 兵たちが重々しい門扉へと手をかけようとするも止める。


「待て、山三郎。門扉はそのままでよい。開けたままにしておけ」


「は? し、しかし大殿、外には徳川の手勢が……」


 怪訝な顔をする山三郎に、俺は首を横に振った。


「外の兵力とこの屋敷の警備の差は歴然よ。門を閉めたところで気休めにもならん。ならば最初から開け放ち、『我らにやましい企みなど毛頭ない』という証拠を徳川方に見せつけてやる方が、余程こちらの安全に繋がるというものだ」


「……なるほど、合点がいきました。者ども、手を引け! 門は開け放しておけ!」


 名古屋山三郎は納得して下知を改め、門扉を開け放し、警戒の配置も解かせる。


 式台に腰を下ろし、吉次に手際よく草鞋の紐を解いてもらいながら、俺は傍らに立つ前田利益を仰ぎ見た。


「利益、そちも伏見城へ供してもらうぞ。旅塵を落とし、身綺麗な着物に着替えてまいれ」


「承知仕った」


 前田利益は朱槍を柱に預けると、開け放たれた門の向こう、外で陣頭に立つ結城秀康の背中に視線をやり、ニヤリと口元を緩めた。


「それにしても義父殿、あの結城の若殿――実に良い面魂をしておられる。小賢しい策を弄さず、味方の非を認めて筋を通す度量がある。武士の情けと礼節というものを、よう弁えておいでだ」


「うむ。まことにその通りよ」


 俺も頷き、前田利益の評に深く同意した。

 稀代の狸親父である徳川家康の息子にしては、あまりにも真っ直ぐで武骨な好漢であった。


(……思えば、俺の知る史実の記憶でもそうであったな)


 この世界線では石田三成が銃撃されて療養中ゆえに起きてはいないが、本来の歴史において、前田利家没後に武断派七将が石田三成を襲撃した際、その石田三成の命がけの護送役を自ら買って出たのが、他ならぬこの結城秀康であったはずだ。

 佐和山城へ向かう道中、石田三成の家臣が出迎えに来た後も、その安全を完全に見届けるまで誠心誠意護衛をやり遂げ、敵対していたはずの石田三成から絶大な信頼を勝ち取った男。

 その誠実さに深く打たれた石田三成が、自らの佩刀である名刀「石田正宗」を感謝の印として結城秀康に贈り、彼もまたそれを終生大切にしたという逸話は伊達ではない。

 門前で見せたあの毅然とした立ち振る舞いは、付け焼き刃の礼儀などではなく、男の根底に流れる真の武辺者の気風そのものであったのだ。


(……待てよ?)


 思考がそこまで至った瞬間、俺の頭の中でふと悪戯めいた、だが極めて政治的な妙手が閃いた。


(七将襲撃が起きなかったこの世界線では、あやつは石田三成からあの名刀を貰い損ねているわけだ。……ならば、代わりに俺から一刀くれてやるというのはどうだ?)


 武芸を愛し、名刀を重んじる若き勇将への贈り物。

 門前での非礼を水に流し、好意を寄せてくれた礼として贈れば、あの愚直な男の心を大きく掴むことができる。

 徳川家康の長男に恩を売り込み、太いパイプを繋いでおくことは、今後の東国の政局においても決して悪い手ではない。

 何より、石田三成同様に俺自身の手から直々に手渡す方が、礼としても政治的な重みとしても格段に効き目があるはずだ。


「吉次。伏見屋敷の蔵にある奥州の名刀の中から業物を一刀、後で見繕っておいてくれ。城へ上がる折、儂から直にあそこの結城の若殿へ進呈する」


「かしこまりました。支度が整い次第、選りすぐりを用意いたしますね」


 草鞋を脱がせ終えた吉次は静かに頭を下げると、そのまま手際よく俺の羽織の紐を解き、両腕の小手を外して旅装を解きにかかる。

 傍らの前田利益は開け放たれた門の向こう、外の包囲軍へ鋭い視線を投げかけ、武辺者特有の眼光を覗かせた。


「それにしても義父殿、徳川方もいきなり門前で先手を打ってまいりましたな。屋敷へ入る隙すら与えぬとは、少々焦りすぎのようにも見え申すが」


「うむ。もう少しこちらを泳がせるかと思うていたのだがな……。吉次、何か上方で急な動きでもあったのか?」


 俺の問いに、外した小手を重ねて脇に置きながら、吉次が声を潜めて最新の情勢を告げてきた。

 

「はい。大坂城の石川五右衛門からの情報では、徳川内府様が本日伏見城に入るとのこと。明日には豊国神社に詣でて太閤殿下に戦勝祈願の参拝をなさったのち、直ちに御所へ参内されるとか」


「朝廷への参内か……」


「はい。奥羽の伊達征伐を前に、秀頼君の御名代としての正統性と、朝廷からの勅許を取り付けるための根回しにございましょう」


 吉次の言葉に、俺は奥歯を噛み締めた。

 なるほど、だからこそ留守居の鳥居元忠は、俺が伏見に着いた瞬間を狙って身柄を拘束し、家康の前に突き出す段取りを整えていたわけだ。

 着々と、そして恐るべき速度で、徳川家康による奥羽征伐の準備が進んでいた。


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