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二階堂合戦記  作者: 犬河兼任
第十四章 踊る関ヶ原の戦い(上)
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1600-1 序曲

主人公:二階堂盛義 56歳 従五位下 左京亮


正室:南御前 59歳

├当主:二階堂盛隆 39歳 - 正室:甄の方 40歳

│ ├ 嫡孫:二階堂盛宗 21歳 - 正室:杏姫 21歳

│ ├ 孫娘:星姫 18歳 - 塩谷義保 21歳

│ └ 孫娘:彩子 12歳 [- 婚約者:那須藤王丸 14歳]

├次男:岩城盛行 30歳 - 正室:甲斐姫 28歳

│ ├ 孫娘:忍子 10歳 [- 婚約者:岩城道丸 10歳]

│ ├ 孫:暁丸 8歳

│ ├ 孫:雷王丸 5歳

│ └ 孫:箒丸 2歳

└次女:元姫 26歳 - 婿:伊達成実 32歳

 └ 孫娘:万葉 6歳

愛妾:吉次 50歳

├長女:吉乃 29歳- 婿:石川五右衛門 35歳

│ ├ 孫:五郎市 9歳

│ ├孫娘: 泪子 5歳

│ └ 孫娘: 瞳子 1歳

├三男:佐野行久 23歳 - 正室:珠姫 23歳(懐妊中)

│ ├孫: 未房丸 5歳

│ └ 孫娘: 桔梗 1歳

└四男:二階堂行栄 18歳

実弟:大久保資近 48歳 - 正室:彦姫 48歳

├養女:れんみつ 30歳 - 戸沢盛安 34歳

│ ├ 養孫:道丸 10歳 [- 婚約者: 岩城忍子 10歳]

│ └ 孫:申千代 4歳

├姪:だんみつ 25歳 - 婿:九戸政信 27歳

│ ├孫: 亀千代 7歳

│ └ 孫娘: 鶴子 1歳

├姪:こいみつ 19歳 - 相馬利胤 19歳

└甥:清丸 16歳 - [婚約者:華乃 15歳]

養女:阿蛍 39歳 - 婿:前田利益 49歳

├長男: 前田正虎 17歳

├長女: 華乃 15歳 - [婚約者:清丸16歳]

├次女: 紗乃 12歳

└次男: 菊丸 9歳


義甥:伊達政宗 33歳 伊達家17代目当主 正二位 大納言 鎮守府将軍

<1600年 2月>


 二月の冷たい風が吹き抜ける、日向国の庄内地方。


「逃すなーっ! 一兵たりとも逃すでないぞー!」


「「「おおーっ!」」」


 息子の二階堂行栄の指揮に応える兵たちの野太い喊声が、山野を震わせ、木立ちの向こうから幾重にも重なって響いてくる。

 我が臼杵二階堂家の軍勢一千五百は、友軍である秋月種長や高橋元種らの手勢とともに、四方の街道と間道を厳重に封鎖していた。

 伊東領である日向飫肥方面へと逃走を図る伊集院家の残党を絡め取るため、大規模な落武者狩りの真っ最中であった。


 思えばこの泥沼の戦いとなった庄内の乱は、発端からして常軌を逸している。

 すべては去年の春、俺が石田三成を通して伊集院忠棟に「島津忠恒に気をつけろ」と忠告したところ、忠棟が斜め上の覚悟を決めてしまったところから始まる。

 伊集院忠棟は島津忠恒の茶湯の招きに応じ、単身伏見の島津屋敷へ乗り込んでしまう。

 そして、騙し討ちを仕掛けてきた島津忠恒に対し、伊集院忠棟が扇子に仕込んだ毒針で反撃して共倒れになるという、最悪の流血沙汰を引き起こしたのだ。

 正統なる後継者を毒殺された島津宗家の激怒と、父を謀殺され追い詰められた嫡男・伊集院忠真の怨嗟。

 石田三成が凶弾に倒れ、中央に味方が居なくなった伊集院家は、庄内の十二堅城に篭っての反乱に及ぶ他に道はなくなり、文字通り島津家は身内同士の全面戦争へと転がり落ちていった。


 この未曾有の島津家の危機に際し、急ぎ次代当主として擁立されたのが、佐土原の猛将・島津豊久だ。

 かつて『肥前の熊』龍造寺隆信を沖田畷の戦いにて寡兵で討ち取り、その武名を天下に轟かせた島津家久の遺児であり、伯父・義弘の薫陶を受けた三十歳の働き盛りの武将。

 島津忠恒の横死に伴い、島津義弘の五男忠清に代わって、島津豊久はそれまでの正室とあっさり離縁し、義久の娘・亀寿を妻に迎え直し、島津宗家の世子として家中を一本化する。


 だが、急造の世子に対する島津家中の統制は危うく、兵のサボタージュに苦しむ島津豊久は、昨年十一月、佐土原の境界で驚くべき行動に出る。

 兵糧攻めで包囲中の志和池城から馬を飛ばして自ら二階堂家の陣所へ駆けつけ、「他家の助勢を受ければ家中の不満が爆発して軍団が瓦解する。島津の手で決着をつけさせてほしい」と、土下座までして頭を下げてきたのだ。

 そこで俺は、佐土原まで同道していた秋月種長・高橋元種の兄弟と図って「我らは城攻めには加わらず、裏で伊集院を支援する伊東領・飫肥への退路を断つ抑えに回る」という密約を結び、裏で島津豊久と手を握った。

 手柄を横取りせず、面目を保ち、背後を固めてやる――その約束通り、俺たちはこの数ヶ月、外縁の抑え役に徹してきたのだ。


 後顧の憂いがなくなった島津豊久の、年が明けてからの攻勢は凄まじい。


 正月、志和池城を徹底した兵糧攻めによって開城に追い込んだ島津豊久。

 彼のもとへ、大坂の徳川家康から派遣された調停の使者・山口直友が乗り込んでくる。

 山口直友は今年五十六歳となる、いかにも徳川家康が好みそうな実直な性格の旗本である。


 山口直友は「もはや勝敗は明らか。これ以上追い詰めれば、勝ったとて島津家の痛手も深くなるばかり。伊集院方を説き伏せ、和睦の条件を擦り合わせるべし」と、島津家のために両家の間を奔走する。

 だが、その公儀の周旋を、島津家の弱体化を図る豊臣家もしくは徳川家康の内政干渉と決め付け、島津豊久は「余計な世話じゃっど!」と一蹴してしまう。

 徳川家康の顔に泥を塗る行為にも躊躇わず、伊集院方の本拠・都之城へと押し寄せていった。


 しかし、攻め手たる島津の将兵たちも、一枚岩の戦意で満ちていたわけではない。

 都之城に籠もる敵将・伊集院忠真の妻は、他ならぬ島津義弘の実の娘、御下(オシタ)であったからだ。

 下手をすれば敬愛する島津義弘の娘を巻き添えで死なせてしまう。

 島津家中には拭いきれぬ重苦しい葛藤と躊躇いが淀んでいた。


 だが、伊集院忠真もまた骨の髄まで薩摩隼人である。

 都之城の落城がもはや避けられぬと悟るや、伊集院忠真は総攻撃の直前に御下と幼い娘を城外へと送り出し、島津の本陣へ向けてこう言い放ったのだという。


「わがん妻(め)と童(わらんべ)は、義父ん元へ返しもす! 女子供ば盾にしっせぇ生き延びっごっな、隼人の死に損ないんすっこっじゃ!」


 女子供を盾にはせぬという、伊集院忠真の見事な武士の意気地であった。


 実の妹のように慈しんできた御下の夫でもあり、幼い頃には稽古相手も務めてやったことのある伊集院忠真のその覚悟に、島津豊久もまた生粋の武人として呼応した。


「源次郎、まっこて天晴れな薩摩隼人じゃっど! 気兼ねは失せもした! あとはいくさば愉しむばかり、太刀打ちして存分に殺し合もんそ!」


 島津豊久は腹の底から狂喜の咆哮を上げ、手勢とともに都之城の本丸へと突貫していった。

 そして最後は、島津豊久自らが伊集院忠真と凄絶な太刀合いを演じ、敵将を斬り伏せて全ての決着をつけたのだ。


 都之城の落城を見届けた山口直友は、その足で我が二階堂家の陣営に身を寄せ、この一部始終の顛末を語ってくれた。

 公儀の調停使としての面子を無残に叩き潰された山口直友は、床几に腰掛け、差し出された白湯をすすりながら「恐るべき戦闘狂にございますな……薩摩隼人とは」と深いため息をつくばかりであった。


 総大将を失った伊集院方は、もはや形を成さなかった。

 残る支城の守備兵たちも蜘蛛の子を散らすように逃亡し、雪崩を打って降伏。

 それでも諦めの悪い者たちが、こうして山越えで庄内から逃れようとして、あらかじめ配置についていた我が軍勢の網に面白いように引っかかっているというわけだ。


「――義父殿、推参仕った」


 低く太い呼び声に、思わず顔を上げる。


「……利益!? 加賀におるはずのそなたが、なぜここにおるのだ」


 見れば、朱塗りの長槍を無造作に肩へ担いだ巨漢が、法衣の老僧を片手で引き摺りながら木立ちを抜けて歩み寄ってくる。


 前田利益である。


「前田が徳川と敵対するようなことは無くなり申した。なので加賀を引き揚げてきたまで」


 それだけの言葉であったが、事情は痛いほど察せられた。

 昨春、前田利家公の本葬に名代として送り出した利益は、育ての母たるおまつ殿の剃髪を見届ける役目を果たしたはずだ。

 だが、家康の甘言に騙され、利家の『三年秀頼君の側を離れるな』の遺言を破って加賀へ帰国してしまった利長に対し、この男が黙っているはずもない。

 昔からおまつ殿の寵愛を巡って利益を毛嫌いしていた利長と、利長を端から気にも留めていない利益。

 一言二言の諫言しただけで、加賀を追われてしまったことは想像に難くない。


 聞けば、風磨八卦衆の金門の九谷を連絡役として、芳春院と名を改めたおまつ殿の側に残し、加賀を離れた利益は、京伏見を経て臼杵城に帰着。

 城の奥へ顔を出し、留守を預かる南御前に挨拶したところ、その傍らに控える見慣れぬ美しき侍女の姿に目が留める。

 かつて朝鮮の役の折、戦火の中で身寄りを失い、利益自らの手で日本へと連れ帰ったあの幼子――月華(タァフォア)、今のジュリアおたあその人であった。

 城下の施療院を経て行栄の側仕えに上がっていた月華との、五年ぶりとなる思わぬ再会。

 あの小さかった童が見違えるほど立派な娘に育っていたことに、利益も大いに驚き、息災を喜び合ったらしい。

 そして南御前から、俺たち二階堂の主力が日向の庄内へ出兵中であると知らされるや否や、利益は長旅の疲れも見せず、愛馬の轡を返して単身ここまで馳せ参じてきたのだという。


「途中で名の有りそうな敵将を引っ捕らえましたゆえ、手土産でござる」


 捕らえていた老僧を俺の足元へ転がしてくる前田利益。

 法衣は裂け、泥にまみれてはいるものの、六十をとうに過ぎてそうなその面構えはどこまでも不敵で、鋭利な刃物のような眼光を放っている。

 ひと目でただの僧侶ではないと知れる歴戦の風格が漂っていた。


 俺は素早く瞬きを二度繰り返し、戦闘モードを視界に立ち上げた。

 利益によって縄打たれて地面に膝をついている老僧の頭上には、『白石永仙』の文字と禍々しい赤ゲージがくっきりと浮かび上がっている。

 確認を終えると、再びダブルクリックのように瞬きをして通常視界へと戻す。


「そなた、伊集院方の軍師、白石永仙であろう。利益、よう捕らえてくれた」


 白石永仙。

 元は紀州根来衆に連なる凄腕の鉄砲使いだが、この男の真骨頂はその武勇以上に、神仏をも恐れぬ怜悧な軍略の才にあった。

 織田信長の天下布武を根来衆の鉄砲頭として支え、豊臣秀吉には最後まで膝を屈せず、天正十三年の紀州征伐で根来寺が灰燼に帰した折、逃れて日向へと流れ着いた歴戦の知将である。

 此度の乱でも十二城の一角・安永城に拠り、その軍才を遺憾なく発揮して島津勢を血祭りに上げていた。

 中霧島の山中に五百、諏訪山・風呂谷・枳ヶ谷にも五百騎ずつ伏兵を周到に潜ませ、自らはわずか五十騎で山田城を強襲。

 釣りの餌となって敗走を装い、誘い出された島津勢を四方から伏兵で包囲・殲滅するという、島津の十八番「釣り野伏」をそのまま手玉に取るような神技の謀略を繰り出し、島津に壊滅的打撃を与えた元凶である。


(こやつを生け捕りにできたのは、極めて大きいな……)


 俺は内心でほくそ笑む。

 蔚山城の戦いの論功行賞の見直しで、家康から押し付けられるように大野加増・大分代官を宛がわれ、実質二十万石の重圧を背負わされた手前、この庄内遠征で無様なサボタージュを見せるわけにはいかなかったのだ。

 島津豊久と交わした「城攻めは島津に任せ、こちらは伊東への押さえと退路封鎖に徹する」という裏の約束を守り抜きつつ、伊集院方の軍師を捕縛した事実を、いま目の前にいる徳川内府の直臣・山口直友に目撃させれば、これ以上の手柄の証明はない。

 大坂の徳川家康に対しても、「臼杵二階堂家は日向の陣で微塵も手を抜かず、きっちり仕事をして命令通りに島津を助勢いたしましたぞ」と胸を張って言い張ることができるのだ。


 風聞によれば、去る正月の大坂城西ノ丸において、家康は豊臣秀頼よりも遥かに多数の大名から正月参賀の礼を受け、「天下様」気取りでふんぞり返っていたという。

 その徳川家康が放った調停使を蹴散らして伊集院を滅ぼしてしまった島津の暴挙を聞けば、上方では不穏な空気が渦巻くに違いない。

 裏で伊集院家に兵糧を融通していたことが露見した肥後の加藤清正などは、慌てて大坂へ上って弁明しようとしたものの、家康から上洛を差し止められて領国で頭を抱えていると聞く。

 実質天下人に、陣中での不手際などという下らぬ口実で睨まれてはたまらない。






 前田利益を労いつつ、もろもろ胸算用を巡らせていたところへ、馬蹄の響きとともに一騎の武者が陣中へと駆け込んでくる。

 俺は意識して瞬きを重ね、再び戦闘モードをオンにする。

 下馬して大股に歩み寄ってくる偉丈夫の頭上には、『川上忠兄』の名と、紛れもない友軍を示す青ゲージが灯っていた。


(川上忠兄……!)


 鋼のように引き締まった体躯に、精悍極まる面構え。

 三十代半ばを過ぎたばかりのその男から立ち上る凄まじい気迫は、俺の脳内のチート歴史知識とピタリと合致する。


 今年の秋に起こるはずの関ヶ原本戦において、島津義弘のあの狂気染みた「敵中突破退却戦」の際、馬を下りて敵の大軍を迎え撃ち、生き残って名を馳せる『小返しの五本鑓』の一人。

 それどころか、追撃に燃える徳川四天王の井伊直政に対し、彼の率いる鉄砲隊が一斉射撃を浴びせかけて落馬・重傷を負わせるという、凄まじい大戦果を挙げる猛将その人である。

 実物と対面するのはこれが初めてであったが、死地を平然と踏み越えれる者にしか宿らぬ凄みが、その立ち姿だけでありありと伝わってくる。

 素早く瞬きをして戦闘モードをオフにし、意識を現実のやり取りへと集中させる。


 忠兄は俺の前に進み出ると、床几の前に片膝をつき、独特の重々しい薩摩弁で朗々と名乗りを上げた。


「初めて御意を得申す。我が主君、島津の新世子・中務大輔豊久様が一族、川上四郎兵衛忠兄と申しもす。此度は使者として推参仕り申した」


「二階堂左京亮盛義である。ご苦労でござる」


 初対面の礼を交わしたところで、忠兄の視線がふと、俺の斜め後ろに腰掛けている人物へと向かった。

 その瞬間、忠兄の表情がぴくりと強張る。

 そこにいたのは、都之城の陣所で散々押し問答を演じ、豊久が頭から跳ね飛ばした相手――徳川家康の調停使、山口直友その人であったからだ。


 山口直友のほうもまた、すすっていた茶碗をゆっくりと膝に置き、眉間に深い皺を刻んで忠兄をじろりと睨み返した。

 徳川家康の意向を踏みにじり、強引に戦を押し通した島津家に対する不快感と憤りを、隠そうともしていない。

 陣幕の空気が一瞬にして凍りつき、居たたまれないような気まずい沈黙が落ちた。


 忠兄は気まずそうに一度咳払いをすると、山口直友の冷たい視線をあえて無視するように、俺へと向き直って本題を切り出した。


「……左京亮様。此度、都之城は悉く落ち、島津家に従わぬ逆賊・伊集院忠真が首級も我が主君が討ち取ってのけ申した。豊久様より言付けにございもす。『左京亮殿が日向の地にて尽くしてくださった重きお働き、島津は生涯忘れもはん』と」


 佐土原での密約を露骨に口にするような野暮は避けつつも、忠兄は深く頭を下げ、言葉の端々に熱い敬意と恩義を滲ませた。

 だが、顔を上げたその表情には、武辺者特有の苦渋と島津の厳格な軍律が張り付いていた。


「……まことに大恩ある左京亮様へ申し上げ難きことではございもすが、賊はあらかた平らげ申した。ついては他家を警戒する家中の手前もあり、二階堂、秋月、高橋の御三家の皆々様におかれましては、速やかにそれぞれの御領地へと軍をお引き取り願いとう存ずる」


 恩は骨身に染みている。

 だが、乱が収まった以上は他国の軍勢を一刻も早く領外へ退去させねばならない。

 背負った借りの重さに恐縮しつつも、領国の掟を優先せざるを得ない島津の実利的な物言いである。


 その時、忠兄の鋭い眼光が、俺の足元で縛り上げられている老僧の姿に向けられる。

 忠兄の眉が跳ね上がり、その双眸に凄まじい憎悪と戦慄が走る。


「……そん坊主は、もしや安永の永仙ではございもはんか」


「いかにも。山田城で貴殿らを大いに苦しめた軍師、白石永仙よ。間道から飫肥へ逃れようとしておるところを、我が手勢が搦め捕った」


 俺がそう告げると、忠兄は悔しげに奥歯を噛み締めた。

 聞けば山田城の戦いの折、鎌田政近の相談役を務めていた忠兄は、逃げる永仙の罠を見抜いて「伏兵に誘い込む策ゆえ追うな」と必死に進言したのだという。

 しかし突出した味方の将たちが忠兄の制止を振り切って追撃し、永仙の伏兵に散々に討ち取られてしまった。


 忠兄にとっても、島津勢全体にとっても、何万の兵を動員しても取り逃がすわけにはいかない怨敵中の怨敵。

 喉から手が出るほど欲しい首級に違いないが、二階堂に多大な恩義を背負っている手前、他家の獲物を横取りするような真似はできず、忠兄は苦渋に満ちた顔で唇を噛み、視線を逸らそうとした。


 その機微を見透かし、俺はふっと笑みを浮かべてみせた。


「忠兄殿。都之城の落城、まことにおめでたい。ついては島津殿への戦勝祝いとして、こやつを引き渡そうと思う。如何かな?」


「な……!」


 思わぬ申し出に、忠兄は目を丸くして絶句した。

 敵の軍師を捕らえた大功を独占して自領へ連れ帰り、中央へ直接差し出すような真似もできたはずだ。

 にもかかわらず、手柄争いをすることなく現地の島津へ丸ごと引き渡すなど、戦国の習いでは考えられない破格の計らいであろう。

 俺は傍らで苦虫を噛み潰したような顔をしている徳川の使者へと視線を向け、穏やかに告げる。


「我が臼杵二階堂家は、退路を封鎖して敵将を生け捕りにしたことで役目は果たした。この永仙に血の涙を流させられたのは島津の将兵たちであろう。恨みを晴らすも処分を下すも、島津家の手で行われるのが筋というもの。……幸いここには、徳川内府殿の御使者であられる山口直友殿がおられる。我が二階堂が此奴を捕らえ、島津殿へ引き渡したその一部始終、山口直友殿がしかと見届けて証人となってくだされば、身柄の引き渡しに関する書状のやり取りなど野暮なやり取りも必要あるまい」


 急に水を向けられた山口直友は、島津に対する苦々しい表情をわずかに緩め、重々しく頷いた。


「……ふむ。島津殿の乱暴な戦の運びには言いたいこともござるが、左京亮様の差配は誠に見事なもの。我が君へも、二階堂勢が敵の軍師・永仙を絡め取り、見事に島津方へと引き渡した旨、しかと書き添えてご報告いたしましょう」


 山口直友のその言葉に、川上忠兄は息を呑み、しばし呆然と立ち尽くした後、身震いするように両膝を地面に叩きつけた。

 山口直友の手前、深くは語れぬものの、恩を返すどころか更なる情けを施されたその重みに、川上忠兄は両手を泥に擦りつけて深く頭を垂れた。


「……かたじけない! 我が主君・豊久様はもとより、陣中の将兵悉くが涙を流して喜び申す。この重き御恩、島津家は生涯をかけて必ずやお返し仕りもす!」


「豊久殿に『見事な御武威、次代当主としてのご采配、誠にあっぱれであられた』とお伝えくだされ」


「ははっ!」


 俺は頷き、白石永仙の引き縄を島津の兵へと引き渡した。

 徳川家康の直臣に手柄を確認させて上方への申し開きを盤石にし、島津には消えない特大の恩を売り、島津豊久との絆を強固にし、面倒な捕虜の処遇も丸投げできたのだ。

 こちらにとっても上々の結果である。


 川上忠兄が山口直友へも気まずそうに頭を下げ、何度も深々と一礼しながら引き揚げていくのを見届け、俺は自軍へ向けて陣払いの下知を飛ばす。

 二階堂の兵たちは安堵の声を漏らしながら、手早く野営を引き払い始めた。


 遥か後方にある都之城で、伊集院忠真を自ら討ち取って力づくで落とし前をつけた島津豊久。

 その凄まじい武者振りに思いを馳せながら、俺は冷え冷えとした冬の空気を深く吸い込む。


 我が二階堂家の長く険しかった庄内遠征は、ようやく幕を閉じたのであった。






 庄内からの帰路、前田利益に先鋒を任せて日向と豊後の国境を越える山道を進む軍列の中で、並走する我が嫡男・行栄の様子がどうにも落ち着かない。

 馬上での姿勢はいつになく硬く、視線はあらぬ宙を彷徨い、何かをひどく思い詰めたような顔つきをしている。

 伊集院の残兵が潜む山野を警戒していたあの戦場よりも、よほど張り詰めているように見えた。


「行栄、如何した。腹でも下したか? それともどこか怪我でもしているのか」


 並び直して声をかけてやると、行栄は肩を大きく跳ね上がらせ、慌てて手綱を取り直した。


「は、いえ! 父上、そのようなことは断じて……いや、その、怪我などはどこにも……ただ、少しばかり、その……考え事をしていただけでして……」


 しどろもどろに言葉を濁し、視線を泳がせるばかりでまるで要領を得ない。

 この生真面目な息子が、軍務でもない私情でこれほどまでに動揺し、かつ眉間に皺を寄せて懊悩する理由など、この世にそう幾つもあるはずがなかった。

 俺の頭の中で、パズルのピースが音を立てて噛み合う。


「……そうか。臼杵に戻ったら、いよいよジュリアに想いを告げる気だな?」


「ぶふっ……!? な、ななな、何を突然仰るのですか父上っ!」


 案の定であった。

 わかりやすいことこの上ない。


 行栄は顔を耳の付け根まで真っ赤に染め上げ、手綱を握る両手をわなわなと震わせている。

 落武者狩りの指揮を堂々と執っていたあの凛々しさはどこへやら、いまや完全に恋煩いの若僧そのものである。


 俺は思わず苦笑を漏らしたが、すぐに引き締めた面持ちに戻し、馬を歩ませながら低く告げた。


「図星であろうが。……だが行栄、これは冷やかしではなく言うておく。相手は朝鮮の戦乱を逃れて我が領へ流れ着いた異国の娘であり、何より敬虔なるキリシタンだ。あの娘を妻に迎えるとなれば、家中や周囲の目も含め、並大抵の覚悟では済まぬ。生半可な情念だけで押し通せる道ではないぞ」


 そこで俺はいたずらっぽく口端を吊り上げ、少し声を潜めて続けた。


「……それにだ。平壌で孤児となっておったおたあを保護し、わざわざ日ノ本まで連れてきてくれたのは誰であったか聞いておろう? 前田利益ぞ。あいつが目の中に入れても痛くないほど可愛がっていた娘だ。万一にもあやつを泣かせたり不幸にするような真似をしてみろ。あの虎よりも恐ろしい大男が、朱柄の槍を引っさげてお前の首をねじ切りに飛んでこよう」


「ひ、義兄上が……!?」


 冗談とも本気ともつかぬ俺の脅し文句に、行栄は背筋を戦慄かせ、ゴクリと生唾を飲み込んだ。

 だが次の瞬間には、居住まいを正して澄んだ瞳で真っ直ぐに俺を見つめ返してきた。


「……分かっております! 朝鮮での過酷な戦火を生き延び、臼杵の施療院で救われてからは、キリシタンとして健気に民や病人に尽くし続けるジュリア殿を、私は心よりお慕いしております。たとえ義兄上の槍が飛んでこようと、どれほどの逆風があろうとも、この命にかけてあの方を守り抜く所存です!」


 真っ直ぐすぎるその青臭さに胸を突かれつつも、俺は釘を刺すように語気を強めた。


「ならば、もう一つ厳命しておく。よいか、如何にお前がジュリアに惚れ抜こうと、お前自身は断じてキリシタンになるな。入信も洗礼も絶対に罷りならん」


「……えっ?」


 思わぬ角度からの厳命に、行栄は不可解そうに目を丸くする。

 伴侶と同じ信仰を共有したほうが睦まじいのではないか、とでも言いたげな顔だ。


「あやつを、そして領内に溢れるキリシタンの民を守り抜きたいのであろう? ならば領主の跡取りであるお前が、自らその輪の中に飛び込んではならぬのだ。外から庇い立てできる強い盾のままでおらねば、共倒れになるぞ」


「……我が身を盾に、でございますか。分かりました。父上のお言いつけ、しかと胸に刻み、決して洗礼は受けぬと誓います」


 行栄は納得したように深く頷いた。

 もっとも、俺が見据えている危機はそれだけではない。

 関ヶ原の先、いずれ訪れるかもしれない徳川の治世における「禁教令」という巨大な嵐だ。


「ついでに教えておく。もし近い将来、次に天下を握った徳川家康あたりが『キリシタンは邪教であるゆえ禁止する』と言い出したらどうする?」


「そ、それは……天下人のご命令とあれば、背くわけには……しかし、ジュリア殿を見捨てることなど……」


 途端に苦悶の表情を浮かべる行栄に、俺は平然と告げた。


「背く必要などない。『我が臼杵領にはキリシタンなど一人もおらぬ。ここにいるのは、十善戒を尊ぶ熱心な仏教徒ばかりである』と、胸を張って言い張ればよいのだ」


「は……? 十善戒、でございますか?」


「そうだ。仏教で人の道徳を教え諭す十の戒めよ。不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見。これら十の徳目を守る誠の仏徒であると強弁するのだ」


行栄は口を半開きにしたまま、引き攣った顔で絶句した。


「そ、それは……あまりに無理があるのでは……! あの方々が捧げている祈りは、どう見てもデウスへの……」


「嘘も方便、いや、一度口にして死ぬまで貫き通せば、嘘もいつしか真実となるのだ」


 俺は飄々と言ってのけた。


「奴らが胸元に隠し持っている十字の印を見咎められたら、『これは十善戒の象徴たる「十」の文字であり、肌身離さず身につけて信仰に励んでいる証である』とでも言いくるめておけ。彼らが朝な夕なに神へ祈る姿も、『十善戒の教えを胸に刻む勤行の姿』と言い張れば何ら問題はない。キリスト教の十戒と仏教の十善戒など、教えている人の道は似たようなものだ。これならギリギリでセーフであろう」


「ぎ、ぎりせえふ……? 父上、一体何を仰っているのですか……!」


 時代錯誤な呟きに頭を抱え、狐につままれたような顔をする行栄を横目に、俺は馬を揺らしながらフッと口元を歪めた。


 強大な力を持つ公儀相手に、真正面から正義感や信仰心でぶつかるなど愚の骨頂。

 守るべきものを守るためには、これくらいの泥臭い屁理屈と面の皮の厚さを用意しておくに越したことはないのだ。






 ――だが、この時の俺は知る由もない。


 かつて大分郡の農村で勝手に彫り上げられ、数珠と十字架を両手に握らされて祀られたあの奇妙極まりない「サンタ・モリヨシ木像」と、いま適当に吹き込んだこの「十善戒」の屁理屈が、のちに奇跡の悪魔合体を遂げてしまうことなど。


 やがて「十の御教えを授けし現世の救世主」としてモリヨシ教なる謎の邪教が生み出され、本物のキリシタン信仰すらも呑み込み、塗り替える一大勢力として、豊後の地に延々と蟠踞していくことになるなど――露とも思いもしなかったのである。






<1600年 4月>


 豊後臼杵の地に柔らかな春風が吹き抜ける。

 我が居城・臼杵城の対面所において、俺は島津家から派遣されてきた使者と対面していた。


 使者の名は、長寿院盛淳。

 島津家の重臣であり、僧形でありながらその眼光は鋭く、全身から歴戦の武辺者特有の重厚な威圧感を漂わせている。

 俺の脳内にあるチート歴史知識が正しければ、この男は今年の秋に起こる関ヶ原本戦のあの凄絶なる島津の退き口において、自ら義弘の陣羽織を羽織り、「我こそは島津義弘なり!」と名乗りを上げて敵の大軍を引きつけ、壮絶な身代わり戦死を遂げる豪の者である。

 そんな男が、今日は殊勝にも平伏し、庄内の乱の結末を淡々と語り聞かせてくれた。


 新当主となった島津豊久は、都之城の落城後に捕らえた伊集院一族の残党を、幼子に至るまで悉く処刑。

 もちろん、我が二階堂の手勢が生け捕りにして引き渡したあの軍師・白石永仙も、斬首となっている。

 中継の当主として徹底的に自分にヘイトを集める――いかにも島津豊久らしい、覚悟を決めた始末のつけ方であった。


「此度の庄内における二階堂様の絶大なるご助勢、我が主君・豊久様をはじめ、島津家一同、心より深く感謝申し上げもす」


 盛淳は深々と頭を下げると、用意させていた返礼の品々を目録とともに差し出してきた。

 鍛え抜かれた業物たる薩摩刀十振りに、筋骨逞しい薩摩馬五頭。

 さらには、唐入りで半島から連れ帰ったという陶工・沈当吉の手による、艶やかな光沢を放つ見事な薩摩焼の最初期の逸品が並べられた。


 千五百の兵を四ヶ月も張り付かせた軍事費を思えば、刀や馬の数頭など、実費の足しにもならぬ端た金に過ぎない。

 だが、物や銭の損得など最初からどうでもよかった。

 新当主の豊久を救い、島津の家中をまとめさせたという「生涯消えぬ大恩」を、あの情に厚い薩摩隼人どもの骨の髄まで刻み込めたのだ。

 いずれ我が二階堂家が天下の動乱で窮地に陥った折、この貸しは万の援軍となって返ってくるに違いない。


 とはいえ――通常の贈答から考えると破格の礼品であることは確かである。

 これだけの品を揃えてきたということは、別に何らかの頼み事があるのだろう。

 品々を差し出し終えた盛淳は、表情を引き締め、さらに声を潜めてこう切り出してきた。


「……まことに図々しき願いとは存じもすが、伏見の内府様へ、二階堂様より格別の口添えを願えぬでございもしょうか」


 案の定、厄介な本題が転がり込んできた。

 聞けば、大坂と伏見に君臨する徳川家康は、此度の庄内の始末について、島津家に対して烈火の如く激怒しているらしい。

 それもそのはずだ。家康がわざわざ派遣した調停使・山口直友の周旋を、島津豊久は「余計な世話じゃっど!」と頭から蹴散らし、徳川家康の顔に泥を塗って伊集院一族を滅ぼしたのだから当然である。


 そして家康の怒りの矛先は、裏で伊集院家に兵糧を送り、島津を意図的に刺激した肥後の加藤清正にも容赦なく向けられていた。


 去る二月七日、徳川家康の八男である松平仙千代が伏見でわずか六歳にして夭折した。

 先年の同じ時期に七男の松平松千代を亡くしており、流石の徳川家康もかなり落ち込んだ様子であったと聞く。


 その葬儀に駆けつけるという口実で、加藤清正は徳川家康から出されていた上洛差し止めの命令を勝手に破り、上洛を強行したのだ。

 弔問を名目に徳川家康へ直接目通りし、庄内の一件の弁明を試みようとしたらしいが、当の家康の怒りは凄まじく、有馬則頼を差し向けられて対面すら叶わず、追い返されたと聞く。

 あの武断派の筆頭である加藤清正ですら門前払いを食らっているのだ。


「……相分かった。徳川内府様のお怒りはもっともなれど、島津殿の武名と家中統一のやむなき事情については、折を見て私からも角が立たぬようお伝えいたしましょう」


 俺は笑顔を崩さず、当たり障りのない色良い返事をしてその場を取り繕う。

 とはいえ、本音を言えば島津の火の粉など真っ平御免である。

 徳川家康の機嫌を損ねるような泥沼の仲介など、誰が好き好んで首を突っ込むものか。

 適当に書状の端にでも書き添えて、体面だけ整えておくのが精一杯だ。


 長寿院盛淳を見送った後、俺は安堵の息をつきながら臼杵の海を眺める。

 現在、庄内から兵の撤収を終えた我が二階堂家は、大分郡の復興事業に全力を注ぎつつ、領内の海岸線に異様なほどの厳重な監視体制を敷いている。

 ちなみに、帰還後に行栄はジュリアおたあへ無事に想いを告げ、晴れて二人は微笑ましい恋仲となっている。

 生真面目な行栄のこと、おたあの実質的な保護者であり義兄にあたる前田利益のところへも、律儀に筋を通しに挨拶へ向かったらしい。

 実の親でもないのに改まって頭を下げられたと、利益が面白おかしく話していたのを思い出す。

 ただ、息子の春の訪れは大いに慶賀すべきことだが、今の俺の頭を占めていたのは別の「重大事」であった。


 俺の歴史の記憶が正しければ、一六〇〇年の四月下旬――まさに今の時期、豊後臼杵の黒島沖に、暴風雨で満身創痍となったオランダ船『リーフデ号』が漂着するはずなのだ。

 乗組員は航海士のウィリアム・アダムス(三浦按針)やヤン・ヨーステンたち。

 彼らオランダ人は新教徒(プロテスタント)であり、カトリックのポルトガルやスペインとは骨肉の争いを繰り広げる犬猿の仲だ。


 もし史実通りに彼らが家康に引き渡され、カトリック諸国の侵略性をあることあること告げ口されれば、現在イスパニアと極秘裏に同盟を結ぼうと暗躍している奥羽鎮守府の伊達政宗や我が二階堂家に、思わぬ疑心の火の粉が降りかかりかねない。

 余計な摩擦を避けるためにも、リーフデ号が臼杵に漂着したならば、船員たちを我が領内に丁重に保護・隔離し、中央の家康との接触を極力先送りにして情報を握り潰す必要があったのだ。


 そして海を見つめる俺には、もう一つ待っている報せがあった。

 土佐の長宗我部信親の元へ派遣している、守谷俊重の帰還である。

 領内の特産品開発のため、土佐からサトウキビの苗条と甘蔗をまとまった数で買い付け、船で臼杵へと運び込ませる手筈になっていた。






 その日の夕刻。

 土佐からの買い付け船団を率いて戻ってきた守谷俊重が、臼杵城の対面所へと入ってきた。

 昔からの軽薄なノリは、白髪頭になっても少しも変わっていない。


「大殿ー、長宗我部信親様もすっごい歓迎してくれてですね、甘蔗の苗条、舟一艘分まるまる買い占めちゃいました。これで臼杵でも砂糖作り放題ですねー」


「おお、そうか! 大儀であったな、俊重。長宗我部殿にもよろしく取りなしてくれたか」


「当たり前じゃないですかー。ちゃーんと頭下げて、よしなにやってきましたよ」


 俊重から受け取った目録を改めながら、俺は内心でふっと笑みを漏らした。

 かつて京で長宗我部信親に甘蔗の話を持ちかけ、土佐から琉球台湾へ人を派遣させて苗と製糖技術を手に入れさせようと、二階堂家の資金を惜しみなく注ぎ込み始めてから早や九年。

 鷹揚とした態度とは裏腹に結構な切れ者の長宗我部信親が、貴重な苗をこうもあっさりと譲ってくれたのには、怜悧な算盤勘定が透けて見えていた。


 長宗我部信親にしてみれば、「初期の巨額な出資に対する借りを返す格好の口実」として苗条を放出しつつ、「苗をくれてやったところで、土佐より寒い豊後の地で、製糖の秘術も持たぬ二階堂家がそう簡単に真似できるはずもない」と高を括ったに違いない。

 二階堂との誼を保ち、奥州の金を引き出す太いパイプを維持しつつも、実害はないと踏んだ彼の微笑みが目に浮かぶようであった。

 その油断こそが、砂糖の日本国内での早期量産化への最短ルートになるのだが。


「……あ、そうそう殿、聞いてくださいよー」


 俊重は懐をごそごそ探って残りの割り符を放り出しながら、思い出したように楽しげな調子で肩をすくめてみせた。


「信親様と商談をまとめて浦戸を発つ直前、湊の海でちょっと妙なものを見かけましてね。荷を積んだ馬を仕立てて伊予へ向かう前に、港のあたりがやけに騒がしいんで覗いてみたら――」


「妙なもの? 何だそれは」


「いやー、嵐にやられたらしくてですね、南蛮のデッカい黒船がボロッボロになって浦戸の浜に流されてきちゃったんですよねー。船の名前は確か、リーフデ号とか言ってましたっけ。乗ってた紅毛人たちも飢えと病気で虫の息で、這う這うの体で浜に転がってましたよ。一領具足供がわらわら取り囲んで保護してましたけど、船ん中には南蛮の大筒やら鉄砲が山盛り積んであったらしくて。なんかいつも見てる南蛮の船と雰囲気ちがうなー、と思って長宗我部の役人に話を聞いてみたら、どうやらポルトガルやイスパニアとは別の南蛮の国の船らしいんですよね。どんな国か気になりますよねー」


 守谷俊重は「いい土産話でしょう?」とでも言いたげである。


 ――だが、俺の耳には、その軽口がまるで落雷のように突き刺さっていた。


「……ま、待て」


 喉が引き攣り、乾いた声がこぼれ落ちる。

 俺のただならぬ様子に気付いた俊重が、きょとんと目を丸くして首を傾げた。


「え? 大殿……?」


「今、何と言った……? 船の名は『リーフデ』……流れ着いたのは、土佐の浦戸だと……!?」


「え、あ、はい。そうですけどー。船員は長宗我部家の役人が浦戸城下に連れてっちゃいましたし、船もそのまま没収ですって。大坂の徳川内府様にもすぐ早馬飛ばして報告するーとか役人が言ってましたよ。……え、何なんですか急に? そんなにその南蛮船見たかったんですか?」


 守谷俊重は相変わらず事の重大さをこれっぽっちも理解しておらず、なぜ俺がここまで青ざめているのか分からぬ顔だ。


 ――嘘だろ!?

 臼杵じゃない、だと!?

 しかも、史実の漂着時期よりもまるまる一ヶ月近くも早いじゃないか!


 俺の脳裏を、かつてない戦慄が駆け抜ける。

 四年前の文禄五年秋――史実では土佐の浦戸沖で座礁するはずだったイスパニアのガレオン船『サン・フェリペ号』は、俺が納屋助左衛門を通じてルソンからの出港を早めさせたことで嵐を回避し、難破することなくこの豊後臼杵へと無事に入港している。

 その結果、秀吉による船の没収も、かの二十六聖人の殉教という悲劇も丸ごと回避された。


 なのに、今度はその真逆が起きたというのか。

 本来なら豊後臼杵の黒島に流れ着くはずのオランダ船『リーフデ号』が、まるで四年前のサン・フェリペ号と入れ替わるかのように、土佐の浦戸へと吸い寄せられていった。


 歴史の辻褄合わせというべきか、それとも俺が弄くり回した因果が引き起こした最悪のバタフライ効果なのか。

 沿岸を血眼になって監視させていた俺の目論見は完全に空振りに終わり、大砲を積み込んだ異国の怪船とプロテスタントの航海士たちは、あろうことか長宗我部信親の手を経て、一直線に徳川家康の手元へと送り届けられようとしていた。


 呑気にこちらの顔を覗き込んでくる俊重の眼前で、俺は己の読みが根底から覆された衝撃に、冷や汗を流しながら頭を抱えるしかない。


 徳川家康の主導する豊臣政権による奥羽征伐。

 これで、その危険性が一気に跳ね上がってしまった。


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― 新着の感想 ―
現地の宗教を取り込んで信仰対象を挿げ替えるなんてアチラの常套手段なのに逆に塗り替える様は耶蘇教的には悪魔の所業まさに悪魔合体
黄泉より参上![前田利家]…利益の誤字ですね ちょっと笑っちゃいました
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