1599-9 枝葉
<1599年 8月>
城内の高麗人参の畑で日々繰り広げられる甘酸っぱいやり取りと、大友家の残影への警戒という静かな緊張に臼杵が包まれる中、南の隣国・日向からは血生臭い戦火の報せが次々と舞い込んできていた。
島津家を二分する未曾有の内紛、“庄内の乱”——。
日向都城を中心とする庄内地方の十二城に籠もり、徹底抗戦の構えを崩さぬ伊集院忠真に対し、島津本家による討伐戦がいよいよ本格化していたのである。
二階堂領の最南端、日向国境に接する佐伯城の城主であり、国境警備と情報収集の任を担う若き佐伯惟定から、緊迫した情勢を伝える早馬が臼杵へと届いた。
「大殿、佐伯殿より日向方面の注進にございます。かの島津中務大輔豊久殿、驚くべき速さで軍を動かしておりまする」
大広間に控えた使者の報告を耳にして、俺は手にした書状へと視線を落とした。
そこに記されていた豊久の足取りは、まさに疾風怒濤そのものであった。
先の伏見の騒動において、徳川内府の仲介と差配により、島津家の新たな総大将――事実上の次期当主として指名された島津豊久。
徳川内府の許しを得て上方を発ち、急ぎ己の所領である日向佐土原城へと帰着した豊久は、城に入るや否や、それまで連れ添っていた正室との離縁を電撃的に断行したのだ。
私情を挟む猶予など微塵もないと言わんばかりの非情な手切れ。
そのまま間髪を入れず薩摩へと馬を飛ばした彼は、島津家の頂点たる伯父・島津義久の御前に罷り出た。
そして、今は亡き島津久保と島津忠恒の正室であった義久の娘・亀寿を相手に、形ばかりの祝言を上げ直してみせたのである。
義久の娘を娶ることで、島津宗家を継ぐ正統な血統の裏付けを完了させた豊久は、婚礼の余韻も冷めやらぬ翌朝にはもう具足を纏い、討伐軍の総大将として日向都城へ向けて出陣したという。
(……凄まじい手際の良さだな。迷いというものが欠片も感じられん)
手紙を読み進めながら、俺は心中で小さく舌を巻いた。
だが、形式上の当主の座を整えたとはいえ、豊久が率いる軍勢の実情は決して盤石とは言い難かった。
書状に記された惟定の分析によれば、島津領六十二万石の内情は極めて深刻に割れていた。
反旗を翻した伊集院家の直轄地はおよそ八万石。
さらに島津家臣団の中で伊集院忠棟・忠真父子に深い恩顧や血縁を持つ諸将が連なり、その勢力はおよそ七万五千石に達する。
伊集院方の勢力は、合わせて十五万五千石。
対する島津本家側はおよそ四十六万五千石。
単純な石高比で見れば「三対一」で本家側が圧倒しているように映るが、内実はそう単純な話ではなかった。
本家側の討伐軍は、急遽世子に据えられた島津豊久が総大将を務めている。
いくら義久の娘婿となり、あの戦神・島津家久の忘れ形見とはいえ、昨日まで佐土原の一領主に過ぎなかった豊久の下に、一癖も二癖もある島津の歴戦の宿老や重臣たちがすんなりと従うはずもなかった。
今年で二十九歳、武辺者としてまさに脂の乗りきった壮年の武将である豊久の武勇は誰もが認めるところだが、急ごしらえの総大将では家中の結束はいまだ脆く、軍のまとまりは極めて欠けている。
事実、前線に駆り出された諸将の間では、伊集院への同情や義弘・義久兄弟への不満から、あからさまなサボタージュや進軍の引き延ばしが横行しているという。
(まともに統制の取れぬ寄り合い所帯。普通であれば、足並みの乱れから緒戦で手痛い敗北を喫してもおかしくはない状況だが……)
だが、その歪な軍勢の頭上に戴かれた男は、常識の枠に収まるような器ではなかった。
「……それでも豊久殿は、自ら先頭に立って敵陣をこじ開けているようだな」
俺の呟きに、使者が緊張した面持ちで首肯する。
家中が不協和音に揺れ、味方がろくに動かぬと見るや、豊久は軍令に頼るのではなく、己自身が先陣を切って突撃するという暴挙に出たのだ。
史実の関ヶ原において、伯父・義弘を逃がすために捨て奸の殿軍を引き受け、凄絶な狂気じみた死狂いの果てに討ち死にしたあの男だ。
根っからの合戦中毒——バトルジャンキーとしての本領が、この絶望的な統率下でこそ恐るべき猛威を振るっていた。
都城の包囲網を敷くや否や、豊久は自飼いの佐土原勢を率いて猛然と敵城へと食らいつき、伊集院方の拠点の一つである日向山田城を瞬く間に強襲・攻略。
さらに息をも継がせぬ勢いで軍を進めると、頑強な抵抗を見せていた恒吉城をも力づくで陥落させてしまったのだ。
サボタージュを決め込もうとしていた周囲の島津諸将も、総大将自らが返り血を浴びて敵城を力攻めで落としていく異常な戦いぶりを目の当たりにし、引きずられるようにして戦線に加わらざるを得なくなっているという。
「恐ろしい男よな……」
俺はため息混じりに書状を机の上に置いた。
いくら家中が割れていようとも、総大将が個人の武勇と突破力だけで力押しに戦況を牽引してしまうのだから、島津の血統というのはつくづく恐ろしい。
だが、山田城と恒吉城が落ちたとはいえ、庄内の本丸たる都城をはじめ、伊集院方が誇る堅城群はいまだ健在だ。
豊久の猪武者じみた猛攻がこのまま伊集院を屈服させるのか、それとも泥沼の持久戦に引きずり込まれて破綻するのか。
南から吹き寄せる血風の行方に、俺は鋭い視線を向けずにはいられなかった。
日向の戦火に目を凝らす一方、京伏見の屋敷に残してきた吉次からの定期便には、上方における徳川内府の凄まじい政治攻勢が克明に綴られていた。
文面を追うにつれ、俺は家康の老獪極まる手腕に思わず舌を巻いた。
史実と打つ手の順番を鮮やかに組み替え、徳川家康は今まさに、怒濤の「婚姻外交」による派閥拡大へと打って出ていたのである。
そもそも豊臣政権下における大名同士の婚姻は、極めて厳格な統制下に置かれていた。
亡き秀吉が定めた政権の基本法「御掟」の第一条には、「諸大名の間で、秀吉の許可なく私に婚姻関係を結ぶことを禁ずる」と明記されている。
いわゆる私婚の禁止だ。
ただし、秀吉の遺言によって、ある例外条項が加えられていた。
政権の頂点たる五大老——徳川、前田、毛利、宇喜多、そしてこの世界線では長宗我部信親が名を連ねる最高評議機関——この五大老同士が互いに縁組を結び、団結を深めることは、豊臣政権の屋台骨を盤石にするものとして認められていたのだ。
しかしその反面、大老たる者がその他の諸大名と勝手に縁戚関係を結び、己の私派閥を際限なく広げることは頑として禁じられていた。
だが、家康が突いたのはまさにその「勝手に縁戚関係を結ぶ」という文言の裏であった。
(ならば、正規の手続きを踏み、公に許可を取れば文句はあるまい……と来たか)
家康は法の網を潜るのではなく、法を正面から利用してみせたのだ。
大老と奉行による合議の場に、己の息のかかった養女たちと、豊臣恩顧の有力な武断派諸侯との婚儀案件を次々と持ち込んできたのである。
しかも、申し込まれた婚儀の数そのものが尋常ではない。
次から次へと持ち込まれる婚姻申し入れの多さ自体が、いまや天下の諸大名がどれほど徳川を頼み、その傘下に群がっているかという、他ならぬ徳川の威勢の誇示に他ならなかった。
この露骨極まりない覇権拡大に対し、本来なら弾劾の声を上げるべき五奉行は、完全に無力化されていた。
筆頭格の石田三成は、先の七将による襲撃の代わりに起こった狙撃事件の傷を癒すべく療養中で不在。
長束正家、増田長盛、前田玄以の三人は、伏見城から追い出された一件で徳川の底知れぬ武力と恫喝を骨の髄まで思い知らされており、家康を前にして声を上げる気概など残っていない。
残る浅野長政に至っては、実子の浅野幸長が気脈を通じる武断派の盟友たち——加藤清正、福島正則、蜂須賀家政らがまさにこの婚姻話の当事者となっているため、義理と面子に縛られて口を挟むことすらできなかった。
では、最高意思決定機関である大老たちはどうであったか。
こちらもまた、家康の独壇場を阻む壁としてはまったく機能していなかった。
前田利長は、偉大すぎる父・利家を亡くしたばかりで家中を固めるのに手一杯であり、中央で発言力を振るう余力がない。
長宗我部信親は、五月に亡くなった父・元親の葬儀と喪に服すため国元に留まっており、伏見を不在にしている。
毛利輝元は、実子の松寿丸に毛利本家を継がせたいがために、二十歳になる毛利秀元を長門・周防で分家独立させる件と、小早川隆景の遺領を本家に返還させる件で家康と裏取引を結んでしまっていた。
内府に借りのある輝元は、むしろ婚姻を是認する側へと回っている。
そして宇喜多秀家は、従兄の宇喜多詮家が不可解な急死を遂げたことで家中が大きく動揺し、自領の騒動を収めるのに手一杯でそれどころではなかった。
反対勢力がことごとく沈黙、あるいは不在の場座。
大老首座として国政の決済権を握る徳川家康は、他を圧する威厳を漂わせながら、自家の婚姻案件の数々に次々と「可」の決済印を押し進めていった。
史実のような「無断で私婚を進めて奉行衆から弾劾される」という失着を完全に回避し、豊臣政権公認の墨付きを得た上で、堂々と婚姻が執り行われていったのである。
水野勝成の妹にして家康の従妹にあたる十八歳のかな姫が、家康の養女として、肥後半国を治める三十七歳の猛将・加藤清正のもとへ嫁ぐ。
松平康元の娘にして家康の姪にあたる十歳の満天姫が、同じく養女として、福島正則の養嗣子である十四歳の福島正之のもとへ嫁ぐ。
小笠原秀政の娘にして家康の外孫にあたる八歳の万姫が、紀伊半国を治める蜂須賀家政の嫡男である十四歳の蜂須賀至鎮のもとへ嫁ぐ。
(見事なものだな……)
手紙を畳みながら、俺は冷徹な感嘆の息を漏らした。
武断派の大名たちを取り込み、合法的に自陣営へ組み込んでいく家康の盤石な布石。
力押しに頼らず、法と手続きを逆手に取って天下の趨勢を塗り替えていくその手腕は、日向で力任せに城を落としている島津豊久の苛烈さとはまた異なる、老練な怪物ならではの底知れなさを放っていた。
隣国の日向で吹き荒れる戦火と、上方で徳川内府が仕掛ける婚姻攻勢。
中央と辺境の双方が大きく揺れ動く中にあって、我が臼杵二階堂家が直面している現実は、極めて泥臭く地道なものであった。
大分郡七万石の復興は、まさに待ったなしの急務である。
被災したまま放置されていた田畑や堤防の修復を進め、福原長堯の苛政に打ちのめされた民百姓を飢えから救わねばならない。
岡左内と岡重政の兄弟を現地に張り付かせているとはいえ、領主たる俺の決裁を待つ書類は山のように積み上がっていた。
それに加え、日向の庄内の乱がいよいよ泥沼化すれば、豊後を預かる我が家に対しても、遠からず徳川家康から伊集院討伐のための出陣命令が下る公算が高い。
それに備え、出動可能な兵員の割り出し、陣立ての再編、さらには鉄砲の玉薬や兵糧の手配といった軍事上の段取りも、同時並行で進める必要があった。
「ふう……領主というのは、つくづく気楽な稼業ではないな」
臼杵城の一室に籠もり、机の上にうず高く積まれた帳面や書状の山と格闘しながら、俺は肩を回して深いため息を吐いた。
現代で言えば完全に過密なデスクワークである。
そこへ、からりと障子を開けて姿を現したのは行栄であった。
「父上、執務中にお邪魔いたします。下野佐野の兄上から手紙が参りました」
「おお、行久からか」
差し出された文を受け取り、手早く目を通す。
下野佐野城主を務める三男・行久の正室である珠姫が、このほど無事に第二子となる女子を出産したという知らせであった。
名は「桔梗」と付けられたらしい。
「無事に出産を終えたか。母子ともに息災なようで何よりだ。佐野へは、祝いの品をすぐに手配して送らねばならんな」
ほっと胸を撫で下ろし、筆を執ろうとしたところで、ふと目の前で座って控えている行栄に視線を戻した。
十七歳の若武者は、相変わらず生真面目そのものの顔つきだ。
だが、その佇まいにほんの少しだけ、以前のような張り詰めた刺々しさが薄れていることに気がつく。
「時に、行栄。……側仕えを申し付けたジュリアの働きぶりはどうだ? 不手際などはあるまいな」
何気ない調子を装って尋ねた瞬間、行栄の顔が面白いように真っ赤に染まった。
耳の付け根まで朱を差した息子は、手足をぎこちなく震わせ、視線を泳がせながら口をパクパクと開閉させる。
「は、は……っ! あ、相済まぬほど、行き届いた世話をしてくれております! 朝夕の膳の給仕から衣類の繕いまで、誠に細やかで……その、不手際など滅相もございません!」
上ずった掠れ声で懸命に弁明する姿が、実に初々しかった。
普段は行者ぶって女人を寄せ付けなかった堅物が、これほどわかりやすく狼狽えているのだ。
からかい甲斐があるというものだが、親としては単に冷やかすだけで終わらせるわけにもいかない。
俺は表情を引き締め、少しだけ声を落として息子を諭した。
「行栄。いずれ遠からず、我が家にも日向への出陣命令が下る。戦場では何が起こるかわからぬ。それはお主も、朝鮮のあの過酷な陣のさなかで散々味わっておろう」
不意に引き戻された戦場の現実に、行栄の顔から照れが消え、武将の険しさが戻った。
俺はその肩をポンと叩き、優しく笑いかけた。
「命のやり取りをする場へ赴くのだ。後悔せぬよう、伝えたき言葉があるのなら、今のうちにしっかり口に出して伝えておくことだぞ」
「ち、父上……っ」
痛いところを突かれた行栄は、再び顔を真っ赤に染め上げ、深々と頭を下げると、逃げるように足早に書斎を飛び出していった。
その背中を見送りながら、俺が思わず苦笑を漏らしていると、入れ違いのようにして部屋の前に長い影が差した。
「喜多から文が参った」
低くハスキーな声とともに部屋へ入ってきたのは、正室の南御前であった。
涼やかな単衣を纏いながらも、170cmを超える引き締まった長身が醸し出す威厳は、老齢となっても相変わらずである。
「喜多殿からか」
「うむ。愛姫の件だ」
手渡された書状に目を落とす。
伏見で家康によって人質の役目を免ぜられ、奥州へと無事帰還を果たした伊達政宗の正室・愛姫。
彼女が住み慣れた仙台城へと戻り、政宗と共に仙台の奥座敷である秋保温泉に浸かって心身を寛がせた結果、懐妊したとの報せであった。
(時期から察するに、史実における仙台藩第二代藩主・伊達忠宗が、愛姫の腹に宿ったということか……)
片倉喜多は五年前、秀吉の愛妾であった香の前が政宗の側室に入った一件において、手厳しい意趣返しをしたことで政宗の激怒を買い、愛姫付きの女官長を解かれて奥州へ戻されていた。
しかし、実質的な育ての親であり師でもある喜多と愛姫との情誼が切れるはずもなく、こうして私的な文のやり取りを通じて情報がもたらされたのだ。
「……どんどん子や孫が増えていくな。喜ばしいことだが、慶事の報せが途切れぬ」
俺が思わず肩をすくめて呟くと、南御前は切れ長の瞳を細め、誇らしげに俺を見つめてきた。
「何を言うか。それもすべて、そなたがもたらした知識のおかげではないか」
南御前がこの臼杵の地へやってきてから、すでに四年が経っていた。
それまで彼女が過ごしてきた須賀川や仙台では、当たり前のように風呂が焚かれ、上下水道の整った清潔な生活環境が敷かれていた。
だが、異なる風土である西国の臼杵へ身を移したことで、かつて自分が整備したそれらの衛生環境が、いかに体力のない幼子の命を奪う病魔を遠ざけ、母子の無事を守ってきたのかを、身に染みて理解したようだ。
「そう言えば、戸沢盛安に再嫁したれんみつも、もうすぐ三人目の出産であったな」
「うむ。順調にいけば再来月あたりに産まれる。だんみつも、二人目がそろそろのはずだ」
南御前が指折り数えながら応じる。
れんみつは、俺の弟・大久保資近と南御前の妹・彦姫の間に生まれた長女だ。
俺の養女となって岩城常隆に嫁ぎ、嫡男・道丸を産んだ後に常隆と死別。
その後、“夜叉九郎”こと戸沢盛安の正室となってすでに盛安の嫡男を産んでおり、今また新たな命を育んでいる。
次女のだんみつも九戸家の現当主・九戸政信の正室となってすでに嫡男を産んでいる。
三女のこいみつもまた相馬利胤に嫁いでおり、年齢から考えても、そろそろ懐妊の報せがあってもおかしくない頃合いだった。
「資近の息子の清丸も、確か今年で十六のはず。そろそろ元服の潮時よな」
「あれは確か、阿蛍の娘の華乃と婚約していたはずだ。元服すれば、すぐに祝言となるだろう」
「そうだな。祝いの品を考えておかねばならん。資近の大久保家も、いよいよ代替わりの支度というわけか……」
思えば、奥羽を離れてからというもの、弟の資近とは長らく杯を交わしていない。
あの気のいい弟の顔を思い浮かべながら、俺はふと、我が一族の孫の数を頭の中で数え始めていた。
南御前との間に生まれた長男・盛隆のところには一男二女。
次男・盛行のところには三男一女。
次女・元姫のところには一女。
伏見にいる側室・吉次との間の長女・吉乃のところには一男二女。
三男・行久のところには、先ほど生まれた娘を含めて一男一女。
四男の行栄は、先ほど俺がジュリアとの仲を嗾けたばかりである。
さらに言えば、俺の養女となった阿蛍は、前田利益との間に二男二女をもうけている。
嫡男の前田正虎は今年で十七になるはずで、利益の旧友であり宇都宮二階堂家の筆頭家老を務める奥村永福の娘との間で縁談が進んでいると、盛隆からの便りで聞いていた。
我が二階堂家のみならず、弟の大久保家も含めて、家庭面や子孫繁栄の点においても、順調すぎるほど順調に枝葉を伸ばし続けている。
あまりの広がりように、家長たる俺自身ですら、時折誰がどこで何人産んだのかを追いきれなくなるほどであった。
「……うーむ。我が家のことながら、系図を広げねば頭が追いつかんぞ」
唸り声を上げる俺を見て、南御前が低くハスキーな声でくすくすと笑った。
「家運が萎んでいくより、よほど良いではないか。まったく、贅沢な悩みよな」
「まあ、確かにその通りなのだが……」
苦笑しながら応じた瞬間、俺の脳裏にさらにもう一つの記憶が唐突に蘇った。
(……待てよ。大坂を発つ直前に会ったあの二人も妊娠していたな)
臼杵に下る前、大坂屋敷で顔を合わせた真田家の女たち——真田信幸の妻である稲と、その弟・信繁の側室である高梨内記の娘・阿桐。
二人が揃って身重であり、もうすぐ出産の頃合いだったことを思い出したのだ。
「……やれやれ」
伏見の二階堂屋敷にいる吉乃宛てに、「真田家で慶事があれば、忘れずに祝いの品を届けるように」と指示を出さねばならない。
すでに文字で埋まりかけた机の上を見つめ、さらにもう一枚の手紙をしたためるべく筆を握り直しながら、俺は嬉しさと疲労の入り混じった、深いため息を漏らすのであった。
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