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二階堂合戦記  作者: 犬河兼任
第十三章 関ヶ原へ至る道
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1599-8 甘露

<1599年 7月上旬>


 大坂での用向きをすべて終えた俺と息子の行栄は、大坂の港から用意させていた御座船へと乗り込み、馬や随行の兵とともに瀬戸内海へと漕ぎ出した。

 順調に西へと下った船は、ようやく豊後臼杵の港へと接岸する。

 じりじりと肌を焦がすような夏の陽光が、波穏やかな豊後水道の海面を眩しく照らし返していた。


 港に降り立ち、海風に運ばれる潮の香りを胸いっぱいに吸い込みながら城下を進む行栄は、物珍しそうに周囲の山並みや城郭の佇まいを見回している。

 行栄にとって、この豊後臼杵の地を踏むのは、これが生まれて初めてとなる。


 慶長の役にて、文治派の目付らの私曲で俺が太閤秀吉の怒りを買った際、行栄は京伏見の屋敷から直接肥前名護屋を経て朝鮮の海を渡り、現地で俺から臼杵二階堂家の軍勢の指揮を引き継いだ。

 そして過酷な異国での戦いを凌ぎきって日本へ撤退した際も、率いた軍勢とは博多の港で別れ、そのまま俺に同行して京・伏見へと上っている。

 この日が文字通りの初の入国であった。


 大手門へと差し掛かると、城門の前で待ち受ける一団の姿がある。

 色鮮やかな日傘を小姓に差させ、涼やかな夏用の単衣を身にまとって佇んでいるのは、俺の正室——南御前だ。

 厳しい日差しの中でも背筋を凛と伸ばしたその姿は、相変わらず一国の女主たる威厳と気骨に満ちていた。


「夫殿、行栄殿。遠路はるばるの無事の帰着、大儀であった」


 南御前が低めのハスキーな声で、短く声をかけてくる。

 行栄は南御前にとって腹を痛めた実の子ではない。

 かつては行栄の実母である吉次との間で確執もあったが、朝鮮での戦さで俺の代わりに軍勢の指揮を取った行栄の器量を、今では二階堂家に欠かせぬ頼もしい息子の一人として、厳しくも認めてくれているようだ。


「御母上様におかれましてもご息災で何よりにございます。父上の留守中、見事に臼杵の城をお守りいただき痛み入ります」


 行栄が深々と平伏すると、南御前はその引き締まった精悍な顔つきをジロリと見据え、ふっと口元を緩めた。


「堅苦しい挨拶などよい。……夫殿、皆が大広間にて待ちわびておる。まずは行栄殿を連れて奥へ参れ」


 南御前の先導で臼杵城の大広間へと進むと、居並ぶ重臣たちが一斉に平伏して俺と行栄を迎えた。


 上座に腰を落ち着け、行栄を我が脇に控えさせる。

 広間に揃った面々の顔触れを見渡すと、ようやく豊後へ帰ってきたのだという実感が胸に湧き上がってきた。


 まず進み出て拝礼したのは、朝鮮の役で過酷な戦さを戦い抜き、一足先に博多から臼杵へと引き揚げていた出征組の面々だ。

 キリシタン武将として勇名を馳せる志賀親次を筆頭に、剛勇の名のみならず理財の才にも長けた岡左内、そして豊後水軍の雄たる若林統昌。

 幾重もの死線を共にしてきた猛者たちの顔には、激戦を生き残った矜持と安堵が色濃く滲んでいた。


「大殿、若殿。遠路のご帰還、心よりお慶び申し上げます。また、此度の七万石の加増ならびに代官職の拝命、家中一同、まことにおめでたく存じ奉ります」


 志賀親次が代表して祝意を述べ、岡左内と若林統昌がそれに深く首肯する。


 続いて、豊後の政務と城割りを引き受け、主家の留守を完璧に守り抜いてくれた留守組の重鎮たちが声を揃えた。

 二階堂家の家中を取り仕切る岡重政、豊後の名門たる佐伯惟定、大友の旧臣にして宿将の田原紹忍、そして宗像鎮続。

 彼らの堅実な治世があったからこそ、俺も行栄も後顧の憂いなく上方や朝鮮で立ち回ることができたのだ。


「皆の働き、まことに見事であった。出征組の息災と、留守組の忠節に心から感謝いたす」


 俺が労いの言葉をかけると、一同は誇らしげに平伏を深めた。

 大広間での堅苦しい公式の儀礼が一通り終わり、重臣たちが退座したところで、南御前がふっと表情を和らげ、行栄へと視線を向けた。


「行栄殿。其方、博多の港で兵たちを臼杵へ引き揚げさせた折、珍しき高麗人参の根を送ってよこしたであろう」


「は、はあ……確かに兵団の荷に紛れさせ、お送りいたしましたが」


「あれをの、城奥の薬草畑に植えさせてみたところ芽が吹いてな。城下の施療院から腕利きの者を呼び寄せて、我が手元で大切に育てさせておる。旅の埃を落とす前に、いかほど育ったか、まずは其方の目で見てまいれ」


 南御前らしい有無を言わせぬ命に、行栄は目を瞬かせながらも「ははっ、見てまいります」と頭を下げ、本丸の奥にある薬草園へと足を向けた。

 俺もまた、南御前に目配せをして一息つくと、息子の様子を見に薬草園へと歩を進める。


 ——だが、その薬草畑で待ち受けていた光景は、行栄のみならず、後を追った俺にとっても完全に想定外のものであった。







 薬草園の庭先へ足を踏み入れた俺の目に飛び込んできたのは、信じがたい息子の姿だった。

 青々とした葉を茂らせる畑の片隅で、一人の娘がしゃがみ込み、丁寧に雑草を摘んでいる。


 白く透き通るような肌に、夏の陽光を浴びて艶めく黒髪。

 切れ長の大きな瞳は吸い込まれるように澄み渡り、首元には小さな南蛮渡りの十字架クルスが揺れていた。


 ふと顔を上げたその娘と目が合った瞬間、行栄はその場に縫い止められたように微動だにしなくなっていたのだ。

 普段は武辺一辺倒で女人を寄せ付けず、暇さえあれば山籠りだの修験道だのと念仏を唱えていた堅物の息子が、まるで落雷にでも打たれたように目を丸くし、口を半開きにして立ち尽くしている。


 一目惚れという言葉が生ぬるいほど、文字通り魂を撃ち抜かれた少年の顔であった。

 絵に描いたようなボーイ・ミーツ・ガールが、まさに目の前で繰り広げられている。


「……あ、あの……そなたは……?」


 ようやく絞り出した行栄の掠れ声に、娘は立ち上がり、静かに頭を下げた。


「初めてお目にかかります、若殿様。……私はジュリアおたあと申します。南御前様のお言いつけで、城下の施療院より上がり、若殿様が送られたお薬草の世話をさせていただいております」


 鈴を転がすような清らかな声に、行栄の耳朶から首筋までが一瞬で真っ赤に染め上げられていくのが、物陰の俺からも手にとるように分かった。


(……ジュリアおたあ!? いや、あの子は……あの時の月華(タァフォア)ではないか!)


 物陰からその顔をまじまじと見つめた俺は、雷に打たれたような衝撃を受けて息を呑んだ。

 文禄四年(一五九五年)の秋、虎の毛皮を纏って朝鮮からふらりと戻ってきた前田利益が連れてきた、あの幼い童女。

 現地の戦火で親族を皆亡くし、利益が連れ帰ってきたものの、壬生へ連れて行くわけにもいかず、臼杵城下の施療院に預けて伴天連たちに医術や薬草学を学ばせることにしたあの娘だ。


 あれから四年近く。

 あの頃は怯えたように利益の背中にへばりついていた十歳ほどの少女が、今や十五の息を呑むほど美しい娘へと見違えるような変貌を遂げていた。

 なんと美しく育ったものよ、と感嘆が口をついて出そうになる。


 だが、それ以上に俺を驚愕させたのは、先ほど娘が口にしたその名であった。


 ジュリアおたあ——。


 史実において、朝鮮の役で小西行長に保護されて洗礼を受け、のちには徳川家康の侍女となりながらも信仰を捨てずに配流された、あの悲劇のキリシタン女性の名そのものではないか!


 あの時、利益が拾ってきた「月華(タァフォア)」こそが、歴史に名を残すジュリアおたあ本人だったのか。

 この世界では小西行長よりも先に利益が保護したことで我が領内の施療院で育ち、伴天連から洗礼を受けて「ジュリアおたあ」となり、巡り巡ってこうして臼杵城の庭先に立っているのだ。


 驚きに目を見張る俺の前で、行栄は完全に魂を抜かれた抜け殻のようになっていた。

 普段は神仏や修験道に傾倒し、行者じみた修行ばかりに現を抜かして俺や吉次を散々ヤキモキさせていたあの行栄が、完全に骨抜きにされている。

 手足の置き場すら忘れて赤面し、ぽかんと固まっている息子の姿は、親の目から見ても実に初心で、そして微笑ましかった。


(……ほう。これは、またとない好機ではないか?)


 俺の頭の中で、狡猾な策謀の歯車がカチリと音を立てて噛み合った。

 行栄のあの偏屈極まりない修験道狂いと女人嫌いを正し、臼杵二階堂家の跡取りとして地に足のついた武将に仕立て上げるには、これ以上の妙薬はあるまい。

 山に籠もって滝に打たれるよりも、この愛らしい娘の笑顔ひとつのほうが、よほど息子の目を現世へ引き戻してくれるはずだ。


 俺は咳払いをひとつして姿を現すと、ぎょっとして飛び退く行栄を横目に、涼しい顔でジュリアおたあの前に進み出た。


「見事な手入れじゃな。高麗人参も息災に根を張っておるようだ。施療院でしっかりと学んでおったようだな」


「大殿様……! 四年ぶりにお目にかかります。過分なお言葉、恐悦に存じます」


 ジュリアが慌てて膝をつき、深々と頭を下げる。

 俺は鷹揚に頷き、隣で赤面したまま直立不動になっている行栄の肩をぽんと叩いた。


「時にジュリア。この行栄はな、朝鮮の過酷な戦を戦い抜いて戻り、こうして初めて国許の城へ足を踏み入れたばかりなのだ。身辺の世話をする者も手薄な上に、放っておくとすぐに山へ籠もって修行を始める始末で、親としても頭を痛めておってな。……どうじゃ、これからは城に留まり、行栄の身の回りの世話役を務めてはくれまいか?」


「えっ……!? ち、父上!?」


 素っ頓狂な声を上げて狼狽える行栄を綺麗に無視し、俺はジュリアに優しく微笑みかける。

 ジュリアは驚いたようにぱちくりと目を瞬かせたが、やがて胸元のクルスにそっと手を添え、愛らしい笑みを浮かべて頭を下げた。


「私のような者でよろしければ……謹んで若殿様のお世話をお引き受けいたします」


「うむ、頼んだぞ」


 真っ赤になって口をパクパクと開閉させるだけの十七歳の息子を置き去りにし、俺は満足げに鼻を鳴らした。

 日向の伊集院攻めや、やがて訪れるであろう関ヶ原の暗雲など、九州にも戦火の足音が刻一刻と近づいている。

 だが——少なくとも我が臼杵城の奥向きにおいては、実に甘酸っぱく、微笑ましい波乱の幕が切って落とされたようであった。






<1599年 7月中旬>


 上方から届けられた風聞によれば、伏見と大坂で、亡き豊臣秀吉の葬儀がようやく公に執り行われたようだ。

 本人の遺言によってその死の事実は長らく秘匿され、伏見城の地下蔵深く、巨大な甕の中に塩漬け状態で長らく安置されていた秀吉の遺体は、ようやく暗く冷たい蔵の中から運び出され、東山阿弥陀ヶ峰の頂へと丁重に埋葬されたらしい。

 朝廷からは「豊国大明神」の神号を賜り、正一位の神階が追贈されたとのことだった。

 死してなお神として君臨し、我が子の前途を守ろうとする秀吉の執念が透けて見えるようだが、その足元で徳川家康が着々と天下獲りの手を伸ばしていることを思えば、なんとも虚しい神格化のようにも思えた。


 まぁ、それはさておき、俺は豊後半国を治める領主として、山積になっている政務に追われている。


 手始めに、先の蔚山城の戦いの評定見直しの結果に従って、豊後竹田城主・太田一吉の配下から大野郡七万石の再引き渡しを受ける。

 かつて俺が代官を務めていたこの大野郡は、蔚山城の一件で一時的に太田家の預かりとなっていた土地だ。

 引き渡しを終え、代官所の役人たちを伴って郡内の村々を見回りに赴くと、街道筋には驚くほど多くの百姓や村名主たちが群がり、土下座して俺の帰還を出迎えてくれた。


「左京亮様! 戻ってきてくださったか!」


「ありがたや、これで飢えずに済みまする……!」


 聞けば、昨年の収穫期における太田家の代官による年貢の取り立ては、二階堂が治めていた頃に比べて苛烈を極めていたらしい。

 居城の豊後竹田城の増築を進める太田家詰衆への兵糧調達や、上方の秀吉の命に急き立てられた末の収奪であったのだろう。

 俺が代官だった時代の手加減された年貢割振りに慣れていた農民たちにとっては、まさに塗炭の苦しみであったのだ。

 思わぬ熱烈な歓迎に苦笑しつつも、かつて播いた善政の種がこうして民心として返ってくる手応えを噛み締め、俺は彼らに年貢の減免と夫役の軽減を言い渡して安堵させた。


 だが——大野郡の穏やかな再編とは打って変わり、その次に接収へと向かった大分郡七万石の現場は、まさに地獄そのものであった。


 かつて石田三成の義弟・福原長堯が所領としていた大分郡。

 伏見の屋敷において、大分郡の代官職拝命を告げてきた井伊直政が「実に骨が折れましょうな」と眉をひそめていたが、その言葉に偽りはなかった。

 三年前の慶長豊後地震の傷跡はいまだ至る所に生々しく残り、崩れた堤防や地割れした田畑はほとんど放置されている。

 それもそのはず、福原長堯はこの被災の復興を完全に後回しにし、自らの威勢を示すためだけに「府内新城(荷揚城)」なる壮大な水城の無謀な築城工事を強行していたのだ。


 現場に足を踏み入れた俺と家臣たちの前に広がっていたのは、異様な光景であった。

 伏見で家康の手によって福原長堯に蟄居と減封が言い渡されたことで、城の普請そのものはピタリと止まっている。

 しかし、近隣の村々から駆り集められた数千人の人夫たちは、解散の沙汰すら出されぬまま、粗末な小屋掛けの中で放置され、飢えと疲弊に喘ぎながら留め置かれていたのだ。


「……酷いものだな」


 隣に立つ岡左内が、珍しく怒りを押し殺した低い声で吐き捨てた。

 俺は即座に財布の紐を緩め、代官所の蔵に残されていた米と銭を供出させた。


「皆の者、これまでの労苦、大儀であった! 本日をもってこの普請は一時取りやめとする! 一人ひとりに手伝い賃と帰りの路銀を渡すゆえ、それを受け取った者から、直ちに郷里の家族の元へ帰るがよい!」


 人夫たちの間に、割れんばかりの歓声と嗚咽が広がった。

 泣き崩れながら銭を受け取り、一目散に己の村へと駆け出していく男たちの背中を見送りながら、俺は背後に控える二人の重臣を振り返った。


「左内、重政。大分郡の仕置きは、そなたら兄弟に任せる。城の普請は当面凍結し、人夫たちをまずは田畑の復旧と川の普請へ回せ。何よりも先に、民心の回復を最優先とするのだ」


「ははっ、承知いたしました。民を泣かせるような真似はいたしませぬ」


「兄者と共に、早急に郡内の荒廃を立て直してみせましょう」


 剛勇の士として知られつつも、平時は一文の無駄金も惜しむが有事の使い所を知り抜いている岡左内と、二階堂家の内政を差配してきた能吏の岡重政。

 この兄弟であれば、福原長堯の苛政によって荒みきった大分の民を必ずや立ち直らせてくれるはずだ。

 俺は力強く頷き、二人に大分の差配を託した。






 ——だが、その数日後のことである。

 大分郡内の巡視を続け、とある農村の辻に差し掛かった俺は、思わず馬の轡を引いて目を丸くすることになった。


 村外れの大きな榎の木の下に、真新しい注連縄を張り巡らせた見覚えのない社が建てられている。

 その前には色とりどりの野花やなけなしの握り飯が山のように供えられ、老若男女の村人たちが熱心に額を地面に擦りつけて拝み倒していたのだ。

 だが、その祈りの声がどうにも耳慣れない。


「ありがたや、南無二階堂大明神……」


「サンタ・モリヨシ様、主よ感謝します……」


「あーめん、あーめん、モリヨシ大明神様……」


 神道なのか仏教なのかキリシタンなのか、もはや祈りの境界線すら消し飛んだ異様な大合唱である。


「……おい、左内。あそこにあるのは何だ? 地元の社か?」


「はて……? 三日前まであのような社はございませんでしたが」


 嫌な予感を覚えつつ馬から下りて近づくと、村人たちは俺の姿を認めるや否や、悲鳴にも似た歓声を上げて一斉に平伏した。


「おおっ! サンタ・モリヨシ様! 天の御使い様が自らお出ましになられたぞ!」


「生き神様、生き仏様じゃあ!」


「神の啓示を降ろし、わしらを地獄から救ってくださる聖人様じゃ……!」


 祠の奥を恐る恐る覗き込むと、そこには粗末な木の十字架の前に、素朴な角材で彫り出された奇妙な木像が堂々と鎮座していた。

 どう見ても俺の顔を似せようと彫った木造の小像であり、手にはなぜか数珠と十字架の両方を握り締めさせられ、台座には墨黒々と『従五位下二階堂左京亮盛義大明神』と神札のように刻まれている。

 和洋折衷どころの騒ぎではない。生身の人間の木像を神仏のご神体として祀り上げるのを今すぐやめてほしい。


「……ちょ、ちょっと待て! 俺はまだピンピン生きておるぞ! 神仏として拝むのはやめろ!」


「何を仰せられますか! かの大地震を刻限まで言い当てて多くの命を救い、フロイス様からも『神の御使い』と讃えられた左京亮様! そして今また、苛政の地獄からわしらを救い出してくださった! これを現世の聖人、生き神様と言わずして何と言いましょう!」


 完全に思い出した。


 三年前のあの大地震の折、避難訓練と称して刻限通りに大津波を言い当て、慶長豊後地震の本震まで予告して救い尽くしたせいで、故ルイス・フロイスが城下のキリシタンに「神の御使い」と吹聴して回ったのが全ての元凶だ。

 すでに臼杵では「啓示を授かる聖人」としてカルト的人気を博していた俺の伝説が、隣の大分郡で福原の地獄に喘いでいた民草にまで「救世主伝説」として伝播し、此度の荷揚城からの解放と減税によって完全に神格化が臨界点を突破してしまったのだ。


「サンタ・モリヨシ様こそ、天道様が遣わされた真の救い主じゃ!」


「モリヨシ大明神様ー!」


「あーめん南無サンタ・モリヨシ大明神ー!」


 聞く耳を持たぬ百姓たちは完全に興奮の坩堝にあり、胸元で十字を切りながら、地べたに額を擦りつけて感涙にむせんでいる。

 隣を見ると、岡重政は後ろを向いて肩を震わせ、吹き出しそうになるのを必死に堪えていた。

 一方の岡左内はといえば、笑うどころか眉間に深い皺を刻み、供えられた握り飯や木像を値踏みするように睨みつけている。


「……殿。木像を彫る手間も、米を供える銭も、すべて無駄にございますな。生きているお人を拝んで腹が膨れるわけでもなし。かかる暇があるなら、一文でも銭を貯めさせ、鍬を握らせて荒地を一坪でも開墾させるべきかと」


 ドケチと恐れられながらも銭の真の使い所を知り尽くす男らしい、身も蓋もない現実的な小言であった。

 だが、今の俺にとっては左内のその冷徹な正論こそが、唯一の救いに思える。


(上方では、亡き豊臣秀吉が『豊国大明神』として正一位を追贈され、国家神道じみた権威付けで必死に神格化されたというのに……)


 片や、地下蔵で塩漬けにされた末、国家事業として巨費を投じて祀り上げられた死せる秀吉。

 片や、歴史知識チートで地震を当てて減税しただけで、ルイス・フロイスの太鼓判付きで生きたまま神仏とキリシタンのハイブリッド聖人に祭り上げられてしまった俺。


 神号を欲しがった秀吉よりも、生きながらにして農民たちから「大明神かつ聖人」として拝み倒されてしまった己の処遇に、俺は顔を手で覆い、深いため息をつくしかなかった。

 ありがたいどころか、背筋が寒くなるような居心地の悪さである。こんな珍妙な神格化、豊臣の耳に入ったらどんな顔をされるか分かったものではない。


「……全くだ、左内の申す通りよ。重政、急ぎ大分と大野の全土へお触れを出せ。『拝む暇と銭があるなら米を蓄えよ、それと生きている人間の像を彫るな』とな!」


 俺の悲痛な叫びも虚しく、豊後の青空の下には、俺を拝み倒す農民たちの「あーめん南無サンタ・モリヨシ大明神」という狂乱の祈りがいつまでも響き渡っていた。






 慌ただしく領内の引き継ぎと再編に追われていた、そんな折である。

 京の伏見屋敷に残してきた側室の吉次から、早馬による急ぎの手紙が臼杵城へと届けられる。


 手紙を開き、そこに記された上方の最新情報を追っていた俺は、思わず眉を深くひそめた。


「……大友義統の幽閉が、解かれたか」


 文禄の役における平壌城からの敵前逃亡の罪を問われ、常陸の佐竹領、次いで周防へと流されて幽閉の身となっていた元豊後領主・大友義統。

 今年で四十一歳になるその旧主が、豊臣秀吉の死と喪明けに伴う恩赦によって罪を許され、大坂城下に屋敷を与えられて豊臣家の直参として再び出仕することになったというのだ。


(……やれやれ、この時期にか)


 史実を知る俺の脳裏に、嫌な胸騒ぎがよぎる。

 関ヶ原の折、豊後奪還の甘言に踊らされて西軍に与し、石垣原の戦いで黒田如水に完膚なきまでに叩きのめされるあの男の未来だ。

 大坂の権力者たちの間で揺れ動く今、大友義統が「旧領豊後を取り戻せるかもしれぬ」などという無駄な野望を抱かねば良いのだが——。


 大広間に集まった重臣たちへその報せを伝えた瞬間、広間の空気は複雑怪奇に揺れ動いた。

 佐伯惟定、若林統昌は苦虫を噛み潰したような難しい表情で押し黙り、深く沈み込んでいる。


 だが、同じ旧大友家の重臣でありながら、田原紹忍と宗像鎮続の二人は違った。

 義統の名が読み上げられた刹那、老獪な二人の顔に、隠しきれぬ喜色が一瞬だけパッと浮かび上がったのを、俺は見逃さなかった。

 かつて主家を支え、豊後の名門として君臨していた誇り。大友家が滅びて二階堂に拾われた身とはいえ、その魂の底には、いまだ「大友の家臣」としての血が熱く燻ぶり続けているのだ。


(……そうか、田原紹忍と宗像鎮続か)


 俺は心の中で冷徹に記憶を辿る。

 史実において、関ヶ原の戦いで大友義統が豊後奪還を目指して上陸した折、その呼びかけに真っ先に応じ。石垣原の戦場に馳せ参じたのが、まさにこの二人であった。

 今の臼杵二階堂家では、志賀親次や佐伯惟定、若林統昌といった気鋭の若手が目覚ましい武功を挙げ、重用されている。

 もしや古参の自分たちが家中において疎外されつつあるという不満や焦燥を抱いているのだとすれば……史実と同じく、義統の誘いに乗って反旗を翻す動機としては十分すぎる。


(この二人の動向は、今後も厳重に注視しておかねばならんな)


 胸中に警戒の札を立てつつ、俺は広間の一角へと視線を移した。


 そこでは、キリシタン武将の志賀親次が、喜色を浮かべた二人とは対照的に、顔を蒼白にして身を強張らせていた。

 文禄の役、第三次平壌城の戦い。

 小西行長を救援すべく北上していた大友軍にあって、敵軍の規模を見誤り、「小西軍全滅、明の大軍が南進中」という致命的な誤報をもたらして義統を敵前逃亡へ追い込み、結果として主家改易の決定的な引き金を引いてしまった張本人。

 どれほど武功を重ねようとも消えることのない十字架を背負う親次の顔には、痛々しいほどの苦悩と自責の色が張り付いていた。膝の上で握りしめられた拳が、小刻みに震えている。


 旧主の復活がもたらした、家中の暗い亀裂とざわめき。

 徳川の台頭、日向の伊集院の乱、そして再び蠢き始めた大友の残影。

 平穏を取り戻したかに見えた豊後の大地に、天下を巻き込む大嵐の足音が、音もなく確実に忍び寄っていた。






<1599年 7月下旬>


 夏の熱気が臼杵の城下を包み込む中、俺の名代として土佐へと向かわせていた守谷俊重が、ようやく帰着した。

 慶長四年五月十九日(1599/7/11)に世を去った土佐の巨星・長宗我部元親の葬儀に参列し、弔意を伝えて戻ってきたのだ。

 長旅の埃にまみれながらも、俊重の丸顔にはいつになく得意げな笑みが浮かんでいた。


「殿ー、戻りましたよー。土佐からの土産を持ち帰りましたー」


 そう言って俊重が差し出してきたのは、竹の節によく似た、青緑色の固い茎であった。

 俺の心臓が跳ね上がった。


「これは……甘蔗サトウキビか!」


「はいー、長宗我部信親殿より直々に預かってまいりましたー」


 受け取った茎の皮を小刀で手早く削ぎ落とし、繊維質の白い中身を無造作に口へ放り込んで力任せに噛みしめる。

 ジュワリと、口腔いっぱいに濃厚で滋味に満ちた茎汁が溢れ出した。


(……甘い!)


 脳髄を直撃するような、純粋で強烈な甘み。

 蜂蜜や干し柿のような濁りのある甘味ではない。

 かつて前世で親しんでいた、あの砂糖の原液の味そのものであった。

 思わず目頭が熱くなるほどの感動が込み上げてくる。


 長宗我部信親がついに琉球経由でサトウキビの苗株の入手に成功し、温暖な土佐の地での作付けを成し遂げたのだ。

 あれは八年前、天正十九年のこと。

 京の長宗我部屋敷へと押し掛け、サトウキビ導入に関する共同投資を持ち掛けたのがすべての始まりであった。

 以来、守谷俊重を長宗我部との折衝役・窓口に任じ、我が奥州・会津の金山から掘り出された大判小判を惜しげもなく注ぎ込み続けてきた。

 四年前に「甘蔗が手に入り、試しに育ててみる」との報せを受けて以来、首を長くして待ち望んでいた投資の果実が、ようやくこうして実を結んだのだ。


「俊重、長宗我部信親殿はどうであった?」


 噛み砕いた繊維を吐き出し、口元を拭いながら尋ねると、俊重はいつもの間の抜けたような、しかしどこか抜け目無さを感じさせる声音で応じた。


「はいー、『父の四国統一の夢を叶えることは敵わなかったが、良い親孝行ができた。この甘露を父の病床に届けることができたのは、偏に左京亮殿のおかげ。厚く御礼申し上げる』とのことでしたー」


 信親の真っ直ぐな感謝の言葉を聞き、俺は臼杵の空を見上げて静かに息を吐く。


 長宗我部元親——。

 幼少期の「姫和子」と嘲笑された軟弱な姿から、初陣での「鬼和子」への豹変、信長に「鳥なき島の蝙蝠」と揶揄されながらも四国全土を席巻し、やがて「土佐の出来人」と恐れ崇められるまでにクラスチェンジを繰り返した梟雄。

 彼もまた、俺が介入したこの歴史において、その運命を大きく変えた一人と言ってよいだろう。


 奥羽鎮守府の勢力伸長によって小牧・長久手の戦いは半年も長引き、結果として秀吉への決死の単身講和を成し遂げた信親。

 土佐のみならず阿波の保持をも認めさせ、元親の隠居に伴って若くして家督を継いだ彼の慧眼は、天正十五年の戸次川の戦いでも遺憾なく発揮される。


 新当主として兵を率いていた信親は、軍監・仙石久秀の無謀な渡河に付き合わず、高みの見物を決め込んで釣り野伏せの壊滅劇を回避。

 いち早く府内城へと引き返して島津家久の猛攻を食い止め、秀吉本隊の到着まで城を死守してみせたのだ。


 この戸次川での信親の奮戦と冷静な判断こそが、現在の豊臣政権における長宗我部家の立ち位置を決定づけた。

 二十二歳で討死するはずだった信親は三十五歳の英主として健在であり、太閤亡きあとの豊臣政権において「五大老」の一人にすら名を連ねている。

 次男の香川親和こそ唐入りにおける釜山陣中で無念の戦病死を遂げたものの、史実のような醜い家督争いで毒殺されるような悲劇には至っていない。

 三男の津野親忠とも不仲になっておらず、四男の盛親が家督を継ぐこともなかった。


 最愛の嫡男を失って半狂乱となり、家中の血で血を洗う内紛に苛まれながら絶望のうちに世を去った史実の元親とはまるで違う。

 土佐と阿波、伊予の三ヶ国を得て、黒潮の恵みを受ける領内にサトウキビという無尽蔵の富の源泉を作り出し、家中を完璧に束ねる名君・信親。

 その頼もしき息子の行く末へを想いながら、元親は安らかな笑みを浮かべて大往生を遂げたのではなかろうか。


(元親殿……実によい息子を持たれましたな)


 四国の覇者を夢見ながらも、最後は出来すぎた嫡男の機転と采配に救われ、安らかな余生を送って逝った土佐の英傑。

 稀代の梟雄と恐れられた男の、思いがけず穏やかだった幕引きを、俺は静かに偲んだ。


 だが——。

 噛み締めたサトウキビの甘さの余韻に浸り、故人を偲ぶ感傷と同じくらい、俺の冷徹な思考の大部分は、極めて現実的な政局の計算へと向けられていた。


 サトウキビという莫大な富の源泉を手に入れた長宗我部家は、今後、四国のみならず天下に冠たる経済基盤を築き、一気に勢力を伸長させていくに違いない。

 そして何より、その家を率いる長宗我部信親は、五大老の座にあるのだ。


 徳川家康が伏見を押さえ、天下の覇権を狙って蠢動し始めている今。

 来たるべき関ヶ原の大乱に向けて、あの聡明で武勇に優れた信親は、一体いかなる旗を掲げ、どう動くのか。

 豊臣恩顧の大老として石田三成や大坂方に与するのか、それとも時勢を見極めて徳川と渡り合うのか。あるいは、四国と豊後という海を挟んだ隣国同士、この二階堂の動きにどう呼応してくるのか——。


 青く広がる夏の空を睨みつけながら、俺は噛み砕いた甘蔗の甘さを舌の上に転がし、次なる天下の盤面を激しく読み解き始めていた。


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