1599-7 胎動
<1599年 6月上旬>
伏見の屋敷を発った俺と行栄は、馬を駆って街道を南下し、初夏の陽光に照らされた大坂の町へと足を踏み入れる。
大坂城下の宿坊寺院に随行の兵や馬を落ち着かせると、旅装を解く間も惜しんで町へ繰り出した。
目指すは、日頃から昵懇の付き合いを続けている真田家の大坂屋敷である。
臼杵へ戻ってしまえば、次にいつ上方へ戻れるかも定かではない。
豊後半国を統治する大任を背負わされ、日向の騒乱に巻き込まれることが確実となった今、信濃・上州の雄たる真田の面々には何としても一言挨拶をしておきたい。
屋敷の門をくぐると、奥から聞き慣れた快活な笑い声が響く。
出迎えてくれたのは、当主の真田安房守昌幸、嫡男の伊豆守信幸、そして次男の左衛門佐信繁の親子三人だ。
「これはこれは、左京亮殿! よくぞ立ち寄ってくだされた!」
真田昌幸が相好を崩して進み出てくる。
この食えない漢と直に顔を合わせるのは、豊臣秀次公が総大将として出馬した、文禄の役の名護屋本陣以来のことになる。
相変わらず百戦錬磨の謀将らしい油断のなさを漂わせつつも、身内や心を許した相手に見せる人懐っこい愛敬は少しも変わっていない。
その隣に控える嫡男の真田信幸とは、彼が従五位下・伊豆守に叙任された時以来の再会だ。
律儀で沈着冷静な佇まいは、いかにも真田の屋台骨を背負って立つ長子らしい頼もしさを湛えている。
そして次男の真田信繁——。
彼と会うのは、今年の一月下旬、朝鮮から無事に帰着した行栄を祝うために伏見の二階堂屋敷へ駆けつけてくれて以来、およそ四ヶ月ぶりとなる。
行栄の烏帽子親を務めてくれた間柄でもあり、その人懐っこい顔つきを見るだけで自然と胸の奥が温かくなる。
だが、その三人の背後へ視線を移した途端、俺の足が微かに止まった。
音もなく付き従う一人の男がいる。
鋭利な刃物を思わせる身のこなし、日焼けした精悍な面魂。
俺と同年代とおぼしきその男は、一言も発さぬまま、静かに俺の挙動を値踏みするように見据えている。
「左京亮殿とは初対面でござったな。こちらは我が真田の重臣、出浦対馬守昌相にござる」
真田昌幸の丁寧な紹介を受け、俺は心の中で合点がいった。
出浦昌相——信州村上家、武田家を経て真田に仕える重臣にして、甲州乱波を束ねる棟梁だ。
真田の諜報戦を一身に支える凄腕の武将である。
会釈を返すと、出浦は深く一礼しつつも、その双眸の奥に宿る怜悧な光を少しも緩めない。
武骨な風貌ながら、底知れぬ凄みを漂わせている男だ。
大広間へ通され、挨拶もそこそこに腰を落ち着けたところへ、奥の襖がすっと開く。
現れたのは、ふくよかな腹部を大事そうに抱えた、二十代半ばの美しい婦人たちだ。
「お初にお目にかかります。真田伊豆守の妻、稲でございます」
凛とした気品と、武家の娘ならではの背筋をすっと伸ばした毅然とした立ち居振る舞い。
徳川の重臣・本多忠勝殿の娘にして、徳川家康の養女となった稲姫であった。
一月の時点で第四子の懐妊を聞いていたが、すでにその腹は大きくせり出している。
すらりとした長身と端正な顔立ちは、現代で言えばさしずめ一流のファッションモデルといった風情の美女だ。
「おお、本多忠勝殿の娘御の稲様か。本多殿とは小田原の戦さのおりに一度だけ顔を合わせたことがあるが……あの勇猛無比な本多殿に、これほど美しい娘御がおられたとはな。いや、その姿形の凛々しさは、確かに父親譲りとお見受けする」
俺が感嘆を込めてそう告げると、稲姫はぱっと表情を明るくし、ふふっと楽しげに口元を綻ばせた。
「まあ、左京亮様は口がお上手ですこと。武辺一辺倒の父に似て無粋な娘と申されるかと案じておりましたが、そう仰っていただけると嬉しく存じますわ」
満更でもない様子で会釈を返す稲姫の姿に、隣の夫の真田信幸もどこか誇らしげに目を細めている。
その隣から、今度は聞き慣れた愛嬌たっぷりの声が飛んできた。
「お久しぶりでございます、左京亮さま!」
丸顔で稲姫に負けぬほどスラリと背が高く、実によく笑う人懐っこい女——真田家臣・高梨内記の娘で、真田信繁の側室である阿桐だ。
こちらも第二子を身ごもっている身重の体である。
表情豊かで華があり、こちらは現代なら誰もが惹きつけられる美人女優といったところか。
彼女との付き合いは、もう七年ほど前、文禄元年の聚楽第にまで遡る。
当時、侍女を務めていた阿桐に関白・豊臣秀次公の側室になるのを思いとどまらせようとした縁から、大政所の体調を探る役目を手伝ってもらっていたのだ。
あの折、「私には思い人がいるんですよ。すっごく鈍感な人なんですけど」と屈託なく笑っていた彼女だが、その鈍感な男——真田信繁の懐へ見事に飛び込み、こうして子宝に恵まれているのだから人生は面白い。
「阿桐、元気であったか。腹の子は順調そうじゃの。源二郎と仲睦まじいようで何よりよ」
「はい、おかげさまで源二郎さまには日々甲斐甲斐しく尽くしていただいております」
阿桐が丸い頬を緩めて誇らしげに腹を撫で、真田信繁が「これ、滅多なことを申すな」と赤面して頭を掻く。
思わず口元が緩む。座敷に和やかな笑いが広がった、その時だ。
廊下からバタバタと慌ただしい足音が響き、白木の襖が勢いよく開け放たれる。
「申し訳ございませぬ、戻りが遅くなりまして!」
息を弾ませて入ってきたのは、二十歳前後の身綺麗な娘であった。
その後ろには、護衛役を務めていたのであろう真田の重鎮・矢沢但馬守頼康が苦笑いを浮かべながら控えている。
こちらは真田信繁と同じく、一月に伏見の我が屋敷で顔を合わせて以来の再会だ。
「お久しぶりでございます、左京亮様。真田左衛門佐信繁の妻、小屋にございます」
小屋が深々と頭を下げて挨拶してくる。
思わず目を瞠った。
彼女と顔を合わせたのは、八年前——天正十九年の夏、京で執り行われた信繁との祝言の席以来のことになる。
あの時はまだ十二歳のあどけない少女だったが、今年で二十歳を迎えた小屋は、見違えるほど可憐で愛らしい娘へと成長していた。
現代の世ならば、街中の視線を独り占めにする人気絶頂のアイドルそのものの愛くるしさである。
モデル然とした稲姫、女優のような阿桐といい、真田家の嫁連中は揃いも揃って目の保養になるほどの美女揃いで羨まし......いや、よく考えたらうちの二階堂家の女性連中も全然負けてないから、羨ましくなんてない、うむ。
「おお、戻ったか小屋。大谷刑部さまのお加減は如何であった?」
真田信繁が安堵の息を漏らしながら問いかける。
小屋は大谷吉継の養女だ。
八年前の祝言の席で、俺は初めて大谷吉継と膝を突き合わせて酒を酌み交わし、東国の戦さ談義や四方山話に花を咲かせている。
どうやらその折、大谷吉継が小屋に対して俺のことを大層絶賛していたらしく、当時まだ十二歳だったはずなのに、俺のことを鮮明に覚えていてくれたらしい。
その大谷吉継だが、持病が悪化して体調をひどく崩していると耳にしている。
彼女は今日、父の看病と見舞いに大谷邸へ出向いていたとのこと。
「父上のお加減は相変わらず優れませぬが、薬湯を差し上げてまいりました。……それよりも源二郎さま!」
小屋はくるりと信繁に向き直ると、隣で控える阿桐をこれ見よがしに横目で一瞥し、胸を張って高らかに告げた。
「私、どうやら懐妊いたしました!」
「な……!?」
真田信繁が目を丸くして固まる。
小屋は不敵な笑みを浮かべ、ついに本妻としての役目を果たすのだと言わんばかりに阿桐を見下ろす。
「お腹の子はきっと男の子に違いありません。これでどこぞの泥棒猫に大きな顔をされなくて済みますわ」
対する阿桐も少しも動じることなく、「まあ、小屋様もおめでとうございます。でも、八年も待たれたなんて、随分と掛かりましたわね」と、余裕の笑みを浮かべて涼やかに応戦する。
一歩も引かぬ二人の美女同士による、笑顔の張り合い——女同士の熾烈なマウント合戦が座敷のど真ん中で開帳された。
本来ならば遠方から客人が訪れている座敷で、挨拶もそこそこに身内の閨事を言い出すなど無作法極まりない話だ。
しかし、女たちの放つ目に見えぬ火花に気圧されたのか、真田の男たちは揃いも揃って慌てふためいている。
声を潜めて弟を叱咤する信幸。
「源二郎、何とかせぬか! お主の嫁御たちであろうっ」
情けない顔で助けを求める信繁。
「そうは言われましてもっ。父上、こういう時はどうすればっ?」
まったく頼りにならない昌幸。
「わ、儂に聞くなっ! そなたがなんとかしてやれ、源三郎!」
信幸→信繁→昌幸→信幸の無限ループの完成である。
後ろに控える矢沢頼康は、この家庭内合戦が面白くてたまらないといった風情で、髭を撫でながらニヤニヤと笑っている。
一方、出浦昌相はこの茶番劇に一切乗る気がないのか、腕組みをしたまま不快そうに片眉をピクリと顰め、微動だにしない。
(いやいやいや……客人の前で何が始まっておるのだ、この家は……!?)
あまりのカオスな空気感に、俺と行栄は完全に呆気に取られ、口を半開きにして固まるしかなかった。
男たちが右往左往する中、女二人が無言の圧をぶつけ合う——そんな収拾のつかない広間に、ピシリと鋭い声が響き渡った。
「……おやめなさいっ、見っともない!」
冷ややかな声が場を切り裂く。
見れば、本多忠勝の娘・稲姫が、すっと背筋を伸ばして立ち塞がっていた。
徳川の養女として、そして真田の長子の正室として、その眼差しには明らかな怒気が宿っている。
「小屋殿。身ごもられたこと自体は慶事にございます。……なれど、これから遠方に出向く二階堂の左京亮様と若殿が、わざわざ挨拶にお越しくださっているこの席で、ご挨拶もそこそこに身内の閨の沙汰を大声で喚き立てて張り合うなど、礼を失するにも程がございましょう! 殿も父上も、何を一緒になって狼狽えておいでですか!」
武家の正室としての凛たる一喝に、得意げだった小屋の顔が一気に引きつる。
阿桐もサッと笑顔を引っ込めて居ずまいを正し、信繁はいたたまれなさに縮こまり、信幸と昌幸は「うっ……」と言葉を詰まらせて気まずそうに目を逸らした。
あまりにも重苦しい空気に、俺は慌てて咳払いをして口を開く。
「ま、まあまあ、稲様、それくらいに。吉報に胸が躍り、つい口走ってしまわれたのであろう。……誠にめでたい話ではないか。これには患っておられる大谷刑部殿も、さぞや喜ばれよう」
俺が必死に取りなすと、信繁は真っ赤になりながら「は、はは……かたじけのうござる」と絞り出すように頭を下げた。
ひと悶着はあったものの、祝いの空気を取り戻した広間には酒肴の膳が運び込まれ、やがて男たちだけの酒宴の席となる。
真田信繁が徳利を持って酒を注ぎに来る。
「先ほどは醜態を晒してしまって、真にすみませぬ」
酒盃を受けて、フォロー。
「いや、皆が仲睦まじゅうて実に羨ましい。真田一族の絆の強さを垣間見れた気分でござる。のぉ、行栄」
行栄に振ると、苦笑しつつも空気を読んでくれる。
「はい、父上」
行栄にも烏帽子親の信繁の三分の一くらいでいいので、甲斐性があってくれると、臼杵二階堂家の今後は安泰なんだがな.....。
次に矢沢頼康が俺の盃に酒を注ぎながら、お祝いの言葉を述べてくる。
「それにしても左京亮様、此度は実に七万石ものご加増があったとか、おめでとうございまする」
いや、もともと代官だった大野七万石を所領に組み込むのは容易いが、大分七万石の代官職は余計であった。
三年前の慶長豊後地震の被害を直に被っている上に、福原長堯の苛政に復興がほとんど進んでないと聞く。
真田昌幸がそれと知ってか知らず、猪口の酒をあおりながら、「何がめでたいものか」と矢沢頼康を諌めると、同情の視線を向けてくる。
「しかし大変ですな。今度は島津相手に戦さでござるか。唐入りもようやく終わったというにすぐにまた次の戦とは、たまったもんではありませぬな」
すかさず隣の信幸が真面目な顔で訂正を入れる。
「父上、相手は島津ではござらん。日向の都城に立て籠もる伊集院でござる」
「ふん、似たようなものだろう。どっちみち猿みたいに叫びおるんじゃろうが」
島津示現流の猿叫を揶揄して適当なことを言って杯を重ねる昌幸に、信幸が深いため息を吐く。
そんな親子漫才のようなやり取りを、一座の端で微動だにせず見守っていた出浦昌相が、ふいに己の佩刀の鞘を、ドンと重い音を立てて畳に突き立てた。
一瞬にして、酒席の空気が凍りつく。
「……左京亮殿にお聞きしたい」
低く、地を這うような声音で出浦が問う。
その鋭い眼光が、真っ直ぐに俺の眉間を射抜いてくる。
「左京亮殿は、徳川内府は次にどう動いてくると見られるか」
「……自分もお聞きしとうござる」
信繁もまた杯を置き、真剣な眼差しをこちらへ向けてくる。
昌幸も、信幸も、頼康も——真田の面々の視線が、一斉に俺の元へと集中する。
(……やれやれ、そう来るか)
だが、無理もないことだ。
前田利家が身罷り、石田三成が狙撃されて表舞台から姿を消した今、伏見城を押さえた徳川家康が天下を牛耳ろうとしている。
大名連中は誰もが、「誰が敵で、誰が味方か」「誰が徳川に靡き、誰が牙を剥くのか」を血眼になって探り合っている最中だ。
ましてや、南会津を領する我が二階堂家は、会津沼田街道を通じて真田領の上野沼田と背中合わせの隣国同士である。
二階堂家が、ひいてはその背後にある奥羽鎮守府の伊達政宗が、徳川家康とどう対峙しようとしているのか。
それを真田が喉から手が出るほど知りたがるのは当然の道理だ。
隣で息子の行栄も固唾を呑んで俺の横顔を見つめている。
俺は静かに杯を膳に置き、ゆっくりと息を吐き出す。
「……徳川内府殿はまず、秀頼君の身柄の確保に動きましょうな」
「身柄の確保……でござるか?」
信幸が訝しげに眉を寄せる。俺は静かに肯き、言葉を継いだ。
「かつて亡き太閤殿下が、天下を手中に収めんとした折の動きを思い出してくだされ。清洲会議ののち、岐阜城を大軍で包囲して織田信孝殿から三法師君を奪い取り、信孝殿を死に追いやった。己の意に従わぬ者を逆賊として討つには、まず何よりも『玉』を懐に収めねばならん。天下の公儀を代行する大義名分を独占するためにも、内府殿にとって秀頼君の確保は急務でござる」
広間に静寂が落ちる。
出浦昌相は細い目をさらにすがめ、昌幸は顎髭を撫でながら低く唸った。
「されど、現在の大坂城には前田中納言(利長)殿と宇喜多中納言(秀家)殿の二大老ががっしりと控えて秀頼君を守護しておられますぞ。いくら伏見城を押さえたとはいえ、そう易々と手が出せますかな」
「だからこそ、でござるよ安房守殿」
俺は杯を置き、昌幸、そして真田の面々を見据える。
「内府殿が次の一手として仕掛けるのは、大坂にいる利長殿と秀家殿を、秀頼君の側から引き離すことに他なりませぬ」
出浦昌相の眉がわずかに動いた。
「謀反の嫌疑をかけて言いがかりをつけるか、あるいは家中の内紛を焚きつけるか。あらゆる手練手管を用いてあの二人を大坂から国許へ追い落とし、城内を手薄にさせる。そうして秀頼君の身柄を直接押さえた上で、己に刃向かう大名を『豊臣への謀反人』に仕立て上げて叩き潰していく腹づもりでござろう」
俺は真田の面々を一人ずつ見据え、言葉を重ねる。
「大坂方が内府殿のその揺さぶりをどう凌ぎきるか。二大老が城に留まり続けられるか否かこそが、天下の命運を分ける最大の分水嶺となりましょう」
「……なるほど。かつての太閤殿下と同じ手管で秀頼君を抱え込み、公儀を私物化して合戦の口実を作る。筋道が通っております。内府殿ならば、間違いなくそこまで描いて動きましょう」
低く感嘆の声を漏らし、膝を打って深く納得してみせたのは真田信繁だ。
三十路を迎えながらも天下の檜舞台ではいまだ何者でもない身でありながら、その双眸には隠しきれぬ才気と炯眼が宿っている。
俺の読み解いた盤面の冷徹さに、その鋭い瞳が揺れていた。
その隣で、本多忠勝殿の娘を正室に迎え、自ずと徳川寄りの立場にある信幸は、何も言わずにただ押し黙っていた。
表情を微塵も動かさず、杯を見つめたまま固まっている。
立場上、軽々しく同意も反論もできぬ苦渋がその沈黙に滲み出ていた。
一方、昌幸と出浦昌相の二人は違った。
昌幸が顎髭を撫でながら細めた目で視線を走らせると、出浦もまた畳に突き立てていた佩刀の柄から静かに力を抜き、無言のまま主君へ鋭い視線を返す。
互いに声こそ発しないものの、百戦錬磨の謀将と乱波の棟梁の間で、音もなく濃密な目配せが交わされた。
その双眸の奥に走った「ならば、その元凶たる内府の首を……」という危険すぎる光を、俺は見逃さなかった。
(あ、いかんいかん……! あれだけは絶対に制止しておかないと!)
手元には出浦昌相という凄腕の忍びの頭領がおり、昌幸自身も局面を一手で覆す奇策や権謀術数を何より好む男だ。
あわよくば再び乱世を呼び戻し、徳川の支配下にある甲斐・信濃を奪い返して旧武田領に覇を唱えたいという、途方もない野望の残り火を燻ぶらせているきらいがある。
その妄執に突き動かされ、盤面をひっくり返そうと短絡的な暗殺劇に打って出かねない危うさがあった。
石田三成狙撃の余波を間近で見てきたばかりの俺には、それがどれほど状況を加速させ、かえって徳川を利してしまうかが痛いほど分かっている。
俺は居住まいを正し、昌幸と出浦昌相の目をしっかりと見据え、声音に強い重みを含ませて釘を刺した。
「……ただし、ひとつだけ申し上げておく。もしこの情勢下において、徳川内府殿の暗殺などを企む者が居れば、それは逆効果にしかなりませぬぞ」
出浦の眉がぴくりと跳ねる。昌幸の瞳の奥がわずかに揺れた。
やはり図星か。
「豊臣家の大老首座への不当な襲撃は、かえって徳川方に大義名分を与えましょう。取り巻きの大名たちの同情を呼び、徳川内府殿を天下人に押し上げようとする気運が、逆に昂まってしまうことは必定にござる」
俺の放った言葉が、重く広間の空気に染み渡っていく。
出浦昌相は鞘を握る手の力をわずかに緩め、深く息を吸い込むと、静かに頭を下げてきた。
「……左京亮殿の慧眼、恐れ入った。肝に銘じておきましょう」
昌幸もまた、いつものふざけた笑みを引っ込め、真剣な面持ちで杯を飲み干す。
「ふむ……天下を動かすというのは、まことに一筋縄ではいかぬものよな。左京亮殿の申される通り、今は軽挙妄動を慎むべき時でござろうな」
真田の面々が企みの刃を収めたのを見届け、俺は胸を撫で下ろしながら、ぬるくなった酒に口をつける。
やれやれ、冷や汗をかかせてくれる。
だが、西海へ向かう前、打つべき予防線はひとまず張ることができたようだ。
(真田に対しては、特に策を講じる必要はあるまい)
俺は心の中でそっと独白する。
史実を知る俺から見れば、この真田という一族は、いかに天下が激動しようとも持ち前の謀略と武勇でしぶとく生き残る連中だ。
俺のような凡骨が小手先の差し出口を挟むなど余計なお世話に過ぎない。
それに、かつての上野沼田領を巡る因縁によって、真田家と徳川家の間には消せぬ遺恨が横たわっている。
本多忠勝殿の娘・稲を娶っている信幸だけは徳川方に残るにせよ、昌幸と信繁が徳川に心から靡くはずがない。
放っておいても彼らは反徳川の気脈を通じて動くだろう。
翌朝、真田屋敷での酒気を綺麗に抜いた俺と行栄は、正装に身を包んで大坂城へと登城した。
豊後大野七万石の加増と、大分七万石の代官職拝命に対するお礼言上、そして臼杵へと下向する暇乞いの挨拶のためである。
白木と金箔が眩いばかりに輝く本丸の奥御殿、上段の間。
御簾の奥に控えているのは、今年で満六歳を迎える豊臣の主君・秀頼公だ。
まだ幼子の面影を色濃く残しているものの、背筋をすっと伸ばして座す姿には、貴種として皆に傅かれた育ちの良さから生まれる上品な威厳が早くも漂っている。
そしてその隣には、後見として同席する母君・茶々姫の姿があった。
春先に五右衛門を引き合わせた折の涙に暮れる姿とは打って変わり、今日の間近で見るその佇まいは、いよいよ人外の艶やかさを放っている。
白磁の壺を思わせる肌は、内側から発光しているのではないかと思えるほどに瑞々しく、潤いまくっているのだ。
三十路を迎えた後家とは到底思えぬその若々しさと、全身から匂い立つような濃厚な色香に、平伏しながらも思わず息を呑みそうになる。
「……面をお上げなさい」
鈴を転がすような、涼やかで澄んだ茶々の美声が頭上から降ってきた。
俺と行栄がゆっくりと顔を上げると、茶々は切れ長の瞳をふわりと細め、どこか少女のような悪戯っぽい笑みを唇に浮かべて俺を見つめていた。
「遠路の九州下向、大儀でございます。秀頼も、左京亮の忠節をまことに頼もしく思っておるのですよ」
「ははっ、身に余る光栄に存じまする。秀頼君の御武運長久と豊臣家の盤石なる御代のため、西海の地にて骨身を惜しまず励む所存にござります」
形式通りの礼を述べる俺に、茶々は白魚のような指先で扇を口元に添え、くすりと可憐に微笑んだ。
その双眸が、得も言われぬ意味深な光を帯びて俺の顔をねっとりと撫で上げる。
「それにしても左京亮……。そなたが推挙してくれた台所番の打つ『餃子』というもの、あれはほんに美味しいものですね。皮の内に閉じ込められた熱き肉の汁が、ひと噛みごとに身体の奥底までじんわりと染み渡るようで……あれを幾度も腹いっぱいにいただくと、肌の潤いまで生き返るような心地がするのです」
(……そりゃあ、城の奥で五右衛門を喰い放題なんだから、肌も潤いまくるはずだ……)
俺は心の中で、彼女の言葉の裏にある真意をそっと噛み締める。
茶々にとっての「餃子」とは、かつて宇都宮城築城の折に俺が再現して流行らせた、あの名物料理の味そのものだけではない。
三月に俺の手引きで大坂城の台所番として潜り込ませた、かつての恋人・石川五右衛門との、骨の髄まで溶け合うような熱烈な交わりそのものの暗喩なのだ。
秀頼を産み落としてからというもの、老いさらばえて閨の営みなど望むべくもなかった秀吉のもとで、二十代半ばの盛りのついた躰に溜まりに溜まっていた性的欲求不満。
それが今、愛する男を身近に置き、夜な夜な情欲を満たし尽くしているのである。
女盛りの躰が内側から歓喜の艶を放つのも当然であった。
だが、さすがに度が過ぎれば取り返しのつかない事態を招きかねない。
俺は平伏の姿勢を保ちつつ、表情を微かに引き締め、言葉の端に強い忠告を含ませて口を開いた。
「……茶々様のお口に合い、何よりの誉れにございます。されど、いかに美味なるものとはいえ、あまり度を越して食べ過ぎますとお腹を壊しませぬよう……くれぐれもご自愛専一にお過ごしくださりませ」
(これ以上やり過ぎて孕みでもしたら、どう天下に申し開きするつもりだ。いい加減に自重しろよ)という当然の釘刺しである。
天下が徳川と石田の間で一触即発のこの非常時に、秀吉の死後に茶々が懐妊などしてみろ。
二階堂家もろとも天下がひっくり返る大不祥事になる。
しかし、俺の痛烈な牽制を前にしても、茶々は少しも動じる風はなかった。
それどころか、小首をかしげて困ったように眉尻を下げ、少女のようにはにかんだ笑みを浮かべる。
「ふふっ、左京亮にそう言われましても……あのように美味しゅうて滋養に満ちたもの、一度食べ始めると、どうしても箸が止められぬのですよ」
(妊娠上等、受けて立つわ)と言わんばかりの開き直りである。
愛する男との悦楽に溺れきった女の無敵さに、思わず目眩がしそうになる。
と、その時、茶々の脇に控えていた老女・大蔵卿局が、すっと柔らかな声音で助け舟を出してきた。
「ほんに……このままでは食べ過ぎで、近いうちにきっと姫様のお腹が丸々と膨れてしまいますね。ほほほ」
穏やかに笑いながら放たれたその言葉の裏には、(万が一やや子を身籠もったとて、この大蔵卿が奥の権勢にかけて隠し通してみせますゆえ、ご安心を)という揺るぎない覚悟とフォローが込められていた。
(……やれやれ、困ったものだ……)
秀吉亡き後の大坂城の奥御殿は、主の女狐と古参の老女が完全に結託して無法地帯と化している。
俺は思わず顔を顰め、苦い表情を噛み殺すしかなかった。
そんな大人たちの水面下の壮絶な腹芸など知る由もなく、隣の秀頼がぱっと目を輝かせ、無邪気に膝を乗り出してきた。
「母上、秀頼もぎょうざは好きでござりまするっ! 外はかりかりとして、中は肉の汁がじゅわっと溢れて、いくらでも食べられまする!」
秀頼が語っているのは、文字通りの正真正銘の「焼き餃子」だ。
その幼気な声を聞いた瞬間、茶々の瞳がふわりと慈愛に満ちた優しい光を宿した。
秀頼にとってはただの美味い城の料理に過ぎない。
しかし、その餃子を手ずから焼いて膳に運んでいるのは、本当の父親である石川五右衛門その人なのだ。
真実の父とは露知らずとも、その父が真心を込めて作った餃子を、我が子が「好きだ」と満面の笑みで頬張ってくれる。
血の繋がった親子の絆を感じ取った茶々は、一人の母親としてたまらなく愛おしく、誇らしい想いに胸を震わせているのだろう。
その表情が、とろけるように崩れた。
「まあ、ほほほほほ! そうか、秀頼もぎょうざは好きか。左京亮、秀頼にはぎょうざをたくさん食べて、すくすくと大きく育ってもらわねばなりませぬ。ゆえに……あの台所番は、当分のあいだ二階堂へは返しませんからね」
「ははっ、秀頼君の御為とならば、幾月でもお召し使いくだされ」
上機嫌に笑い声を立てる茶々と、嬉しそうに頷く秀頼。
完全に五右衛門を囲い込んで満ち足りた茶々の言葉に、俺は恭しく頭を下げた。
そのやり取りが一区切りついたところで、茶々の脇に控えていた大蔵卿局が、改まった様子で広間に通る声を響かせた。
「時に左京亮様。過日お話しくだされた『古今伝授』の件にございますが、八条宮智仁親王殿下、ならびに三条西実条様への相伝の手筈は、つつがなく進んでおりまする。豊臣家から朝廷へ口添えし、細川幽斎殿にもしかと講釈の準備を進めさせておりますゆえ」
「おお、それは重畳にございます。茶々姫様、格別のお取り計らいをいただき恐悦至極に存じまする」
俺は深く平伏した。
歌道の奥義相伝を急がせるため、朝廷や公家衆の懐へ豊臣の蔵から相当な額の金銀が惜しげもなく注ぎ込まれた気配が、その口ぶりから十分に窺える。
我が二階堂家と三条西家は、足利幕府の昔から細く長く交流を保ってきた間柄だ。かつて慶長伏見地震の前、過去の震災記録を調べる折にも、三条西家に頼み込んで貴重な『実隆公記』を見せてもらった経緯がある。古くからのよしみを保つ家同士、歌道の奥義がしかるべき筋へ受け継がれる道筋を後押しできたのは何よりであった。
そして何より、これで関ヶ原の前哨戦たる田辺城において、朝廷の勅命による横槍が入る余地を前倒しで削ぎ落とせる。
「道中、くれぐれもお気をつけてな、左京亮」
茶々が柔らかく微笑み、秀頼もまた幼い手を行儀よく膝に揃えて見送ってくれる。
拝謁を滞りなく終え、俺と行栄は晴れやかな面持ちで上段の間を辞した。
だが、大坂城を出てそのまま九州へ下るわけにはいかない。
次に向かうべきは、昨日の真田屋敷での談義でも名が挙がった、大老のひとり——宇喜多秀家の屋敷であった。
大坂城を出た俺と行栄は、その足でほど近い玉造の宇喜多中納言秀家の大坂屋敷へと向かった。
門をくぐり広大な敷地へと足を踏み入れると、屋敷の奥から幾重にも重なる鋭い鳥の啼き声と、力強く羽ばたく羽音が風に乗って聞こえてくる。
宇喜多秀家は天下に知られた無類の鷹好きだ。
諸大名から贈られたり各地から買い集めたりした名鷹を、屋敷の鷹部屋で百羽以上も飼いならしているという。
この騒がしさはその壮観な趣味の証であった。
通された書院の上段には、今年で二十七歳を迎える五大老のひとり、宇喜多秀家が端座していた。
すらりとした長身に、整った涼やかな目鼻立ち。
太閤秀吉の養子同然に寵愛されて育った男ならではの、どこか貴族めいた優美さと気品を全身から漂わせている。
そしてその脇には、宇喜多家の筆頭家老である長船紀伊守綱直が控えていた。
今年で四十一歳になる実務派の重鎮だ。
(……長船綱直。史実では家中分裂の引き金となって早々に病死だか毒殺だかで世を去るはずだが、まだ生きていたか)
俺は心の中でそっと息を呑みながら平伏した。
宇喜多秀家とは、かつて豊臣秀次殿の付家老を務めていた頃から幾度となく顔を合わせ、先の慶長の役でも共に海を渡って陣を共にした間柄である。
秀家も俺に対しては旧知の親しみを持っているようだった。
「左京亮、此度は豊後大野七万石の加増に代官職の拝命、まことにめでたい。蔚山城の戦いの評定のやり直しについては、徳川内府殿の言にも一理あったゆえ儂も同意したまでだが……其方の働きがようやく報われたのなら、何よりであったな。国許の臼杵へ下向する前の暇乞いに、わざわざ立ち寄ってくれたのか」
鷹揚に微笑む秀家の物腰からは、領地加増の礼と九州への挨拶のために会いに来たのだろう、という気楽な受け止めが見て取れた。
俺は頭を上げ、供の者に合図を送る。
「ははっ、過日の公儀の評定における宇喜多様の温情、深く御礼申し上げまする。……本日は西海へ旅立つ前に、宇喜多様へどうしても献上したき品がございまして持参いたしました」
連れてこられた鷹匠が、腕にとまらせた一羽の鷹を差し出す。
奥州の峻険な山々で捕らえられた見事な大鷹だ。
引き締まった体躯、鋭い眼光、鋼のように頑強な嘴と爪。
一目で並の鷹ではないと分かる名鳥であった。
それを見た瞬間、秀家の双眸が爛々と輝いた。
百羽以上を飼い慣らす目利きの血が騒いだのだろう、身を乗り出して息を呑む。
「おお……! これは見事な奥州鷹じゃな! 羽並みといい眼つきといい、天下一円探してもそうはお目にかかれぬ逸品ぞ。左京亮、大義である!」
心底嬉しそうに上機嫌な笑みを浮かべる秀家に、俺は居住まいを正し、静かに声の調子を落とした。
「……宇喜多様。此度、参上いたしましたのは他でもございませぬ。上方を離れるにあたり、宇喜多様に是非ともご進言したき儀、これあり」
「なんじゃ、あらたまって」
上機嫌のまま、秀家は鷹から視線を戻して不思議そうに小首を傾げた。
俺は正面から秀家を見据え、口を開く。
「徳川内府様が三奉行を追い払い、伏見城へ入られました」
改めて突きつけた政局の現実に、しかし秀家は鼻を鳴らし、ひどく軽々しい調子で返してきた。
「うむ、それがどうかしたか。あの三人は何かと口やかましく、煩わしい連中であったからな。内府殿が遠ざけたいと思うのも無理はあるまいよ」
秀吉の権威を盾に諸大名へ厳格な統制を強いてきた奉行衆に対し、大名たちの反発は根強い。
秀家にとっても、奉行の失脚は「目障りな小役人が消えた」程度にしか映っていないのだ。
俺は眉を寄せ、声を一段低くした。
「内府様は今後、秀頼様のお側に侍るお二人……前田肥前守(利長)様と、宇喜多様を幼君の側から引き離そうと、様々な甘言や圧力を掛けて参りましょう。それらに抗い、豊臣の公儀を守るためにも……是非、今のうちに宇喜多様の家中の問題を解決しておいていただきたいのです」
その言葉に、秀家の整った眉がぴくりと跳ね上がった。
「我が秀頼君のそばに侍るのは、亡き太閤殿下直々のご遺言に従ってのこと。いくら内府とて口を挟める筋合いではあるまい」
太閤の寵愛とその遺言の重みを信じ切っている秀家の声に、不快の色が混じる。
さらに秀家は目を細め、怪訝そうに俺を睨みつけてきた。
「それに、家中の問題とは何のことだ? 我が宇喜多家に何ら問題などないわ」
大名の当主にとって、他家の者に家中の内情を嗅ぎつけられるのは耐え難い恥辱だ。
秀家はあからさまに知らぬ顔を決め込んでいる。
だが、その背後に控える長船綱直の顔色は一変していた。
苦虫を噛み潰したように顔を歪め、にがり切った表情で俯いている。
俺は秀家の虚勢に怯むことなく、淡々と言葉を重ねた。
「……林檎の入った箱に腐った林檎を一つ入れておくと、箱の中の林檎はすぐに全て腐ってしまうと申します」
「……何?」
「今は亡き御父君、宇喜多直家様であれば、腐った林檎など即時に斬り捨てられたはず。家中を一つにまとめ、天下の荒波を乗り切るには、綺麗事だけでは済ませられませぬぞ」
山陰山陽の三大謀将のひとりに数えられ、裏切りと暗殺を尽くして戦国を這い上がった秀家の実父・宇喜多直家。
その血塗られた父の名を出された瞬間、秀家のプライドが激しく逆撫でされた。
貴公子然とした面の皮が剥がれ、青筋を浮かべて声を荒らげる。
「左京亮! そなた、我が宇喜多家中に腐った林檎が居ると申すか! それは誰ぞ!」
激昂して身を乗り出す秀家に対し、俺はただ静かに、冷ややかな声音を響かせた。
「はて……亡き直家殿の弟であられた宇喜多忠家殿は、いつ兄に暗殺されるかと恐れ慄き、平時より肌身離さず鎖帷子を着込んでいたとか。……果たしてその忠家殿の息子である詮家殿は今、鎖帷子を日々着込んでおられるのやらどうやら」
書院に、凍りつくような沈黙が落ちた。
(お前は従兄の詮家に完全に舐められているんだよ、秀家殿)
声に出さず、眼光だけでその事実を突きつける。
宇喜多家の政務を一手に引き受ける筆頭家老・長船綱直に対し、不満を募らせる戸川達安、岡貞綱、花房正成といった譜代の武断派重臣たち。
その反乱分子の背後で糸を引き、秀家を軽んじて家中を牛耳ろうと画策している元凶こそが、従兄の宇喜多詮家なのだ。
父の代には兄に怯えて鎖帷子を着ていた分家の血筋が、今や当主である秀家を侮り、家を根底から揺るがそうとしている。
秀家はわななき、言葉を失ったまま俺を凝視していた。
その衝撃と動揺が部屋中に満ちる中、俺は最後に、苦渋に顔を歪めて押し黙っていた長船綱直へとすっと視線を転じた。
「……長船殿。そなたは、鎖帷子を着込んでおかなくて大丈夫か?」
俺の低く鋭い問いかけに、長船綱直の肩がびくりと跳ね上がった。
(このまま手をこまねいていれば、お前はいずれ毒殺されて終わりだぞ。殺られる前に、先に詮家を始末しろ)
言葉にこそ出さないが、込めた意図はそれしかない。
史実において、長船綱直はこの年の暮れに急死し、それを機に家中騒動は一気に火を吹いて宇喜多家の屋台骨をへし折ることになる。
暗殺であれ病死であれ、この男が後手に回り、政争に敗れる運命にあることは分かりきっていた。
生き残りたければ、先手を打って相手の息の根を止める以外に道はないのだ。
青ざめた顔で冷や汗を流す長船綱直の瞳の奥に、怯えを塗りつぶすような暗い火が灯るのを、俺は見逃さなかった。
毒を以て毒を制す。
宇喜多家の血で血を洗う権力闘争に俺が投げ込んだ一滴の劇薬は、果たしてこの歪な家中に、いかなる破滅と変革をもたらすのか。
凍りついた広間に鋭い鷹の啼き声が響き渡る中、俺は静かに頭を下げ、宇喜多屋敷を辞すべく席を立った。
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