1599-4 台所
<1599年 3月上旬>
伊達政宗が愛姫と五郎八姫を伴い、絢爛豪華な隊列を組んで仙台へと帰国した一件。
人質を無断で国許へ帰した徳川内府の専断に対し、大坂の石田治部らは当初こそ激昂したものの、俺の読み通り事態が武力衝突へとエスカレートすることはなかった。
下手に徳川家康を糾弾して追い詰めれば、東国に三百六十万石の大領を擁する伊達政宗が、徳川方に完全に合流してしまう。
それを恐れた大坂方は、四大老五奉行の合意を大急ぎで取りつけ、公儀の名において愛姫らの帰国を正式に「追認」する形をとったのだ。
伏見と大坂が互いに兵を募って威嚇し合うような最悪の破局はひとまず回避され、水面下での手打ちが行われた。
そして、その手打ちの延長線上で持ち上がったのが、唐入りの過酷な撤退戦において殿軍を務め、特大の武功を挙げた島津家への恩賞問題であった。
本来であれば、亡き太閤秀吉の遺言により、文禄・慶長の役における戦功への恩賞は、秀頼君が成人するまで一切据え置かれるのが原則である。
しかし、泗川の戦いや光陽湾海戦で孤軍奮闘した島津の軍功は、誰の目にも別格であった。
わずかばかりの恩賞すら与えられねば、家中がどれほど荒れ狂うか分かったものではない——そう危機感を募らせた島津家の筆頭家老・伊集院忠棟が、取次役の石田三成に泣きついたのが発端であった。
島津家を懐柔して味方に引き入れたい石田三成は、「島津家のみ特例として先に恩賞を与えるべし」と提案。
これに対し、同じく西国の雄である島津に恩を売っておきたい徳川家康も、渡りに船とばかりに快くこの案に乗った。
大坂と伏見の利害が珍しく一致した瞬間であった。
慶長四年二月五日、五大老五奉行の連名により、島津家へ五万石の加増が言い渡される。
文禄年間の太閤検地によって確定していた島津領の表高は約五十七万石。
その内訳は、義久分十万石、義弘分十万石、伊集院忠棟分八万石、家臣団分二十六万六千石、太閤蔵入地や寺社領などの端数で構成され、家中は著しく分断されていた。
此度の加増では、その島津領内に置かれていた豊臣家の蔵入地などを整理・編入する形で五万石が上乗せされ、島津家の総石高は公称約六十二万石へと拡大されたのだ。
合わせて朝廷への奏請も行われ、島津義弘が参議、嫡男の島津忠恒が左近衛少将、そして島津豊久が中務大輔へとそれぞれ叙任された。
加増の領地が足りなければ官位を惜しげもなくばら撒くことで、島津家の不満を力づくで抑え込もうという政略であった。
この加増と官位の叙任を受け、続く慶長四年二月二十日、伏見の島津屋敷にて厳かな儀式が執り行われる。
伏見に滞在する島津忠恒のもとへ、国許の薩摩にいる伯父・島津義久から、島津家代々の重宝である「時雨の軍旗」が届けられたのだ。
「時雨の軍旗」とは、かつて南北朝の昔、南朝方として奮戦した島津家五代当主・島津貞久が後醍醐天皇より直々に賜ったと伝わる、島津宗家にとって最大の象徴たる家宝である。
黒地に白くくっきりと丸に十の字が描かれたその旗は、戦場において雨風を呼び、敵の目を眩ませて島津に必ずや勝利をもたらすと畏怖されてきた。
すなわち、単なる合戦の旗印ではなく、これを持つ者こそが「薩摩・大隅・日向三州を統べる島津宗家の正統なる総帥」たる証そのものであった。
かつて文禄の役の直後、太閤秀吉によって義弘が独断で島津家十七代当主として公認されて以来、国許で隠然たる実権を握り続ける先代・義久派と、中央の豊臣政権と結びついた義弘派との間で、島津家中には長年にわたり歪な二重権力構造が燻り続けていた。
しかし、この由緒正しき軍旗が義久手ずから伏見の忠恒へ正式に引き渡されたことによって、忠恒が名実ともに島津宗家の家督を継承し、次代の頂点に立つことが内外へ向けて明確に示されたのであった。
<1599年 3月中旬>
京洛の町並みには春の陽光が柔らかく降り注いでいる。
鴨川の堤や寺社の境内では早咲きの桜がほころび始め、ほのかに色づいた薄紅の花弁が、時折吹き抜ける春風に揺れている。
太閤秀吉亡き後の不穏な政情に怯える京雀たちも、この花咲く季節ばかりは浮き立ち、行き交う人々の足取りにはどこか華やいだ空気が漂っていた。
そんな春爛漫の昼下がり、京伏見の二階堂屋敷に、待ちに待った男が一人でふらりと姿を現した。
「石川五右衛門、只今参上仕った」
久方ぶりに顔を合わせた天下の大泥棒は、相変わらず飄々とした態度でニヤリと笑った。
宇都宮での吉乃の出産と養生を無事に見届けた後、主命に応じて京まで駆けつけてくれたのだ。
無事に呼び寄せることが出来た安堵と共に、これで茶々姫からの「餃子ミッション」をクリアし、俺の隠居への道が開けると密かにほくそ笑む。
奥の間に通すと、石川五右衛門は無駄のない身のこなしでどっかりと腰を下ろし、上座の俺の隣に座る吉次、そして行栄に向かって頭を下げた。
俺と吉次の間に生まれたのは、長女の吉乃、三男の行久、そしてこの四男の行栄だ。
石川五右衛門は吉乃を娶った男であり、吉次にとっては正真正銘の「婿」、行栄にとっては「義兄」にあたる。
石川五右衛門とこうして直に顔を合わせるのは、実に六年ぶりとなる。
文禄二年(一五九三年)の年明け、大政所の葬儀の最中に名護屋の茶々姫の懐妊が発覚したあの夜。
吉乃との間に生まれたばかりの五郎市を連れ、関東の宇都宮へ下るよう命じて以来の再会だ。
そもそも、吉乃がこの石川五右衛門と結ばれた経緯からして尋常ではない。
元はといえば、柴田勝家に仕える忍びだった石川五右衛門が餅屋の若旦那に扮し、京の奥州屋を切り盛りする吉乃に近づいたのが始まりだ。
吉乃はあっさりとその正体を見破ると、あろうことか柴田忍軍の残党を丸ごと奥州屋の諜報員として雇い入れ、ライバル商家を襲わせていたのである。
それどころか「そうしないと、あの女(茶々)に勝てないから」と南蛮の媚薬まで使ってやや子まで身籠もり、既成事実を作って石川五右衛門を自分の男にしていた。
責任を取らせるため士分に取り立て、吉乃と祝言を上げさせた上で近江へ押し込めた際、吉次は当の吉乃が喜ぶ姿を見て「これじゃあの子の罰にならないわ!」と激怒していた。
だが、今ではその吉次も、石川五右衛門を頼もしい娘婿として受け入れてしまっている。
「お袋さん、久しぶりだな。宇都宮から戻ってきたぜ」
煙管を弄びながらニヤリと笑う石川五右衛門の男臭い態度に、吉次は呆れつつもふわりと微笑んだ。
「相変わらずね、五右衛門殿。よく来てくれました。……それで、一月に無事に女子を産んだと便りは届いたけれど、吉乃や赤子の肥立ちは順調なの?」
「ああ、心配いらねえよ。吉乃も産まれたばかりの赤ん坊もピンピンしてやがる。『京へ行くなら、父上とお袋さんによろしく伝えといてくれ』って言付けを預かってきた。ちなみに赤ん坊の名は瞳子と名付けた。どこかお袋さん似の顔立ちでな、すくすく育ちそうだ」
豪快に笑い飛ばす石川五右衛門に、吉次は胸を撫で下ろして目を細めている。
「まあ、瞳子ですか。良い名ね。上の子たちも変わりはない?」
「おう。九つになる五郎市も、五つの泪子も、吉乃の傍で元気に飛び回ってるさ。特に五郎市なんか、俺が発つ時に『母上と妹たちのことは、この俺が守る!』なんて胸張って息巻いてやがった。なかなか頼もしい男子に育ってきてるぜ」
不敵に口元を歪めながらも、父親としての情を隠そうともしない石川五右衛門の様子が見て取れる。
「俺がいなくなっても、留守の心配なんざこれっぽっちもしてねえよ。宇都宮の盛隆様が何かと目を配ってくれてるし、佐野の行久殿もしょっちゅう屋敷に顔を出しては面倒を見てくれてる。心強いねぇ」
そこで石川五右衛門はふと視線を転じ、静かに控えていた行栄に向き直った。
「そうそう、栄丸。送ってくれた朝鮮人参、ありがとな。吉乃のやつ、えらく喜んで煎じて飲んでたぜ。おかげで目に見えて気力を取り戻しやがった。俺からも礼を言う」
今年で十八歳となり、朝鮮の渡海を経験して一端の武将の風格を漂わせる行栄は、石川五右衛門の言葉を受けて落ち着いた調子で頷いた。
「五右衛門兄上、礼などには及びません。異国の地から持ち帰った薬草が、姉上のお役に立ったのであれば何よりです。宇都宮の冬の寒さは厳しきものゆえ案じておりましたが、母子ともに息災と聞き、安心いたしました」
「吉乃も『過酷な戦場で手柄を立てて無事に戻ってきてくれた。さすが私の弟だ』って、鼻高々に喜んでたぜ」
石川五右衛門が牙を剥くようなワイルドな笑みで肩を叩くと、行栄も嬉しそうに頷いている。
天正十九年から二十年にかけてのわずか二年足らずの間だが、まだ幼く栄丸と呼ばれていた頃、行栄はこの屋敷で石川五右衛門と顔を合わせていた。
屋敷の梁を疾風のように駆け抜け、摩訶不思議な忍びの技を軽々と見せてくれた義兄の背中を、幼い行栄は憧れの眼差しで見つめていたものだ。
身内の挨拶が一通り済んだところで、吉次と行栄を下がらせ、俺は真面目な顔を作って石川五右衛門に本題を切り出した。
「で、五右衛門。此度の任務……大坂の茶々のもとへ赴くことについて、吉乃は結局納得してくれたのか?」
かつて吉乃は、茶々に対して剥き出しの敵愾心と対抗心を燃やしていた。
俺が名護屋へ石川五右衛門を走らせた折にも「父さまは絶対に後悔する!」と怒鳴り込んできたほどである。
夫を再びあの女のいる大坂城へ送り込むなど、素直に首を縦に振るとは思えなかった。
だが俺の問いに、石川五右衛門は可笑しそうに鼻を鳴らす。
「ああ、それかい。吉乃が云うにはな、『今は一手でも間違えると二階堂の百万石が吹っ飛ぶ非常にヤバい状況なのよ。だから四の五の言わずに上方へ行って、父様の指図に従いなさい』……だとさ」
肩を竦めて嘯く石川五右衛門の台詞に、俺は思わず感嘆の息を漏らした。
さすがは我が娘、遠く関東の宇都宮にあって、日ノ本の情勢を実によく見極めておる。
太閤秀吉亡き後、天下のパワーバランスが崩れゆく今、二階堂家が生き残るためにはどんな手でも使わねばならない。
大局を見てくれたらしい。
その夜。
静まり返った二階堂屋敷の庭先に、音もなく異様な気配が満ちた。
月明かりに照らされた庭園の木々や庭石の影から、忽然と八人の男女が姿を現し、縁側に立つ俺と五右衛門の前に整然と跪いた。
五右衛門は満足げに顎をしゃくり、煙管をくゆらせる。
「集めた風魔の中から、特に使い勝手のいい奴らを選りすぐって密かに上洛させた。陽・金・火・木・月・風・水・土の八門を極めた精鋭、人呼んで『風魔八卦衆』だ」
八人は無言のまま、深々と頭を垂れている。
若武者風の青年、典雅な優男、深編笠の僧、巫女装束のくノ一、艶やかな花魁、小柄な少年、痩せ細った老翁、そして筋骨隆々の大男。
いずれも一癖も二癖もありそうな面々だが、無駄口を一切叩かず、完全に気配を押し殺している様はさすがに一流の忍び集団であった。
「五右衛門、大坂城への潜入の手筈だが……お前には俺の推挙という形で、二階堂家から派遣された宇都宮出身の台所番として入ってもらう。だが、城内の警戒は厳重だ。俺や伏見に残る他の八卦衆との連絡役として、お前の弟子という名目で一人連れていく必要がある」
俺がそう告げると、五右衛門は八人の頭上へ視線を巡らせ、迷うことなく最前列に控える八卦衆筆頭の若武者風の青年を指差した。
「なら、あいつを連れていこうか。【陽門】の御影だ。腕が立つのはもちろん、身のこなしが綺麗で表の場に出しても怪しまれねえ。俺の『弟子』として横に置くには一番誂え向きだ」
指名された御影は、静かに顔を上げると、無言のまま胸元に手を当てて深く一礼してみせた。
「決まりだな。御影以外の七人は、大坂と伏見の各所に潜伏し、徳川や五奉行の動きを探れ」
俺の命に、八卦衆は声を発することなく一斉に平伏し、次の瞬間には風が吹き抜けるように闇の中へと散っていった。
これほど手練れの駒が揃えば、上方での暗闘も十分に渡り合える。
俺は五右衛門と顔を見合わせ、大坂城潜入の手筈を最終確認したのだった。
<1599年 3月下旬>
慶長四年二月二十五日。
石川五右衛門と風魔八卦衆の一人、陽門の御影を伴い、護衛を引き連れて大坂城へと向かう。
名目は至極もっともらしいものである。
茶々姫から「宇都宮の美味いと噂の餃子を食べたいゆえ、手配せよ」と直々に仰せつかっていた件の履行だ。
だが、そんなものは表向きの口実に過ぎない。
茶々姫が真に求めていたのは餃子などではなく、その裏に隠された真意——「愛しい石川五右衛門を宇都宮から呼び戻せ」という強烈な要求であった。
かつて柴田勝家に仕える忍衆であった石川五右衛門は、浅井三姉妹の護衛役を務めていた。
その若き頃から、茶々姫と石川五右衛門は人目を忍ぶ恋仲だったらしい。
夭折した鶴松も、そして天下の継嗣たる豊臣秀頼も、その真の父親はこの石川五右衛門なのだ。
太閤秀吉が世を去った今、茶々姫はようやく耐え忍ぶ頸木から解き放たれ、我が子の実父である男を大坂城の奥殿へ引き入れようと手を伸ばしてきたというわけだ。
表向きの石川五右衛門は「宇都宮の珍しい料理の腕を振るう二階堂家の台所番」だ。
そして御影はその「弟子」という完璧なカバーストーリーを用意してある。
御影は正統派の忍び装束が似合う清廉な青年だが、今回は白布の前掛けをきっちり締め、調理道具や食材の荷を抱えた真面目な料理人見習いの姿に徹して無言で付き従っていた。
伏見の港から淀川を舟で下り、春の陽光を浴びながら大坂の地に降り立った俺たちの前に姿を現したのは、まさに日ノ本の富と権力を一身に集めた巨城——大坂城であった。
見上げるばかりの威容を誇る外堀と内堀には、淀川の水をなみなみと湛えた深い水の手が幾重にも張り巡らされている。
水面から天を衝くようにそそり立つ切込接の石垣は、諸大名が競い合って運び込ませた巨石が寸分の隙もなく噛み合わされ、蟻の這い出る隙間すら許さない。
幾重にも重なる巨大な枡形虎口と、厳重な鉄扉を備えた多門櫓を抜けるたび、その圧倒的な防御力に息を呑まされる。
そして本丸の中央に聳え立つ五重八階の大天守は、黒漆塗りの壁に燦然と輝く金箔瓦と黄金の鯱をいただき、春の陽光を照り返して眩いばかりの光を放っていた。
太閤秀吉が天下に誇示したこの難攻不落の巨城は、主亡き今もなお、豊臣の威光そのものとしてそこに君臨している。
城内を行き交う警護の武者たちの足音、物資を運ぶ商人たちのざわめき、そのすべてが伏見とは桁違いの熱量と重圧を放っていた。
五右衛門はいつもの軽薄さを完全に消し去り、天守の奥をじっと見つめていた。
その横顔には、かつて命懸けで守り抜いた女と、我が子が待つ場所へ向かう男の、張り詰めた覚悟が宿っている。
その隣で、弟子として荷を背負った御影もまた、無言のまま周囲の気配を静かに探っていた。
天下の巨城の中枢に、今や俺の手引きで、豊臣秀頼の「真の父親」が公然と足を踏み入れようとしているのだ。
俺は表情を引き締め、ふたりを振り返った。
「行くぞ、五右衛門、御影。そなたらはあくまで宇都宮から召し出した台所番とその弟子だ。くれぐれも粗相のないようにな」
「……ああ、わかってる」
低く、真剣な声音で短く応じた五右衛門と、無言で深々と一礼する御影を引き連れ、俺はいよいよ茶々の待つ大坂城の奥殿へと歩みを進める。
城門を警護する城番に名乗りを上げ、片桐且元への取次を頼み出た。
ほどなくして現れた片桐且元は、豊臣秀頼の傅役として多忙を極める身でありながら、俺の来訪を丁重に迎えてくれた。
そして俺の背後に控える台所番姿の石川五右衛門と御影の姿を見るなり、その表情をぱっと明るく輝かせた。
「おお……! 左京亮様、この者たちが茶々様所望の餃子職人たちですな!」
日頃の苦労が吹き飛んだかのように喜び湧き立つ片桐且元の様子に、俺は苦笑を交えて声をかける。
「いかにも。これで東市正殿の胃の痛みも治りましょう」
「ははは、違いない! 連日のように茶々様から『宇都宮の餃子はまだか』と急かされておりましてな、ようやく胸を撫で下ろせますぞ」
片桐且元は声を上げて笑い、心底安堵した様子で奥殿への調整に走ってくれた。
俺たちは案内された控室にて、茶々姫との接見までの時間を静かに待つこととなった。
やがて手配が整い、且元の先導で大坂城の奥殿、茶々姫の居住区へと向かう。
金箔の襖絵が連なる豪奢な長廊下を進んでいると、書類を抱えた数名の右筆を引き連れた男が、向こうから足早で歩いてくる。
石田治部少輔三成である。
「左京亮殿? なぜここに居られる。本日は何の用で大坂まで足を運ばれたのかな」
石田三成は足を止め、鋭い眼光をこちらへ向けて呼び止めてきた。
伏見にいるはずの俺がなぜ大坂城に居て、供を連れて奥殿に向かおうとしているのか、怪しんでいる様子がありありと見て取れる。
その視線が、俺の背後に控える石川五右衛門と御影の姿を一瞥した。
「昨年末、伏見城にて茶々様より直々に所望された件を覚えておいででしょう。宇都宮の餃子を食べたいと仰せつかった件でござる。国元から腕利きの料理人とその弟子を手配させ、こうして連れてまいった次第にございます」
俺は眉一つ動かさず、堂々と応じる。
石田三成もあの日、豊臣秀頼への拝謁の席に同席している。
茶々姫が宇都宮の話題で食い下がり、最後に餃子を届けよと無理難題を突きつけてきた場に居合わせた当事者である。
俺の言葉に、石田三成は「ああ、あの件か」と得心がいったように表情を緩め、ふっと口元を綻ばせた。
「左京亮殿の推挙する料理人ならば安心でしょう。かつて聚楽第にて見せられた手際の良さは、今も鮮明に覚えておりますぞ。ましてや今の大坂城の台所には、他人の腕前を妬む輩は居りませぬ。茶々様のために存分に腕を振るっていただきたい」
文禄元年、聚楽第の饗応において伝統に固執してサボタージュを企て、俺の足を引っ張ろうとした料理人頭の大角与左衛門。
あの偏屈な男を目付役としてきっぱりと断罪し、早々に追放処分を下してくれたのは他ならぬこの石田三成であった。
今の台所が清廉であることに、彼なりの自負があるのだろう。
「治部少輔殿にそう言っていただけると心強い限りです」
俺が会釈を返すと、石田三成は供回りを下がらせ、すっと俺に顔を寄せて他に聞かれぬよう密やかに耳打ちしてきた。
「時に、左京亮殿。島津の件だが……伊集院幸侃(忠棟)殿には、貴殿の懸念をしかと伝えておいた。万事抜かりなく手配しておるゆえ、貴殿が心配するようなことは決しておきまい」
その囁きを聞き、俺は胸の内で小さく息を吐いた。
史実において起こるはずだった、島津忠恒による宿老・伊集院忠棟の暗殺事件。
あの大惨事を未然に防ぎ、島津家中の内紛を回避できそうだとわかり、まずは一安心といったところだ。
「それは重畳。治部少輔殿のお取り計らい、感謝いたします」
俺が再び礼を述べると、石田三成は満足げに頷き、政務に戻るべく足早に去っていった。
再び片桐且元の案内で廊下を進み、厳重に閉ざされた奥殿の広間へと通される。
人払いがなされた静寂の広間にて、俺が前に座り、石川五右衛門と御影のふたりはその斜め後ろに平伏して控えた。
やがて衣擦れの音が響き、大蔵卿局を従えた茶々姫が上座へと入ってきた気配が伝わってくる。
重苦しい沈黙の中、上座から声が掛かった。
「……面を上げよ」
その声は、微かに震えているように聞こえた。
俺が顔を上げると、上座に座す茶々姫の瞳は、俺の姿など完全に素通りしていた。
茶々姫の潤んだ眼差しは、俺の右斜め後ろ——平伏から面を上げているであろう石川五右衛門の姿ただ一点へと真っ直ぐに向けられている。
ふたりが直に顔を合わせるのは、文禄二年、大政所危篤の報で秀吉が慌てて大坂へ舞い戻り、茶々姫が名護屋城に置き去りにされた一夜以来のはずだ。
実に六年ぶりの対面である。
豊臣家の頂点に立つ貴婦人の厳格な仮面は、見る影もなく崩れていた。
茶々姫はまるで幼い少女のような顔になり、大粒の涙をポロポロと畳へ零し始める。
後ろを振り返るわけにはいかないが、背後から伝わってくる張り詰めた気配から、五右衛門もまた言葉を失い、喉を詰まらせて見つめ返しているであろうことが痛いほど伝わってきた。
ふたりの間に流れる濃密な空気と沈黙に耐えかねたのか、傍らの大蔵卿局が小さく咳払いをし、助け舟を出すように口を開いた。
「……左京亮様。このたびのお働き、誠に見事でございました。お約束どおり、左京亮様の隠居差し止めの儀は撤回といたしましょう。また、それとは別に、左京亮様がお望みになられる褒美を何なりとお申し付けくだされませ。如何ようにも取り計らいましょう」
大蔵卿局の申し出に、俺は少しの間、思案を巡らせた。
そして、静かに切り出した。
「秀頼君の御保母を務められております阿福殿に、さらなるお引き立てとご温情を賜りたく存じます。……さらに、阿福殿の母方の実家である三条西家の現当主・三条西実条殿への『古今伝授』の返し伝授、および八条宮智仁親王殿下への伝授が一日も早く進みますよう、豊臣家の肝煎りとして、朝廷や細川家に働きかけてはいただけますまいか」
「……は? 古今伝授、でございますか?」
大蔵卿局はあからさまに目を丸くし、困惑の表情を浮かべた。
武士が所望する褒美として領地や官位ではなく、朝廷の歌道の相伝を持ち出してくるなど、意図が皆目掴めないのも当然だろう。
俺は至極もっともらしい顔を作り、言葉を重ねた。
「実条殿の祖父であられる実枝殿が、かつて息子の公国殿へ相伝するまでの預かりとして弟子の細川幽斎殿に託された古今伝授。幽斎殿は帝からの強いご懇請もあり、まずは太閤殿下の御猶子であられた八条宮様への伝授を優先して進めようとしておられた。されど先の唐入りや太閤殿下の崩御と混乱が続き、先送りにされたまま。そこで豊臣家のお力添えによって、八条宮様への伝授と合わせ、実条様への返し伝授も同時に執り行われるよう圧力を掛けていただきたいのです。さすれば阿福殿の生家の三条西家の面目は立ち、万が一の事態による歌道断絶の憂いも晴れましょう」
大蔵卿局はなおも計りかねたように眉をひそめていたが、その時、涙を拭った茶々姫が静かに口を開いた。
「……大蔵卿。よい。左京亮殿の願い、すべて叶えてやりなさい」
その声音には、石川五右衛門を連れてきた俺への深い感謝が滲み出ているように感じられた。
「……ははっ。茶々様がそう仰せであれば、そのように手配いたしましょう」
大蔵卿局は深々と頭を下げ、俺の要求を引き受けてくれた。
用件はすべて済んだ。
料理人として大坂城内に残る石川五右衛門と、その弟子として付き従う御影を奥殿に残し、俺は広間を辞した。
奥殿の外で待機させていた護衛の侍衆を合流させ、周囲を固めさせながら撤収の途につく。
供回りを従えて大坂城の長廊下を歩きながら、俺は口元が緩むのを抑えきれなかった。
すべて思い描いた通りの展開だ。
これで石川五右衛門を通じ、豊臣の中枢たる茶々姫と豊臣秀頼を裏から操る太い糸を手に入れた。
そして何より、細川幽斎による古今伝授の大幅な前倒しである。
史実において幽斎が八条宮への伝授準備に取り掛かったのは、確か関ヶ原直前の慶長五年三月、政局の小康状態を得てから。
そのため同年夏の田辺城の戦いにおいては伝授が完了しておらず、「幽斎が討ち死にすれば古今伝授が断絶する」と危機感を抱いた朝廷が勅命を出し、幽斎を救う結果となった。
だが、大坂からの強力な圧力によって朝廷と幽斎を動かし、今年のうちに集中的に講釈を行わせて八条宮と実条への伝授を早期に完了させてしまえばどうなるか。
相伝がすでに完了していれば、歌道の正統は無事に受け継がれており、朝廷がわざわざ勅使を飛ばしてまで幽斎の命を救う理由は消失する。
朝廷の横槍が入らなくなれば、西軍は手加減することなく丹後田辺城を攻め落とせ、戦いは早期に決着がつくはずだ。
そうなれば、田辺城攻めに長期間釘付けとなっていた西軍の一万五千もの兵力は、速やかに美濃方面へと合流可能となり、関ヶ原における東西両軍の戦力は完全に拮抗する。
あわよくば東軍と西軍を双方激突させて徹底的に疲弊させ、奥羽鎮守府が漁夫の利を得られるかもしれない。
春の大坂城の威容を背に受けながら、俺は胸の内でほくそ笑むのだった。
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よろしくお願いします
(おまけ)
石川五右衛門の背後には、ただならぬ異様な存在感を放つ八人の男女が控えている。
五右衛門は自慢げに顎をしゃくり、胸を張ってみせる。
「集めた風魔の中から、特に使い勝手のいい奴らを選りすぐって密かに上洛させた。陽・金・火・木・月・風・水・土の八門を極めた精鋭、人呼んで『風魔八卦衆』だ」
なんじゃそりゃ。
思わず顔を引き攣らせる俺の前で、「ほれ、挨拶しやがれ」と五右衛門に促された異彩を放つ八人が次々と前に進み出て、各々の名乗りと得意の忍術を披露し始めた。
まずは正統派の忍び装束に身を包んだ、いかにも主役めいた風貌の青年が爽やかに一礼する。
忍びというより、どこぞの清廉な若武者のようだ。
「【陽門】の御影。光と影を操る陽動と、正統なる剣技こそ我が領分。この刃と命、大殿様に捧げましょう」
続いて進み出たのは、涼やかな目元をした優男であった。
公達と見紛うばかりの優雅な所作で扇子を弄び、流し目を送ってくる。
「【金門】の九谷とお呼びくだされ。銭遣いと金気の術、そして人心を自在に操る調略にて、雅やかなる京洛の陰を美しく泳いでみせましょう」
虚無僧のような深編笠を被った僧形の男が、錫杖の鈴をチャリンと鳴らし、地の底から響くような陰鬱な低音で呟く。
「【火門】の富山。火薬と爆薬、音なき神速の刃を操り、静寂のうちに仇なす者を冥府へ送りましょう。南無……」
凛とした佇まいの巫女装束を纏ったクノイチが、澄んだ瞳で静かに頭を垂れる。
「【木門】の鈴鹿にございます。草木の気脈を読み、神仏の託宣と我が鈴の音にて、大殿の行く手に潜む凶兆を祓い清めましょう」
続いて進み出た花魁姿のクノイチが、煙管から紫煙をくゆらせ、艶然とした笑みを浮かべて妖しく流し目を送ってきた。
「【月門】の音羽でありんす。妖しき月光の下、泥濘の如き色仕掛けと幻惑の術……そして殿方のお耳に心地よい褥の睦言で、いかな閨房の秘め事でも綺麗に吸い上げて差し上げますわ」
すばしっこそうな小柄な少年忍者が、身軽に跳ねるような仕草で悪戯っぽく笑いかけてくる。
「あっしは【風門】の舞鶴! 風の如き身軽さと疾風の足技、隠蔽なら誰にも負けねえぜ! 大殿、どんな狭い隙間にも潜り込んでやるからな!」
枯れ木のように痩せ細った老翁が、腰を曲げながら底知れぬ凄みを帯びた怪しい笑みを漏らす。
「カッカッカ……【水門】の滋賀丸と申しまする。水流に潜む術と、水に溶かす遅効性の毒の扱いならば、若い衆にはまだまだ譲りませぬわい」
ドシンと床を軋ませて最後に進み出たのは、到底隠密行動に向いているとは思えない筋骨隆々の大男だ。
豪快に胸板を叩く音が部屋に響き渡る。
「おうッ! 【土門】の伊吹と申す! 剛力無双の体術は拙者の独壇場! 邪魔な壁も門も、この腕力でへし折って御覧に入れますぞ!」
……個性が強すぎるだろう。
お前たちはどこの漫画の世界から抜け出してきたんだよ。




