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二階堂合戦記  作者: 犬河兼任
第十三章 関ヶ原へ至る道
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1599-3 窓際

<1599年 1月27日>


 慶長四年の元旦。

 伏見城の大広間には、五大老五奉行をはじめ、全国から馳せ参じた諸大名が威儀を正して居並び、厳かな新年の拝賀の儀が執り行われていた。


 正面の上段。

 中央に座す幼き君主、豊臣秀頼の小さな身体を包み込むようにしっかりと抱きかかえているのは、五大老の一人にして秀頼の後見役を務める加賀大納言、前田利家であった。


 その前田利家の顔色は決して優れない。

 患う病の影がその頬を削ぎ、呼吸も時折浅く乱れていた。

 だが、その双眸から放たれる光は、かつて織田信長公の赤母衣衆として数々の修羅場を駆け抜けた槍の又左そのものだ。

 朋友であった太閤秀吉亡き後、豊臣の天下と幼き遺児を守り抜く最後の砦は自分なのだという強烈な自負と執念が、老体にみなぎる凄まじい気迫となって大広間を圧倒している。


 病に侵されながらも凄絶な光を放つ前田利家の威圧感に、居並ぶ諸将は息を呑み、身じろぎすらできず深く平伏する。


 だが、その張り詰めた静寂を、まったく意に介さぬ影が二つ。


 一人は、大老首座たる内大臣の徳川家康。

 前田利家の放つ気迫を正面から静かに受け止めながら、微動だにせず泰然自若とした佇まいを崩していない。

 すべてを呑み込み、巌のごとく座すその底知れぬ静寂の奥底には、いかなる謀略や野心が秘められているのか——何人たりとも計り知ることはできなかった。


 そしてもう一人、異様な存在感を放っていたのが、陸奥・出羽・越後・下野の大領を束ねる鎮守府将軍、伊達政宗だ。

 黒羅紗に金銀の豪奢な刺繍を散らし、南蛮渡りの孔雀の羽根をあしらった目も綾な羽織を羽織り、天下の「伊達者」ここにありと見せつけるような煌びやかな装いで大広間に君臨している。

 諸将が恐縮して頭を垂れる中、政宗は薄ら笑いすら浮かべながら傲岸不遜な態度で上段を見据え、その鋭い隻眼を爛々と輝かせていた。

 豊臣の権威など端から眼中にないと言わんばかりの不敵な佇まいは、前田利家の放つ気迫と真っ向から衝突し、広間の空気をさらに冷たく張り詰めさせていた。


 それでも新年の拝賀が滞りなく終わると、亡き太閤秀吉の遺言に従った、豊臣政権の構造改革が怒濤の勢いで動き始める。





<1599年 2月5日>


 慶長四年一月十日。

 この日、豊臣秀頼が淀殿こと茶々姫や北政所、そして後見役の前田利家らに伴われ、伏見城から豊臣家の本拠である大坂城へとその居を移す。


 この大坂転居に合わせ、五大老の宇喜多秀家、五奉行からは石田三成と浅野長政が大坂詰となり、東国の大名たちも大坂屋敷へと集結する。

 一方、伏見城には大老首座の徳川家康、毛利輝元、長宗我部信親、そして長束正家ら三奉行が残り、西国の大名たちを差配する体制が確立された。

 また徳川家康を強く牽制する要として、伊達政宗の大名屋敷は伏見に据え置かれる。


 本来であれば、幼君を抱える側に権力が集中し、蚊帳の外に置かれた者たちは徐々に疎外されていくのが世の定石である。

 今回の場合、幼君・豊臣秀頼の傍近くに控える前田利家と宇喜多秀家が、政権の中枢において圧倒的に優位な立場を握ったと言えた。


 通説の歴史においては、この不利な立場を打破すべく、焦った徳川家康が他の大老や奉行衆に無断で婚姻外交を展開し、三中老から問責を受ける騒動へと発展していたはずだ。

 だが、伊達政宗が率いる巨大な奥羽鎮守府が北で睨みを利かせるこの世界線では、徳川家康の動きはまったく違っていた。

 野心を巧妙に覆い隠し、伏見城にあって粛々と政務に専念している。


 そうした天下の権力構造が張り詰める中、翻ってこの俺、二階堂盛義の状況はというと——見事に宙ぶらりんであった。


 先月、宇都宮で吉乃が無事に第三子を出産したばかりということもあり、妻に付き添う石川五右衛門はまだ上方へと呼び出せずにいる。

 餃子職人が届かぬ以上、茶々姫からの横槍で隠居の願いも通らない。

 さらには豊臣秀頼の大坂転居に伴う上方の混乱や政務の引き継ぎのバタバタに巻き込まれ、国許である臼杵へ戻る許可すら下りない始末だ。


 隠居もできず、妻の待つ領国へ帰ることも叶わず。

 俺といえば、仙台にいる次男・盛行の妻である甲斐姫が無事に第四子となる男児を産み落としたと聞き及んで祝いの品を手配したり、下野の塩谷義通殿が病死した報せを受けて、長男・盛隆の娘(俺の孫)である星姫の夫・塩谷義保殿が新たに家督を継いだことへのお悔やみと激励の手紙をしたためたりと、遠く離れた親族の内々の慶弔ごとに追われるばかりであった。


 天下の行く末を左右する大政からは完全に切り離され、京の二階堂屋敷に留め置かれたまま、俺はただまんじりと時を過ごす日々を送る羽目になっていた。




<1599年 2月7日>


 豊臣秀頼の大坂転居から、わずか二日後。

 伏見の徳川屋敷にて一つの幼い命が失われる。

 徳川家康の七男・松平松千代が、わずか六歳の若さで疱瘡により亡くなったのだ。


 松千代は側室の茶阿局の腹で生まれ、松平辰千代(後の松平忠輝)の同母弟にあたる。

 文禄二年没していた松平康直の後を継ぎ、武蔵深谷一万石の長沢松平家の当主となっていた幼子だ。

 豊臣秀頼が大坂に移った直後という極めて機微な時期、中央の余計な動揺や臆測を避けるためか、徳川家康はこの我が子の死を公には伏せてしまう。

 荼毘に付された後に伏見の徳川下屋敷で身内による簡素な葬儀が行われ、その後、遺骨は長沢松平家の菩提寺である三河岩津の妙心寺へと送られて墓が建てられるとのことだった。


 奥州屋の商売関係でいち早くその噂を聞きつけてきた吉次からの報告を受け、俺は腕を組んで思案する。

 公にしておらず事を大きくしたくない徳川家康の立場を思えば、俺のような者が大々的に押し掛けてはかえって迷惑となろう。

 そこで、義理を欠かぬ程度に内々に意を尽くすべく、葬儀の日取りに合わせ、名古屋山三郎を代理の使者として伏見の徳川下屋敷へ向かわせることにした。


 夕刻、屋敷に戻ってきた山三から報告を聞いた俺は、思わず目を丸くすることになる。


「……何? 通りを埋め尽くすほどの人馬と籠の列であったと?」


「はっ。徳川内府様は表向き伏せておられたはずなのですが、先日の元旦の拝賀の儀に列席していた諸大名のほとんどが、本人自ら、あるいは重臣を使者として立てて続々と参列しておりました。幼き我が子を亡くされた徳川内府様の悲痛を悼む体裁を取りながらも、ひっきりなしに諸将が群がる様は、図らずも徳川内府様の隠然たる威勢を天下に誇示する場と化しておりました。……それと、松千代君が継いでいた長沢松平家の名跡ですが、同母兄である辰千代君が継ぐことになったそうでございます」


 山三の言葉に、俺は思わず眉をひそめた。


「兄が弟の名跡を継ぐ、か。……奇妙な采配だな。辰千代殿が内府殿から嫌われておるという噂は、どうやら真のようだな」


 次男の秀康(結城家養子)、三男の秀忠(徳川後継)、四男の忠吉(東条松平家継承)らに比べ、兄でありながら弟の遺領と家名を受け継がされる六男の辰千代の扱いは、どう見ても冷遇のそれであった。

 徳川家中の複雑な家庭事情が垣間見える。


 だが、山三の報告はそれだけにとどまらない。


「さらに驚くべきことがございましてな。大名たちの使者らが丁重に弔意を述べて引き上げようとしていたその折、玄関先で人だかりがざわりと割れまして……なんと、奥羽鎮守府将軍・伊達政宗様ご本人が、堂々と姿を現したのです」


「なに……!? 政宗殿自らが、伏見の徳川屋敷へ直接乗り込んだと!?」


「はい。『徳川内府殿、此度の御不幸、心よりお悔やみ申し上げる』と、悪びれる風もなく徳川家康に声をかけ、そのまま奥の間へと通されて密談に及んでおりました。重臣を使者に出すだけで済ませる大名も多い中、東国の二大巨頭が居並ぶその異様な光景には、居合わせた皆々も息を呑んでおりましたよ」


 関東二百五十万石を擁する豊臣家大老首座と、奥羽越後三百六十万石を束ねる鎮守府将軍。

 大坂城の豊臣首脳陣の誰もが最も恐れ戦く「東の二大巨頭による弔問外交」が、公然と繰り広げられたのだ。


 山三の言葉を聞きながら、俺は背筋に冷たいものが走るのを覚え、胸の内に湧き上がる底知れぬ胸騒ぎを抑えきれずにいた。







<1599年 2月中旬>


 松平松千代の葬儀から一週間ほどが経ち、伊達政宗の正室である愛姫からの使いが二階堂屋敷を訪れ、俺は伏見の伊達屋敷へと呼び出されていた。

 通された客間で愛姫と顔を合わせる。


「久しいですね、左京亮殿。息災でありましたか」


 相変わらず凛とした中にも可憐さを残す美しい姫君である。

 しかし、彼女の侍女やちがこの伏見の屋敷でせわしなく帰り支度をしているのを見て、俺は驚きを隠せなかった。


「愛姫様が五郎八(イロハ)姫をお連れになって、仙台へお戻りになられると?」


「ええ。そのように話が決まりまして、私も荷造りに追われておるのです」


 微笑む愛姫に、俺は思わず眉をひそめた。


「腑に落ちませぬな。大名の妻子は人質として上方へ留め置かれるのが豊臣の厳格なる法。それを勝手に帰国させるなど……」


「勝手ではございませぬよ」


 愛姫は穏やかに首を振り、事の経緯を語り始めた。


「実は、仙台城下の田村屋敷におりますお祖母様から、風邪をこじらせてしまい近頃体調が優れないと便りがありました……。今年で七十八になられる御高齢ゆえ、せめて五郎八(イロハ)の顔を一目見せて安心させてあげたいと、殿にお願い申し上げたのです。そういたしましたら、先日の弔問の折に殿が徳川の内府殿に掛け合ってくださり、願いを叶えてくださったのですよ」


 本当に嬉しそうに顔をほころばせる愛姫。

 田村の(ゆかり)御前といえば、田村清顕殿の母であり、愛姫の実の祖母にあたる老貴婦人だ。

 同時に、政宗にとっては祖父・伊達晴宗公の妹であり、俺にとっても亡き母の同腹の妹(叔母)にあたる。

 小田原の役の後に田村家が三春から米沢へ転封となり、(ゆかり)御前自身は仙台の田村屋敷で暮らしているが、血縁の情を前面に押し出した申請理由としては申し分のない大義名分であった。


 愛姫の無邪気な喜びの言葉に俺が思案を巡らせていると、廊下の向こうから足音が近づいてきた。


「なんだ左京亮、腑に落ちぬという顔だな」


 襖を開けて入ってきたのは、伊達政宗であった。

 先日の大広間で見せつけていたあの絢爛豪華な伊達者の装束とは打って変わり、羽織も羽織らず着物の胸元を寛げた、実にラフな部屋着姿である。

 不敵な笑みを浮かべた伊達政宗は、ドサリと腰を下ろすと、俺に向かってこともなげに嘯いた。


「もともと愛が伏見に置かれたのは、我が伊達の兵が唐入りを免除され、代わりに蝦夷地と樺太の探索に心血を注いでいたからよ。中央の目の届かぬ北の果てで、俺が妙な気を起こさぬよう睨みを利かせるための人質。だが唐入りが終わり、樺太の統治体制も整った今、その役目も終わった」


 国政を亡き秀吉より預かった大老首座・徳川家康の言葉だ。

 表向きは人質免除の理由も筋が通っている。


 しかし、俺とこの伊達政宗との間には、親戚筋とはいえ常にピリついた緊張感が漂っている。

 俺が豊後臼杵へと飛ばされ、事実上の謹慎を強いられる羽目になったのも、元を正せばこの男の巧妙な根回しによるものだ。


 下野と南奥を合わせ、百万石を支配下に置く我が二階堂家は、奥羽から越後までを統べる伊達家にとって、喉元に突きつけられた刃であり、目の上のたん瘤に他ならない。

 身内であろうと容赦なく盤上から弾き出そうとする政宗の底知れぬ野心には、常に警戒が必要だった。


「……徳川内府殿の許可、ですか。油断を誘う一手やもしれませぬな」


 俺は探りを入れるべく、じっと伊達政宗の隻眼を見据えた。


「お尋ねしますが、今井宗薫あたりを経由して、五郎八(イロハ)姫様を徳川の御曹司の嫁に欲しい、といった話はありませなんだかな?」


 俺の問いに、伊達政宗は怪訝そうに眉をひそめ、鼻を鳴らした。


「いや? 宗薫とは茶の湯の話はするが、そのような縁談話など一切出ておらぬぞ」


 背筋に冷たいものが走った。

 史実の徳川家康は、秀吉の死後すぐさま法度を破り、伊達、福島、蜂須賀といった有力大名との無断婚姻外交を露骨に展開したはずだ。それが石田三成ら奉行衆の激しい反発を招いた。

 しかし、この世界の家康は、諸大名との婚姻外交を一切展開していない。

 それどころか、島津家や立花家など武断派以外の大名との頻繁な茶席での交際すら意図的に控え、豊臣の法を律儀に守る忠臣として振る舞っている。


 不気味である。

 あまりにも不気味すぎる。

 他の大老や五奉行からのヘイトを極力買わずに立ち回る徳川家康。

 やはり徳川家康は、己に敵意を向けさせるのではなく、「別の巨大な敵」を作り出して豊臣政権を一丸にまとめ上げようとしているのではないか?

 そして、その「敵」として最も相応しいのは——他ならぬこの目の前にいる男だ。


「政宗殿。内府殿の甘言に気を取られず、加賀大納言様や他の大老衆とも深く接触を図っておいた方が良い。さもなくば、豊臣政権一丸となっての『奥羽征伐』の的になりかねませんぞ」


 強大になりすぎた伊達を討つ。

 徳川家康がその大義名分を掲げた時、豊臣政権はかつてない団結を見せるだろう。

 俺の警告は、二階堂家が防波堤としての役割を果たすための、極めて現実的な危機感から出たものだった。


 しかし、伊達政宗は「ふっ」と鼻で笑い飛ばした。


「小さい。小さすぎるわ、左京亮」


「なっ……」


「大老だの奉行だの、瓶の中での権力争いなど俺の知ったことか。そんなちっぽけな天下の奪い合いに、この政宗が付き合ってやる義理は無い」


 伊達政宗はギラつく瞳を窓の外、遠く広がる空へと向けた。


「もうすぐ、仙台で自前のガレオン船が出来上がる。そうしたら、イスパニアへ向かわせるつもりよ」


 史実通り——いや、蝦夷地や樺太の探索すらも手掛けるこの世界の伊達政宗は、史実以上に気宇壮大にして不敵であった。

 国内の政治的包囲網など意に介さず、視線はすでに大海原の向こうへと向けられている。


 イスパニアとの同盟。


 その途方もないスケールの大きさに圧倒されつつも、俺は深い溜め息を吐くしかなかった。

 その大望の前に、足元を掬われねばよいが。

 遠からず吹き荒れるであろう嵐の気配を、俺は伏見の空に感じ取っていた。






<1599年 2月下旬>


 伏見を発ち、奥州・仙台へと向かう伊達政宗と愛姫の一行を見送るため、俺は京の外れへと足を運んでいた。


 街道を埋め尽くすその隊列は、まさに壮麗の極みであった。

 かつて愛姫が仙台から上洛した折の行列もたいそう華やかなものであったが、今回はそれを遥かに上回る豪奢さだ。

 金銀の蒔絵が施された豪奢な長柄槍を掲げた騎馬武者たちが整然と並び、黒羅紗や紅綸子に金糸の刺繍をあしらった目も綾な陣羽織を纏った供回りがズラリと続く。

 中央には螺鈿細工が陽光を浴びて妖しく煌めく巨大な御所車が据えられ、護衛の兵たちの甲冑に至るまで南蛮渡りの派手な装飾で統一されていた。


「おい見ろ、あれが奥州の伊達者の行列よ!」


「なんと見事な……! 太閤様の御代にも劣らぬ派手やかさじゃな」


 沿道には噂を聞きつけた京洛の民が黒山の人だかりを作り、口々に歓声を上げてその豪壮なパレードに酔いしれていた。

 大老や奉行衆の視線などどこ吹く風、己の存在感と財力をこれ見よがしに天下へ誇示する伊達政宗の悪びれぬ横顔が目に浮かぶようだ。


 見物人の群れの後方に身をやつし、静かにその隊列を見送っていた俺の背後で、ふいに微かな気配が動いた。

 護衛として控えていた前田利益が、鋭い視線を周囲の群衆へ走らせながら、わずかに顎をしゃくって合図を送ってくる。

 民衆の雑踏に紛れ、荷車を引く商人や笠を深く被った町人風の男たちが、幾重にも不自然な間隔で配置されていた。

 一見するとただの見物人だが、その立ち居振る舞いや重心の低さ、何より常人ならざる殺気を押し殺した気配は隠しようもない。

 徳川家が誇る陰の牙——服部党の忍びたちだ。

 利益は口元に獰猛な笑みを浮かべ、朱槍こそ携えていないものの、いつでも腰の刀を抜けるよう肩の力を抜いて周囲を牽制していた。


 そんな厳戒の護衛網の中心に、その男はいた。

 視線を横に滑らせると、いつの間にか俺のすぐ隣に、質素な町人髷に身を包んだ小柄な老人が並んで立っていた。

 徳川家康の懐刀、本多佐渡守正信である。


 思えば、本多正信と初めて差し向かいで腹を探り合ったのは、この男が天正十六年の一月、雪の宇都宮城まで「関東奥羽惣無事令」を届けに来た時であった。

 以来、十余年の付き合いの長さとなる。

 あの時も飄々としながら沼田領の処遇について煙に巻いてきた男だが、皺の深くなった今もその食えない佇まいは少しも変わっていない。


「いやー、さすがは伊達さまでございますな。派手ですなー」


 正信はどこか気のないような、のほほんとした掠れ声で呟き、膝を軽くさすりながら街道を眺めていた。

 互いに見物人に身をやつしたまま、正面を向いたきり視線も合わさずに言葉を交わし始める。


「大した賑わいですな、佐渡守殿」


「ええ、ええ。天下広しといえど、これほどまでに都人の目を奪えるお方は、伊達さまの他にはおりますまいよ」


 飄々とした口調で応じる正信の横顔を、俺は冷ややかに観察した。


 徳川家康が政宗の要請をあっさりと受け入れ、他の大老や奉行衆への相談もなしに伊達家の人質を勝手に仙台へ戻してしまった一件。

 大名の妻子を人質として上方に留め置くという豊臣の基本原則を根底から覆す行為であり、当然ながら政権内で極めて重大な問題となるのは火を見るより明らかであった。

 史実において家康が強行した「諸大名との無断婚姻外交」など足元にも及ばぬほどの大騒動に発展するのは確実だ。


「……どうやら大坂城では、石田治部殿が烈火の如く怒り狂っておられるそうで。困ったものでございますなぁ」


 正信は肩をすくめ、他人事のようにからからと笑った。


 当然の反応である。

 史実において家康が勝手に縁を結んだ諸大名の総石高など、合わせてもせいぜい百数十万石程度。

 しかし、現在の奥羽鎮守府が誇る総石高は実に三百六十万石にも達するのだ。

 関東二百五十万石を領する徳川と、奥羽三百六十万石の伊達が手を取り合って連合を組む——これこそ、豊臣政権にとって最も恐るべき悪夢のシナリオに他ならない。

 三成ら奉行衆が卒倒せんばかりに激昂するのも無理はなかった。


「大坂からは早晩、徳川内府殿に向けて厳しい詰問使が差し向けられましょう。……徳川内府殿は、この騒ぎをどのように落着させるおつもりですかな?」


 俺が低く探りを入れると、正信は首を小さく傾げ、なおも余裕たっぷりに口元を緩めた。


「何、大したことにはなりますまいよ」


「ほう?」


「伊達さまのお力は、あまりにも大きすぎる。大坂の諸公とて馬鹿ではございますまい。下手に我が殿を責め立てて追い詰めれば、それこそ伊達さまが我が殿の味方についてしまう。……そのような事態、大坂方とて断じて望まぬはずでございますからなぁ」


「……」


 まあ、確かにそうであろうな、と俺は内心で同意せざるを得なかった。

 相手が強大すぎるがゆえに、下手に罪を問い詰めることすらできない。家康の繰り出した手は、豊臣政権の急所を的確に突いた狡猾極まる一手なのだ。


 すると、正信がふっと細い目をさらに細め、こちらへ伺うような視線を投げてきた。


「時に、逆にお聞かせ願えましょうか。……左京亮さまは、この後どうなるとご覧になりますかな?」


 十余年前、宇都宮城で沼田の件を突いた時と同じ、底知れぬ探りの眼差しだ。

 俺はふっと口元を緩め、淀みなく己の読みを口にした。


「賢しい石田治部殿のことだ。四大老五奉行の合意を大急ぎで取り付け、正式に『豊臣公儀の名』によって愛姫様と五郎八姫様の仙台下向を追認してしまうであろうな」


「ほう……追認、でございますか」


「公儀の決定という形に塗り替えてしまえば、内府殿が伊達家に売った『個人的な温情と恩義』は一瞬で帳消しになる。その後は大坂と伏見の双方が、仙台の気を引こうと甘言や贈り物の接待攻勢を仕掛けることになろうよ。……当の政宗殿は、どっちつかずの態度を決め込んでほくそ笑みながら、己の価値を吊り上げるだけ吊り上げるであろうな」


 俺が肩を竦めてみせると、正信は「なるほど、なるほど」と楽しげに相槌を打った。

 だが、俺はそこで言葉を切らず、さらに踏み込んで低く囁いた。


「——それとも、これは徳川内府殿と石田治部殿が裏で手を組み、伊達を陥れるために始めた狂言芝居であろうかの?」


 強大になりすぎた奥羽鎮守府を天下の敵に仕立て上げ、征伐の大義名分を得るための自作自演ではないのか——その核心を突いた問いに、正信は表情を一切崩さず、ふぉふぉふぉと低く喉を鳴らした。


「ほほう……左京亮さまには、そのように見えまするか。いやはや、恐れ入りましたなぁ……」


 肯定も否定もせず、煙に巻くように軽く頭を下げる本多正信。

 互いに腹の底を探り合う二人の無言の攻防は、街道の彼方へ、伊達家の絢爛たる隊列が完全に姿を消すまで静かに続いたのだった。






 尚、伏見を発つにあたり、伊達政宗は徳川家康と豊臣政権の双方の面目を潰さぬよう、愛姫と五郎八姫の代わりとなる人質はきちんと伏見の屋敷に置いていった。

 そこら辺は如才がない。


 代わりの人質として送り込まれたのが、政宗の叔父にあたる伊達盛重である。

 伊達晴宗公の五男であり、俺の正室である南御前の実弟だ。


 史実における盛重は、宮城郡の国分氏に養子へ出されるも家中の統制に失敗して出戻り、最終的には伊達家を出奔して佐竹家に逐電するという数奇な末路を辿る。

 この世界線においても、伊達晴宗公の謀略によって無理やり会津蘆名氏へと養子に押し込まれ、家中を真っ二つに割って蘆名氏を滅亡へ導く導火線となった。

 その後、輝宗公に大崎の地にて蘆名の家名を再興させてもらったものの、直後に勃発した大崎・葛西一揆の鎮圧に大失敗。

 佐沼城で一揆勢に包囲されて命からがら救出された末、激怒した輝宗公から蘆名の家名を剥奪され、長らく部屋住みの身として飼い殺されていたのだ。


 一応、伊達家に出戻ってからは、我が二階堂家同様に盛重にとっては姉にあたる宝姫が嫁いでいる佐竹家との外交チャネルを任されてはいた。

 だが、佐竹家が豊臣政権への帰属を本格化させてからは、その役割もすっかり有名無実化している。


 親戚の誼もあり、俺は伏見の伊達屋敷にポツンと取り残されることになった義弟の元へ、気休めがてら挨拶に出向く。


 主を失って火が消えたように静まり返るだだっ広い伊達屋敷の一室で、盛重は茶を啜りながら所在なさげに座っていた。


「彦九郎(盛重)殿、大変なお役目ではあるが気張りなされ」


 俺が声をかけると、盛重は力なく眉を八の字に下げ、自嘲気味に肩をすくめてみせた。


「儂には、これくらいのことしかできんですからの。ははははは……」


 今年で四十七歳になる伊達盛重。

 白髪も目立ち、乾いた笑い声を漏らすその姿からは、かつて蘆名の大名に祭り上げられていた面影など微塵もなく、窓際族特有の深い哀愁がひしひしと漂っていた。

 政争の駒として振り回され続けた男の、これが辿り着いた諦念というものなのだろう。


 俺もそれ以上何も言えず、ただ苦笑いを浮かべて茶を共にするしかなかった。


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