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二階堂合戦記  作者: 犬河兼任
第十四章 踊る関ヶ原の戦い(上)
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1600-8 熾火

<1600年 8月26日>


 慶長五年七月十八日。

 愛宕下の青松寺の客殿には、息の詰まるような緊張感が漂っていた。


 上座に座す俺と南御前の前に平伏していたのは、浅葱色の裃を端正に着こなした細身の老武者であった。

 無駄な肉の一切ない均整のとれた立ち居振る舞いに、白髪交じりの髪を撫で付けた涼やかな顔立ち。

 左近こと保土原行藤――今年で六十三歳になる、須賀川時代から我が二階堂家の屋台骨を支え続けてきた宿老の一人である。


 部屋の隅には、警固役の水野勝成と、徳川家康の股肱たる本多正信が並んで座り、我らのやり取りに一言半句たりとも聞き漏らすまいと鋭い視線を注いでいた。


「……面を上げよ、左近」


 俺が静かに声をかけると、左近はゆっくりと頭を上げた。

 文禄三年、仙台にて執り行われた笑窪御前の葬儀以来の再会であった。

 互いの顔を見つめ合うこと、しばし。

 左近の老いてもなお端正な口元が、わずかに緩んだ。


「……大殿。ずいぶんと老け込まれましたな。白髪がめっきりと増えられただけでなく、肌の色もすっかり浅黒く焼けられて。まるで南蛮の船乗りのようでござる」


「何を言うか。六年ぶりに顔を合わせた主君に開口一番それか。……そなたは昔とまるで変わらぬな。大役を前にして、相変わらず飄々としておる」


「滅相もございませぬ。それがしも六十を越えてからは、須賀川の隠居屋敷で茶や歌に親しむばかりの呑気な日々を送っておりましたゆえ。されど、此度のような大役を仰せつかり、久方ぶりに身の引き締まる思いにございます」


 かつて須賀川で乱世を駆け抜けながらも、風雅を解し、連歌や茶の湯を誰よりも愛していたこの男らしい諧謔であった。

 隣の南御前がふっと口元を綻ばせ、客殿の張り詰めていた空気が一瞬だけ和らいだ。


 だが、左近の双眸の奥には、長年修羅場を共にしてきた者だけが通じ合える、冷徹で切迫した光が宿っていた。

 行藤は再び居住まいを正し、水野勝成と本多正信にも聞こえるよう、朗々とした声で述べた。


「盛隆様よりの下知、しかと家中に徹底いたしております。徳川内府様を小山にお迎えし、奥羽への先導を務める手筈に寸分の狂いもございませぬ。……されど、大殿と御前様の安否が定かでなく、下野南奥の兵どもは動揺を隠せずに居りました。こうしてご無事のお姿を拝せました以上、家中一岩となって心置きなく徳川の御旗のもとへ馳せ参じれましょう」


 表向きは、二階堂家が徳川に鞍替えするための大義名分――「人質の無事確認と恭順の誓い」である。

 見守る水野勝成は満足そうに頷き、本多正信もまた細い目をさらに細めて鷹揚に頷いてみせた。






 儀礼的なやり取りを終えると、俺は茶碗を手元に引き寄せ、世間話の続きでもするかのような軽い調子で問いかけた。


「それで、政宗の動きはどうなっておる」


 部屋の隅に控える本多正信は、会話を制止しようとはしなかった。

 俺と左近のやり取りから、まだ徳川方の耳に入っていない奥羽の最新情報を少しでも多く探り出そうと、耳を澄ませてこちらの言葉を待っている。


 左近は居住まいを正し、無駄な前置きを省いて結論から告げた。


「……伊達政宗殿、兵五万を率いて信夫郡の杉目城に入城したものの、そこで立ち往生し、行軍を完全に停止しております」


「杉目で足を止めたか。……二階堂の寝返りを気取られたか?」


 杉目城のすぐ南――安達郡は、二階堂の所領である。

 もし二階堂が徳川方として牙を剥けば、杉目城から南下する伊達勢は、足を踏み入れた途端に敵地へと突入することになる。

 俺が眉をひそめて理由を尋ねると、左近は表情を崩さぬまま、静かに首を横に振った。


「いえ、当家の真意を悟られたというよりは……出羽にて変事が多発しておりまする」


「出羽で変事だと?」


「はっ。今から十日ほど前、村山の斯波義光が里見民部ら旧最上八楯の手引きにより、山形城を強襲・占拠いたしました」


「……斯波義光が?」


 隣で聞いていた南御前が、小さく眉をひそめた。

 行藤は淀みなく淡々と告げる。


「その前夜、山形の最上政道殿は実母である保春院様に毒を盛られ、重篤に陥ったそうにございます。……されど、毒を呷った政道殿を背負い、命からがら山形城を脱出させたのは、義光の実の三男――近習として政道殿に仕えていた斯波義成殿。義成殿は父の謀反を拒絶し、従兄弟でもある主君・政道殿を奉じて長谷堂城へ逃げ込んでおります。義光はその長谷堂城を六千の軍勢で包囲し、実の息子である義成殿ごと、政道殿を討ち取らんと攻め立てております」


「……義姫が、我が子に毒を……?」


 南御前が顔を硬直させ、低く呟いた。


「山形城の占拠には、義光の次男・斯波義親殿が父に従って乗り込み、城内の制圧に当たっております。一方、出羽北部においては、義光の嫡男――斯波義康殿が父の命に従い、千五百の手勢を率いて新庄城に籠城中とのこと。これに対し、山北の戸沢盛安殿と雄勝代官の後藤信康殿が兵六千を率いて新庄城へ猛攻を仕掛け、激しい攻防が今も続いております」


「義康は、後詰めを信じて持ち堪えておるのだな」


 俺の言葉に、行藤は静かに頷いた。


「はっ。義光が長谷堂城を落とし次第、返す刀で北上して新庄城の包囲を破る手筈と見受けられます。義康殿もそれを期して、寡兵ながら死力を尽くして持ち堪えております」


「…………」


 行藤の報告を聞きながら、俺は胸の内で重いため息をついた。


 かつて俺が知る本来の歴史において、義姫(保春院)は実兄・最上義光に誘導され、小田原参陣を巡って豊臣秀吉の激しい怒りを買っていた長男の政宗を廃し、次男の小次郎政道を立てることで伊達の家名を守ろうとした。

 その結果、政宗は弟の政道を自らの手で斬らねばならなくなったのだ。


 今回も同じように、天下を睨む徳川家康の圧倒的な軍勢を前に、もはや伊達や奥羽鎮守府に勝ち目はない――そう思い詰めた保春院は、せめて自らの実家である最上家だけは生き残らせようと焦燥に駆られたのだろう。

 伊達と最上の狭間で揺れ動いてきた彼女の悲壮な覚悟と迷いを、実兄の義光にまんまと利用され、付け込まれたのだ。


 史実と入れ違いで、この世界線では弟の政道に毒を盛ってしまったのは、なんという皮肉な話であろうか。

 それと同時に――俺は、斯波義光、いや最上義光という男の底知れぬ執念深さに、戦慄にも似た感嘆を覚えていた。


(……やはり、一筋縄ではいかぬ男よ)


 かつて天正二年、俺は亡き伊達輝宗公とともに山形城を包囲し、義光を追放して最上家の勢力拡張を完璧に封じ込めている。

 世にいう天正最上の乱である。


 結果、史実と異なり義光は大崎へ、紫波へと落ち延びた。

 そして高水寺城にて源氏相伝の宝刀『鬼切丸』を伊達家に差し出す屈辱に耐え、さらには名門・最上の姓を捨てて『斯波』を名乗る恭順ぶりを見せる。

 だが、あの男が出羽の驍将として胸に抱いた野望の火は種火となっても消えておらず、四半世紀もの歳月が流れようとも、心の奥底でずっと燻り続けていたのだ。


 名を捨て、宝刀を差し出し、首に鎖を巻かれたような屈辱の日々を耐え忍びながら、徳川家康の奥羽征伐というこの好機を逃さず、一気に牙を剥いて出羽をひっくり返してみせた。


(最上義光という男の凄まじさを、俺はまだ見誤っていたか)


 その時ふいに、去る六月六日の大坂城西の丸での軍評定の光景が脳裏に蘇った。


(――待てよ。……そういうことか)


 岐阜中納言・織田秀信。

 親伊達派と目されていたあの青年大名が、満座の中で徳川家康の前に平伏し、必死の形相で「此度の奥羽征伐、ぜひとも先鋒をお言いつけくださりませ」と志願してみせた、あの異様な光景だ。


 あの折、俺は織田秀信が最愛の正室・駒姫を守るためだけに必死なのだと受け止めていた。


 駒姫は伊達政宗の従妹でもある。

 親伊達の嫌疑を晴らし、腹に我が子を宿していると噂される妻を強制離縁の危機から救うため、自ら進んで伊達攻めの先陣を志願してみせたのだと解釈していた。


 だが、言うまでもなく駒姫は、伊達政宗の従妹であると同時に、出羽の斯波義光――最上義光の実の娘だ。


(あの秀信の先陣志願は、単なる保身や弁明ではなかったな)


 義父である最上義光が裏で徳川家康と通じ、出羽で蜂起する手筈をあらかじめ整えていたとなれば、その娘婿たる織田秀信もまた、徳川の調略の輪の中に最初から組み込まれていたと見るべきだろう。


(義光が出羽で背後から伊達を刺し、娘婿の織田秀信が徳川の先鋒として南から奥羽へ攻め寄せる。……家康は駒姫という縁を介して、美濃の織田と出羽の最上を同時に手中に収め、奥羽を南北から挟み撃ちにする算段を、あの大坂城の軍評定の遥か以前から整えていたわけだ)


 徳川家康の周到な権謀と、それに完璧に呼応してみせた最上義光の執念に、背筋を冷たいものが撫でていく。


 それにしても最上一族の凄惨なることよ。


 最上は源氏の斯波に連なる一族だ。

 親兄弟が真っ二つに割れて殺し合う凄惨な骨肉の争いや、寡兵での奮闘に躊躇がないのは、源氏の血の呪いなのか。


 父の義光と次男の義親が山形城を奪って長谷堂城を包囲すれば、その城中では三男の義成が、父と兄に叛いて従兄弟である主君・政道を守り抜き、必死に防戦している。

 北の新庄城では嫡男の義康が父の救援を信じて寡兵で孤軍奮闘し、伊達方の猛攻を耐え忍ぶ。


「……なんという浅ましさだ。母が血を分けた子に毒を盛り、父と子、親兄弟が敵味方となって殺し合うとはな」


 南御前が吐き捨てるように言った。

 その声音には、亡き弟・輝宗の妻であった保春院の痛ましい暴走への憤りと、最上一門の泥沼の争いに対する底知れぬ苦々しさが滲んでいた。






 左近の報告はさらに続く。

 左近の口から漏れ出た次の地名は、さらに北の地――日本海の荒波が洗う秋田の地であった。


「――さらに、秋田より変事の報が入っております。七月九日、安東愛季の遺児・藤太郎実季が兵三百を率いて電撃的に蜂起。男鹿の要衝・脇本城を奇襲し、瞬く間に占拠いたしました」


「実季……。あの時、行方の知れなかった藤太郎が生きておったか」


 俺は眉をひそめ、記憶の糸を手繰り寄せた。


 藤太郎実季。


 十八年前、天正十年の本能寺の変の直後、伊達輝宗公と政宗が北奥羽へ敢行した安東征伐の記憶が脳裏に蘇る。

 俺自身はその出陣には加わっていなかったが、我が次男の盛行が左近に付き添われて初陣を飾り、政宗の指揮下で従軍した合戦だ。


 織田信長の後ろ盾を失った安東愛季は、甥の豊島通季の寝返りもあって本拠の檜山城に追い詰められ、鉄砲隊で善戦したものの落城。

 捕らえられた安東愛季は政宗の命で斬首された。

 だが、当時七歳だった愛季の嫡男・藤太郎の姿だけは城内のどこにもなく、安東愛季が蝦夷地の蠣崎慶広のもとへ逃したと噂され、征伐後に輝宗公が懸命に探索の手を尽くしたものの、遂に行方の知れなかった因縁の童子であった。


 その遺児が、十八年の歳月を経て、二十五歳の頑強な武将となって忽然と姿を現したのだ。


「蝦夷の蠣崎のもとから海を渡り、何者かの手引きで畿内へ逃れて庇護を受けていたと見えます。北国廻船を密かに仕立てた何者かの手配により日本海を北上し、男鹿半島へ手勢とともに潜入した模様にございます」


「あの脇本城を落とされたか」


 脇本城は、かつて安東愛季が日本海交易の拠点として威信をかけて築き上げた、男鹿半島の付け根にそびえる強固な海城要害である。


 その父の遺城を、わずか三百の手勢で奪還してみせたのだ。

 旧安東の遺臣たちにとって、これほど鮮烈な旗印はあるまい。


「これにより、秋田の伊達領を預かっていた代官の原田宗時殿、ならびに檜山城主の安東通季殿――兵二千五百を率いて宇都宮へ向けて出陣中であった両名が、慌てて進軍を打ち切り、秋田へと全軍反転いたしました。現在、脇本城の実季殿を包囲し、攻撃を開始しております」


「通季の奴め、見事に背後を突かれた形だな」


 かつて伯父の安東愛季を裏切って政宗に寝返り、檜山城を拝領して安東の家名を継いでいた通季にとって、正統な愛季の嫡男である実季の帰還は己の権力基盤を危うくする悪夢そのもの。

 必死になって鎮圧に戻るのも当然であった。


 結果として、原田宗時と安東通季の精鋭二千五百は秋田の泥沼に釘付けとなり、下野への参陣は不可能となっている。


「また、この秋田の騒乱のどさくさに紛れ、津軽右京亮為信殿が『領内にて不穏の動き、謀反の兆しあり』と言い立て、宇都宮への出兵を突如として取りやめましてございます」


「……津軽為信め」


 俺は思わず苦笑を漏らし、首を振った。


 あの油断のならぬ陸奥北辺の梟雄のことだ。

 領内の謀反などというのは十中八九、見え透いた口実に過ぎない。


 隣国の秋田で旧領主の遺児が蜂起し、出羽全土が泥沼の火の海と化したのを見るや、勝ち馬が定まらぬ戦場へ兵を出すリスクを瞬時に嗅ぎ取り、そそくさと自領に引き籠もって日和見を決め込んだのだ。


 伊達への義理立てよりも、まずは自領の保全と手兵の温存。

 津軽為信らしい抜け目のない立ち回りだが、これで北からの増援の計算もまた一つ狂ったことになる。


「さらに庄内では、大宝寺義興が羽黒山の信徒衆を率いて蜂起。六十里越街道を封鎖いたしました。このため宇都宮へ向かっていた留守政景様の軍勢七千が立ち往生し、その隙に街道出口の白岩城と寒河江城を斯波方に奪われ、進軍を完全に阻まれております」


「羽黒の修験勢力まで動員して街道を寸断するとはな……」


 俺は深く息を吐き出し、天井の太い梁を見上げた。


 大宝寺義興――。

 二十二年前、天正六年の冬の記憶が脳裏をかすめる。


 先代の大宝寺義氏が清川関で敗れ、屋浦城で自刃して大宝寺家が滅亡した折、羽黒山信徒衆の反発を抑え込むため、義氏の弟であった義興を助命し、羽黒山別当職を継がせたのは他ならぬ俺の献策だ。

 政教分離を条件とし、下界の政治や領国統治には一切関与させず、あくまで修験道に専念させることで信徒の不満を宥めたはずであった。

 そして庄内には伊達家の一門たる留守政景殿を配し、長年にわたり酒田の湊や庄内平野を堅牢に治めさせてきた。


 だが、義興にとってみれば、父祖伝来の地を奪われ、山上に押し込められて神仏の祈祷に明け暮れる日々は、屈辱以外の何物でもなかったのだろう。

 徳川家康の調略は、その心の隙間を正確無比に射抜いたのだ。


 「大宝寺家の旧領復興」の餌に釣られた義興は徳川と密約を結び、鬱屈していた羽黒山の山伏や門徒たちに武器を取らせたものと推測できる。

 出羽三山の険峻な霊峰に根を張る修験者どもは、ただの農民の信徒ではない。

 月山や湯殿山の断崖絶壁を庭とし、山岳ゲリラ戦に長けた頑強な武装集団であった。






 俺は顎に手を当て、頭の中で奥羽の地図を引く。


 保春院の毒殺未遂。

 斯波義光の山形城占拠。

 安東実季の脇本城奇襲。

 津軽為信のサボタージュ。

 そして大宝寺義興と羽黒山信徒衆による六十里越街道の封鎖。


 すべてが寸分の狂いもなく連動して炸裂している。


 もちろんのこと全て徳川方の策だ。

 この客殿の隅で涼しい顔をして座っている男――本多正信が描いた絵図に他ならない。


 左近は息を整え、決定的な数字を叩きつけた。


「宇都宮にて集約いたしました見立てによれば、山形の最上軍、仙北雄勝の戸沢・後藤軍、庄内の留守政景軍、秋田の原田・安東軍……すべてが出羽国内の局地戦に拘束されております。動かせるのは、米沢の田村勢のみ。米沢を除く、出羽の兵三万人が完全に動員不能となっております」


「……三万が、消えたか」


 顔色こそ動かさなかったものの、俺の胸中には冷たい氷を呑み込まされたような戦慄が走っていた。

 出羽の三万を欠いて伊達の動員が五万に目減りしたこと、そして何より、奥羽鎮守府の総大将その人が信夫郡で立ち往生しているのだ。


 俺は視線を客殿の隅へと向けた。

 そこには、数珠を手繰りながら、枯れ木のように静まり返っている本多正信の姿がある。


「――お見事ですな、佐渡守殿」


 俺が冷ややかに声をかけると、正信はわざとらしくまばたきをし、細い目を丸くしてみせた。


「……はて。左京亮殿、何がでござりましょうかの」


「保春院の情念を煽り、死んだはずの安東の遺児を密かに男鹿へ送り込み、果ては羽黒山の修験道まで動員して六十里越街道を塞ぐ。これほど鮮やかに出羽一国を麻痺させてみせるとは、天下広しといえど、そなた以外の軍師に描ける絵図ではありますまい」


「ほほほ、滅相もござらぬ」


 本多正信は腰を屈め、いかにも人の良さそうな好々爺の笑みを浮かべて両手を振った。


「それがしのような老いぼれが、そのような大それた芸当などできましょうや。すべては伊達家の積年の不徳と、奥羽の諸将が内府様の御威徳を慕って自発的に義旗を翻したまでのこと。天の巡り合わせにございますよ」


 ぬけぬけと言ってのける老狐の顔を見据えながら、俺は内心で舌を巻く。

 奥羽征伐に向けて様々な調略を仕掛けてくるのは想定していた。

 だが、かつて俺と輝宗公が消しきれなかった怨恨の火種をここまで見事に掘り起こしてみせるとはな。


 そして――何よりも胃が痛むのは、大坂からの報せが何一つ届いていないことであった。

 上方は本当に史実通り動いてくれるのか。

 もし上方が動かぬまま、出羽が崩壊した盤面で小山へ引きずり出されれば、二階堂は徳川十四万の鉄足の前に単独で踏み潰されることになる。


「……左近。盛隆には、決して焦るなと伝えよ。我らも徳川内府殿のお供をして、間もなく小山へ向かう」


「ははっ。しかと申し伝えまする」


 左近が深々と頭を下げる。


 二階堂重臣による人質の確認、そして恭順の念押し。

 この会見によって、徳川方にとって「二階堂が寝返った」という信憑性は盤石のものとなった。






<1600年 8月27日>


 慶長五年七月十九日、早暁。

 左近こと保土原行藤が下野へ引き返した翌朝。

 二階堂の恭順を確信した徳川家康は、躊躇なく第一陣を進発させた。


 徳川秀忠率いる本軍三万が、地鳴りのような軍足の響きとともに、下野小山へ向けて江戸を出陣したのだ。

 城下を貫く街道筋は、数万の軍兵と立ち並ぶ槍衾、無数の兵糧駄馬で埋め尽くされ、土煙が空を覆った。


「――左京亮殿、奥方殿」


 庭先に足音を響かせ、警固役の水野勝成が姿を現した。

 すでに胴丸を身に纏い、出陣の気迫を漲らせている。


「秀忠様はすでに出立いたしました。明後日には内府様ご自身も旗本を率いて江戸を出陣あそばされる。お二方にも当初の手筈通りご同道願いとうござる。翌々朝、迎えに参りますゆえ、身支度を整えておかれよ」


「承知した」


 俺が短く返すと、水野勝成は人質たる俺たちの様子を一瞥し、配下への差配のため大股で表門の方角へと戻っていった。


「……夫殿」


 南御前が、静かに俺の横顔を見つめてきた。

 その切れ長の瞳に、痛切な憂慮が揺れている。


「政宗は……動けぬな。杉目で背後を固め、山形の救援に向かうか、あるいは仙台へ退くのが戦の定石よ。二階堂が敵に回るかもしれぬと疑えば、宇都宮への南進などできるはずがない」


「ああ。普通の将であれば、間違いなく兵を退く局面だ」


 俺は小さく頷いた。


 今、杉目城にいる政宗には、大坂での西軍蜂起の報せなど届いているはずもない。

 政宗の目に見えている現実は、背後の出羽全土が火の海と化して実母に毒を盛られた弟が長谷堂城で孤立し、動員兵力が五万に削られたという最悪の戦況のみなのだ。


 しかも――徳川家康は帝に俺を引き合わせ、大坂を発つ折には豊臣秀頼への拝謁や戦評定の場に、前当主であるこの俺をこれ見よがしに引き連れてみせた。

 二階堂盛義が徳川の先導役を務めるという絵面を、天下に知らしめている。


 あの大坂での一件は、当然ながら杉目にいる政宗の耳にも届いているはず。

 出羽からの動員を断たれ、兵力を削がれた政宗から見れば、下野の二階堂や岩城が本当に徳川の甘言に屈して寝返ったのではないかという強い疑念を抱いても何ら不思議ではない。


 もし二階堂盛隆や盛宗が、父である俺の命惜しさに白河の関を開け放ち、徳川十四万を先導して牙を剥いてくれば、南進した伊達軍五万は三倍以上の敵勢の圧力を真っ向から受け、壊滅する。

 背後に出羽の炎上を抱え、前方の二階堂に裏切りの恐れがある以上、常識的な武将であれば宇都宮への南進など絶対に冒すことのできぬ危険な状況であった。


 だが、伊達政宗という男は、果たして「普通の将」の枠に収まる器であっただろうか。


 かつて小田原の役の折、全軍が取り乱す中で自ら白装束を纏い、たった三百の兵で秀吉の陣中へと乗り込んでみせたあの狂気。

 伏見の政争を「瓶の中の権力争い」と一蹴し、イスパニアへの大船派遣と南蛮貿易を豪語したあの気宇壮大な野心。

 あの男が天下の覇権を狙うならば、家康が奥羽征伐に軍を動かした今この瞬間こそが、最初にして最後の好機であるはずなのだ。


(千載一遇の好機を、疑心暗鬼に呑まれて見逃すか。それとも己の覇気一つで南へ突っ込んでくるか……)


 すべては、伊達政宗という武将の器量と、天運の風向きを嗅ぎ分ける野生の直感に掛かっている。


 もし政宗が退けば、下野の二階堂軍は徳川十四万の鉄足に単独で立ち向かわねばならなくなる。

 だが、出羽の三万を欠いた五万の兵力であろうとも、政宗が南下を決断して宇都宮の背後に陣取ってくれさえすれば――小山の地において、我らが打てる手立ての選択肢は大幅に増え、二階堂と伊達家の未来は大きく広がるはずなのだ。


 俺は、遠い北の空――杉目城で足を止めている隻眼の従甥の面影を思い浮かべながら、静かに拳を握りしめた。






<1600年 8月28日>


 明けて翌日、慶長五年七月二十日の昼過ぎ。

 青松寺の客殿の空気が一変していた。


 これまで俺たちの警固を担当し、昨夜まで気さくに言葉を交わしていた水野勝成の姿が、忽然と消えていたのだ。

 代わって式台に現れたのは、仕立ての良い浅葱色の直垂を着こなした、見慣れぬ若い武将であった。


 通った高い鼻筋に、氷のように冷ややかな切れ長の双眸。

 年は三十半ばといったところか。

 端整な貴公子然とした風貌の裏に、話の通じぬ愚物は最初から相手にしないといった、若き秀才特有の傲慢さを滲ませている。


「――お初にお目にかかります、二階堂左京亮殿。徳川家家臣、本多上野介正純にございます」


 正純は微かに唇の端を持ち上げ、儀礼的ながらもどこか見下すような薄い礼を取った。


(本多正純……。あの佐渡守の嫡男か)


 名乗りを聞いて合点がいった。

 あの薄気味悪いほど飄々として老獪な父親の面影はどこにもない。

 若くして才気走った切れ者特有の、近寄りがたい刺々しさが全身に張り詰めている。


 それだけではない。

 本多正純の冷ややかな眼差しの奥には、隠しきれない侮りの色が透けて見えていた。


(なるほどな。親父の佐渡守から、油断するなだなんだ、あれこれ吹き込まれてきた口か)


 だが、当の本多正純にしてみれば、目の前にいるのは白髪交じりの呑気そうな好々爺に過ぎない。

 「父上も年老いて焼きが回ったか。奥州の田舎大名を過大評価しすぎなのだ」と、内心で鼻で笑っているのがありありと伝わってくる。


「これは上野介殿。佐渡守殿の御子息が直々に何の御用かな。……ところで、昨日までここの警備を預かっていた水野殿のお姿が見えぬようだが」


 俺がとぼけた調子で尋ねると、本多正純は薄笑いを浮かべたまま、すまし顔で答えた。


「水野殿には急ぎの所用が生じ、昨夜のうちに離陣いたしました。此度の下野への道中、内府様の命により、それがしがお二方の身辺をお世話申し上げる次第にございます。奥羽征伐の道案内役を務められる大事なお身体ゆえ、くれぐれも粗相のないよう努めさせていただきますので、どうぞご安心を」


「ほほう、わざわざ佐渡守殿のご嫡男にお世話をいただけるとは、恐悦至極。……して、水野殿の急ぎの所用とは、三河にでも戻られたのかな」


「…………」


 本多正純の薄笑いが、ぴたりと凍りついた。


「なにゆえ……三河と思われるので」


 本多正純の声音から先ほどまでの軽侮が急速に消え失せ、張り詰めた調子へと変わる。

 俺はふっと穏やかに目を細め、何でもない雑談のように言葉を重ねてやった。


「なに、水野殿が慌ただしく駆けていく先といえば、古巣の三河かと思いましてな。昨日あたり、池鯉鮒のあたりで何か凶事でも起きたのではないかと案じたまでよ」


「っ……!?」


 本多正純の切れ長の瞳が、限界まで見開かれた。

 通った鼻筋の横に、青筋がピクリと浮き上がる。

 顔面からサッと血の気が引き、息を呑む微かな音が静まり返った客殿に響いた。


(やはりな……昨日、水野忠重が殺られたか)


 本多正純の劇的な動揺を見て、俺は確信した。


 昨日――八月二十七日、三河国池鯉鮒の酒席において、徳川の重臣であり水野勝成の実父である水野忠重が刺殺されたのだ。


 忠重の死によって水野家および徳川家中に衝撃が走り、水野勝成は急遽その跡目を継ぎ、領国の動揺を鎮めるために江戸を飛び出して三河へ駆け戻らねばならなくなった。

 そしてこの暗殺工作こそ、上方の大坂城で西軍が発した謀略の歯車が動き出し、徳川家康の手足を捥ぎにかかった動かぬ証拠であった。


 厳重に情報統制を敷き、江戸城内でもごく一握りの側近しか知らぬはずの機密――それも昨日の今日で起きたばかりの三河での凶事を、青松寺の奥深くに軟禁されていたはずの田舎大名が、事も無げに言い当てたのだ。

 本多正純にしてみれば青天の霹靂どころの衝撃ではないはず。


 本多正純は腰の刀の柄を無意識に握りしめ、慄然とした面持ちで俺を凝視した。

 その引き攣った口元から、絞り出すような独白が漏れ出る。


「……父の言うた通り、さすがは大天狗というところですか」


(――おいちょっと待て貴様!!)


 俺は平静を装った笑みを貼り付けたまま、内心で猛烈な怒りの炎を噴き上がらせていた。


(やっぱり佐渡守か!! あいつが城中で俺のことを大天狗だの何だのと吹聴して回っておったのか!!)


 何日か前に、城を抜け出して青松寺に忍び込んできた辰千代が「大天狗の化け物を見に来た」「鼻が長くない」などと口走っていたのを思い出し、すべての辻褄が合って怒髪天を衝く思いであった。

 あの悪相の老狐め、徳川の家中はおろか御曹司にまで怪しげな尾ひれをつけて俺の悪評をバラ撒いていやがったのだ。


 誰が大天狗だ。

 俺はいつだって平穏を愛し、常識的な良識をもって盤面を整えてきただけの善良な隠居寄り合い爺ではないか!


 心の中で本多正信に怒りの罵詈雑言を浴びせ倒している俺の内心など露知らず、本多正純は射殺さんばかりの鋭い警戒の眼差しを向け、後ずさるようにして式台を降りていった。


「……軍中の秘事にございます。左京亮殿におかれましては、余計な詮索はご無用に願いたい」


 辛うじてそう言い捨てたものの、その声は微かに震え、先ほどまでの傲慢さは木っ端微塵に吹き飛んでいた。

 目の前にいるのは、穏やかな好々爺の皮を被り、城外の耳目をすべて通じた上で冷徹に日ノ本全体の動きを見透かしている化け物――父・正信が警告した通りの「大天狗」そのものに見えているに違いない。






<1600年 8月29日>


 慶長五年七月二十一日。

 愛宕下の青松寺の周囲は、夜明け前から凄まじい地鳴りと馬蹄の轟きに震えていた。


「――出陣の刻限にございます。乗物へお乗り願おう」


 門前で馬上の人となった本多正純が、鋭く張り詰めた声で下知を飛ばした。

 青松寺の表門をくぐり出ると、そこにはすでに徳川本軍の先頭を行く無数の槍衾と旗指物が、奥州街道を埋め尽くしていた。


 徳川家康率いる旗本本隊、さらに福島正則ら同道する諸大名の部隊を合わせ、総勢九万余に達する巨大な軍勢が、江戸城下を発して下野小山へ向けて進発したのだ。

 俺と南御前を乗せた立派な駕籠は、本多正純の率いる手勢に四方を隙間なく取り囲まれ、街道を北へと進む大軍のただ中へと組み込まれていった。


 街道の両脇には、鎧武者の群れがどこまでも続き、白銀の刃と砂塵が陽光にギラギラと照り返されている。

 諸将も兵たちも、これから奥州の伊達を叩き潰すのだと信じ切っており、その士気は異様なほどに高い。


(だが小山へ着けば、すべてが引っくり返る)


 揺れる駕籠の簾の隙間から、西の空を見上げながら、俺は静かに息を整えた。


 大坂の凶報と三奉行の弾劾状が届けば、この徳川軍の足元は一気に崩れる。

 狙うは、その動揺に乗じて奥羽鎮守府が主導権を握り、東西両軍の疲弊を待っての天下取りだ。


 だが、その勝負を挑むための最大の手札――伊達本隊の下野着陣が、出羽の謀反で揺らいでいる。


 政宗は、果たしてどう動くのか。


 いざ、小山へ。



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― 新着の感想 ―
何か正宗くんが超ザコに見える今日この頃。 ある程度の跳梁跋扈は仕方ないにしても、ここまで自由にやられるのは、諜報機関が弱いか敢えて泳がしてるかだと思いますが、まぁ、ここから奇想天外な一手があると期待し…
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