第6話・革命の始まり
朝の士官食堂には、食器の触れ合う音が響いていた。
ラインは隅の席へトレイを置き、椅子を引く。
ここへ来てから、すっかり定位置になった席だ。
スクランブルエッグにベーコン、それからパン。
代わり映えのしない朝食を、順番に口へ運んでいく。
赴任してまだ数日。
顔を知っている相手は増えたが、一緒に食事をするような知り合いはいなかった。
かといって、無理に誰かの輪へ入る気もない。
1人なら食事も早く済む。
今日やることを考えるには、ちょうどよかった。
「ご一緒してもよろしいでしょうか」
パンを口へ運びかけた手が止まる。
顔を上げると、フィリアがトレイを持って立っていた。
軍服の襟元から、白い包帯が覗いている。
昨日の姿を思えば立っているだけでも驚きだが、それ以上に––––
……僕のところへ来るのか。
「構わないけど」
「失礼します」
フィリアは向かいへ腰を下ろした。
トレイを置く際に少しだけ動きが鈍ったが、手を貸すより先に座り直してしまう。
そしてスプーンを取り、小さくすくった卵を口へ運んだ。
ラインは、その様子をつい見てしまった。
「結構な重傷だったと思うけど……普通に食事して大丈夫なの?」
「回復魔法で治療してもらったので、かなり良くはなりました」
フィリアの手が、そっと腹部に触れる。
「ただ、まだ治りきってはいないので。食事はよく噛んで食べるようにと言われています」
「そっか。じゃあしばらくは、しっかり食堂のご飯を味わうといい」
「はい、そうさせていただきます」
素直な返事だった。
それを聞いて少し安心し、ラインも食事へ戻る。
––––随分と雰囲気が変わったな。
向かいでは、フィリアが言われた通りゆっくりと噛んでいる。
こちらの言葉の裏を探る様子も、目が合うたびに身構えるような気配もなかった。
つい先日まで向けられていた警戒心が、まるで抜け落ちている。
助けたことは確かだ。
だが、礼を言われるのと朝食を共にするのとでは、少し話が違う。
「僕なんかと一緒に食べてて大丈夫? 友達とか、仲のいい人もいるんじゃないの?」
「いるにはいますが、今ちょうど彼女は遠征中ですし。それに……」
フィリアは口の中の物を飲み込んでから、こちらを見た。
「少佐となら、一緒に食べてもいいかなと思ったので」
何気ない口調だった。
言ってから慌てて取り繕うこともなく、またスプーンを動かしている。
ラインは少し遅れて、笑みを浮かべた。
「そっか。君が構わないなら、それでよかった」
昨日までなら、まず聞けなかった言葉だ。
こうも素直に言われると、こちらの方が調子を崩される。
けれど、ただ食事をするためだけに来たわけでもないだろう。
部屋で休んでいてもおかしくない体で、わざわざ自分を探したのだ。
最後のベーコンを飲み込み、ラインはフォークを置いた。
「で……本命の聞きたいこともあるんだろう?」
「もちろんです」
今度は、はっきりした返事だった。
フィリアの背筋が少し伸びる。
「どうやったら、この悲惨な状況をひっくり返せるのか。ぜひ教えていただきたいのです」
「ちょうどよかった。君が協力してくれる意思を示してから、話そうと思っていたからね」
カップを手に取り、コーヒーを口へ含む。
……苦い。
先日のカフェとは比べるまでもなかった。
代用品なのは承知しているが、香りよりも妙な焦げ臭さが先に来る。
思わず眉を寄せると、フィリアがカップへ視線を落とした。
「……今日は、少し濃いようですね」
「そういう問題かなぁ、これ……」
彼女の口元がわずかに緩んだ。
ラインも苦笑し、カップを置く。
他の士官たちは、変わった組み合わせに少し驚いている。
「今の軍には敵が多すぎるからね、1つずつ片付けていくのもありなんだけど……こういうのはまとめて済ませた方が手っ取り早い」
「と、言いますと?」
「魔獣、フランキア共和国、それから冒険者ギルド。外にも内にも敵を作った今、まともに全部を相手にしていたら勝ち目はない」
兵、物資、いずれも不足。
街を守るだけで手一杯なのに、肝心の街にいる者たちまで軍へ背を向けている。
これで正面から戦えという方が、無理な話だった。
背中から刺されるだけだ。
「ならば、どうするか」
もう一度コーヒーを飲む。
やはり苦い。
だが、今度は顔に出さずに飲み込んだ。
「3つ全部は無理でも、2つ同時に片付けることは可能だ」
「……冒険者ギルドと、魔獣の増加。この2つですか?」
「ビンゴ」
ラインは人差し指を立てた。
答えが早い。少なくとも、こちらの話をただ聞くだけで終わらせるつもりはないらしい。
「問題は複雑に見えるけど単純だ、理由は1つ。こちらへ向かってくる理由がそれぞれ違うんだよね」
フィリアは食事の手を止めていた。
その目を見ながら、言葉を続ける。
「冒険者ギルドは、軍への不信から敵対関係にある。軍に任せられないから、自分たちが街を守ると言っているわけだ」
「……ええ」
「でも、魔獣の方は違う。僕らを滅ぼすなり、領地を奪うなりするために来ている。軍が気に入らないから襲っているわけじゃない」
どちらも軍にとって厄介な相手。
だが、それだけを見て同じように扱う必要はなかった。
「こうなったら、あとは簡単さ」
中指も立て、2本の指を並べる。
「僕の最初のプランは、冒険者ギルドと魔獣問題。この2つを同時に片付けることだ」
フィリアは黙って聞いている。
先日のように、できるはずがないという顔はしなかった。
その先を待つように、信じるようにこちらを見つめていた。
「けど僕1人じゃ到底できそうにない。だから改めて、君の協力を頼みたい」
フィリアがスプーンを置いた。
トレイの上で、小さな音が鳴る。
「少佐のためなら、何だってします。何でも言ってください」
迷いのない返事だった。
包帯の残る姿で、まっすぐこちらを見ている。
……そこまで言うか。
つい数日前には、信頼しきったと思うなと釘を刺されたばかりだ。
あの時と同じ少女が、今は自分から協力を申し出ている。
ならば、こちらもそのつもりで応えなければならないだろう。
それが上官の責務だ。
「いい返事だ、では早速––––」
言いかけて、彼女の皿に目が留まった。
まだパンも卵も残っている。
話を聞く間、すっかり手が止まっていたらしい。
「……まずは、朝ご飯を食べ終えてからにしようか」
「す、すみません! すぐに」
「よく噛んで食べるようにね?」
伸びかけた手がパッと止まる。
フィリアは少し恥ずかしそうに、スプーンを持ち直した。
「急がなくていいよ、ちゃんと待ってるから」
ラインは椅子へ背を預けた。
いつもなら、とっくに席を立っている頃だ。
まだ少し残っていたコーヒーを飲みながら、向かいで食事をする彼女をゆっくり待った。
◇
市場の賑わいは、先日と変わらなかった。
野菜を並べる露店に、声を張り上げる店主。
その軒先には、相変わらず同じ札が下がっている。
【軍用小切手でのお支払いはお断りします】。
一級魔獣を軍が倒したからといって、翌日から全てが変わるわけではない。
ラインは札を横目に、そのまま通りを進んだ。
今日も、2人とも私服だった。
ラインはラフなシャツに長ズボン。
フィリアは白いニットにベージュのショートパンツを合わせ、長いブーツを履いている。
「こういうのって、回りくどいことをすると逆に怒られるし。僕も嫌いだからさ」
「それは、わかりますが……」
「だろう? だからさ、ストレートに行ってしまった方が後で楽なんだよ」
フィリアが隣からこちらを見上げる。
非常に何か言いたげな顔だった。
「ストレートすぎるのも考え物ですが……まあ、お付き合いいたしますよ」
「助かる」
先日入ったカフェの前を通り過ぎる。
今日は甘い物を食べに来たわけではない。
フィリアも足を止めず、ラインの隣を歩いていた。
やがて、通りの先に大きな建物が現れる。
人の出入りが多く、扉の脇では武器を携えた男たちが話し込んでいた。
軍の募集広告を埋もれさせるほど、街中に貼られていた名前。
それが、頭上の看板にも大きく掲げられている。
冒険者ギルド––––【ドラゴニア】。
ラインはその前で足を止めた。
隣を見れば、フィリアも看板を見上げている。
やがてこちらへ向き直り、小さく頷いた。
「じゃあ、お邪魔しようか」
ラインはギルドの扉を勢いよく開けた。




