第5話・ラインの実力と、大逆転の始まり
「少佐が……浮いてる?」
「どうなってるんだ、あれ……!」
結界の外にいた兵士たちの声が聞こえた。
だがフィリアは、それどころではなかった。
魔力の質が違う。
3日前、目の前で剣を飛ばした時とはまるで別物。
量が多いとか、出力が高いとか……そんな話ではない。
あれは、人間が持つ魔力ではない。
もっと神に近い、畏れすら感じる力だった。
そんな人間、今まで見たことがない。
異端––––その言葉しか浮かばなかった。
––––パンッ!
ラインが、両手で柏手を打った。
その姿が空から消えたと思った時には、もう隣にいた。
「……ッ!?」
高速で降りてきたのか?
違う。空気の動きも、着地の衝撃もない。
瞬間移動……転移魔法とも、何かが違う。
仕掛けがあるはずなのに、わからない。
考えようにも、腹の痛みが邪魔をした。
「どう……して……」
「君には悪いと思いつつね、ちょっとだけ様子を見させてもらってたよ」
ラインは膝を折り、こちらへ顔を向けた。
金色の瞳が、血で汚れた軍服を見下ろす。
「君は他人と同じくらい自分も大切にする。けど、それ以上に自分を傷つける癖がある」
「……」
「自分を守るために他人を守り、その人たちのためにまた自分が傷つく。それじゃ魔導師として……いや、軍人として失格もいいところだ」
何も言い返せなかった。
身に覚えしかない。部下の声を無視した結果が、この有り様だ。
フィリアは、傷と汚れだらけの体を小さく丸めた。
「全くもって……その通りです……」
俯いた先の石畳に、自分の血が落ちる。
救いに来てくれた相手の顔すら、まともに見られなかった。
「けど、君は自分の抱えている悩みや間違いに気づけた」
声が明るくなった。
思わず顔を上げると、ラインは笑っていた。
「かなり高い授業料だったと思うけど、こうして答えに至ることができたんだ。君は間違いなく成長できる人間だよ」
「……えっ」
見ていた……?
自分が前へ出て、攻撃を防がれ、叩きのめされるところまで。
そして、自分の過ちに気づくのを待っていたのか。
あの拳が振り下ろされる寸前。
ほんの一瞬でも遅れれば死んでいた、あの瞬間まで。
私を……信じて!
「ここから先は僕の仕事だ、君は今日はそこで見ていなさい」
ラインが立ち上がる。
その背中が、自分と魔獣の間に入った。
「私は、まだ戦え––––っ、ぁ……!」
身を起こした途端、腹の奥に激痛が走った。
杖へ伸ばしかけた手が落ちる。
「一晩で治るような傷じゃない。後で回復魔法をかけてもらうとしても、今は安静にしてなさい」
優しく言われ、今度こそ動けなくなった。
ここで無理をしたら、また同じことを繰り返すだけだ。
「さて……うちの可愛い部下を、随分と可愛がってくれたようだけど」
ラインが魔獣へ向き直る。
金色の瞳は、相手から離れなかった。
「等級は一級魔獣ってところかな。結界術まで使えるんだね。魔法は……概念型じゃなさそうか」
「……!」
「単純に出力を上げただけの脳筋ってところかな」
「なぜわかった……俺はまだ魔法を見せてねえぞ」
魔獣の声が変わった。
さっきまでフィリアを嘲笑っていた顔が、強張っている。
見せていない手札まで、見抜いた……?
「おあいにくさま、人様より少し目がいいもので」
ラインは、自分の瞳を指さした。
「ただ、これは極力使いたくない力なんでね。早めに決着をつけさせてもらうよ」
その右手の周囲が、グニャリと歪んだ。
……何、あれ。
光がねじ曲がっている。
背後の家屋が右腕の周りだけ引き延ばされ、輪郭を失っていた。
見間違いではない。空間そのものが歪んでいるのだ。
「部下たちの前なんでね、格好つけさせてもらうよ」
「ほざけッ!!」
魔獣が両腕を交差させた。
全身を覆う魔力が、一気に膨れ上がる。
自分の剣を叩き折った時の数倍……!
あれでは、魔導砲でさえ通用しない。
真正面から殴りかかるなんて無茶だ!
「少佐、下がっ––––」
言い終わる前に、ラインが踏み込んでいた。
速い……!! 目で追った時には、もう魔獣の懐へ入っている。
「なッ!?」
交差していた腕が崩れた。
まるでラインの体へ引っ張られるように、魔獣の構えが前へ傾ぐ。
がら空きになった胴へ、拳が振り抜かれた。
––––ドォンッ––––!!!
巨体が砕け散った。
両腕で守る暇も、踏ん張る間もない。
吹き飛んだ魔獣は大気へ散り、そのまま光る魔力粒子となって空へ昇っていった。
「……は?」
フィリアの口から、間の抜けた声が漏れた。
目の前には、拳を下ろすラインだけが残っている。
たった……1発。
準一級魔導師の自分を、ここまで叩きのめした相手だ。
あんなに硬かった腕も、桁違いの魔力も……何の障害にもならなかった。
技名すらない、ただ振り抜いただけの拳で。
「ああ……やっぱり、この力だけは使いたくないもんだ。まあいいか」
ラインは昇っていく粒子を、うんざりしたように見送った。
こちらへ振り向いた時には、瞳は元の緑色に戻っている。
「相応に痛い思いはしたが……気づけたようだね、フィリア」
近づいてくる靴音に、返事ができなかった。
一級魔導師という枠にすら収まらない。
まさか……この人は。
ラインがしゃがみ、フィリアの頭へ手を置いた。
「よく頑張ったね、フィリア。そして……よく自分1人で答えに辿り着いた」
「ッ……」
髪を撫でられた。
叱られる覚悟はしていた。失望されても仕方ないと思っていた。
なのに、こんなふうに触れられるとは思っていなかった。
体は痛い。頭も……まだうまく働かない。
目の前で起きたことも、この人の言葉も……どう受け止めればいいのか。
ただ、その顔を見るのが申し訳なかった。
「わかり……ません」
「何がだい?」
「なぜ、私をそこまで信用していたんですか……? 私、あなたを一切信用していなかったのに……!」
ラインは少し不思議そうにしてから、穏やかに答えた。
「簡単な話さ。君はあそこまで追い込まれても、何かに祈ったりしなかった」
頭に置かれた手は、そのままだった。
「最後まで自分で考えて、この結果も自らの慢心だと理解した。そして一度は、全てを受け入れようとした」
「……」
「誰にでもできることじゃない、君が自分というものを持っているからできたことだ。僕はずっと、そこに可能性を見出していたんだよ」
喉が詰まった。
あんな、惨めに死を待つだけだった自分を。
この人は、そんなふうに見ていた……?
「でも……私の街への思いは、ただの自己満足だったんです。決して綺麗なものじゃありませんでした。その結果が……これです」
裂けた軍服を見下ろした。
血と埃で汚れ、指先まで震えている。
守ると息巻いた自分が、結局は助けられていた。
「まさにそこだよ。君にとっては偽善だったかもしれない。けれど、それで守られたものは確かにあった」
口調は、変わらなかった。
「ただ、その守るものの中に“君自身”が含まれていなかった。それだけなんだよ」
「……ぁ」
自分も、守るものの中に。
そんなこと、考えたこともなかった。
役に立たなければ。自分が守らなければ。
そうやって自分を追い込むことまで、この人には見えていたのだ。
答えを教えず、気づくまで待っていた。
自分でわかる人間だと……最初から信じて。
「あそこで神なんかに祈ってしまうような人間だったら、僕は君が潰されるのを黙って見ていたよ」
息を呑んだ。
だが、ラインは迷わず続けた。
「でも、そうならないことはわかっていた。誇っていい。君は強い、そして優しい。誰かを守ることにふさわしい人間だ」
視界が滲んだ。
痛みのせいだと思おうとしても、もう無理だった。
街では穀潰し扱い。
認めてほしくて前へ出た挙句、この有り様。
それでも、この人は……自分に資格があると言ってくれる。
「私なんかで……私なんかが、そんな資格……あるんでしょうか」
「この僕が断言するよ。ある」
即答だった。
その顔を見上げたまま、頬を涙が伝った。
「ははっ……本当にあなたは、よくわからないお人です……」
もう、目を開けていられなかった。
頭に触れる手の温かさを感じながら、フィリアの意識はゆっくり途切れた。
◇
一級魔獣出現の報は、アルテマを一時騒然とさせた。
だが直後、王国軍による敵部隊殲滅の報告も街へ届いた。
「あの軍が、一級魔獣を……?」
「南側は守り切ったらしいぞ」
驚きと疑い。その中に、ほんの少しだけ期待が混じり始めていた。
誰も見向きもしなかった軍の戦果に、人々が耳を傾けている。
見捨てられた土地での逆転劇は、まだ始まったばかりだった。
担架で運ばれていくフィリアを見送り、ラインは呟いた。
「この計画には……フィリア、やはり君が不可欠だ」




