第3話・どうやら、少し懐いてくれたらしい
「まさか……軍服で外に出るつもりですか?」
駐屯地を出ようとしたラインは、背後からの声に振り返った。
そこに立つフィリアを見て、今度はこちらが驚く。
「逆になんで君は、そんな可愛らしい格好?」
白い長袖のニットに、ベージュのショートパンツ。
膝下まであるブーツも、さっきまで無骨な軍用服とは違う。
少し飾りの付いた、街歩きのための物だった。
銀色の綺麗なショートヘアも相まって、どこから見ても休日を楽しむ普通の少女だ。
「理由は歩いていればわかります。なのでまずは、少佐も私服にお着替えください」
「……了解」
言われるまま部屋へ戻り、荷物から服を引っ張り出す。
ほどなく着替えて戻ってきたラインに、フィリアは言葉を失った。
ラフなシャツに、ゆるゆるの長ズボン。
足元は、露店で安く売っていそうな靴。
––––貴族……ですよね?
あの三大貴族シュツットガルト家の人間がこれ……?
本人は特に気にする様子もなく、シャツの裾を軽く引っ張っている。
「これならいいかな?」
「……はい。行きましょう」
まぁ目的は果たしている。
これで軍人だと気づく者はいないだろう。貴族だと思う者もまずいない。
フィリアはそれ以上考えるのをやめ、彼と駐屯地を出た。
◇
市場は買い物客で賑わっていた。
店主の呼び込みに、商品の値段を聞く声。
荷車を引く男が、道を空けてくれと手を振っている。
その中を歩き始めてすぐ、ラインは店先の札に気がついた。
【軍用小切手でのお支払いはお断りします】。
隣の店にも、その向かいにも。
露店の小さな台にまで、同じような札が下がっている。
「ああ……そういうことね」
「ええ、そういうことです。あちらもご覧ください」
フィリアが示した掲示板には、軍の募集ポスターが貼られていた。
その横を埋め尽くすのは、倍ほどもあるギルドの募集広告。
何枚も並ぶ華やかな文字の隅で、軍の待遇を説明する紙が窮屈そうに収まっていた。
中央では、まず見られない光景だ。
軍用の小切手を使える場所が、これほど徹底して存在しないとは。
「憲兵が見たら鳥肌が立つだろうね」
「忌々しい事実ですが、これが今のこの街の現状です」
フィリアは笑わなかった。
すれ違う客を避けながら、そのまま説明を続ける。
「我々軍は、この戦争が始まってから3ヶ月で信頼を完全に失墜しました。何度も街への侵入を許し、犠牲者も出し続けた……当然と言えば当然です」
店と店の間には、板で塞がれた窓があった。
その奥の家屋は、屋根の一部が崩れたままになっている。
「軍の体たらくは、そのまま不信に繋がりました。積もり積もった不信は、やがて冒険者ギルドに自警団のような役割を与えてしまったんです」
「機能不全に陥った法治国家の典型的な末路だ、別に不思議な話じゃない」
フィリアは頷いた。
私服に着替えたところで、目に入る光景まで変わるわけではない。
「結果としてドラゴニアは、等級の高い魔導師を複数擁する国内でも最大級のギルドになりました。今では軍の代わりになると宣言する始末です」
「テンプレートすぎて逆に驚くくらいだ。で……その成果がアレというわけかい」
ラインの視線が、人だかりへ向く。
その中心では、若い男が声を張り上げていた。
「軍は俺たちを守ってなんかくれない! だがギルドは、街のみんなを見捨てはしない!」
男が拳を掲げる。
「誰1人見捨てず……絶対に守り抜く!」
「そうだ! 頼んだぞ!」
「軍なんかより、よっぽど頼りになるよ!」
称賛の声と拍手が上がった。
フィリアはため息を吐き、そちらから顔を背ける。
誰も、彼女がつい先ほどまで戦っていたことを知らない。
あの防衛線にいた兵士たちが、何人で敵を食い止めていたのかも。
言い返したところで何になる。
わかっているから、余計に腹立たしかった。
「せっかくの散歩なんだ、カフェにでも寄ろう」
横から声を掛けられ、フィリアは顔を上げた。
ラインはもう、通りの先にある店を見ている。
「でも、軍の小切手は……」
「階級は別にして、この土地では君の方が先輩なんだ。案内のお礼におごらせてもらうよ」
返事を待たず、ラインが店の扉を開けた。
先に入るよう促され、フィリアは少し迷ってから足を踏み入れる。
中は、驚くほど静かだった。
通りの演説も歓声も、扉が閉まればほとんど聞こえない。
代わりに漂ってきたコーヒーの香りに、張っていた肩が少し下がった。
窓際の席へ腰を下ろす。
向かいに座ったラインは、その変化を見てメニューを差し出した。
「さっきの防衛戦ではしっかり活躍したんだ、好きなのを頼んでいいよ」
「……よろしいのですか?」
「食べ盛りだろう。僕はコーヒーとショートケーキにするから、君も好きなのを頼みな」
彼が指したケーキは、メニューの中でも値が張る方だった。
彼女が遠慮せずに済むよう、先に自分の注文を決めてしまう。
フィリアは飲み物の欄から、隣のページへ目を移す。
その先には、チョコレートケーキの文字。
……これなら、少佐が選んだ物よりは安い。
「では、こちらを。あとコーヒーに……砂糖とミルクをお願いします」
店員が注文を受け、奥へ戻っていく。
フィリアはメニューを閉じてからも、値段をもう一度思い返した。
奢ると言われたからには、素直に受け取ればいい。
わかっていても、自分の財布では頼めない物だった。
ほどなく、2人の前へケーキとコーヒーが運ばれてきた。
白いクリームに、鮮やかな果物。
コーヒーから立ち上る香りにも、薄さや物足りなさは感じない。
ラインは少し意外に思いながら、フォークを手に取った。
予想していたより、ずっとまともだ。
補給が滞っていても、まだこれを客へ出すだけの物資と商売が残っている。
––––立て直す余地はある。本当にギリギリだが。
ケーキを口へ運ぶ。
それを見届けてから、フィリアも自分の皿へフォークを入れた。
「……っ!」
「ん?」
ラインが顔を上げる。
フィリアはひと口食べたまま、目を丸くしていた。
甘い。
しっとりした生地に、濃厚なチョコレート。口の中でゆっくり溶けるクリームが、たまらなく美味しかった。
––––久しぶりの糖分……!
続けて、砂糖とミルクを入れたコーヒーを飲む。
柔らかな甘さの奥にある苦味。鼻へ抜ける香りまで、今は贅沢すぎる。
カフェインの誘惑とは、こんなにも甘美なものだったか。
もうひと口だけとカップを傾け、ほっと息を吐く。
その顔を見て、ラインはようやく察した。
さっきも彼女が気にしたのは、値段より先に軍の小切手だった。
自由に使える現金が、ほとんどないのだろう。
頼れる小切手は、町中でお断り。
軍服を脱いで外へ出ても、買える物はろくにない。
––––なるほど、プライベートもこの有り様だったのか。
「おいしい?」
「ッ……!」
フィリアの手が止まった。
カップの向こうで、ラインが笑っている。
……見られていた。
それも、自分がすっかり気を抜いたところを。
「別に……久しぶりの贅沢で喜んでいるわけではありませんから」
口にした瞬間、自分でも無理があると思った。
よりにもよって、この男の前で何という顔をしていたのか。
慌ててカップを置いたが、頬が熱くなるのは止められなかった。
「おかわりしていいから」
「……結構です!」
ラインの軽い返事に、さらに顔が赤くなる。
やっぱり油断したのは間違いだった!
そう思っても、目の前のケーキを残す気にはなれない。
フォークを入れれば、また甘い香りがする。
少しだけ顔を伏せながら、フィリアは夢中で続きを口へ運んだ。
最後のひとかけらまで食べ、コーヒーも飲み切る。
ラインはその間、通りを眺めながら自分のケーキを食べていた。
部下の顔を覗き込むことも、言い訳をからかうこともしなかった。
フィリアの苛立ちは、いつの間にか薄れていた。
街のことを話せば、また嫌な気分になるかもしれない。
それでも……この人が何を考えているのかは聞いてみたかった。
フィリアは空のカップから手を離し、向かいの男を見た。
「あなたなら、この状況を覆せると思いますか?」
防衛線で見せられた力も、この街を歩いてなお変わらない余裕も。
何かできると思っているからこそなのか。
「ああ、十分できるだろうね。条件はいくつかあるが」
即答だった。
ラインはカップを置き、開いた手を礼儀正しく彼女へ向ける。
「君の協力が不可欠になるけど」
「……私の?」
フィリアは碧眼を瞬かせた。




