98. 鬼塚さんは黙ってくれた。でも美桜さんは黙ってくれない
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鬼塚が目を覚ました。かなり無茶をしたはずだが、さすが羅刹組の首領というべきか、意識の戻りは早かった。サクラが、ほっとした顔で鬼塚の側へ寄る。
「鬼塚さん」
「おう…生きてるな」
「はい。あの、今日のことなんですが」
サクラは一度、俺を見た。俺は黒狼の姿に戻っている。だが、鬼塚は俺が人型になり、喋り、深淵王と戦ったことを見ている。
「クロのこと、内緒にしてもらえませんか?」
鬼塚は少しだけ目を細めた。
「なんだ。ワケありか」
「…はい」
「今日は助けてもらったしな」
鬼塚は面倒くさそうに頭をかいた。
「分かった。黙っといてやる」
「ありがとうございます!」
サクラは深く頭を下げた。
「でもよ」
鬼塚は、倒れていた深淵王の方へ視線を向ける。
「どうやって説明すっかな〜、あれ」
俺たちも深淵王の方を見る。そして、気づいた。
「あれ?」
サクラが目を丸くする。
「深淵王がいない。服だけだわ」
そこには、深淵王の身体はなかった。ただ、破れた服だけが残されていた。
「ダンジョンに吸収されたか…」
俺は呟く。ダンジョンの中で人やモンスターが死ねば、肉体はダンジョンに吸収される。武器や鎧、服などは残る。だから、服だけが残っていること自体はおかしくない。ただし、早すぎる。普通は、ここまで早く消えない。深淵王がダンジョンに深く繋がっていたからか。それとも、何か別の理由があるのか。気にかかる。だが、今は考えている余裕がない。鬼塚は、服だけを見て鼻を鳴らした。
「これなら逃げたって言えばいいか」
「逃げた、ですか?」
サクラが聞き返す。
「目が覚めたら消えてた。そう言っとくわ」
乱暴な説明だ。だが、この場では一番通しやすい。深淵王を倒したのが、黒狼の姿をした大悪魔だと言うよりは、よほどいい。
しばらくして、下の階から足音が響いてきた。一人や二人ではない。多数のハンターたちが、階段を駆け上がってくる。
「首領!」
羅刹組の男たちが、真っ先に鬼塚へ駆け寄った。
「おう。お前たち、無事そうだな」
「首領こそ!」
「総長!」
天照院の者たちは天羽へ。
「楼主!」
月華楼の者たちは九条へ。それぞれの声が飛び交う。しばらくして、天羽、九条、そして美桜も意識を取り戻した。
「美桜さん、良かった〜」
サクラが心から安堵した声を出す。美桜は少しだけ目を開け、サクラを見た。
「サクラちゃん……無事か」
「はい!」
「…あいつは?」
深淵王のことだ。サクラは一瞬だけ迷った。
「に…逃げた、ようです」
美桜は少しだけ目を閉じた。
「そうか……無事で良かった」
「はい」
サクラは小さく頷いた。
「下の階層ですが」
天照院の一人が報告した。
「階段が現れる前に、モンスターが出ました。レベルの低いアンデッドです」
「アンデッド?」
天羽が眉を寄せる。
「はい。おそらく、浅い階層かと思われます」
「そうか」
天羽は周囲を見回した。
「なら、上に上がろう」
九条も静かに頷く。
「異論ありませんわ」
鬼塚は腹を押さえながら笑った。
「とっとと出ようぜ。腹減った」
この状況でそれを言えるのは、ある意味すごい。羅刹組の者たちがサクラの方を見た。
「お前は俺たちが守ってやるよ!」
「え、あ、ありがとうございます」
サクラが戸惑いながら頭を下げる。そこへ美桜が、少しふらつきながらも前へ出た。
「サクラちゃんは私が守るわ」
鬼塚が鼻を鳴らす。
「ふん、そうかい。なら任せるわ」
サクラはそのやり取りを、ハラハラした顔で見ていた。先日の抗争を考えれば、当然だ。だが、少なくとも今この場では、全員が同じ目的を持っている。地上へ出ること。ただそれだけだった。
それから一時間ほどかけて、俺たちは地上へ出た。地上の空気を吸った瞬間、あちこちから安堵の息が漏れる。ダンジョンから出られた。それだけで、今は十分だった。だが、すぐに別の問題が分かった。
「ここ……広島県です」
誰かがそう言った。サクラが固まる。俺も内心で固まった。広島。遠い。遠すぎる。俺たちは地元の海沿いのダンジョンに入ったはずだ。美桜たちは別の場所から入っていた。三大クランも、それぞれ違う県のダンジョンから繋げられていた。深淵王は、本当にダンジョン同士を繋げていたのだ。その異常さを、地上に出てから改めて思い知らされる。
「さぁ、自宅に戻ろう…」
サクラが遠い目をした。明日からまた仕事だ。大変だな。俺は心の底からそう思った。
帰りの新幹線。ようやく一息つけると思った。だが、そう簡単にはいかない。美桜が、静かにサクラへ顔を向けた。
「ねぇ、サクラちゃん」
「はい」
「どうしてクロは喋れるのかしら?」
来た。当然来る。むしろ、今までよく我慢してくれていた。サクラは、分かりやすく笑った。
「えへへ…クロは賢くて、会話を理解できるんです!」
無理がある。だいぶ無理がある。美桜は、じっとサクラを見る。
「前に、黒狼は死んだと言っていたわね。その子とは違う子なの?」
「…はい。ですが、亡くなった直後にクロとの契約がうまくいきまして……」
「そう」
美桜は俺を見る。その目が、やはり鋭い。
「それで、いつから喋れるようになったの?」
「えっと…割とすぐ」
「すぐって?」
「皆さんとダンジョンに潜る前には…」
「へっあの時には…もう」
美桜の顔が、一気に赤くなった。俺は少し考える。サクラ、美桜、若葉。ダンジョン。夜番。そこで、思い出した。ああ。あの時か。
「あの夜――」
そこまで言った瞬間だった。美桜の両手が、俺の顔を掴んだ。そして、口を塞がれる。
「ふぐっ」
声が出ない。美桜の顔が近い。そして、目が怖い。
「クロ」
美桜は笑っていた。だが、目は笑っていなかった。
「あの時のことは、忘れなさい」
俺は口を塞がれたまま、ふぐふぐと抗議した。
「わ・す・れ・ろ」
本気で怖かった。俺はこくこくと頷いた。
「どうしたんですか?」
サクラが不思議そうに聞く。美桜はぱっと手を離し、何事もなかったように笑った。
「なんでもないの。気にしないで!」
「そ、そうですか…あはは」
サクラは引きつった笑みを浮かべた。
「そうなのよ」
美桜はなぜか真剣な声で言った。
「人には、気にしてはいけないことがあるのよ」
サクラは、それ以上聞かなかった。正しい判断だ。
そんなこともあったが、俺たちは無事に帰ってくることができた。深淵王を倒し、三大クラン長を救い、遠く広島から新幹線で戻ってきた。その一日としては、十分すぎるほど濃い。家に戻ったあと、サクラが俺を見る。
「クロ」
「なんだ」
「話さなくて良かったの?」
何を、とは聞かなかった。美桜のことだ。俺が喋れること。召喚直後から意識があったこと。そして、春日皐月かもしれないこと。
「いや」
俺は首を振る。
「絶対、あのタイミングじゃない」
「そうかな」
「そうだ」
あの流れで言ったら、どうなる。美桜が夜番の件で顔を真っ赤にして、俺の口を塞いだ直後だぞ。その直後に、実は俺が皐月かもしれないなどと言ったら。たぶん、殺される。別の意味で。
「あのタイミングで言ったら、殺されそうだった」
サクラは少し考えてから、苦笑した。
「否定できないかも」
おい。否定してくれ。だが、いつかは話さなければならない。それは分かっている。分かっているが。少なくとも、今日ではない。俺はそう自分に言い聞かせた。
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