96. 隙ではなく、罠だった
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「君たちには任せられない。この場から離れるんだ!」
天羽義道が叫んだ。その声には、焦りが混じっていた。当然だ。目の前にいるのは深淵王。三大クラン長が束になっても、まだ届かない相手だ。黒狼の姿をした俺のステータスなど、天羽たちから見れば頼りないどころではないだろう。
「下がっていろ!」
そう言いながらも、天羽は盾を構える。鬼塚が前に出る。九条が後方から魔法を放つ。美桜は九条の元から戻り、サクラを守る位置へ入った。その表情は険しい。九条から何かを聞いたのだろう。深淵王の仕組み。ダンジョンとの接続。正面から戦ってはいけないという警告。それでも、戦いは続いていた。鬼塚が突っ込む。天羽が守る。九条が隙を突いて魔法を叩き込む。うまい連携だった。さすが三大クラン長。だが、それは数分ももたなかった。
天羽の盾が砕かれる。九条の風が逸らされる。鬼塚の拳は深淵王へ届く直前に、わずかに軌道をずらされる。三人は強い。間違いなく、この国の頂点に近いハンターたちだ。だが、相手が悪すぎた。深淵王は傷つかない。疲れない。そして、戦場そのものが奴の味方をしている。天羽は倒れ、九条が膝をついた。片手を失い、魔力も大きく削られている。深淵王が、その九条へゆっくり近づいた。
「九条さん!」
美桜が叫ぶ。その声に、サクラが美桜を見た。
「美桜さん、行ってあげてください!」
「すまない!」
美桜が地面を蹴る。瞬足。一瞬で、九条と深淵王の間へ入った。そして九条の身体を掴み、後方へ跳ぶ。
「部外者は目障りだな」
深淵王が指を向ける。
「深淵黒死」
黒い小さな魔法が、美桜へ飛んだ。見た目は小さい。だが、嫌な気配がした。
「美桜さん!」
サクラが叫ぶ。美桜は反応していた。九条を抱えたまま、横へ跳ぶ。直撃は避けた。だが、黒い魔法は美桜の近くで弾けた。爆発。いや、衝撃波だ。黒い波が空間を叩き、美桜と九条をまとめて吹き飛ばす。二人の身体が、かなり遠くの壁へ叩きつけられた。鈍い音が響く。
「美桜さん!」
サクラが駆け出そうとする。
「動くな!」
俺は即座に止めた。サクラの足が止まる。
「でも!」
「大丈夫だ。あいつらはまだ生きている。気を失っているだけだ」
そう言いながらも、俺は深淵王から目を離さなかった。今、サクラが動けば狙われる。俺たちはもう、戦場の中心に引きずり込まれている。
「サクラ、人型になるぞ」
「うん!」
サクラは迷わず頷いた。俺は黒狼の身体から、影を伸ばす。骨格が変わる。影が肉を形作る。黒い角が額から伸び、背中から六枚の黒翼が広がる。人型。いや、これは人型というより悪魔だ。神に祈る者が見れば悪魔と呼び、悪魔が見れば王と呼ぶ。その姿に、深淵王の目が細くなった。
「今回は油断しませんよ」
「おいおい」
鬼塚が血を吐きながら笑う。
「なんだそりゃ。なんて隠し球を持ってんだか」
楽しそうにするな。腹に穴が空いているだろうが。俺は六枚の翼を広げ、深淵王を見る。さあ、本番だ。そう思った。だが、すぐに現実が体の奥から突き上げてくる。サクラだ。俺がこの姿になるだけで、魂糸共鳴が軋む。サクラの呼吸が少し乱れている。力を出せる時間は短い。
サクラのレベルは上がっている。だが、焼け石に水だ。俺が少し身体強化をするだけで、魂糸共鳴がサクラへ負担を流す。サクラは表情を崩さないようにしているが、頭痛がひどそうだった。それでも、やるしかない。深淵王が動く。床が歪む。石槍が飛ぶ。俺は翼を使い、横へ抜ける。遅い。いや、深淵王はこんなに弱かったか?前回の方が、もっと厄介だった。サクラのレベルが上がったからか。それとも、俺がこの器に馴染んできたからか。魔法を放つ隙がある。サクラには悪い。だが、ここで撃たなければ勝てない。
「グラビティスフィア」
黒い点が生まれる。その瞬間、サクラが血を吐いた。
「サクラ!」
だが魔法はもう放たれている。深淵王は、半歩ずれるだけで避けた。黒い重力が壁を抉る。外した。くそ。だが、いける。今の隙なら、もう一度――再びチャンスが来た。深淵王の動きが甘い。俺は魔力を込める。二発目。しかし、また避けられた。サクラの鼻から血が流れる。さらに目尻からも、赤いものが滲んだ。そこで、ようやく気づいた。おかしい。魔法を放つ隙はある。だが、当たらない。まるで、撃たせるための隙だ。
「お前」
俺は深淵王を睨んだ。
「もしかして、わざとだな」
深淵王は笑った。
「ふふ、ご明察。早く気づきましたね」
やはりだ。こいつは、わざと隙を見せている。俺に魔法を撃たせるために。そして、その負荷でサクラを消耗させるために。
「君の魔法は強い。だけど、撃つたびにサクラちゃんが壊れていく」
深淵王は楽しそうに言った。
「殺すのは簡単だけど、惜しいからね。弱らせてから洗脳する方がいい」
「クソが」
俺は翼を打ち、遠くへ飛び退いた。これ以上、奴の誘いに乗るわけにはいかない。
『サクラ、大丈夫か?』
念話で呼びかける。
『うん、大丈夫。これぐらいで負けないわ』
声は強い。だが、身体は正直だ。口元には血。鼻からも血。目尻も赤い。大丈夫なわけがない。それでもサクラは、震える手を握りしめた。
『そうだ』
『どうした?』
『美桜さんが言っていたわ。深淵王は、ダンジョンから魔力をもらっていたり、ダンジョンを操作してるって』
『それは分かっているつもりだ』
『違うの。クラン長さんたちが、ダンジョンとの繋がりを見つけたって』
サクラの声が、少し強くなる。
『背中から繋がっているわ!』
『背中か』
俺は深淵王を見る。普通に見ても分からない。奴の背には何もないように見える。だが、九条が触れたというなら、ある。俺は目に魔力を込めた。ただ見るのではない。魔力の流れを見る。空間の歪みを見る。深淵王の身体から、どこへ力が流れているのかを追う。髪の毛一本も逃さないつもりで、集中する。深淵王は笑っている。まだ余裕の顔だ。その背中。肩甲骨の少し下。闇に溶けるように、一本の線があった。髪の毛より細い。だが、確かにそこにある。黒い糸。深淵王の背から、ダンジョンの奥へ伸びている。
『あった』
俺は念話で告げる。
『サクラ、見つけた』
『本当?』
『ああ。まずは、あれを切る』
『うん。ダンジョンとの繋がりを切りましょう!』
俺は小さく笑った。クラン長、良い働きだぜ。さすが経験豊富なハンターだ。ただ力が強いだけではない。あの三人は、負けながらも勝ち筋を残していた。
勝ち筋は見えた。だが、見えたことと、切れることは違う。サクラはすでに消耗している。俺は大きな魔法を撃てない。遠距離から雑に狙えば、また避けられる。なら、近づくしかない。あの背中へ。あの黒い糸へ。深淵王が、ふと目を細めた。
「おや」
その声に、嫌な予感がする。
「もしかして、見つけたかな?」
やはり気づかれた。だが、もう遅い。俺は翼を広げ、低く構える。サクラの呼吸が、背後で震えている。それでも、彼女は逃げなかった。
『クロ、行って』
『ああ』
まずは、ダンジョンとの繋がりを切る。そこからが、本当の勝負だ。
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