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95. サクラを殺すという言葉で、黒狼は沈黙を破った

1日1話投稿、ゆっくり投稿しま〜す

 黒い階段は、通路の奥で静かに口を開けていた。普通の階段ではない。壁の一部が闇に沈み、その奥へ続くように黒い段差が伸びている。美桜は、それを見たまま目を細めた。

「サクラちゃん、あれが例の黒い階段かい?」

「はい…」

 サクラの声は硬い。

「深層に降りられるかもしれないと言っていたやつだね」

「はい。でも、深淵王が作ったものかもしれません」

「深淵王…」

 美桜(みお)の表情が険しくなる。俺は黒い階段を見つめた。気配はある。だが、読み切れない。大賢者の気配にも似ている。深淵王の気配にも似ている。あるいは、もっと根本的な、ダンジョンそのものの呼び声か。判断しきれない。

「降りてみよう」

 美桜が言った。

「え?」

 サクラが驚く。

「でも美桜さん、ダンジョン帰りですよね。体力とか大丈夫なんですか?」

「うむ。このダンジョンは比較的、楽に進むことができた。まだ大丈夫だ」

「でも…」

「大丈夫だ。気にするな」

 サクラは、まったく安心していない顔をした。

「大丈夫かな〜」

 それは俺も思う。


「一応、外には伝えておこう」

 美桜は腰のポーチから小さなアイテムを取り出した。連絡鳩。簡易的な伝達用の魔道具だ。美桜は短いメッセージを込める。予定より潜ること。胡蝶蘭のメンバーは先に帰還すること。自分は知人の探索に同行すること。黒い階段のことまでは言わなかった。言っても、正しく伝わる保証がないからだろう。小さな鳩の形をした光が、美桜の手から飛び立つ。それが地上まで届くかどうかは分からない。だが、何も残さないよりはいい。

「よし、行こう」

 美桜はそう言って、黒い階段へ向き直る。サクラは一度だけ俺を見た。俺は頷く。

「…はい」

 サクラが答えた。俺はサクラの足元に寄る。何が待っていようと、サクラから離れるつもりはなかった。


 黒い階段を降りる。俺とサクラにとっては、何度か経験した感覚だった。暗い。冷たい。だが、進めないほどではない。俺とサクラは深層適性を持っている。だからだろう。黒い階段は、俺たちを拒絶しない。だが、美桜は違った。

「…これは、きついな」

 美桜の声が少し低くなる。

「サクラちゃんは、見えるのか?」

「はい。暗いですけど、階段は見えます」

「そうか。私は、ほとんど見えない。すごい重圧だ」

 美桜は壁に手をつきながら、一段ずつ降りていた。月華楼(げっかろう)の幹部であり、Aランク上位の魔法使いである美桜でさえ、黒い階段は容易に受け入れない。以前、真里も似たようなことを言っていた。ここは普通の通路ではない。資格のない者を、精神から削る道だ。それでも美桜は止まらなかった。

「大丈夫ですか?」

 サクラが心配そうに声をかける。

「大丈夫だ。サクラちゃんこそ、足元に気をつけろ」

 美桜はそう言って、少しだけ笑った。強い女だ。そう思った。しばらく降りると、階段の先に淡い明かりが見えてきた。


 黒い階段の先へ出た瞬間、血の匂いがした。そこには、四人いた。深淵王。天羽義道(あもうよしみち)九条椿姫(くじょうつばき)鬼塚鉄心(おにづかてっしん)。だが、状況は最悪だった。

「九条さん!!」

 美桜が叫び、月華楼の楼主へ走る。九条は片手を失っていた。もう片方の手でポーションをかけ、再生を待っている。それでも、その顔にはまだ意識がある。鬼塚は片膝をついていた。腹部の服に、ぽっかりと穴が空いている。その奥からは、赤黒い血が流れていた。天羽は、かろうじて立っていた。全身の至るところに出血の跡がある。それでも盾を構え、深淵王の攻撃に耐えている。一方で、深淵王は無傷だった。疲れもない。息も乱れていない。まるで、ここまでの戦闘が準備運動ですらなかったかのように立っている。次の瞬間、天羽が吹き飛ばされた。盾ごと壁へ叩きつけられる。

「天羽さん!」

 サクラが声を上げた。これは、救援ではない。壊滅寸前の戦場へ、俺たちは踏み込んでしまったのだ。


 深淵王が、こちらを見た。そして、嬉しそうに笑う。

「これはこれは、サクラちゃんじゃないか」

 その声は、以前と変わらない。軽く、親しげで、それが余計に気持ち悪い。

「どうやってここに?」

「知らないわ。勝手に階段が現れたの」

 サクラは声を震わせながらも答えた。深淵王は楽しそうに目を細める。

「そうかそうか。大賢者かな? あいつは僕に反対するからな」

 その口調が、少しだけ冷える。

「迷宮核に寄生していなきゃ、すぐにぶっ殺してやるのに」

 サクラの肩がわずかに強張った。美桜は九条の側に膝をつき、治療を始めている。その後、天羽の方へも視線を走らせた。月華楼の幹部として、いや、一人のハンターとして、誰を優先するべきか一瞬で判断している。サクラは深淵王を見据えた。

「これは、どういう状況なんですか?」

「うん?」

 深淵王は首を傾げた。

「見ての通り、ダンジョンを攻略しようなんて考えるバカどもを誅殺するところだよ」

「そ、そんな…!」

 サクラの声が震える。


「ところで、サクラちゃん」

 深淵王は、まるで雑談でもするように言った。

「こっち側に来る気はないかい?」

「……」

「君はダンジョンに愛される存在だ。人間側にいるより、こちら側に来た方がずっといい」

 サクラは息を呑んだ。だが、後ろへは下がらなかった。

「…行くわけない」

 その声は小さかった。けれど、はっきりしていた。

「私は、そっちには行かない」

 深淵王は、少しだけ残念そうに眉を下げた。

「そっか」

 そして、すぐに笑う。

「じゃあ、殺すしかないね」

 空気が冷えた。サクラの顔から血の気が引く。俺は、考えるより先に前へ出ていた。

「そんなこと、させるか!」

「クロ!」

 サクラが叫ぶ。しまった。そう思った時には遅かった。


「黒狼が、喋った……?」

 美桜の声が聞こえた。しまった。完全にバレた。サクラも、顔を青くしている。だが、今さら取り繕う余裕はない。目の前には深淵王。背後には瀕死の三大クラン長。そして、サクラは殺すと言われた。黙っている選択肢など、最初からなかった。深淵王は、面白そうに俺を見る。

「黒狼。君もまた、ダンジョンに愛される存在だ」

 その視線が、サクラと俺を交互に見る。

「やはり二人は惜しい。殺すより、洗脳しよう」

「ふっ。前回を忘れたのか?」

 俺は低く返した。深淵王は肩をすくめる。

「あれは僕の間違いさ」

「間違い?」

「君を観察対象として扱ったことだよ。今度は、あんなアホみたいなことはしない」

 その言葉に、俺は背筋が冷える。前回のように、魂糸共鳴を封じて様子を見るつもりはない。最初から本気で、サクラと俺を奪いに来るつもりだ。


「よく分からないが」

 美桜が立ち上がる。その手には、すでに水氷の魔力が集まっていた。

「私も混ぜてもらうぞ」

「美桜、待ちなさい!」

 九条の声が飛ぶ。美桜が振り返った。

「九条さん?」

「こちらに来なさい」

 九条は片手を失いながらも、目だけは冷静だった。

「正面から戦ってはいけませんわ。あの男は、普通の魔法使いではありません」

 美桜の表情が変わる。九条は短く続けた。

「ダンジョンと繋がっております」

 その言葉で、場の空気がさらに重くなった。深淵王は、笑っている。天羽は壁際で血を流しながらも、まだ立とうとしている。鬼塚は腹を押さえながら、それでも拳を握っている。サクラは震えながらも、俺の後ろには隠れなかった。俺は美桜に正体がバレたことを、いったん思考の外へ押し出す。今は、それどころではない。深淵王を止める。サクラを守る。それだけだ。こうして、俺たちの最後の戦いが始まった。

本編をお読みいただきありがとうございました!


一気読みしてくださった方も、毎日追ってくださっている方も、本当にありがとうございます!

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