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91. リフィアの願いは、マリーを過去へ戻すことではなかった

いつも応援ありがとうございます!

当作品は、【毎日 朝06:00 / 夕方18:00】の1日2回、定時更新でお届けしております。


最新話までじっくりお楽しみください!

 真里(まり)に招待され、俺とサクラは天照院(あまてらすいん)の本部に来ていた。三大クランの一つ。天照院。その本部は、遠目に見ても分かるほど大きかった。高い門。広い敷地。警備に立つハンター。出入りする職員らしき者たち。いかにも大組織という雰囲気だ。ただ、建物の一部には足場が組まれていた。先日の羅刹組との戦いの修復中なのだろう。壁の一部には、まだ傷跡のようなものも残っている。

「いつ見ても大きなクランだね〜」

 サクラが門を見上げながら呟いた。門番に、真里に会いに来たことを伝える。門番はすぐに連絡を入れた。しばらくすると、奥からハンター衣装を着た真里が走ってくる。

「ようこそ、おいでくださいましたわ!」

 いつもの縦ロールを揺らしながら、真里は嬉しそうに頭を下げた。

「今日はよろしくお願いします」

 サクラも慌てて頭を下げる。

「何を言っていますの? お願いするのはこちらですわ」

 俺は軽く頷くだけにした。ここでは余計なことを言わない方がいい。


 天照院の本部に入ると、中もかなり広かった。ロビーには、ハンターらしき者たちが何人もいる。装備の点検をしている者。事務員と話している者。訓練帰りなのか、汗を拭きながら歩いている者。大きなクランというのは、こういうものか。月華楼とはまた違う、整った緊張感がある。サクラは少し肩に力が入っていた。無理もない。ただの会社員兼週末ハンターが、三大クランの本部を歩いているのだ。

「こちらですわ」

 真里が先導する。俺は周囲を確認しながらついていく。かなりの警備だ。見える位置にも、見えない位置にも人がいる。さすが天照院。真里の立場を考えれば当然だが、簡単に奥へ入れる場所ではなさそうだった。


 ロビーを抜け、奥へ向かう。その時だった。前方から、一人の男が現れた。立っているだけで、空気が変わる。天羽義道(あもうよしみち)。天照院総長。真里の兄だ。先日の戦場でも見た。その防御は、敵味方まとめて多くの命を救った。ただし、今は完全に兄の顔だった。

「真里」

 義道の視線が、真里から俺たちへ移る。

「どこへ行く?」

 真里の肩が、ほんの少し跳ねた。

「え〜っと…」

 苦しい。すでに苦しい。

「そちらの方々は?」

 義道の目が、俺とサクラを見る。真里は慌てて姿勢を正した。

「先日お話しました、私の命の恩人ですわ!」

「ああ、それは失礼した」

 義道はすぐに頭を下げた。以前、お前に剣を向けられたこともあるんだがな、忘れているな。

「妹を助けていただき、ありがとうございました」

「い、いえ!」

 サクラが慌てて頭を下げ返す。義道は礼儀正しい。だが、当然ながらそれで終わりではなかった。

「それで、どこへ行く? そちらは宝物庫の方面だぞ」


「う〜ん、それも先日お話しましたわ! お忘れですか?」

 真里は胸を張って言った。いや、たぶん話していない。義道もそう思ったのだろう。眉がわずかに動いた。

「…聞いていたかな」

「聞いておりましたわ。お兄様は最近お忙しいので、お忘れになっただけです」

 押し切る気だ。強い。いや、強引だ。

「私たちは奥にある展示館へ向かいますの」

「展示館?」

「ええ。サクラさんたちは私の命の恩人ですわ。天照院としても、きちんとお礼をするべきでしょう?」

「それはそうだが」

「ですから、天照院がこれまで攻略してきたダンジョンの資料や、回収品の一部を見学していただくのです」

「……」

 義道は真里を見た。そして、俺たちを見た。かなり怪しんでいる。だが、命の恩人という言葉がある以上、強く止めにくいのだろう。

「なら、案内役を一人つけよう」

「必要ありませんわ!」

 早い。即答だった。

「お兄様、私はもう子どもではありません。展示館くらい、自分で案内できますわ」

「真里」

 義道の声が少し低くなる。

「無茶はするな」

「もちろんですわ」

 その返事が一番信用できない。俺は心の中でそう思った。


 義道の視線を背中に受けながら、俺たちは奥へ進んだ。角を曲がったところで、真里が小さく息を吐く。

「少し、心臓に悪かったですわ」

「真里さん、あれ絶対怪しまれてたよ」

 サクラが小声で言う。

「気のせいですわ」

「気のせいかなぁ」

 気のせいではない。だが、ここまで来た以上、進むしかない。展示館は、本部の奥にあった。天照院の歴史。過去に攻略したダンジョンの記録。回収された魔物素材。古い武器や防具。そういったものが整然と並べられている。そのさらに奥。厚いガラスと結界の向こうに、ひとつの迷宮核が置かれていた。

「ここが展示館ですわ」

 真里が指を差す。

「そして、迷宮核はあそこです」

 俺とサクラは顔を見合わせた。試したことはない。だが、ここまで来た。俺たちは迷宮核へ近づく。すると、迷宮核が淡く光った。

『お〜、また来てくれたね』

 軽い声。大賢者だ。サクラが小さく息を吐く。成功だ。


『短い時間だけど、話をしよう』

 大賢者の声が響く。真里は一歩前へ出た。

「あの、教えてくれませんか。私のことを…」

『マリー』

 大賢者の声は、どこか懐かしそうだった。

『また会えて嬉しいよ。そして、幸せそうだ』

 真里は胸元に手を当てた。少しだけ目を伏せ、それから顔を上げる。

「はい。私は今、幸せです」

 その声は、震えていなかった。

「ですが、私は真里です。マリーではありませんわ」

 迷宮核の光が、穏やかに揺れた。

『そうだね。今の君は真里だ』

 大賢者は否定しなかった。

『でも、マリーだった魂の話をしよう』

 真里は黙って頷く。

『マリーは、ヴァルメリアの公爵令嬢だった』

 公爵令嬢。その言葉に、真里の指が少しだけ動いた。

『訳あって、彼女はひどく傷つき、死んでしまった』

「訳あって…」

『詳しいことを話すことはできない。ただ、マリーは一時、彼女を姉のように慕っていた』

「姉…」

『リフィア・セレスティア。勇者パーティーの神官だ』

 俺はその名を聞き、やはりそうかと思った。

『リフィアは、未来を見た。そして願った。千五百年後、マリーの魂がもう一度生きられるように。苦しみの記憶を消し、違う星で新しく生きられるように』

 真里は、息を止めたように動かなくなった。

「千五百年後の人を姉のように?」

『そうだ』


「では、なぜ、転生なのですか?」

 真里が尋ねた。

「その場で蘇生はできなかったのですか?」

『できなかった、というより、願いがそうではなかったんだ』

「願いが…」

『マリーは、とても辛い思いをした。だからリフィアは、彼女を同じ場所へ戻すことを望まなかった』

 大賢者の声は静かだった。

『記憶を消して、違う星で、新しく生きることを願ったんだ』

 真里の顔が、少しだけ歪む。

「嘘ですわ」

 その声は、小さかった。けれど、はっきりしていた。

「記憶は…完全には消えていません」

 サクラが真里を見る。真里は胸元を押さえながら続けた。

「変な記憶が残っていましたわ。大勢の前で、ひどい目に遭っている私。裸にされて、石を投げられて、罵倒されて……」

 言葉が途中で詰まる。

「そんなもの、私は知らないはずですのに」

 迷宮核の光が、少しだけ弱くなった。

『そうか』

 大賢者の声には、痛みのようなものがあった。

『女神でも、魂の傷までは完全に消せなかったんだね』

 魂の傷。その言葉に、真里は目を伏せた。


「…私は」

 真里は、ゆっくり顔を上げた。その瞳は揺れている。だが、逃げてはいなかった。

「私は、誰ですの?」

 迷宮核の光が静かに揺れる。大賢者は、少しだけ間を置いて答えた。

『君はもう、マリーじゃない』

 真里の肩が震えた。

『リフィアが願ったのは、マリーを過去へ戻すことじゃない。苦しみの続きを歩かせることでもない』

 大賢者の声が、少し遠くなる。

『新しく生きることだ』

 真里は、胸元を押さえたまま動かなかった。

『だから、真里』

 大賢者が、初めてその名を呼んだ。

『新しく生きなさい』

 その言葉を最後に、迷宮核の光がふっと弱くなる。


 大賢者は消えた。展示館の奥には、俺たち三人と、静かになった迷宮核だけが残る。真里はしばらく黙っていた。サクラが心配そうに声をかける。

「真里さん…大丈夫?」

 真里はすぐには答えなかった。ただ、自分の胸元に手を当てている。マリー。リフィア。魂の傷。新しく生きること。そのすべてを、真里は今、一人で受け止めているのだろう。やがて、真里がゆっくり顔を上げた。その表情は、泣きそうにも見えた。けれど、少しだけ晴れやかでもあった。

「そうですわね」

 真里は小さく笑った。

「私は真里よ」

 その声は、まだ弱い。だが、確かに前を向いていた。

「マリーという方のことは、忘れません。忘れられないのかもしれません。でも、私は天羽真里として生きていますもの」

 サクラが、ほっとしたように息を吐いた。俺も、少しだけ肩の力を抜く。大賢者の言葉は、残酷でもあった。だが、真里を縛る言葉ではなかった。真里はマリーではない。その確認ができただけでも、ここへ来た意味はあった。

本編をお読みいただきありがとうございました!


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