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89. 嘘ではない。ただ、全部ではない

いつも応援ありがとうございます!

当作品は、【毎日 朝06:00 / 夕方18:00】の1日2回、定時更新でお届けしております。


最新話までじっくりお楽しみください!

 地上へ戻ると、夜の空気はいつも通りだった。車の音。街灯の明かり。遠くを歩く人の声。何も変わっていない。だが、俺たちの中では、何も普通ではなかった。真里(まり)はしばらく黙って歩いていた。サクラも、何を言えばいいのか分からないようだった。俺も同じだ。大賢者。マリー。転生。リフィアの願い。ひとつひとつが重い。その沈黙を破ったのは、真里だった。

「クロバ様」

「なんだ」

「クロバ様も転生者で、私を知っていましたの?」

「…あ〜」

 サクラがこちらを見た。真里もこちらを見ている。まずい。ついに、サクラ以外にそこを突かれた。ここで完全な嘘はつけない。だが、全部を話すわけにもいかない。嘘には、ついてはいけない嘘がある。そして、ついていい嘘もある。


「否定はしない」

 俺はゆっくり答えた。真里の目が揺れる。サクラも、隣で息を呑んだ。

「ただし、マリーのことを詳しく知っているわけじゃない」

 これは、嘘ではない。少なくとも、全部を覚えているわけではない。俺には抜けている記憶がある。マリーのことも、アシェルとして過ごした時間も、すべて鮮明に覚えているわけではない。だから、これは嘘ではない。ただ、都合よく切り取った事実ではある。サクラが一瞬だけ俺を見た。何かに気づいたのかもしれない。だが、何も言わなかった。真里は胸元を押さえ、少しだけうつむく。

「そう、ですの…」


「以前…」

 真里は、言葉を選ぶように話し始めた。

「私、凄い映像というか、起きているのに夢を見ているようなものを見ましたの」

「夢?」

「夢、とは少し違いましたわ。もっと生々しくて……まるで、自分の目で見ているようでした」

 真里の指先が、わずかに震えている。

「私は、大勢の前にいました」

 その声が細くなる。

「服を剥がされて、裸にされて……石を投げられて、罵倒されていました」

 サクラが息を呑んだ。俺は黙って聞く。

「隣には、肉親の誰かが磔にされていました。顔は、はっきり思い出せません。でも、大切な人だったのは分かります」

 真里は唇を噛む。

「そんな記憶、私にはありません。あるはずがありませんのに」

 それでも。その恐怖も。屈辱も。怒りも。絶望も。真里の中に、確かに残っている。

「あれは、本当にそのヴァルメリアから転生させられた記憶なのでしょうか……」


「確認する方法はございませんか?」

 真里の声は、切実だった。無理もない。自分の中に、知らない誰かの記憶らしきものがある。それが本当に前世なのか、ただの幻なのか。知らずにいろという方が無理だ。

「大賢者に会うしかないのかもしれない」

 俺は答えた。

「そうでしたわ! 大賢者にはどうすれば会えますの?」

「大賢者は迷宮核と共にいる…らしい」

「迷宮核…」

「ただ、詳細は分からない。誰でも会えるわけではないんだろう」

「でも、今までそんな話、聞いたことがありませんわ」

「普通はそうだ。迷宮核に触れても、大賢者と話せるわけじゃない」

「クロバ様とサクラさんには、それができると?」

「俺とサクラには、特別な適性がある。その適性がないと無理そうなんだ」

 真里は少し黙った。そして、まっすぐこちらを見る。

「では、私と一緒にダンジョンを攻略してくれませんか?」

「……」

 サクラも言葉を失った。


「そうですね」

 真里は、俺たちの反応を見て、少しだけ目を伏せた。

「ずうずうしいお願いですわね」

「いや、気持ちは分かる」

 サクラが小さく言った。だが、ダンジョン攻略は軽く引き受けられる話ではない。迷宮核まで行くということは、そのダンジョンを攻略するということだ。階層が深ければ深いほど危険は増す。何より、サクラの深層適性が何を呼ぶか分からない。俺も、もうサクラに無茶はさせたくない。真里は何かを思いついたように顔を上げた。

「そうだ!」

「何だ」

「攻略した迷宮核を、天照院(あまてらすいん)に保管してありますの!」

「迷宮核を?」

「ええ。完全なものではありませんが、攻略後に回収されたものですわ」

 俺は思わずサクラを見た。それは、試したことがなかった。


「それは試したことがなかったな」

 俺は正直に言った。大賢者は迷宮核と共にいる。そう聞いていた。なら、攻略済みで保管されている迷宮核にも何か残っているのか。それとも、迷宮核としての機能を失っていれば何も起きないのか。分からない。だが、少なくとも新たにダンジョンを攻略するよりは現実的だ。

「それなら、ご一緒にお願いできませんか?」

 真里が頭を下げる。俺はサクラを見た。サクラも俺を見ていた。少し迷う顔。だが、最後には小さく頷いた。

「…あ〜、分かった」

 俺は真里に向き直る。

「ただ、こちらにも都合がある。すぐには決められない。希望日はまた伝える。それでいいか?」

 真里の顔が、少しだけ明るくなる。

「はい。よろしくお願いしますわ」


 真里は小さく息を吐いた。ほんの少しだけ、肩の力が抜けたように見えた。答えが出たわけではない。だが、答えを確かめる道ができた。それだけでも、今の真里には必要だったのだろう。サクラも、少しだけ安心した顔をしている。俺としては、まだ警戒を解けない。天照院の保管する迷宮核。そこに大賢者が出る保証はない。出たとしても、何を話すか分からない。そして、真里はもう一つの疑問を口にした。

「それで、クロバ様」

「なんだ」

「クロバ様は、どう転生されたのでしょうか?」

「……」

 そこを聞くか。まあ、当然聞くか。俺は内心で息を吐いた。


「俺は、真里と一緒で記憶がない」

 俺は答えた。

「大賢者に教えてもらったんだよ」

 真里は、じっと俺を見た。疑っているわけではない。ただ、納得しきれない顔だった。当然だ。俺の言葉は、全部が真実ではない。俺は、地球で死んだ。ヴァルメリアへ流れ、悪魔になった。マリーと契約し、アシェルとして生きた。そして、再び地球へ戻ってきた。その全部を、今ここで話すわけにはいかない。真里を混乱させるだけでは済まない。サクラも巻き込む。だから、俺は嘘を選んだ。いや、正確には、真実の一部だけを差し出した。

「そう、ですの…」

 真里は小さく頷いた。サクラは何も言わなかった。だが、その沈黙が少し痛い。俺も、嘘をつくのがうまくなったものだ。そう思って、少しだけ自分が嫌になった。

本編をお読みいただきありがとうございました!


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