88. たとえマリーの転生でも、お前は天羽真里だ
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大賢者の声が消えた。迷宮核の光が、ふっと弱くなる。残されたのは、俺とサクラと真里。そして、重すぎる沈黙だった。驚いた。真里がここにいたことにも。大賢者が、当然のように真里へ話しかけたことにも。そして何より、マリーの転生という言葉に。やはり、そうなのか。真里はマリーと同一の魂なのか。それとも、何か別の形で繋がっているだけなのか。大賢者が口にしたリフィアという名には心当たりがあった。千五百年前にヴァルメリアの勇者パーティーにいた神官、リフィア・セレスティア。だが、歴史の教科書に載るようなその人物と、大賢者の言うリフィアが同一人物なのか、そしてマリーとどう関係しているのかまでは分からない。どこまで話していいものか、どこからはまだ伏せるべきか。俺が思考を巡らせていると、真里がこちらをじっと見つめてきた。
「クロバ様」
その声は震えていた。けれど、逃げる声ではなかった。
「どういうことですの?」
大賢者が消えてしまった以上、真里が俺たちに聞いてくるのは当然の流れだ。俺はサクラを見る。サクラも、俺を見ていた。その顔に、いつもの頼りない笑みはない。ただ、覚悟を決めるような目をしている。俺たちは、互いに小さく頷いた。ここまで来た真里に、何も話さず帰れとは言えない。だが、全部を話せるわけでもない。俺自身、分かっていないことが多すぎる。だから、今言える範囲だけ話す。
「さっきのは、大賢者だ」
「大賢者…?」
真里が眉を寄せる。まあ、当然だ。普通は意味が分からない。
「嘘のような話に聞こえるかもしれないが、異世界がある」
「異世界…」
「そこはヴァルメリアという星だ」
「ヴァルメリア……」
真里は、聞いたことのない単語を確かめるように繰り返した。
「今、地球にあるダンジョンは、そのヴァルメリアのダンジョンなんだ」
「え?」
真里の表情が固まる。
「お待ちくださいまし。話が…話がぶっ飛びすぎて、理解できませんわ」
「理解しなくていい。まずは聞け」
「はい…」
俺の声が少し強くなったせいか、真里は素直に頷いた。サクラが隣で、少しだけ申し訳なさそうな顔をしている。だが、こればかりは仕方がない。真里は、もう巻き込まれてしまったのだ。
「向こうには、願いを叶えるダンジョンがあった」
「願いを叶える…」
「そのダンジョンを、勇者パーティーが攻略した」
「勇者、ですの?」
「ああ。大賢者も、そのパーティーの一員だった。先ほど名前が出たリフィアも、おそらくその一員だ」
「リフィア…」
真里がその名を繰り返す。胸元に手を当てている。何か感じているのか。それとも、ただ混乱しているだけか。
「そして、その勇者が願った」
「何を、ですの?」
「ダンジョンを、他の世界へ飛ばすことだ」
「…はい?」
真里の声が裏返りかけた。
「つまり、今地球にあるダンジョンは、ヴァルメリアから飛ばされてきたものだ」
「お待ちくださいまし」
真里は額に手を当てた。
「私は今、世界の成り立ちに関わる話を、サクラさんの自宅近くのダンジョンの奥で聞いているのですか?」
「そうだな」
「そうだな、ではありませんわ」
サクラが小さく頷いた。
「分かる。真里さん、それはすごく分かる」
「先ほど、大賢者はお前をマリーと呼んだ」
真里の肩が小さく揺れる。
「そして、うまく転生できてよかったと言った」
「…私は、本当にそのマリーという方なのですか?」
「分からない」
俺は即答した。
「分からない、のですか?」
「ああ。大賢者の話ぶりだと、マリーが転生したように聞こえた。だが、それが魂そのものなのか、記憶の欠片なのか、願いの結果なのか、俺には判断できない」
「リフィアの願い、というのは…その方が、マリーを転生させた…?」
「そう聞こえた。だが、事実かどうかはまだ分からない」
真里は唇を噛んだ。
「私は…真里ですわ」
「ああ」
俺は迷わず答えた。
「それは変わらない。お前は真里だ」
「でも、転生だと…」
「たとえマリーの魂が関わっていたとしても、今ここにいるお前は天羽真里だ」
その言葉に、真里は顔を上げた。
「俺は、そこを変えるつもりはない」
「あの人はどこに消えてしまったの?」
「大賢者は迷宮核と共にいる。そしてそれは特定の資格を有するものだけが話せるんだ」
「信じられませんわ…」
真里は小さく呟いた。無理もない。異世界。ヴァルメリア。勇者。大賢者。転生。マリー。一度に受け止めるには、重すぎる。真里はくるりと振り向いた。
「少し、外の空気を吸いますわ」
そう言って走り出す。俺は止めなかった。今は、少し距離を置きたいのだろう。だが、すぐに真里の足が止まった。
「…階段がありませんわ」
真里の声が、静かな空間に響く。さっき黒い階段があったはずの場所。そこには、ただ黒い壁のような闇があるだけだった。
「どういうことですの?」
「そういう場所なんだ」
俺は答えた。
「黒い階段は、特定の資格がある者にしか出現しない」
「では、私は…」
「単独では戻れない」
サクラが真里の方へ歩いた。俺もその横へ並ぶ。すると、壁のようだった闇が揺れた。黒い階段が、ゆっくりと姿を現す。真里が息を呑んだ。
「本当に…」
「資格がある者が近づけば、出る」
「クロバ様とサクラさんには、その資格があるのですね」
「そうだ」
サクラは真里を心配そうに見た。
「真里さん、大丈夫?」
「…大丈夫、とは言えませんわ」
真里は正直に答えた。その答えが、今は一番正しい。俺は小さく息を吐く。
「今日は帰ろう」
説明はした。だが、理解できたとは思わない。俺たち自身、分かっていないことが多すぎる。ここで無理に続きを話しても、真里を壊すだけだ。
俺たちは黒い階段を上った。真里は黙っていた。サクラも、何を言えばいいのか分からないようだった。俺も同じだ。マリー。リフィア。転生。大賢者。ヴァルメリア。ひとつひとつが重い。それでも、今は地上へ戻るしかない。黒い階段を抜け、ダンジョンの通常階層へ戻る。そして外へ出ると、夜の空気が頬を撫でた。地上は、何も変わっていないように見えた。街灯。車の音。遠くの人の声。普通の夜だ。だが、俺たちの中では、もう普通では済まなくなっていた。真里はマリーなのか。リフィアは、何を願ったのか。大賢者は、どこまで知っているのか。答えはない。今あるのは、持ち帰るには重すぎる疑問だけだった。俺は、夜道の先を見てまた同じことを言った。
「今日は帰ろう」
誰も、反対しなかった。
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