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86. 召喚ではなく、回収だった

いつも応援ありがとうございます!

当作品は、【毎日 朝06:00 / 夕方18:00】の1日2回、定時更新でお届けしております。


最新話までじっくりお楽しみください!

【クロ視点】

 サクラが家に帰ってきた。そして、リビングにいる俺と真里(まり)を見て固まった。あの顔は、しばらく忘れられそうにない。目を丸くしたまま、口だけが少し開いている。まさに、理解が追いついていない顔だった。

「……なんで?」

 当然の疑問だ。俺も、逆の立場ならそう思う。真里は慌てるでもなく、いつもの調子でサクラに頭を下げた。

「サクラさん、先日の食事代のお礼をお持ちしましたの」

「あ、はい…ありがとうございます」

 サクラはまだ半分固まったまま受け取っていた。その後、二人は少し会話をした。そしてなぜか、今度一緒にダンジョンへ行く約束までしていた。大丈夫か、サクラよ。そう思ったが、口には出さなかった。俺が余計なことを言えば、話がさらに面倒になる。真里が帰った後、案の定、サクラの視線が俺に向いた。


「クロ、説明」

 サクラは短く言った。こういう時のサクラは、意外と怖い。俺は逃げずに説明した。真里が来たこと。俺がまた、真里をマリーと呼んでしまったこと。真里も、俺をアシェルと呼んだこと。そして、その理由を真里に問い詰められたこと。

「それで、何を話したの?」

「マリーの話を少ししただけだ」

「アシェルは?」

「知らないで通した」

 実際、俺にも分からない。真里がなぜアシェルという名を知っているのか。なぜ俺をそう呼ぶのか。俺が知りたいくらいだった。

「それから、連絡先を聞かれた」

「連絡先?」

「ないと言った」

「まあ、ないよね」

「だから、用があるならサクラを通せと言った」

 サクラがじっと俺を見た。

「…それで?」

「たまに家に来たいとも言っていたから、それもサクラを通せと伝えた」

 サクラは少しだけ目を細めた。

「全部私に回してない?」

「すまない、サクラよ」

「謝り方が軽い」


 真里はマリーではない。そう言った。それは本心だ。真里をマリーの代わりにするつもりはない。だが、無関係とも言い切れない。顔も、声も、仕草も似ている。そして何より、アシェルという名を知っている。あの名は、地球の人間が知るはずのない名前だ。真里はマリーの転生なのか。地球で、そんなことがあるのか。俺はヴァルメリアで悪魔に転生した。なら、地球の人間の魂がヴァルメリアへ流れることも、逆もあるのかもしれない。ただ、考えても答えは出ない。大賢者なら、何か知っているかもしれない。だが、こちらから大賢者に連絡する手段はない。そう思っていた。その夜までは。


 その夜、何かに呼ばれた気がした。声ではない。念話でもない。ただ、向かわなければならない場所がある。そんな感覚だった。

「クロ」

 サクラも顔を上げる。

「私も、変な感じがする」

「ああ」

 催眠か。思考誘導か。それに近い何かだろう。ただ、俺の意識ははっきりしていた。抵抗しようと思えばできる。ではなぜ、誘導されるがまま動くのか。答えは単純だ。呼んでいる気配が、深淵王ではない。迷宮核。そして、大賢者に近いものを感じた。

「行くぞ」

「え? 行くの?」

「おそらく大賢者だ」

 俺は人型になり、サクラと一緒に外へ出た。


 夜の道を歩く。サクラは隣で、不安そうに何度も俺を見た。バスに乗る。降りる。また歩く。歩道橋を渡り、大通りを越える。目的地は分かっているようで、分からない。ただ、足は迷わず進む。やがて、俺たちは一つの建物の前に着いた。ダンジョンの入口だ。

「え! なんで?」

 サクラが驚く。無理もない。夜に、誘導されるように歩いてきた先がダンジョンなのだから。

「サクラ、入ろう」

「大丈夫なの?」

「たぶん、大丈夫だ。すぐ終わるさ」

「え? どういうこと? ぜんぜん分かんないんだけど!」

「俺も全部分かっているわけじゃない」

「それ、大丈夫って言える?」

「たぶんな」

「たぶんが怖い!」


 ダンジョンの中は、夜ということもあって人が少なかった。それでも、まったくいないわけではない。俺たちは人目を避け、人気のない通路へ向かう。その時、壁が黒く揺れた。そして、黒い階段が現れる。

「クロ、黒い階段よ」

 サクラの声が緊張する。黒い階段。それは、深淵王の印象が強い。当然、警戒する。だが、気配が違った。あの男のものではない。もっと硬く、もっと遠く、もっと古い。迷宮核に近い気配だ。

「そうだな。降りよう」

「え? 大丈夫なの?」

「大賢者が呼んでいる気がするんだ」

 サクラは少しだけ黙った。そして、小さく頷く。

「そう…クロがそう言うなら」

 俺たちは黒い階段を降りた。このダンジョンは、50階層ほどある中級ダンジョンだ。だが、黒い階段の先が通常階層である保証はない。降りた先に何が待っているのか。俺にも分からなかった。


 黒い階段を降りきった先にあったのは、通路でも、広間でも、モンスターでもなかった。迷宮核だった。淡く光る巨大な核が、静かな空間の中央に浮かんでいる。

「え…いきなり?」

 サクラが小さく呟く。俺は迷宮核へ近づいた。すると、声が響いた。

『待ってたよ』

 大賢者の声だ。

 やはり、こいつが呼んでいた。

「大賢者さんですか?」

 サクラが尋ねる。

『そうだよ。呼び出して悪かったね』

 声はいつも通り軽い。だが、どこか急いでいるようにも聞こえた。

『私も、人を呼ぶって初めてだからね。どうなるか実験でもあったんだ』

「実験で呼ぶな」

 俺が言うと、大賢者は笑った。

『悪い悪い。でも、質問をする前に、まず私の話を聞いてくれ。まだ話せる時間が短いんだ』

 サクラが息を呑む。

「はい…」


『以前、君たちから質問があった』

 大賢者の声が、いつもより少しだけ低くなる。

『地球で死んだ者が、ヴァルメリアへ転移した可能性はあるのか。正確には、魂が異世界側へ流れた可能性はあるのか、だったね』

「ああ」

 俺は短く答えた。サクラは隣で黙っている。

『結論から言うよ。あった』

 迷宮核の光が、静かに揺れた。

『十年前。このダンジョンの最深部で、一人の地球人が死んでいる。その魂は、本来ならこの迷宮核に回収されるはずだった』

「回収?」

 サクラが小さく聞き返す。

『そう。君たちは召喚陣だと思っていたかもしれないけれど、あれは正確には召喚陣じゃない』

 大賢者は、少しだけ間を置いた。

『魂の回収装置だ』

「魂の…回収装置?」

『ダンジョンは地球の生命を吸って活動している。けれど、ただ生命力を吸うだけでは効率が悪い。だから最深部には、死んだ探索者やモンスターの魂を回収し、ダンジョンのエネルギーへ変換する仕組みがある』

 サクラの顔色が少し変わる。

『つまり、あれは死者を呼び戻すための魔法陣じゃない。本来は、死者の魂をダンジョンに取り込むための吸魂陣だ』


 吸魂陣。その言葉が、静かな空間に落ちた。俺は迷宮核を見つめる。十年前。俺が死んだ場所。

『十年前、君はそこで死んだ』

 大賢者の声が、俺へ向けられる。

『その時、吸魂陣は君の魂を回収しようとした。けれど、完全には吸収できなかった』

「なぜだ」

『ダンジョンが、もともとヴァルメリア側から地球へ送られたものだからだよ』

 俺は息を呑んだ。

『迷宮核には、地球側とヴァルメリア側をつなぐ細い流れが残っている。普段は閉じているようなものだけど、死の瞬間、魂が回収される時だけ、その流れが一瞬だけ揺らいだ』

「その隙間から…」

 サクラが呟く。

『そう。君の魂は、ダンジョンに吸収される前に、異世界側へ流れた』

 大賢者は淡々と続ける。

『その結果、君はヴァルメリアで別の存在として転生した』

 俺は何も言えなかった。予想はしていた。だが、こうして言葉にされると重い。


『そして十年後』

 大賢者の声が、さらに続く。

『召喚者の血が、吸魂陣に触れた』

 サクラがびくりと肩を揺らす。

「私の…血?」

『そう。君の血だ。血には生命力が含まれている。その生命力によって、壊れかけていた吸魂陣が再起動した』

 サクラは無意識に自分の手を握った。

『本来なら、その陣は召喚者である君の魂を吸うはずだった』

「え…」

 サクラの声が震えた。俺は思わずサクラを見る。

『けれど、そうはならなかった。なぜなら、その陣には十年前に取り逃がした魂の痕跡が残っていたからだ』

「取り逃がした魂…」

『つまり、君だよ』

 大賢者の声が俺に向く。

『吸魂陣は、未回収の魂を回収しようとした。処理を再開したんだ。十年前に回収し損ねた地球人の魂を、今度こそ取り込もうとした』

「それで、俺を呼んだのか」

『正確には、召喚者が君を呼んだわけじゃない』

 迷宮核の光が、一瞬だけ強くなる。

『ダンジョンが、君を取り戻そうとした』

 サクラが息を呑む。


『けれど、誤算があった。十年前に逃した魂は、もうただの地球人ではなかった。ヴァルメリアで千年以上を経て、大悪魔になっていた』

「……」

『だから、吸収できなかった。回収するはずが、逆に魂の状態でこちらへ引き戻してしまった。そして、近くにあった器に入った』

「クロ…」

 サクラが小さく呟いた。

『そう。死んだ影狼の器だね』

 大賢者は、そこで少しだけ声を和らげた。

『だから、整理するとこうだ』

 一拍置いて、大賢者は言った。


『サクラくんが君を召喚したわけじゃない』

『ダンジョンが、十年前に回収し損ねた魂を取り戻そうとした』

『けれど、その魂が強くなりすぎていたため、回収できず、逆に現世へ現れてしまった』

『それが、君が地球へ戻ってきた理由だ』

 俺は迷宮核を見つめた。召喚されたと思っていた。サクラに呼ばれたのだと思っていた。だが、違った。ダンジョンが俺を取り戻そうとした。俺を、餌として。エネルギーとして。十年前に取り逃がした魂として。それが、俺の帰還の理由だった。サクラは、隣で小さく拳を握っていた。

「じゃあ…私がクロを呼んだんじゃなくて」

『きっかけを作ったのは君だ。でも、君の意思で彼を選んだわけではない』

 大賢者は静かに答える。

『吸魂陣が、未回収の魂を間違えて引き戻した。それだけだ』

「それだけ、って……」


 サクラの声が少し震える。

「じゃあ、クロはまたダンジョンに回収される可能性があるってことですか?」

『可能性はある』

 大賢者は否定しなかった。

『ただし、今の君たちは契約でつながっている。サクラくんとの契約が、彼をこちら側に留めている。だから、簡単には回収できない』

「契約が…」

『そう。君は彼の鎖であり、錨でもある』

 俺はサクラを見た。サクラも俺を見た。

『もっとも、そのせいで彼が力を使えば、君に負荷が流れる。魂糸共鳴だね』

「…やっぱり、そこも繋がっているのか」

『うん。召喚じゃない。回収でもない。失敗した吸魂と、偶然成立した契約。その歪な結果が、今の君たちだ』

 大賢者の声が、少し遠くなる。

『ああ、もう時間だ』

「待て。まだ聞きたいことがある」

『分かってる。でも、接続が長く持たない。詳しい話は、また――』


 カツン。

 背後で、硬い音がした。俺は振り向く。サクラも振り向いた。黒い階段の近くに、真里が立っていた。

「真里さん…?」

 サクラが呟く。真里は自分でも分からないという顔で、胸元を押さえていた。

「私…どうして…ここに……」

 迷宮核の光が、一瞬だけ強くなる。そして、大賢者の声が明らかに揺れた。

『…マリーかい?』

 その一言で、空気が凍った。

本編をお読みいただきありがとうございました!


一気読みしてくださった方も、毎日追ってくださっている方も、本当にありがとうございます!

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