83. 病院で異常なしと言われたので、医療的判断で焼き肉です
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【サクラ視点】
今日は病院に来ている。総合病院。会社から、ちゃんと検査を受けるようにと言われたからだ。まあ、そうなるよね。だって昨日、私は会社で倒れた。朝は普通だった。体調も悪くなかったし、いつも通り出社して、いつも通り席について、いつも通り仕事を始めた。ただ、出社してしばらくすると、少し頭が痛くなった。偏頭痛かな。それとも、もしかしてクロ?そんなことを考えながらも、私は業務を続けていた。仕事は待ってくれない。納期も待ってくれない。そして、私の体も待ってくれなかった。
それは、コピー機の前に立っていた時だった。資料をセットして、スタートボタンを押す。いつもの動作。何でもない日常の一場面。その瞬間、頭の奥で何かが弾けた。
「っ…!」
頭が張り裂けそうな痛み。目の前が白くなる。まず鼻から、温かいものが垂れた。鼻血だ。そう思った次の瞬間、喉の奥から血の味が込み上げた。
「サクラさん、大丈夫?」
誰かが駆け寄ってくる。誰の声か分からない。返事をしようとした。でも、口から出たのは言葉ではなく、赤いものだった。周囲が一気に騒がしくなる。コピー機の音だけが、やけに遠く聞こえた。そこで、私の意識は途切れた。
次に目を覚ました時、私はベッド……ではなく、ソファに寝かされていた。たぶん、会社の休憩室だ。
「痛たたた…」
体を起こそうとすると、頭の奥がじんと痛む。その時、足元の影が少し揺れた。そして、念話が飛んでくる。
『すまない、サクラ。大丈夫か?』
ああ。やっぱりクロだったのね。
『私は大丈夫よ。たぶん。クロは大丈夫?』
結構な魔力負担だった。つまり、クロが力を使う必要があったということだ。クロは無駄に力を使わない。きっと、クロの身に何かあった。
『すまない…中堅ハンターにモンスターと勘違いされた。戦闘になって、逃げ切れる相手でもなくて、力を使うしかなかった』
『そっか』
私は小さく息を吐いた。
『無事で良かったよ』
クロはしばらく黙った。怒られると思っていたのかもしれない。でも、まず無事でよかった。それだけは本当だった。
私が起き上がると、近くにいた主任の藤堂さんがすぐに気づいた。
「大丈夫?」
いつもの軽い雰囲気ではなかった。本当に心配してくれている顔だった。
「たぶん、大丈夫です」
「聞いていいか分からないけど、何か持病とかあるの?」
「いえ、持ってない…はずです」
「そっか」
藤堂さんは少し考えた後、真面目な声で言った。
「今日はもう大きい病院はやってないと思うから、明日ちゃんと検査を受けてきなね」
「はい…」
そこで私は時計を見た。
14時。
「え? もうこんな時間! 仕事しなきゃ!」
体を起こそうとした瞬間、藤堂さんに止められた。
「いいよいいよ。今日はもう帰って休みな」
「いや、そういうわけには…」
「何を言っている!」
そこへ課長が来た。顔が怖い。でも、怒っているというより、心配している怖さだった。
「早退しなさい! パワハラと言われてもいいが、これは上司命令だ!」
「はい…」
こうして私は、強制的に早退することになった。
翌日、私は総合病院に来た。採血をして、いくつか検査を受けて、待合室で長い時間待つ。そして出た結果は――異常なし。大きな病気も、怪我も、内臓の異常も見つからなかった。医師から言われたのは、疲労気味で、少し貧血気味ということくらいだった。女性の生理と大きく変わらない程度なので、過度に心配する必要はないらしい。いやいや。会社で鼻血と吐血をして倒れたんですけど。どうしよう。なんて会社に報告しようかしら。
『本当にすまない』
影の中からクロが言った。
『だから、クロは悪くないって』
『だが、原因は私だ』
『それはそうだけど、悪気はないでしょ』
自分で言っていて、これは会社への説明には絶対に使えないと思った。その時、スマホが鳴った。会社からだ。どうしよう。今出るべき?いや、診察中ってことにして出ない?でも後で折り返す時、何て言えばいいの?問題がなかったなら、これから出社した方がいいのかな。でも昨日あんなことになったし。でも仕事が。頭がパンクしそうだった。
迷った末に、私は診断書をもらって会社へ向かった。本当は休むべきなのかもしれない。でも、検査で異常なしと言われた。それなら、一応報告だけでもした方がいい。そう思ったのだ。会社に着くと、課長がすぐに駆け寄ってきた。
「サクラくん、大丈夫かね?」
「はい。すみません、ご心配をおかけして…」
「今日は休むようにと電話したんだけど、留守電聞いてない?」
「あ〜、すみません。電話、気づきませんでした…」
「で、大丈夫だったのかい?」
「はい。特に異常はなく、疲労と貧血気味と言われました」
「疲労と貧血…」
課長は、なんとも言えない顔をした。
「人って、それであんなに血吹雪を上げるのかね……?」
血吹雪。そんなに?いや、たぶん、そんなにだったのだろう。課長はそっと私に近づき、小声で言った。
「ここでは言えないことなの?」
「いえいえ! 本当に何もなくて、これ診断書です!」
私は慌てて診断書を差し出した。
課長は診断書をじっと見た。
「た、確かにそのようだね…」
そして、ますます不思議そうな顔になる。
「不思議なこともあるんだね」
「はい…」
私もそう思います。
「でも、疲労と貧血なんだから、今日はもう帰りなさい。ね」
「…はぁ、分かりました」
私は皆に頭を下げて、会社を出ることになった。
「お大事にね」
「無理しないでください」
「仕事はこっちで何とかするから」
そんな言葉をかけられるたびに、申し訳なさが増していく。休めるのは、正直少し嬉しい。でも、それ以上に申し訳なさがヤバい。会社の外に出て、私は建物を振り返った。そして、両手を合わせる。
「すみません、皆さん!」
会社に向かって謝る人間。たぶん、なかなかいない。
まだ昼前だった。このまま家に帰って寝る。それが正しい。たぶん、絶対に正しい。でも、私は医師に言われた言葉を思い出す。疲労気味。貧血気味。つまり、必要なのは休息。そして、栄養。貧血なら鉄分。疲労ならたんぱく質。鉄分とたんぱく質。つまり。
「焼き肉だ」
『なぜそうなる』
影の中からクロの声がした。
「これは治療です」
『治療』
「そう。医療的判断に基づく焼き肉です」
『ものすごく都合のいい判断だな』
「クロだってお肉好きでしょ」
『…まあな』
ほら。反論が弱い。私はそのまま、近くの焼き肉ランチのお店へ向かった。平日の昼前。店内は空いていた。網の上で肉が焼ける音がする。じゅう、と脂が落ちる。その音だけで、少し元気が出た気がした。
「いただきます」
一口食べる。おいしい。生き返る。
『サクラ』
「なに?」
『…少しだけでいい』
「はいはい」
私は誰にも見られないように、焼けた肉を一切れ、足元の影へ落とした。影が少しだけ揺れる。
『悪くない』
「でしょ?」
会社で血を吐いて倒れて、病院で異常なしと言われて、会社に謝って、焼き肉を食べている。なんだろう、この一日。でも、少しだけ思った。私の日常は、たぶん普通には戻れない。それでも、お肉がおいしいなら、今日はまだ大丈夫だ。
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