77. 会社の休憩室に、黒い階段が現れました
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「おはよう!」
いつものように、明るい声が聞こえた。藤堂だった。三日ぶりに出社したらしい。サクラは顔を上げ、すぐに笑った。
「あ! 藤堂さん、おはようございます。お体、大丈夫ですか?」
「うん、なんとかね!」
藤堂はそう言って、右腕で力こぶを作ってみせた。その動きは自然だった。声も、表情も、いつもの藤堂だ。だが、俺はサクラの影の中で目を細める。どこかで感じた気配。ほんのわずかだが、あの深い闇に似たものが混じっている気がした。もしかして。藤堂が、深淵王なのか。
「仕事、三日間も休んじゃってごめんね〜」
「いえいえ、体調悪いんだから仕方ないですよ〜」
サクラは普通に返している。藤堂も、普通に笑っている。その後の動きも、いつもの藤堂だった。休んでいた間に溜まった仕事を確認し、優先順位をつけ、周囲へ指示を出す。サクラの仕事にも、さりげなく助言する。こいつはできる男だ。いや、仕事ができるという意味だ。何でもそつなくこなし、人当たりも良い。上司にも部下にも受けがいい。だからこそ、疑いづらい。影の中から観察していても、これといったボロは出ない。そもそも、今ここで見張ったところで、深淵王ですと名乗るわけがない。バカバカしくなってきた。俺は一度、サクラの影の奥へ戻った。
『サクラ』
俺は念話を飛ばした。
『深淵王は、藤堂かもしれない』
サクラの手が止まった。
『嘘!』
声には出していない。だが、魂糸共鳴を通して、動揺が伝わってくる。
『確定なの?』
『まだだ。でも怪しい。少し探ってみる』
『うん、お願い。違うといいんだけど…』
その気持ちは分かる。藤堂は、サクラにとって頼れる職場の先輩だ。仕事でも何度も助けられている。それが深淵王だったら、サクラにとってはかなりきつい。だからこそ、俺は慎重に見ることにした。
昼過ぎ。サクラは休憩がてら、休憩室へ入った。自販機。小さなテーブル。椅子。いつもの会社の休憩室だ。その奥に、黒い階段があった。
「え…?」
サクラの息が止まる。
『黒い階段…あいつがいるの?』
俺も、すぐに周囲を探った。人の気配はない。だが、深層の匂いがある。間違いない。深淵王のものだ。俺はサクラの影から顔を出した。
「サクラ、部屋に鍵を。それと、誰も近づいていないか確認しろ」
サクラは慌てて部屋の外を確認する。廊下には誰もいない。すぐに扉を閉め、鍵をかけた。会社の休憩室に、黒い階段。見られたら説明できない。いや、説明できたとしても信じてもらえない。
黒い階段の奥から、声がした。
「こないだは、頭悪いことをしたよ」
深淵王が現れた。顔は真剣だった。だが、口調は相変わらず軽い。
「まさか君が、あれほど強いなんてね」
「何の用だ?」
俺はサクラの前に出る。深淵王は、手をひらひらと振った。
「いや、挨拶だよ」
「挨拶?」
「俺は元気だよって。ただそれだけ」
ふざけている。そう思った。だが、深淵王の目は笑っていなかった。
「あれで終わったなんて思わないでね。俺はダンジョンを守らないといけないから…ね」
「そうか。なら、すぐ消えてもらいたいんだが」
「うん、そのつもりだよ」
深淵王は、にこりと笑う。
「じゃあ、また」
深淵王は黒い階段を降りていった。階段は、音もなく消える。俺はすぐにサクラを見た。
「サクラ、どうだった?」
サクラは休憩室の扉を少しだけ開け、廊下の向こうを確認する。そして、戻ってきた。
「藤堂さんは仕事してたわ。電話中だった」
「そうか」
藤堂は仕事中。深淵王は、今ここにいた。なら、藤堂が深淵王という可能性は低い。
「じゃあ、深淵王は藤堂じゃないか…」
俺は息を吐いた。
「俺の気のせいだったようだ。すまん」
「いいよ。警戒してくれてたんでしょ」
サクラはそう言った。少し安心しているようだった。だが、俺の中の違和感は完全には消えなかった。あの気配。あの軽さ。あいつはまだ、何かを隠している。
藤堂への疑いは、一度引っ込めるしかない。だが、問題が消えたわけではない。深淵王は、会社の休憩室に黒い階段を出した。つまり、サクラの日常の中に、いつでも入ってこられるということだ。ダンジョンの奥でもなく、抗争の戦場でもなく。会社の休憩室に。それは、かなりまずい。
「クロ、戻るよ。休憩長いと怪しまれる」
「分かった」
サクラは鍵を開け、何事もなかったように休憩室を出る。会社員の日常へ戻っていく。俺は影の中で、もう一度だけ消えた黒い階段の場所を見た。こうして日常がまた始まった。日常のすぐ隣に、深層の闇を抱えたまま。
ご拝読ありがとうございました!
第一部完結(全99話)まで残りあと少し!
いよいよ第5章も大詰め!サクラたちの運命がどこへ向かうのか、第一部のラストまで止まらずに駆け抜けていきます!
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