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60. 人型になったクロを、よりによって真里さんに見られました

いつも応援ありがとうございます!

当作品は、【毎日 朝06:00 / 夕方18:00】の1日2回、定時更新でお届けしております。


最新話までじっくりお楽しみください!

 俺は人型になって、筋トレをしていた。場所は自宅。…と言いたいところだが、正確にはサクラの家だ。サクラはコインランドリーへ行っている。ありがたいことに、コインランドリーはこのマンションの1階にあるらしい。ちなみにサクラの部屋は3階だ。つまり、俺は留守番である。影で作った人型の体に、筋トレがどれほど意味を持つのかは分からない。筋肉が増えるのか。魔力操作が上手くなるのか。それとも、ただの自己満足なのか。正直、よく分からん。だが、じっとしているよりはいい。せっかく二本足で動けるのだ。体の感覚を確かめておいて損はない。


 俺はサクラに教えてもらった音楽を聴きながら、腕立て伏せをしていた。何が驚いたかって、イヤホンだ。まず線がない。俺が知っている時代の耳に入れる道具とは、明らかに別物だ。小さなものを耳に入れるだけで音が鳴る。しかも、周囲の音を消す機能まである。ノイズキャンセリング。サクラはそう言っていた。ほぼ魔法だろう。いや、魔法より便利かもしれない。千年以上悪魔として生きてきた俺が、現代日本のイヤホンに感動している。人生…いや、悪魔生とは分からないものだ。


 しばらくして、玄関の方で音がした。ノイズキャンセリングとやらのせいで、細かい気配までは拾いきれなかった。俺はイヤホンを外しながら振り向く。最近は、日本語もだいぶ流暢になってきたと思う。サクラに教わった挨拶も自然に出るようになった。

「サクラ、おかえり」

 そう言いながら振り向いて、俺は固まった。そこにいたのは、サクラではなかった。縦ロール。上品な服装。目を見開いた顔。真里(まり)だった。


「マリー!」

 反射的に、その名が出た。同時に、真里も叫ぶ。

「アシェル!」

 空気が止まった。やってしまった。俺はまた、真里をマリーと呼んでしまった。そして真里も、俺をアシェルと呼んだ。アシェル。ヴァルメリアで、マリーの体を借りていた時の名。サクラにはほとんど話していない名。真里が知っているはずのない名。真里は口元に手を当て、自分でも驚いたように俺を見ていた。俺も動けない。なぜ真里がここにいる。なぜ俺は人型のままなのだ。なぜ、よりによってサクラがいない時に来る。


 その沈黙を破ったのは、もう一度開いた玄関の音だった。今度こそ、サクラだった。洗濯物の入った袋を持ったまま、部屋に入ってくる。そして、俺と真里を見た。人型の俺。真里。なぜか向かい合って固まっている二人。サクラの顔から血の気が引く。だが、次の瞬間。

「お、お兄ちゃん!」

 叫んだ。俺は理解した。乗るしかない。今、乗らなければ終わる。

「サクラ、おかえり」

 俺はできるだけ自然な顔で言った。自然な顔ができていたかは知らん。


「えーと、前に話していた真里さんかな?」

 俺は真里を知らないふりをした。サクラもすぐに乗る。

「そうそう! お兄ちゃん、よく分かったね!」

「サクラは友達が少ないからな」

「あはは、ひどいな〜」

「事実だろう」

「あはははは」

「ははははは」

 乾いた笑いが部屋に響く。我ながら、ひどい茶番だった。だが、他に選択肢がない。サクラも必死に笑っている。俺も必死に兄らしい顔をしている。しかし、真里は笑っていなかった。彼女は俺だけを見ていた。まばたきすら忘れたように、じっと。


「アシェル…」

 真里が小さく呟いた。その声は、真里のものだった。けれど、俺の中では別の声と重なった。マリー。砂埃の舞う城下。砕けた王城。最後に見た、あの体。俺は言葉を失った。違う。目の前にいるのは真里だ。マリーではない。そう分かっている。それでも、魂の奥が反応してしまう。真里も同じなのかもしれない。彼女は自分でも理由が分からない顔で、俺に一歩近づいた。


 次の瞬間、真里はさらに一歩踏み出した。そして、両腕を広げる。

「好き!」

 そのまま、俺に抱きついてきた。

「……は?」

 俺は固まった。サクラも固まった。たぶん、この部屋の空気も固まった。真里は俺の胸元に顔を埋めたまま、震えている。

「分かりませんわ…でも、好きですの……」

 その声は、真里のものだ。けれど、その奥に、マリーの何かが混じっている気がした。俺はどうすればいい。押し返すべきか。受け止めるべきか。説明するべきか。横を見る。サクラが、笑顔のまま固まっていた。怖い。これは、戦場より怖いかもしれない。

本編をお読みいただきありがとうございました!


一気読みしてくださった方も、毎日追ってくださっている方も、本当にありがとうございます!

いよいよ始まった第4章、ここからさらに物語は加速し、熱い展開へと突入していきます!


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