58. 美桜さん、その質問はクロの正体に近すぎます
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美桜さんから電話がかかってきた。
「サクラちゃん、今日の夜、少し会える?」
その声は、いつも通り綺麗だった。でも、どこか少しだけ硬い。
「教えてほしいことがあるんだ」
その言葉を聞いた瞬間、胸が跳ねた。たぶん、皐月さんのことだ。そして、クロのことだ。私はそう思った。仕事終わりの20時に会う約束をしたけれど、その後の仕事はまったく落ち着かなかった。書類を確認していても、頭の隅ではずっとクロのことを考えてしまう。それでも何とか仕事を終わらせ、私は待ち合わせの個室居酒屋へ向かった。
店に入り、案内された個室の扉を開ける。中には、美桜さんと若葉さんがいた。
「来たね、サクラちゃん」
「サクラさん、お疲れ様です」
「お疲れ様です」
私は笑って席についた。でも、心の中では思っていた。どうしてこの2人は、いつも一緒なんだろう。いや、仲が良いのは分かる。分かるけど。美桜さんと若葉さんが2人そろっている時点で、絶対に皐月さんの話だ。そして、たぶんクロの話だ。足元の影は静かだった。クロも分かっているのだと思う。
とりあえず、最初はビールで乾杯した。
「お疲れ様」
「お疲れ様です」
グラスを合わせて、一口飲む。美味しい。仕事終わりのビールは、どうしてこんなに美味しいのだろう。料理も運ばれてきた。唐揚げ、だし巻き、サラダ、焼き物。普通なら、ここから楽しい食事会になる。でも、今日はそういうわけにはいかないらしい。美桜さんはグラスを置くと、まっすぐ私を見た。
「サクラちゃん。影狼について聞いてもいい?」
「影狼みたいな召喚獣って、召喚主を離れて行動できる?」
「え?」
「それと、変身できる?」
心臓が、嫌な音を立てた。その質問は、まっすぐクロへ向かっている。私はグラスを両手で持ちながら、言葉を選んだ。
「たぶん…一般的な召喚獣は、どちらもできません」
「一般的には?」
「はい。うちのクロも、私の見えている範囲…せいぜい50mくらいでしょうか。そこから離れて自由に行動することは、普通はできないと思います」
以前のクロなら。私は心の中でそう付け加えた。今のクロは違う。人型にもなれる。私の影から出入りもできる。たぶん、普通の召喚獣とはまったく違う。でも、それは言えない。美桜さん、ごめんなさい。まだ、クロが言えないって言っているから。
「そうか…」
美桜さんは小さく息を吐いた。その顔が、少しだけ落ち込んで見えた。
「何かあったんですか?」
私が聞くと、美桜さんはゆっくり話し始めた。
「先日な、皐月がいたんだ。公園に」
「公園に、ですか?」
「うん。皐月と私の同級生が目撃して、実際に声もかけた。車載カメラにも映っていた」
皐月。公園。同級生。クロが言っていた話だ。
「でも、その同級生がスマホを取りに車へ戻っているうちに、皐月は消えてしまった」
「消えた…」
私は思わず繰り返した。足元の影が、ほんの少しだけ静かになった気がした。
「それで、公園のカメラを見させてもらった」
美桜さんの声が、さらに低くなる。
「そこに、映っていたんだ」
「何が、ですか?」
聞きたくない。でも、聞かないわけにはいかない。
「皐月が、影狼みたいなものに変身するところ」
息が止まりそうになった。若葉さんも、黙って美桜さんを見ている。
「2台のカメラに映っていたんだけど、1台は壁で隠れてちょっとしか見えない。もう1台は遠くて、はっきりとは分からない」
「そうなんですね…」
私の声は、自分でも分かるくらい硬かった。
「でも、分かったことはある」
美桜さんは私を見た。
「皐月が黒狼みたいなものに変わって、地面に消えた」
地面。たぶん、影だ。クロは影に入ったのだ。私はそれを知っている。知っているのに、知らないふりをしている。
「それで今日、サクラちゃんに聞いてみたんだ」
美桜さんは苦笑した。
「でも、またしても謎が増えたな」
「お力になれなくて、すみません」
私は頭を下げた。すると、美桜さんは首を振った。
「いやいや。君と出会えてから、今まで全く手がかりがなかったのに、すごい急展開だよ」
その声には、落ち込みよりも希望があった。
「私は諦めないぞ」
「そうですね、お姉ちゃん」
若葉さんが静かに微笑む。
「まだ手がかりはあります。探しましょう」
「だな!」
2人とも、希望に満ちていた。その姿を見るのが、少し苦しかった。教えてあげたい。クロはここにいる。皐月さんかもしれない。でも、私が勝手に言うことじゃない。
「よし。今度はもっと公園の周りの監視カメラに当たってみよう」
美桜さんはすぐに次の行動を決めていた。
「お姉ちゃん、ハンターの仕事は大丈夫? パーティーメンバーは?」
若葉さんが心配そうに聞く。
「そうか…でも、カメラの記録が消えてしまうかもしれない。今はこちらが優先だ」
「…まあ、そうですね。私も協力します」
二人はもう、完全に動く気でいる。私はグラスを持ったまま、足元の影へ念話を飛ばした。
『ねぇ、クロ。カメラ、大丈夫?』
しばらく沈黙があった。そして、クロの声が返ってくる。
『ああ、大丈夫だ。あの公園へは転移で行ったからな』
転移。やっぱり。
『しかも、かなり遠かったと思う。帰ったら思いっきり鼻血を出していただろう』
私は固まった。
『あ、あれやっぱりクロのせいだったのね!』
私は念話で叫んだ。
『突然鼻血が出たから、びっくりしたんだから!』
『悪かった。だが、結果的に帰ってこられただろう』
『そういう問題じゃない!』
思わず顔に出そうになって、慌ててビールを飲んでごまかした。美桜さんと若葉さんは、次にどこのカメラを確認するかで話し合っている。2人の目には、希望があった。それが嬉しくて、苦しかった。ごめんなさい。まだ、言えません。でも、いつか必ず。クロが自分で向き合える時が来たら。私はその時、ちゃんと二人の前に立とう。そう思いながら、私は少しぬるくなったビールを飲み干した。
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