56. 助けてくれた藤堂先輩と食事に行ったら、隣が羅刹組でした
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最近、サクラの上司が妙に優しい。以前は、書類一枚のミスでサクラを長々と責めていた男だ。俺としては、影から引きずり込んでやろうかと思ったことも一度や二度ではない。その男が、である。
「サクラさん、体調は大丈夫か?」
そんなことを言って、ジュースまで奢っていた。サクラは戸惑った顔で礼を言う。
「ありがとうございます…」
影の中で、俺は目を細めた。怪しい。人間は急に優しくなる時ほど、何かある。
昼休み、サクラが小さく首を傾げていた。
「課長、最近ちょっと優しいですよね」
それに答えたのは藤堂だった。藤堂はサクラの先輩で主任でもある。
「ああ。他部署でパワハラの訴えがあったらしいよ」
「えっ、そうなんですか?」
「うん。上からも注意喚起が出たみたいだね。管理職はしばらく言動に気をつけるようにって」
藤堂はいつものように笑っていた。穏やかで、親切そうな笑顔。だが、俺はその笑顔があまり好きではない。理由は分からない。ただ、こいつの笑顔は表面が整いすぎている。人間の笑顔というより、よくできた仮面に見える。
しかし、その平和は、午後に壊れた。広告チラシの納品数が違う。取引先からの連絡で、部署内の空気が一瞬で変わった。課長の顔色が変わる。
「この案件の担当は誰だ?」
資料を確認した課長の視線が、サクラに向いた。
「サクラさん。君の仕事だな」
サクラの肩が小さく跳ねた。2週間前の案件らしい。サクラは必死に記憶を辿っていた。だが、この2週間は濃すぎた。ダンジョン。真里。天照院。クロの人型。普通の会社員が一生経験しないような出来事が、短期間に詰め込まれていた。そのせいで、チラシの納品数の記憶など、完全に奥へ押し流されていた。
「どうしてこんな基本的な確認を怠ったんだ!」
課長の声が部署内に響いた。ついさっきまで優しかった男とは別人のようだった。サクラは頭を下げる。
「申し訳ありません。確認します」
「確認します、じゃない! もう取引先に迷惑がかかっているんだぞ!」
周囲の社員たちが、見て見ぬふりをする。会社という場所は不思議だ。モンスターより弱い人間ばかりなのに、こういう時だけ群れとしての空気が重くなる。俺は影の中で牙を剥いた。出るか。いや、出れば余計に面倒になる。
『クロ、だめ』
サクラの念話が飛んでくる。くそ。こういう時だけ、察しがいい。
課長は、すでに結論を出しているようだった。サクラの確認ミス。サクラの責任。サクラの始末書。そういう形にして終わらせるつもりなのだろう。サクラの顔色が悪くなる。本当に自分のミスなのかもしれない。そう思っている顔だった。だが、俺には分かる。サクラは抜けているところもある。だが、仕事を適当にする女ではない。何かが引っかかる。その時、藤堂が静かに資料をめくっていた。
「課長」
藤堂が口を開いた。声は穏やかだった。
「それ、修正したものをサクラさんが提出していましたよ」
部署の空気が止まった。課長の顔がわずかに引きつる。
「…何を言っている?」
「2週間前です。納品数が変更になって、サクラさんが修正書類を作り直して、課長に提出していました」
サクラの目が大きくなる。
「あ…そうです。私、修正しました」
課長は慌てて机の上を探し始めた。書類の山。ファイル。引き出し。そして、出てきた。修正済みの書類。そこには、正しい納品数が書かれていた。間違っていたのは、サクラではない。修正書類を出したにもかかわらず、古い書類を提出した課長の方だった。
その後、課長は上役に呼ばれた。結果として、始末書の提出と減給処分。軽い処分ではない。だが、職を失うほどではなかった。サクラも事情確認のために呼ばれた。
「課長は、普段どんな方ですか?」
そう聞かれた時、俺は少しだけ期待した。ここで言ってやれ。いつも怒鳴る嫌な男です、と。だが、サクラはそう言わなかった。
「厳しい人ですが、仕事は真剣です」
そう答えた。甘い。こいつは本当に甘い。だが、その甘さがサクラなのだろう。俺は影の中で、小さく息を吐いた。
課長は部署に戻ってきた。さすがに以前のような勢いはない。サクラの前で足を止め、気まずそうに頭を下げた。
「…今回は、すまなかった」
「いえ。今後、私も確認方法を気をつけます」
サクラは普通に返した。それから課長は、少しだけ言い方が柔らかくなった。完全に別人になったわけではない。だが、怒鳴る前に一度確認するようにはなった。少しは学習したらしい。人間にしては上出来だ。
今回、サクラを助けたのは藤堂だった。それは事実だ。だからサクラは、仕事終わりに藤堂を食事へ誘った。
「この前のお礼に、ご飯どうですか?」
「いいの? じゃあ、ありがたく」
藤堂はいつもの笑顔で答えた。影の中で、俺は面白くなかった。だが、助けられたのも事実。文句を言うには、少し分が悪い。そして仕事終わり、サクラと藤堂は会社近くの店へ向かった。
食事中、隣の料理屋が妙に騒がしかった。酒の声。笑い声。そして、妙に荒い気配。サクラが小さく首を傾げる。
「隣、すごく賑やかですね」
藤堂は窓の外へ視線を向けた。
「ああ。たぶん羅刹組関係かな」
「羅刹組?」
「三大クランの一つだよ。天照院や月華楼と並ぶS級クラン。ただ、雰囲気はかなり違う」
藤堂は箸を置き、簡単に説明を続けた。
「羅刹組は、強さこそ正義だと信じる武闘派クランだね。実力至上主義。強ければ上に行けるし、弱ければ相手にされない」
「なんか、怖そうですね」
「怖いよ。実際、荒い人も多い」
藤堂は笑っていた。その笑顔が、相変わらず読めない。俺は影の中で、隣の店の気配を探った。
食事を終え、店を出た時だった。ちょうど隣の料理屋から、何人もの男たちが出てきた。ぞろぞろと。けれど、ただの酔客ではない。彼らは店の前で左右に並んだ。まるで、誰かを見送るための列のように。サクラが小さく息を呑む。
「な、なんですか、これ…」
俺も影の中で身構えた。気配が荒い。だが、統率されている。その列の間から、一人の男が出てきた。周囲の空気が変わる。男たちが一斉に頭を下げた。
「改めて、ナンバーズ昇進、おめでとうございます!」
ナンバーズ。その言葉を聞いた瞬間、藤堂の目がわずかに細くなった。サクラは意味が分からず、ただ固まっていた。俺は、影の中で牙を剥いた。どうやら、面倒な連中と出くわしたらしい。
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