51. 誰の妹に手を出しているのか
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【サクラ視点】
私はふらつきながら、真里さんの元へ駆け寄った。頭はまだ痛い。口の中には血の味が残っている。でも、そんなことを言っている場合じゃなかった。真里さんはまだ拘束されたままだ。手足を縛られ、体を固定され、口も塞がれている。目には涙が浮かんでいた。いつもの堂々とした真里さんじゃない。その姿を見た瞬間、胸がぎゅっと苦しくなった。
「大丈夫です。今、外しますから」
私は震える手で拘束具に触れた。クロも隣に来て、周囲を警戒している。やっと助けられる。そう思った、その時だった。
背後から、凄まじい威圧が飛んできた。空気が重くなる。背中に氷を押し当てられたような感覚。私は思わず固まった。
「誰の妹に手を出しているのか、分かっているのか?」
低い声だった。振り返ると、訓練場の入り口に、男の人が立っていた。真里さんと同じ、どこか品のある顔立ち。けれど、その目には怒りが燃えている。手には剣。たぶん、この人が真里さんのお兄さん。天照院の総長。でも、今の状況だけ見たらまずい。拘束された真里さん。傷だらけの私。人型から戻ったクロさん。気絶して拘束されている征士郎さん。どう見ても、私たちが怪しい。
「ち、ち、違います! 私たちは…」
「黙れ。聞く耳は持たん」
声が、喉の奥で止まった。
総長さんが剣を振りかぶってこっちに飛んでくる。速い。征士郎さんも速かったけれど、この人もとんでもない。私は動けなかった。足がすくんで、声も出ない。その瞬間、クロさんが動いた。でも、総長さんに飛びかかったわけじゃない。クロさんは真里さんの口元へ跳び、塞がれていたテープを噛んで剥がした。え。今、ちょっと近くない?見間違いだよね?キスしてないよね?いや、クロさんは今、狼だから口でしか剥がせない。分かってる。分かってるけど、危ないよ!そんな場違いなことを思った直後、真里さんが叫んだ。
「お兄様、違いますの!」
真里さんの声が訓練場に響いた。剣が、私の目の前で止まる。
「この方たちは、私を助けてくださいましたの!」
一瞬、空気が止まった。総長さんの目が、私から真里さんへ移る。
「…真里?」
「本当ですわ。サクラさんとクロさんが来てくださらなかったら、私は…」
真里さんの声が震えた。総長さんは剣を下ろした。
「…そうなのか」
私は、そこでようやく息を吐いた。助かった。本当に、間一髪だった。
「失礼した」
総長さんは深く頭を下げた。
「妹を傷つけた者だと早合点した。申し訳ない」
総長さんはすぐに真里さんの元へ向かった。私が外せなかった拘束具を、手際よく外していく。手首。足。体を固定していた金具。全部が外れた瞬間、真里さんの体が崩れた。総長さんはそれを受け止める。
「真里」
「お兄様…」
真里さんの声は、今にも消えそうだった。総長さんは自分の上着を脱ぎ、真里さんの肩にかけた。
「もう大丈夫だ」
その言葉を聞いた瞬間、真里さんの目から涙がこぼれた。私は何も言えなかった。クロも、黙ってその様子を見ていた。
真里さんは、少しずつ事情を話した。征士郎さんに呼び出されたこと。「総長が危ない」と言われ、ここへ来たこと。地下訓練場には天花隊のメンバーもいたこと。そこで意識を失い、目が覚めたら拘束されていたこと。征士郎さんが、天照院の改革だと言ったこと。そして、天花隊に写真と剣を渡し、総長さんを襲わせたこと。総長さんの顔が、だんだん険しくなっていく。
「そうか。征士郎さんが…」
その声には、怒りだけではなく、深い失望も混じっていた。きっと総長さんにとっても、信頼していた人だったのだ。
「あいつはどこに?」
総長さんが低く聞いた。
「あそこにいます」
私が指さすと、全員の視線が征士郎さんへ向いた。征士郎さんは拘束魔道具で縛られ、床に倒れていた。片腕は失われている。総長さんは征士郎さんの前に立ち、冷たい声で言った。
「起きろ」
征士郎さんが、うめきながら目を開ける。
「う…総長……」
その目を見て、私は少し驚いた。さっきまでの嫌な狂気が薄れている。征士郎さんは真里さんを見ると、顔を歪めた。
「真里…すまない…」
真里さんの肩がびくりと震えた。総長さんは表情を変えずに問いかける。
「何があった?」
「分かりません。意識は……ぼんやりとありました。ですが、体が言うことをきかず、口から出る言葉も、自分のものではないようで……」
「洗脳だ」
総長さんが言った。
「天花隊も全員、洗脳されていた」
「いつからだ」
総長さんが、低い声で問いかけた。征士郎さんは、苦しそうに眉を寄せる。
「…数日前です。天花隊の訓練を見ていました」
「訓練?」
「はい。封鎖ダンジョン内の訓練場で、天花隊の連携訓練をしていました。真里はいませんでした。私と、天花隊のメンバーだけです」
征士郎さんは、失った腕の方を見てから、悔しそうに唇を噛んだ。
「そこへ、一人の男が現れました」
「男?」
「見覚えのない男でした。天照院の関係者ではありません。ですが、いつの間にか訓練場の中に立っていた。侵入経路も分かりません」
その場にいた全員の空気が重くなった。天照院が管理する封鎖ダンジョン。普通なら、部外者が簡単に入れる場所ではないはずだ。
「すぐに取り押さえようとしました。ですが…強かった」
征士郎さんの声が、少し震えた。
「天花隊も私も、抵抗しました。けれど、まるで相手にならなかった。それから奇妙な道具を使いました」
「道具?」
「黒い輪のようなものです。首輪にも、腕輪にも見える魔道具でした。それを押し当てられた瞬間、頭の中に何かが入り込んできた」
征士郎さんは、額に汗を浮かべながら続けた。
「そこから先は、はっきりしません。意識はありました。ですが、体が言うことをきかず、口から出る言葉も、自分のものではありませんでした」
総長さんが拳を握りしめる。
「天花隊も同じか」
「おそらくは…。彼らも私と同じ道具を使われました」
真里さんの顔が青ざめた。
「では、天花隊のみなさんは…」
「洗脳されていた可能性が高い」
総長さんが静かに言った。謎の男。封鎖ダンジョンに侵入できる力。征士郎さんと天花隊をまとめて制圧できる強さ。そして、洗脳道具。怖い…
「洗脳されていたことは分かった」
総長さんは静かに言った。
「だが、事が起きた以上、責任は取ってもらう」
征士郎さんは目を伏せた。
「はい。当然です」
その声には、さっきまでの狂気はなかった。
「真里を傷つけ、天花隊を動かし、クランを混乱させた。たとえ操られていたとしても、何もなかったことにはできない」
「分かっています。償わせてください」
征士郎さんは、床に額をつけるように頭を下げた。真里さんは、その姿を見て何も言わなかった。許せるはずがない。でも、洗脳されていたのなら、何をどこまで恨めばいいのかも分からない。その横顔は、ひどく苦しそうだった。
総長さんは、私たちに向き直った。
「サクラ…殿、といったかな」
いきなり殿づけされて、私は少し背筋を伸ばした。
「妹を助けてくれたこと、心から感謝する」
総長さんは深く頭を下げた。
「それと、先ほどは剣を向けてすまなかった」
「い、いえ! あの状況なら仕方ないです!」
本当に怖かったけど。ものすごく怖かったけど。
「本来なら、封鎖ダンジョンへの無断侵入は問題になる。だが、今回は不問とする。むしろ、君たちが来なければ真里は助からなかった」
真里さんも、私たちを見た。
「サクラさん、クロさん。本当に、ありがとうございましたわ」
その声はまだ震えていた。でも、生きている。助けられた。私はそのことに、ようやく少しだけ安心した。ただ、足元の影は静かだった。事件は終わった。でも、黒幕はまだどこかにいる。そんな気がしてならなかった。
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