42. クロが皐月かもしれないなんて、まだ言えない
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【サクラ視点】
言わなきゃ、と思った。足元の影にいるクロさん。その中にいる人は、もしかしたら。美桜さんが10年以上探していた、皐月さんなのかもしれない。若葉さんのお兄さんなのかもしれない。でも、言葉は喉で止まった。美桜さんは泣いていた。若葉さんも、涙をこらえるようにうつむいていた。そんな2人に、私は何を言えばいいのだろう。
「もしかしたら、クロさんが皐月さんかもしれません」
そんな曖昧な言葉を、今ここで投げてもいいのだろうか。
もし違ったら。もし、似ているだけだったら。もし、同じ魂だったとしても、美桜さんの知っている皐月さんが、もうどこにもいなかったら。それは、今ここで泣いている美桜さんに、もう一度刃を向けることになる。それに。これは、私が勝手に話していいことじゃない。クロさんの過去だ。クロさん自身が、向き合って、選んで、話すことだ。そう思った。そう思ったはずだった。
けれど、胸の奥で、別の声がした。言いたくない。言えば、美桜さんはきっとクロさんを見る。私の知らない名前で。私の知らない顔を探すように。私の知らない時間を取り戻すように。クロさんを、皐月さんとして見る。それが、怖かった。クロさんは私の契約者だ。私の影にいて、私を守ってくれて、私と一緒にご飯を食べて、私の隣にいてくれる。でも、美桜さんにとっては、10年以上探し続けた大切な人かもしれない。分かっている。それでも、怖いと思ってしまった。私は、そんな自分が少し嫌だった。
私には、まだ覚悟がなかった。美桜さんに伝える覚悟。若葉さんに期待を持たせる覚悟。そして、クロさんが私の知らない誰かとして見られることを受け入れる覚悟。だから私は、言葉を飲み込んだ。ずるいと思う。優しさのふりをした、私の弱さかもしれない。それでも、今はまだ言えなかった。
「美桜さん」
私は、ようやく声を出した。
「まだ、可能性はありますよ」
美桜さんが顔を上げる。
「あのダンジョンには魔法陣もありました。人がいた形跡はありませんでした。ヴァルメリアに行っていないなら、地球のどこかにいる可能性だって、まだ…」
自分でも、必死に言葉を探しているのが分かった。
「きっと、まだ探せます」
若葉さんも、涙を拭いながら頷いた。
「そうですよ、お姉ちゃん。まだ諦めるには早いです」
美桜さんは、少しだけ目を伏せた。それから、泣き笑いのような顔で息を吐く。
「そうね。私がこんなんじゃダメだよね」
「ダメなんかじゃないです」
私は反射的に言った。
「泣いてもいいと思います。でも、諦めなくていいと思います」
美桜さんは私を見て、少しだけ笑った。
「ありがと、サクラちゃん」
その後、私たちは今後の情報共有について少しだけ話した。美桜さんたちは、皐月さんの手がかりを引き続き探す。私も、迷宮核や大賢者に関わることがあれば連絡する。話がまとまる頃には、ファミレスの窓の外が少し暗くなっていた。
「今日はありがとね、サクラちゃん」
「いえ、私こそ……」
「サクラさん、本当にありがとうございました」
若葉さんが丁寧に頭を下げる。私は笑って返した。でも、心は少しも晴れていなかった。足元の影は、ずっと静かだった。クロさんは、一度も話さなかった。
家に戻って、私はクロさんのご飯を用意した。いつものドッグフード。クロさんは毎回「犬ではない」と言う。でも、なんだかんだで食べてくれる。なのに、今日は食べなかった。影から出てきた黒狼の体は、ただ静かに床へ伏せている。
「ねぇ、クロ」
返事はない。
「どうして何も喋らないの?」
私の声は、自分で思ったより弱かった。少しの沈黙のあと、念通話が届いた。
「……すまない」
「すまない。俺は、何も言えなかった」
「美桜の話を聞いて、分かった気がした。皐月という男は、おそらく俺だ。若葉の兄も、美桜が探している男も、俺だったのかもしれない」
「だが、思い出せないんだ」
「名前を聞いても、胸が痛むだけで、顔が浮かばない。プロポーズという言葉を聞いても、約束したはずの自分の声が聞こえない」
「千年だぞ、サクラ」
「千年という時間は、記憶を薄める。感情の輪郭を削る。大切だったはずのものを、遠い夢みたいにしてしまう」
「俺は、皐月だったのかもしれない。だが今の俺は、大悪魔で、黒狼の体にいて、お前の契約者だ」
「美桜に何と言えばいい?」
「ただいま、と言えばいいのか?」
「待たせた、と言えばいいのか?」
「それとも、皐月はもういないと言うべきなのか?」
「俺には分からない」
「悪魔になった俺が、人間だった頃の約束を受け取っていいのかも、分からない」
念通話越しに、クロさんの感情が流れ込んできた。胸の奥を、内側から引き裂かれるような痛み。それは私の痛みではない。クロさんの痛みだ。でも、魂糸共鳴のせいなのか、まるで自分のもののように苦しかった。クロさんは泣いていない。黒狼の顔は、ただ静かに伏せられているだけだった。それなのに、私には分かった。クロさんの中の何かが、声にならない声で泣いている。千年。私には想像もできない時間。人間だった頃の名前も、約束も、大切な人の顔も、全部ぼやけてしまうほどの時間。その痛みを前にして、私はさっきの自分を思い出した。言いたくない。クロさんを取られるのが怖い。そんなことを思っていた自分が、ひどく小さく感じた。
私は、クロさんのそばに座った。そっと手を伸ばして、黒い毛を撫でる。
「今すぐ、答えを出さなくていいと思います」
クロさんは動かなかった。
「クロさんが皐月さんだったのかもしれない。違うのかもしれない。もし本当だったとしても、今のクロさんが全部皐月さんに戻れるわけじゃないのかもしれない」
言葉にしながら、胸が痛んだ。でも、言わなきゃいけないと思った。
「でも、今のクロさんも、ちゃんとここにいます」
私はクロさんの頭を撫で続けた。
「美桜さんにも、若葉さんにも、いつか話さなきゃいけないと思います。でも、それは私が勝手に決めることじゃないです」
「クロさんが、自分で選んでください。私は、それまで勝手に話しません」
しばらくして、クロさんが小さく息を吐いた。
「……すまない」
「謝らないでください」
私はすぐに言った。
「苦しい時に、苦しいって言ってくれていいんです」
クロさんは何も言わなかった。でも、少しだけ顔を上げた。そして、置いたままになっていたご飯を、ほんの少しだけ食べた。それだけで、私は少し安心した。何も解決していない。皐月さんのことも、美桜さんのことも、若葉さんのことも。そして、クロさん自身のことも。でも、今すぐ答えを出さなくてもいい。一緒に考えることはできる。私はそう思いながら、クロさんの隣に座り続けた。
本編をお読みいただきありがとうございました!
【設定裏話:勇者パーティーのテーマ曲】
40話で語られた、世界を救おうとした勇者たちのために、王道ファンタジーのOPをイメージした曲をAIで作成しました。
タイトル:『Brave Vermelia』
――まだ伝説ではない者たちが、ここから伝説になる。
世界を救おうとした勇者たちの選択は、地球にダンジョンを押しつけてしまった。
滅びゆく世界に抗う彼らの激しい運命を、アップテンポな曲調に込めています。アニメのオープニング映像を想像しながら、彼らの選択の重みを感じていただければ幸いです!
(※もし曲自体を聴いてみたいという方がいらっしゃいましたら、マイページの「活動報告」に試聴リンクを貼ってありますので、お暇な時にどうぞ!)
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