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114/180

114. 偽物ナンバーズを名乗った男の前に、本物の鬼塚さんが現れました

いつも応援ありがとうございます!

当作品は、【毎日 朝06:00 / 夕方18:00】の1日2回、定時更新でお届けしております。


最新話までじっくりお楽しみください!

 引っ越しは、無事に終わった。今回のマンションは、前の部屋よりも少しだけ守りが固い。入口にはオートロック。エレベーターも、住人以外は簡単に使えない。つまり、誰かがいきなり部屋の前まで上がってくる可能性は低い。まずは安心だろう。美桜と若葉が、あそこまで近づいていたことを思えば、この距離と仕組みはありがたかった。サクラは、いつも通り会社へ行った。俺は新居に残って、荷解きをする。段ボールを開ける。中身を出す。棚にしまう。空箱を畳む。大悪魔がやることかと言われれば、たぶん違う。だが、段ボールは畳まなければ片づかない。それに、やることがあるのは助かる。暇になると、余計なことを考える。美桜(みお)のこと。若葉(わかば)のこと。春日(かすが)皐月(さつき)という名前のこと。考え始めると、胸の奥が重くなる。だから今は、荷物を片づけている方がいい。夕方、サクラが普段より早く帰ってきた。

「おかえり。早かったな」


「うん。実は今度、三泊四日の取材旅行に行くことになったの」

「へえ、そうなんだ。どこに?」

「静岡県!」

「まだ近くて良かったな……」

 北海道と言われたら、またずいぶん遠いなと思ったところだ。静岡なら、まだ現実的な距離だろう。いや、俺からすれば影の中にいるだけなので、距離の問題はほとんどないのだが。

「火曜日に入って、金曜日に終わる予定。それから土日は向こうで休養して、日曜日に帰るつもりよ」

「俺は?」

「もちろん一緒に行きます」

「りょうかい」

 当然のように言われたことに、少しだけ安心する。俺は影に入れば、移動の邪魔にはならない。荷物にもならない。ただ、取材旅行についていく大悪魔というのも、よく考えると変な話だ。

「近くのダンジョン潜ろうと思ったけど、休んじゃおっと!」

「旅は楽しまないとな」

「でしょ!」

 サクラは少し嬉しそうに笑った。引っ越し。スマホの故障。連絡先の消失。いろいろあったが、日常はまた動いていく。そう思えた。


 そして、取材旅行当日。俺とサクラは静岡県に来ていた。夏前だというのに、少し暑い。空気に湿り気があり、歩いているだけでじんわり汗ばむような感じがある。俺はサクラの影の中から、念話を飛ばした。

『なんの取材なんだ?』

「新しくできたテーマパークよ。取材して広告を作るの。写真も撮らなきゃ!」

 サクラの声は、少し弾んでいた。ダンジョンではなく、仕事。戦闘ではなく、広告。だが、初めての場所に来るという意味では、少し似ているのかもしれない。一緒に来たのは、サクラの同期だという男性だった。藤井(ふじい)(あきら)。サクラと同じ会社で働いている、同年代の男だ。物腰は柔らかい。周りをよく見ている。

「サクラさん、ホテルに荷物を置いて、十一時半ロビー集合で大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫だよ」

「それじゃ、また後で!」

 藤井は軽く手を振って、自分の部屋へ向かった。会社の人間と話すサクラを見るのは、少し新鮮だった。


 サクラは荷物を部屋に置き、身だしなみを整えてからロビーへ向かった。そこで、妙な空気を感じた。ロビーの隅。藤井が、数人の男に囲まれている。

「おい、お前ふざけてんのか?」

「いいえ、そんなつもりは……」

「俺のこと見て笑ったろ?」

「笑ってません! 本当に!」

 くだらない因縁だ。だが、人数がいるだけで、くだらないものは危険になる。ホテルのスタッフも、すぐには割って入れない様子だった。周囲の客は距離を取り、見て見ぬふりをしている。サクラは一瞬だけ足を止めた。それから、前に出た。

「ちょっとすみません。うちの同僚が、何か失礼なことをしましたか?」

 俺は影の中で、少しだけ目を細める。意外と度胸があるな。いや、知ってはいた。深淵王の前でも、サクラは引かなかった。それでも、こういう現実の面倒事に割って入れるのは、簡単ではない。


「こいつがよ〜、俺を見て笑いやがったんだ」

 男は大げさに肩を揺らしながら、サクラへ顔を近づけた。

「なぁ、おい?どう落とし前つけてくれるんだ?あん?」

 藤井の顔が青くなる。サクラも、緊張しているのが影越しに分かった。男はそこで、にやりと笑った。

「こう見えて俺は、これだぜ?」

 そう言って、右手を見せる。そこには、“No.9”の文字があった。

「俺はナンバーズなんだぜ〜」

 羅刹組(らせつぐみ)のナンバーズ。その名前を出された瞬間、周囲の空気が変わった。ただのチンピラでは済まない。もし本物なら、ホテルで揉めた程度では終わらない。俺は影の中から男を観察する。魔力。気配。立ち方。目の動き。……軽い。本物のナンバーズにしては、あまりにも軽い。少なくとも、鬼塚の近くにいた連中の気配とは違う。偽物か。そう思った時だった。


「ガッハッハッ!」

 ロビーに、腹の底から響くような笑い声が広がった。

「誰だ? 笑ってやがるのは?」

 男たちが振り向く。そして、固まった。そこにいたのは、鬼塚(おにづか)鉄心(てっしん)だった。羅刹組の首領。テレビにも出る有名人。深淵王との戦いで、サクラの負担を背負った男。本物だ。偽物が、一番出会ってはいけない本物だった。鬼塚は笑いながら、背後の部下へ顔を向ける。

「確か、No.9の(さかき)は東京だったよな〜?」

 部下の一人が即座に答える。

「はい。そうです」

 鬼塚は男を見た。

「じゃあ、お前は偽物だ」

「ひぃ、すみません……」

 男の顔から血の気が引いた。次の瞬間、鈍い音がした。男は床に転がる。さっきまで威張っていた男たちは、もう誰一人口を開けなかった。本物の暴力は、声を張らなくても場を支配する。鬼塚鉄心は、そういう男だった。


「災難だったなぁ、兄ちゃん。あんなのに絡まれて」

 鬼塚は藤井に向かって、豪快に笑った。

「ありがとうございます!」

 藤井は深く頭を下げる。

「いい、いい。気にするな。な?サクラよ」

「あ、ありがとうございます」

 サクラも慌てて頭を下げた。その様子を見て、藤井が目を丸くする。

「え?サクラさん、知り合いなの?」

「うん、ちょっとご縁があって……」

 ご縁。便利な言葉だ。深淵王との戦いで命を預けかけた関係も、ご縁で済む。藤井は何かを察したように、少しだけ頷いた。

「サクラさんって、凄いね……あ!話とかあるよね。ちょっと売店行ってくるから、少し話してて」

 藤井は鬼塚にもう一度頭を下げ、売店へ向かった。

「ハッハッ。気がきく奴だな」

 鬼塚は背後の部下たちへ顎をしゃくる。

「お前たちもどっか行ってろ。話がある」

「はい」

 部下三人も、素直に売店へ向かった。ロビーの片隅に、サクラと鬼塚だけが残る。俺は影の中で、黙ってその会話を聞いていた。


「久しぶりだな。深淵王以来だな」

 鬼塚が言うと、サクラは少し背筋を伸ばした。

「その節は、嘘までついてくださりありがとうございました」

「おいおい。そんなにかしこまんなよ」

 鬼塚は面倒くさそうに手を振る。

「あいつはいるのか?」

「はい。影に」

 鬼塚の視線が、一瞬だけサクラの足元へ落ちた。

「そうか。じゃあ俺が入るまでもなかったか?」

「いえ、助かりました」

「お前、あのいざこざに乱入してくから、気は強いんだな。嫌いじゃないぜ」

「会社の同僚なので、助けなきゃって」

「女がなかなかできるもんじゃねえ」

 鬼塚は楽しそうに笑った。そして、いつもの調子で言う。

「どうだ? 羅刹組に入らねえか?俺なら、アイツの力を解放してやれるぜ?」

「いやいや、クランとかには入りません」

 サクラは即答した。

「私が強くなって、耐えてみせますから」

 その言葉に、俺は影の中で少し黙った。サクラは、まだそれを諦めていない。俺の力を使っても壊れない自分になることを。

「ファッハッハッ!またフラれたぜ。強いな!」

 鬼塚は、本当に楽しそうに笑った。


「それで、今日は何しに来たんだ?」

「今日は仕事です。テーマパークの取材です」

「ほー。お前なら、ハンター一本でもやっていけそうなのにな」

「いやいや、まだまだ未熟ですよ」

「そうか? まあ、頑張れや」

「ありがとうございます」

 サクラは少し迷ってから聞いた。

「鬼塚さんたちは、このホテルに泊まってるんですか?」

「おう。この近くのダンジョンに用があってな」

「ダンジョンですか?」

「何でも、すげえ鉱物が見つかったって話があってな。月華楼(げっかろう)より先に取ってやろうと思ってるんだ!」

 鬼塚は楽しそうに歯を見せる。

九条(くじょう)の悔しがる顔が見てえぜ!」

「楽しそうですね……あはは」

 サクラは苦笑した。鬼塚鉄心という男は、本当に分かりやすい。強い相手。珍しいもの。競争。そういうものが好きなのだろう。だが、その近くのダンジョンという言葉が、少し引っかかった。仕事で来たはずの場所に、またダンジョンの話が絡んでくる。サクラの旅は、どうにも普通の取材旅行だけでは終わらないらしい。


「そうだ。連絡先教えてくれや」

 鬼塚が軽い調子で言った。サクラは一瞬だけ迷った。だが、すぐに新しいスマホを取り出す。新しいスマホには、まだ友達が少ない。それに、鬼塚は怖い男だが、悪いだけの男ではない。少なくとも、深淵王の時には助けてもらった。サクラはそう判断したのだろう。

「分かりました」

 二人は連絡先を交換した。

「サンキューな。それじゃーな!」

「はい。それじゃー」

 鬼塚は豪快に手を振り、部下たちの方へ歩いていった。俺は影の中でため息をつく。サクラの新しいスマホに増えた友達が、羅刹組の首領。普通ではない。だが、サクラの周りはいつもそうだ。普通ではない縁ばかりが、勝手に増えていく。そしてたぶん、この静岡の旅も、普通では終わらない。

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