112. 真里さん、その写真を見てクロバ様と言ってしまう
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【真里視点】
何度サクラさんにLIMEを送っても、既読になりませんでした。最初は、忙しいのだと思いました。会社かもしれない。ダンジョンかもしれない。あるいは、クロバ様と何か調べ物をしているのかもしれない。けれど、LIMEの通話にも出てくれません。電話番号は……知りませんでした。こういう時に限って、どうして聞いておかなかったのかしら。私はスマホの画面を見つめながら、小さく息を吐きました。サクラさんは、基本的には土日だけダンジョンに潜る方ですわよね。でも、有給休暇を取って潜っている可能性もあります。そう思って、何日か待ちました。けれど、それでも既読はつきません。さすがにおかしいですわ。何かあったのかもしれません。そう思った私は、今日はサクラさんのお家へ行くことにしました。
サクラさんのお家の前に着くと、私は呼び鈴を押しました。ピンポーン。返事はありません。もう一度押します。ピンポーン。やはり、誰も出ません。
「……お留守ですの?」
そう呟いてみても、返ってくるのは雨上がりの空気だけでした。以前なら、ここにはサクラさんがいました。そして、もしかしたらクロバ様も。けれど、今は何も感じません。私はしばらく、ドアの前に立っていました。すると、廊下の向こうから一人の女性が歩いてきました。同じマンションの方でしょうか。私より少し年上か、同じくらい。明るい雰囲気の方でした。
「こんにちは」
女性が声をかけてきました。
「こんにちはですわ」
私も会釈を返します。すると、その方はサクラさんの部屋の方を見て言いました。
「その家の方、たぶんお引っ越しされましたよ」
「……そうなんですの?」
胸の奥が、すっと冷えました。引っ越し。サクラさんが?それなら、どうして教えてくださらなかったのでしょう。
「教えていただき、ありがとうございます」
私が礼を言うと、その女性は少しだけ目を輝かせました。
「あの〜、天羽さんですよね?」
「そうですが、どちら様でしたか……?」
「すいません、ただ私が知っているだけです! だって、お兄さんが有名ですもん」
「そうですわね……」
兄が有名なのは事実です。天照院の総長ですから。こういう反応にも、だいぶ慣れてきました。
「こんなところで有名人に会えてラッキー♪」
「そう言ってもらえて嬉しいですわ」
「お話を聞きたいところですが、着替えて仕事がありますので、また機会があればお話聞かせてください!」
「はい、いいですわよ」
「それじゃ〜」
「はい、さようならですわ」
女性は軽い足取りで去っていきました。なかなか面白そうな方でしたわね。でも、今はそれどころではありません。サクラさんは、引っ越してしまった。どうして、私には教えてくださらなかったのかしら。
マンションを出て、私は少し立ち止まりました。LIMEは既読にならない。通話にも出ない。電話番号は知らない。そして、家は引っ越し済み。これは、どういうことなのでしょう。私は、何かしてしまったのでしょうか。サクラさんに、避けられているのでしょうか。そんな考えが一瞬よぎります。けれど、すぐに首を振りました。サクラさんは、そんな方ではありません。少し不器用で、困ると顔に出て、でも優しい方です。何か事情があるはずです。それに、クロバ様のこともあります。サクラさんと連絡が取れないということは、クロバ様ともつながらないということ。胸の中に、小さな不安が積もっていきました。その時、道の先に見知った方を見つけました。美桜様です。そして、隣にはもう一人、女性がいらっしゃいました。
「ごきげんよう!美桜様」
私が声をかけると、美桜様はこちらを振り向きました。
「あ〜、真里ちゃんか。こんにちは。ここで会うなんて珍しいな?」
「サクラさんに用がありまして」
「そういえば、この辺はサクラちゃんの家の周辺だな」
美桜様の表情が、少しだけ変わりました。
「サクラさんと連絡が取れなくなって、心配になって見に来たところですの」
「連絡が取れない?」
「はい。LIMEを送っても既読になりませんし、通話にも出ません。それでお家へ伺ったら、引っ越しされたと聞きました」
「引っ越し……?」
美桜様は、隣の女性へ顔を向けました。その女性も、少し驚いた顔をしています。
「サクラちゃん、引っ越したのか……」
美桜様の声が低くなります。
「なにかあったのかな……?」
「美桜様は、どうしてこちらに?」
私が尋ねると、美桜様は少し迷ってから答えました。
「ちょっと人を探していてな」
「人探しですか?」
「そうだ。この人をな」
美桜様はスマホを操作し、一枚の写真を見せてくださいました。少し粗い画像。けれど、そこに映っている顔には見覚えがありました。
「あ〜、クロバ様ですね」
「クロバ?」
美桜様の目が変わりました。
「真里ちゃん、この人を知っているのか?」
「おそらくですが、クロバ様で間違いないかと……」
その瞬間、隣の女性も一歩近づいてきました。視線が、とても真剣です。
「この人は、どこにいるんですか?」
美桜様の声は、いつもより硬く聞こえました。
「この人はどこにいるんだ?」
美桜様が一歩近づきました。私は少しだけ戸惑いながら答えます。
「クロバ様は、サクラさんのお兄さんですのよ」
「お兄さん?」
美桜様の表情が強張りました。
「いや……違う」
「違う、とは?」
その時、隣の女性が口を開きました。
「この人は、私のお兄ちゃんよ!!」
「え?」
私は思わず、その方を見ました。
「あなた様のお兄様……?」
「春日皐月。私、春日若葉のお兄ちゃんです」
春日皐月。その名前に、胸の奥が小さく揺れました。クロバ様。サクラさんのお兄さん。春日皐月。若葉さんのお兄様。いくつもの名前と関係が、頭の中で絡まっていきます。サクラさんの音信不通。クロバ様。そして、皐月という名前。謎が、深まっていくばかりでした。
そう言えば。クロバ様は、仰っていました。自分は転生者だと。サクラさん以外は知らない。だから秘密だと。それを、私は知っています。でも。ここで話していいのでしょうか。美桜様も、若葉さんも、必死にこの方を探している。その気持ちは、痛いほど伝わってきます。けれど、クロバ様の秘密を、私が勝手に話してしまっていいのでしょうか。サクラさんは、今どこにいるのでしょう。どうして連絡が取れないのでしょう。クロバ様は、なぜサクラさんのお兄さんとして私の前に現れたのでしょう。そして、なぜ若葉さんは、その方を自分のお兄様だと言うのでしょう。分からないことが多すぎます。私は、すぐには言葉を出せませんでした。
「真里ちゃん」
美桜様の声が、私を現実へ戻しました。
「知っていることを教えてくれないか」
若葉さんも、まっすぐ私を見ています。その目は、痛いほど真剣でした。私は、唇を少し噛みました。秘密を守るべきか。それとも、探している二人に話すべきか。本当なら、サクラさんに確認したい。けれど、そのサクラさんとは連絡が取れません。クロバ様。春日皐月。サクラさんのお兄さん。若葉さんのお兄様。転生者。すべてが一つにつながりそうで、まだつながらない。私は、小さく息を吸いました。ここで何を言うべきなのか。その答えを、まだ決められずにいました。
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