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103/140

103. お兄ちゃんかもしれない人から、忘れてくれと言われました

いつも応援ありがとうございます!

当作品は、【毎日 朝06:00 / 夕方18:00】の1日2回、定時更新でお届けしております。


最新話までじっくりお楽しみください!

若葉(わかば)視点】

 今日は、田舎のダンジョンまで足を運んできた。普段なら、こんな場所まで一人で来ることはあまりない。でも、来ずにはいられなかった。同僚の紗奈(さな)が、兄と同じ名前の人を見かけたと言ったからだ。皐月(さつき)春日(かすが)皐月。私のお兄ちゃんと同じ名前。それだけなら、偶然かもしれない。同じ名前の人くらい、きっとどこかにいる。そう思おうとした。

 も、できなかった。(わら)にもすがる思いだった。美桜(みお)さんは、ちょうど別のダンジョンに潜っている。だから私は、メッセージだけを残して、一人でここへ来た。紗奈には外見も聞いた。でも、十年も経っている。髪型も、雰囲気も、顔つきも変わっていておかしくない。だから、確かめるしかない。ハンターギルドの監視カメラを。


「ほら、この人よ」

 紗奈が画面を指差した。そこには、一人の男性が映っていた。私服。武器も防具もない。ダンジョン前にいるには、少し不自然な格好。けれど、私はそんなことをほとんど見ていなかった。顔。目元。立ち方。ほんの少し首を傾げる仕草。十年。十年も経っている。変わっていて当然。違って見えてもおかしくない。それでも。画面を見た瞬間、胸の奥が強く掴まれた。

「……お兄ちゃん」

 声が、勝手にこぼれた。紗奈が隣で目を丸くする。

「え、本当に若葉のお兄さんなの?」

 私は答えられなかった。画面から目が離せなかった。そこにいたのは、間違いなく私のお兄ちゃんに見えた。


「紗奈」

 私は画面を見たまま聞いた。

「この人と、どんな会話をしたの?」

「え〜っと、そんな私服や武器もなく潜るんですか? って」

「それで?」

「そしたら、自分は強いんで! って言うから、じゃあハンター証を見せてって」

「それで?」

「そしたら、ないって」

「ない?」

 思わず聞き返した。

「うん。ハンター証も持ってないし、取得もしてないって」

 おかしい。お兄ちゃんなら、ハンター証を持っているはずだ。だって、お兄ちゃんはハンターだった。高校を卒業して、ハンターになって、ダンジョンに潜っていた。だから、ハンター証を持っていないはずがない。でも、画面に映っている人は、お兄ちゃんに見える。

「なら潜ったこともないんだから、強いはずないよね〜って言ったら、しょんぼりしてたわ」

 紗奈は少し笑った。私は笑えなかった。似ている。でも、おかしい。お兄ちゃんのはずなのに、お兄ちゃんではないみたいだった。


「それで?」

「それで、ハンター証を作るように言って、本部の講習を勧めておいたわ。それと…」

「それと?」

「名前を聞いたり、私の連絡先を渡したわ」

「この人の連絡先は聞いた?」

「そんな、聞けるわけないじゃん!」

「そう…」

 胸の奥が、すっと冷えた。目の前に手がかりがあった。でも、掴めなかった。私はスマホを取り出し、監視カメラに映っている男性の写真を撮った。すぐに美桜さんへ送る。

「ちょっと、それって盗撮じゃない?」

 紗奈が困った顔をする。

「いいんだよ。たぶんお兄ちゃんだし!」

「え? 若葉のお兄さんなの?」

「たぶん…」

 たぶん。その言葉が、こんなに苦しいとは思わなかった。

「たぶん…?ちょっと紹介してよ〜」

「実は今、音信不通で、どこにいるかわからないのよ…」

「え?なにそれ深刻なの?」

「そう、だからもし連絡があったら、絶対教えて。もしまた会ったら、連絡先もしっかり聞いておいてね」

「分かったわ」


「そうだわ」

 紗奈が思い出したように言った。

「彼、あのバスで帰っていったわ」

「本当!?」

 それはすごい情報だった。私はすぐにバスの路線図を確認した。けれど、すぐに現実を突きつけられる。そのバスは、途中でいくつもの停留所を通る。終点まで行ったとは限らない。途中で別のバスや電車に乗り換えた可能性もある。それに、名前が本名かも分からない。皐月。監視カメラの画像。帰りに乗ったバス。手がかりはある。あるのに、足りない。それが、こんなにも苦しい。

「ありがとう、紗奈」

 私はそう言って、ダンジョンを後にした。できることは、もうなかった。


 二日が過ぎた。私は、何度もスマホの写真を見た。監視カメラに映っていた男性。少し粗い画像。それでも、そこにいる人はお兄ちゃんに見えた。

「お兄ちゃん…」

 声に出すと、胸が痛くなる。美桜さんからの連絡は、まだない。紗奈からもない。きっと、皐月さんから連絡は入っていないのだろう。そう思う。でも、スマホが震えるたびに期待してしまう。違うと分かっていても、画面を見る。期待してはいけない。期待したい。その二つが、胸の中でずっと喧嘩している。希望を見たのに、何も掴めない。それは、見なかった時よりも苦しかった。


 さらに二日が過ぎた。ブーッ、ブーッ。スマホが震えた。画面を見る。紗奈からだった。心臓が跳ねる。もしかして。いや、期待してはいけない。どうせ別の用件だ。そう自分に言い聞かせて、私は電話に出た。

「もしもし」

『若葉!』

 紗奈の声が、いつもより慌てている。

『皐月さんから電話がかかってきたわ!』

「えっ!」

 思わず立ち上がった。

「嘘!」

 信じていなかった。本当は、もう連絡なんて来ないと思っていた。だからこそ、その言葉は私の頭を真っ白にした。

「何だって? 何を話したの?」


『もう俺のことは忘れてくれって!』

「え?」

 意味が分からなかった。忘れてくれ?誰が?誰に?

「ちょっと待って。最初から詳しく教えて。連絡先は分かったの?」

『ちょ、ちょっと待って。順番に話すから』

「ごめん…」

 私はスマホを握りしめる。

『まず、非通知で電話がかかってきたの』

「非通知?」

『普段なら出ないんだけど、なんとなく直感が出ろって言うから出たの』

「うん、それで」

『なんか、息切れしてたから、最初は変態かと思ったの』

「息切れ?」

『分かんないわよ。でも、すぐに皐月ですって名乗って』

 私は息を止めた。

『それで、俺には…結ばれている人がいる。だから、俺のことは忘れてくれって』

「……」

『それだけ言って、切られたわ』

 私は、しばらく声が出なかった。皐月。非通知。息切れ。結ばれている人。忘れてくれ。何ひとつ、意味が分からない。


「本当、何それ?」

 私の声が震える。

「結ばれている人って何? もしかして束縛? いや、監禁されてるんじゃない?」

『え、監禁?』

「女に言わされたとか」

『う〜ん…』

 紗奈も少し考える声になった。

『なんか、怯えてたっぽい感じではあったわね』

「怯えてた?」

『彼女の前で電話かけさせられた、とか?』

「そんな…」

 頭の中で、嫌な想像ばかりが膨らんでいく。お兄ちゃんは生きているのかもしれない。でも、自由ではないのかもしれない。誰かに縛られているのかもしれない。それとも、まったく違う何かなのか。

「本当に、どういうこと…?」

 スマホを握る手に、力が入る。希望は戻ってきた。でもそれは、安心ではなかった。もっと深い不安の形をしていた。

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