EP 3
金曜日のカレーとアメスピの煙
「……隊長。なんだか、懐かしくて泣きそうな匂いがするっす」
「ああ、赤城。ワシもじゃ。……このスパイスの香り、横須賀や練馬でかいだ、あの匂い……」
金曜日の夕暮れ。ポポロ村郊外の陸上自衛隊野営地に、暴力的なまでに食欲を刺激する香りが漂っていた。
「火加減、そのまま維持してください。次はルナミス軍の『1型(アブラ缶)』から抽出した豚神スープの素をベースに、ロックバイソンの牛すじを投入します」
赤城が用意した即席のドラム缶コンロの前で、中村優太が巨大な鍋をかき混ぜていた。
その手つきは、戦傷救護(TCCC)で止血帯を巻く時と同じように、一切の無駄がなく、流れるように正確だった。
「優太先生、ただの野戦料理じゃねえ……! この手際、完全に『厨房の特殊部隊』っすよ!」
赤城が、100円ライターで『ゴールデンバット』を吹かしながら感嘆の声を上げる。
「戦場でのメシは、傷の治療と同じくらい重要ですからね」
優太は鍋の中で煮込まれる『太陽芋』と『肉椎茸』を見極めると、リュックの中から黒光りする板状のものを取り出した。
「それは……?」
「高カカオチョコレートです。俺の『金曜日のカレー』の隠し味。こいつの苦味と深いコクが、荒削りなスパイスと魔獣の肉の旨味を一つにまとめ上げるんです」
パキッ、とチョコレートを割り入れ、鍋に溶かし込む。
瞬間、カレーの香りが一段と深く、艶やかなものへと変貌した。
「完成です。——『中村特製・海軍式ハイブリッド金曜カレー』。存分に食ってください」
配給された野戦用ステンレス皿に、サンライス(米麦草)と、琥珀色のカレールーがなみなみとよそわれる。
50kgの『黄金の旗』を交代で背負い続け、極限まで疲労していた100名の自衛隊員たちが、震える手でスプーンを握った。
信長が、ルーとライスをすくい、一口食べる。
「…………ッ!!」
信長の目から、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ぶち美味え……! スパイスの刺激の奥に、チョコレートの圧倒的なコクと優しさがある……。ドロドロに疲れた体に、故郷(日本)の魂が染み渡りよるわい……ッ!」
「うおおおおッ! カレーだ! 本物の日本のカレーだァァッ!!」
「お母さァァァんッ!!」
自衛隊員たちが、文字通り皿に顔を突っ伏すようにしてカレーを貪り食う。理不尽な異世界での労働とプレッシャーで擦り切れていた彼らの精神が、一杯のカレーによって劇的に回復していく。
◆ ◆ ◆
その後、優太は素早く鍋と機材を魔法ポーチに詰め込み、タイムシェア契約に従って東側のSEALs陣地へと向かった。
「……信じられん。黄色いゴム(MRE)の備品スパイスと、現地の芋だけで、こんな完璧な栄養と心理的ROI(投資対効果)を叩き出すとは」
力武義正が、カレーを口に運びながら、珍しく飴玉を噛むのを忘れて唸っていた。
「……フライデー・カレー。空母の食堂を思い出すな」
エリアス・ソーンもまた、静かに、だが確かな感動を込めてスプーンを進めていた。アメリカ海軍においても、長い航海で曜日感覚を失わないために金曜日にカレーを食べる文化は根付いている。
「ドクター・ナカムラ。君のメス(料理)は、我々の生存率を確かに引き上げた」
エリアスが感謝を述べる横で、優太は手早くSEALs隊員たちの脚に湿布代わりの『陽薬草』を貼り、傷の処置(TCCC)を的確にこなしていた。
「……膝の軟骨がすり減ってますね。明日の農作業では、サスペンダーの重心を少し前に調整してください。それだけでも疲労は半減します」
優太は淡々と、しかし慈愛に満ちた手つきで兵士たちを治療していく。
メシで魂を救い、医療で肉体を繋ぎ止める。
黄金の人材(SSR)の加入により、崩壊寸前だった日米の戦線は、奇跡的なV字回復を遂げていた。
◆ ◆ ◆
深夜。
両陣営の境界線近くにある、暗がりの中の「指定喫煙所」。
そこには、日米の指揮官と、一人の傭兵医官の姿があった。
カチッ。
信長が、親父譲りの金色のオイルライターを鳴らし、『メビウス』に火を点ける。
ジャキッ。
エリアスが、Zippoのアーマー・マットグレーを弾き、『ゴロワーズ』の重い煙を吸い込む。
シュボッ!
優太が、無骨な軍用マッチを靴底で擦り、火を立てた。彼が咥えているのは『アメリカンスピリット』だ。
三つの異なる煙が、異世界の夜空に混ざり合って昇っていく。
男たちだけが共有する、静寂と紫煙の時間。
「……ドクター。君ほどの腕があれば、地球のどこの大病院でもVIP待遇だろう。なぜ、こんな理不尽な地獄(ポポロ村)に傭兵としてやってきた?」
エリアスが、ゴロワーズの煙を細く吐き出しながら問う。
優太は、アメスピのフィルターを軽く指で弾いた。
「……昔、ハワイで銃撃戦に巻き込まれて、ダチを目の前で亡くしたんです。俺は何もできず、ただ見ているだけだった。……その後、渡米して銃と医療を学んでいた時、世話になった元SEALsの教官が、俺にこう言ったんです」
優太の目が、夜の闇の中で静かな熱を帯びる。
「『兵士ってのはな、市民たちに地獄を見せないために、自ら地獄の中に浸かって綺麗にするのが役目だ。……それが嫌なら、教会でお祈りして、ママのミルクでも飲んでるんだな』ってね」
その言葉を聞いた瞬間。
信長の肩が、ビクンと跳ねた。
(……オドレはまだ地獄に浸かっとらん。兵士が地獄に浸かって進まんと、国民は守れん!)
信長の脳裏に、偉大なる出雲艦隊打撃軍総司令官——親父・坂上真一の怒声がフラッシュバックした。
「……全っくじゃ」
信長は、メビウスの煙と共に、深く、熱い息を吐き出した。
「ワシの親父も、全く同じことを口酸っぱく言っとったわい。……ワシらがここで泥まみれになって、ズボンずり下げて、理不尽に耐えとるのは……地球の家族や市民に、その『霊水』を持ち帰って、平和な明日を見せるためじゃ」
「……ああ。我々が地獄にいるからこそ、国は平穏でいられる」
エリアスもまた、Zippoの蓋をカチンと鳴らし、静かに同意した。
国境も、所属も、文化も違う三人。
だが彼らの根底に流れる『兵士としての哲学』は、全く同じだった。
戦うために地獄に浸かる者。救うために地獄に浸かる者。
「……教官が言ってましたよ。タバコは、現地民や現場の奴と仲良くなれる最強のツールだってね」
優太が、ふっと笑みをこぼした。
「違いないわい。……じゃが、優太」
信長が、残ったタバコを携帯灰皿に揉み消し、鋭い眼光をエリアスに向けた。
「明日の朝、タイムシェアの時間が切り替われば……ワシらはまた、この50kgの旗を巡って殺し合う敵同士じゃ」
「……分かっている。明日は、我が軍の戦術家(義正)が、ポポロ村の法律を利用した『極大のルール・ハック』を仕掛ける。……心してかかってこい、キャプテン・サカガミ」
エリアスもまた、タバコを消し、冷徹な『灰色の幽霊』の顔へと戻った。
「望むところじゃ。返り討ちにしてくれるわい」
三人は無言のまま背を向け、それぞれの野営地へと歩き出した。
腹は満たされ、体は癒やされ、戦士の魂は再び研ぎ澄まされた。
だが、彼らはまだ知らなかった。
義正が「ルール⑤(建物の売買取引)」の抜け穴を突き、ポポロ村の不動産システムを根底から悪用する、前代未聞の『合法要塞』の建設に乗り出していたことを。
そして、その狂った法律戦が、明日からの戦場を全く別の地獄へと変貌させることを——。




