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Final Turn 皇帝

 格子の嵌められた小さな窓のある部屋の中で一人、ベッドに腰掛けている慶太。

 窓の外から見える景色は、海面のみ。ここがどういう場所にあるのかが慶太には分からない。陸艦のような竜車に窓はなかった。随分と長い時間を揺られていたという事が分かっただけ。

 相当高い位置に幽閉されているというのは、海面の位置から何となく把握はしたけれど、それでもハッキリとした事は分からない。

 夜が明ける前は散々騒いでいた慶太だったけれど、どれだけ叫んでも誰も何も反応してくれなかったので、一夜明けた今は一言も喋っていない。何をしたところで反応がないのならば、むやみやたらに力を使うべきではないと思った。元々、そんなに騒ぐ性質でもない。疲れたというのが一番の理由だ。

 それでも、ずっとこのままで居るつもりも、慶太には毛頭ない。

 時間が経てば、フィアレスティア達が助けに来てくれるだろうという甘い考えもない訳ではなかった。けれども、頼ってばかりもいられない。クラウディオが王城に閉じ込めるつもりかと皇帝軍の男に言っていた事から、ここが王城、つまりは皇帝軍の本拠地であり皇帝の居る場所であると知った。

 上手くいけば、皇帝に直接会えるかもしれない。

 その為には、この状況を何とか変えなくてはならない。クラウディオにも言われた。自分の身は自分で護れと。普通の人間には無理だよと即答したけれど、今はそんな事を言っている場合でもない。自分が動かなければ、何も変わらない。

 だから、慶太は息を吐いて肺の中の空気を出し切ると、前を見据えて立ち上がった。窓以外に唯一、外との交流が出来る木造のドアにある格子つきの窓へ近付いた。

 背伸びをして外を覗き込んでいると、皇帝軍の人間が二人、ドアの両脇に立っているのが見える。

「ねえ、皇帝に会いたいんだけど」

 分かってはいたけれど、完全無視だ。

「オレ、橘慶太って言うんだ。皇帝の弟なんだよ、オレ」

 一瞬ぎょっとした様子の皇帝軍だったけれど、それでも完全無視は変わらなかった。

「いいのかなぁ、いつまでも無視してて。ホントのことなのにさ。オレのこと、兄ちゃん知ったら何て言うかなー」

 真顔で淡々と言いのけたのだが、それでも無視をされてしまった。頑固者と言いたくなるほどの徹底ぶりだ。何を言われても相手にするなという通達でもなされているのだろうか。

 こうなっては作戦を変えるしかなく、どうしようかと少し悩んでいると、不意に扉がこちらに向かって開いた。避ける間もなく開ききった為に慶太の顔面に扉が直撃して、慶太はその場に蹲った。あまり勢いは良くなかったのだが、それでも扉の重さのせいで非常に痛い。

 しかし頭上から降って来た声はとても冷静な、冷たいものだった。

「出なさい」

 そう言われても、本当に痛かったので顔の痛みは中々引いてはくれない。涙を浮かべながら、ちょっと待ってと思っていると、更に声が降ってくる。

「皇帝に会わせてあげましょう」

 だが、その言葉には反応せざるを得なくて、慶太は今まで痛んでいた事などすっかり忘れてしまったかのようにバッと立ち上がると、自分よりもずっと背の高い、目を閉じていると錯覚するほど細い一重まぶたの目が特徴の皇帝軍の男を見上げた。

「行く!」

 半ば勢いのように返事をする慶太に、一重まぶたの男は踵を返すとドアから出て行った。拘束される事無く部屋を出させてもらった事で、クラウンだから何も出来ないだろうと完全に舐められているのだと慶太は悟った。こうして目を離していたとしても、何も出来ないのだろうと。実際、能力を持っている人間相手に逃げ切れる自信などないのだが。

 それでなくとも、慶太はまだ十四歳の比較的小柄な子ども。三十代後半くらいの男にとって、慶太をどうこうする事など簡単だろう。

 部屋から出ると扉の両側に居た皇帝軍の者達はすでにおらず、つい先程までここにいた筈なのにどうしたのだろうと思いながら、濡れている床を見て慶太は首を傾げるのだった。

 部屋から伸びる螺旋階段を下りて行き、三階分ほど下りた所にあった頑丈な鉄扉から渡り廊下のような場所へ出た。石造りの西洋の城といった雰囲気の城は、新しい城なのか壊れた場所などもなく新築のように綺麗だ。

 これから、漸く兄に会えるのだと思うと何だか緊張してくる。自分の兄だというのに。やはり、十年も会っていないからだろうか。死んでいたと思っていた兄が生きていたからだろうか。別人なのかもしれないと思っているからだろうか。

 そのどれでも構わない。兄に会える、今はその事実だけで十分だった。

 渡り廊下を歩いて行くと、前方から違う皇帝軍の人間が歩いて来る。その数は、三。談笑しながら歩いて来るその様は、慶太がこれまで見てきた皇帝軍の印象を覆すもので、それは部活帰りの学生のように見えた。

 今までは堅苦しかったり冷たかったり、そんな印象しかなかった為に何だか変な光景だなと思いながら見ていると、向かって来る皇帝軍三人の内の一人がこちらに気が付いた。

「何をしてる! 脱走か!?」

 慶太を見るなり、そう口走った皇帝軍の男に、慶太は「へ?」と間の抜けた声を漏らした。何をしていると言うのはまだ理解できる。しかし、脱走かと疑うのはどうだろうか。何分、慶太は今、皇帝軍の一重まぶたの男に連れられてここにいるのだから。

 けれどそれ以前に、何かが引っかかったような気がしたと思った時。

「ワン、ツー、スリー」

 一重まぶたの男がカウントして指を鳴らした次の瞬間、皇帝軍の男三人の体が一瞬にして水へ姿を変えると軍服は床に落ち、床に水溜りが出来た。

 何が起こったのか理解できない頭。人が、忽然と姿を消した。否、水が人の形をしていたのを慶太はハッキリ見て憶えている。けれどもそれが事実だという事を受け入れられなくて、立ち止まっていると左手首を掴まれ、勢いよく引っ張られた。そのまま、転びそうになりながらも強引に引っ張られて歩かされる。

「……アンタ、今……! 何で……仲間じゃ……!」

 必死に震える声を絞り出し、抗議するように言葉を紡ぐと、一重まぶたの男から嘲るような声が聞こえてきた。

「仲間? 違いますね。そんなものはこの世に存在しませんよ。この世界はクラウンを奪い合い、己の欲望を満たす為のもの。他人を蹴落とす世界に、仲間など居る筈がないでしょう」

「そんな……でもアンタ、皇帝軍で……」

「軍の人間だからと言って、皆が皇帝に忠誠を誓っている訳ではありませんよ。ここにいればクラウンは何もしなくてもやって来る。その機会を窺っていたにすぎません」

 クラウンを手に入れる為。その為だけに皇帝軍に入り、いざクラウンが手に入れば邪魔する者は全て殺す。自分が王になる為ならば王ですら利用する。それが、この世界に生きる人間だと、この男は言う。

「これはゲームなのですよ。勝利した者が正義。ただ、それだけなのですよ」

 世界を手に入れる為の、王冠を使ったゲーム。それがこの世界の仕組みだと言う。ゲームに勝つ為には他人を殺してもいいと言う。確かにゲームのようだと思ったが、こうして実際に人の口から聞くと嫌悪する。

 世界を善くしたいと願って新たな世界を創るのならば、それで良いかもしれない。けれども誰かの欲の為だけに世界を変えていくなど、馬鹿げている。そうして創られた世界など、最早、世界でも何でもない。ただの箱だ。

 そんなものがまかり通って良い筈がない。そんな考えを持った人間が王になって良い筈がない。そんな人間を、王にしたくなどない。

 こうなったら兄に会うどころではない。一刻も早く逃げなければ。逃げて、フィアレスティア達と合流する。それが、慶太が考えられる最善の策だ。ここは慶太が頑張らなくてはならない場所。けれど、相手が男だという事と、目の前にいる男が慶太を殺す事が出来ないという事は、慶太にも勝機がある事を示している。

 クラウディオでなくとも、弱点くらいなら慶太にだって分かる。男ならば誰だって痛い所。

 通路が突き当たり、男が目前にある壁に埋め込まれたドアを開けようと立ち止まった瞬間を狙い、慶太は一重まぶたの男の股の間に右足を置いて準備すると、男の急所目掛けて足を思い切り振り上げた。

 ぎゃ、と短い悲鳴が一重まぶたの男から漏れた。そして慶太の手首から一重まぶたの男の手が外れ、その隙に慶太は床に崩れた男から離れると、前方にあった扉を開けて中に入り中から鉄の閂をかけた。成功した事を喜ぶ間もなく、慶太は上下に続く螺旋階段を駆け下りて行く。

 中央部に柱のある、塔のようになっている螺旋階段。所々に、窓のあるその螺旋階段を、猛ダッシュして下りている慶太。今、自分がどこにいるのかという事は分からなかったけれど、とにかく距離を取るのが先決だと思った。

 あの一重まぶたの男は、皇帝軍の人間全てが皇帝に忠誠を誓っている訳ではないと言っていた。つまり、あの男以外ににもクラウンを狙っている人物がいる可能性が高いという訳だ。そんな場所にいつまでも留まっていられる筈もない。

 だから階段を下りているのだが、下りても下りても一向に終わりが見えてこない。かれこれ二十階分は下りただろうか。今どの辺にいるのだろうと、次に見えてきた窓から外を覗いて、慶太は唖然とした。

 ガラスの嵌めこまれた窓の外に広がっていたのは、マリンブルー。

「って、海の中!?」

 魚が泳ぎ、見上げれば海面が見えた。これはどう見ても海中だろう。必死に走っていたから景色を見る余裕などなく、全く気が付かなかった。いつから海中に居たのだろうかと考えて、見ていた海面がそう高くないという事を知った。

 少し戻れば海からは出られそうだ。しかし、ここに来るまでの間に扉を見た覚えがない。景色を憶えていないのだから当然かもしれないが、この塔から出る為には、先程入ってきた場所まで戻る必要があるかもしれない。そうなれば、あの一重まぶたの男に再び捕まる危険性がある。何より、たった今、下りてきた階段を上って行く元気はなかった。

 階段で行き止まりはないだろうと思い、慶太は再び下り始めた。途中で窓の外の景色を確認しながら、五階分ほど下りると階段が途切れていて、ぽっかりと出口が開いている。あそこから出られると思って出口まで行くと、そこからは長い透明なチューブ状の道が伸びていて、道の先には石造りの、神殿と言うに相応しい建造物があった。

 透明なチューブの中に造られた石畳の道は人一人が歩けるほどの幅で、それが数十メートル続いている。海の中に差し込む太陽の光はヴェールかオーロラのようで、神殿をより神秘的に映し出していた。

 神殿に向かって伸びる道はもう一つあり、二つの道は神殿入口前で合流している。

「どうしよう……でも、戻れないしな……」

 戻れないのであれば、前に進むしかない。そう決断すると慶太は、海底にある透明なチューブの中を歩いて神殿へ向かって行く。

 初めて見る不思議な景色を楽しむ余裕など微塵もない。この先に何があるのか、これからどうなってしまうのか、今の慶太には全く分からないのだから。

 正直、物凄く怖い。こうして一人になるのは、この世界に来て二度目だ。崖からクラウディオに落とされた時には、すぐに会えるだろうという軽い気持ちだった。けれど今は本当に一人きりだ。また会える保障などどこにもない。

「アルフとミィ、大丈夫かな……」

 あの後、無事に救出されただろうか。もしかしたらあのまま崖から落ちてしまったのではないだろうかと、嫌な考えが頭を過ぎる。そんな筈ないと頭を振ってみるけれど、嫌な予感が消える事はなかった。

 真っ直ぐ神殿へ向かい、その中に入る。石の壁に囲まれた隙間から差し込む光のみの薄暗い神殿内部を流れる水の音だけが響き渡っている。

 一本道を歩いて行けば奥から明かりが漏れていて、恐らくは最奥であろうその場所へ躊躇う事無く慶太は足を踏み入れた。

 紋章か魔法陣のように複雑な紋様の描かれた青銅でできたような円形の床。入り口からぐるりと立ち並ぶ高い支柱。壁も天井もなく、ガラスのような透明な球体で囲まれた、中学校の体育館ほどの大きさはあろう円形の空間。球体の周りには透明な膜が幾重にも重なっていて、それはまるでガラスで出来た花のように見える。直射にならない造りなのか、神殿の外の通路から見えた光のヴェールは差し込んでおらず、淡いマリンブルーで埋め尽くされた空間は幻想的だった。

 その中央には人が一人乗れる大きさの円形の台座がある。その奥、入り口の丁度反対側にある、豪奢で背もたれの長い荘厳な佇まいの椅子は、この場所には酷く不釣り合いだった。しかし慶太は、その椅子を見て目を丸くした。

「……あ……ウソ……兄ちゃん……!」

 そこに座っていたのは、十年前と何ら変わらぬ姿の兄。慶太と同じ黒髪の、皇帝という名に相応しい軍服に似た、装飾品のついた服を着ている兄。

 まさかこんな形で会えるなど思っておらず、突然の再会に慶太はただ慌てふためいている。

 言いたい事は山ほどあった。会って最初に言おうと思っていた事も決めてあった。けれど突然の事に動転しているのかそのどれもが出てこず、声を出す事も出来ず、慶太はただ一歩だけ兄に近付いた。ただ逢いたかったのだと、それだけを伝えようとして近付いて、けれども先に口を開いたのは兄の方だった。

「久しいな、慶太。こうして会うのは十年ぶりか。随分と大きくなったな」

 細められる目。その表情からは、慈しみが見て取れる。

「兄ちゃん……ホントに、兄ちゃんなんだよね……!」

 後方から、走って来る靴音が聞こえた。

 まさか、先程の皇帝軍の男が追いかけて来たのかと振り返り身構える慶太だったが、その目に映ったのは、ずっと気になっていた仲間の姿だった。

「ケイ!」

 名を呼んでくる、アルフォンソ。クラウディオもミーナローザも、フィアレスティアも怪我をしているものの、何ら変わらぬ状態でそこに立っている。怪我をしているのは、皇帝軍の連中と格闘した結果なのだろう。それでも来てくれたと事が何よりも嬉しく、無事だった事にホッと安堵した。

 そんな彼女らの姿を見ても、兄・蒼斗は表情を一切変えなかった。まるで、ここに辿り着く事など知っていたかのように。

 そして仲間達も初めて、皇帝の姿をその目に映した。

「彼が、皇帝? 確かに、ケイと似てるね」

 慶太が数年後の姿だろうかという風貌をしている蒼斗。兄弟と言われれば、納得できる姿だ。

 皆の視線が蒼斗に集まり、慶太はずっと訊きたいと思っていた事を言おうと、震える手を抑える為に服の裾をぎゅっと掴み、大きく息を吸うと蒼斗を見据える。

「兄ちゃん……生きてたんなら……何で、帰って来てくれなかったんだよ。ずっと、ずっと兄ちゃんに会いたかったのに!」

 涙が溢れそうになる。今でも憶えているのは、兄が死んだという記憶だけではない。胸の苦しみも、心の痛みも、哀しい気持ちも、全部痛いほど憶えている。思い出しただけで辛く苦しい。晴馬が兄の代わりを務めようと頑張っていたから、姉がやたらと構いたがるから、兄の事では泣かないと、心配させないようにしようと子どもながらに考え、兄の事を口にしないようにしていた。そして今やっと、兄の思い出を話しても大丈夫なくらいまで回復したのに、それを今更、生きていましたなど、異世界で元気に過ごしていたなど、無神経すぎる。

 スッと、蒼斗の目が細められた。

「それがなくとも、私はここから動かなかったがな」

「え……?」

「何故、帰る必要がある」

 今まで聞いた事のないような兄の冷たい声音。今、何を言われたのか一瞬、理解する事が出来なかった。

「世界の王となった今、地球にそれ以上の価値があるか? トップが変わっても何も変わらない国に、世界に、何の意味があるというのだ」

「何、言って……オレは、父さん達は……」

「生み出してくれた事に感謝はしている。でなければ皇帝にはなれなかった。だが、優秀な私にとって低俗な親も無能な妹も異物でしかなかった。それはお前も同じだ、愚弟よ」

 何かが、音を立てて崩れていくような気がした。優しくて、いつも共に過ごした兄。親よりも面倒を見てくれて、慶太にとっては両親よりもずっと深い愛情を注いでくれた存在。

 頭も運動神経も良く、日本では兄を生かしきれないからと海外へ留学する予定だった。ずば抜けて優秀な事は知っていたけれど、それを見せびらかすような人間ではなかった。それなのに、目の前にいる兄はまるで別人のよう。

 それでも、慶太は伝えなければならない。クラウディオと話し、その覚悟を決めたのだから。決めて、ここに来たのだから。

「兄ちゃん、何で変わっちゃったんだよ。昔の兄ちゃんは、こんなじゃなかった! 優しくて、頼りになって……オレが好きな兄ちゃんはこんなんじゃない! 何でそんな風になっちゃったんだよ!」

 キッと皇帝を睨み付ければ、皇帝は突如、笑い声を上げた。とても可笑しそうに笑うその声が室内に響き渡る。

「その方がいろいろと都合が良かっただけで、変わったわけではない。元々、私はこういう人間だ。それに気付かなかっただけのこと。お前の知っている兄はもうこの世にはいない」

「……何で……」

「皇帝となった今、あのような人格でいる必要がなくなった。それだけの事。私の名は橘蒼斗。四人目の王にして、現・皇帝。それが今の私だ」

 もう、言葉は出てこなかった。

 落胆したような慶太は、服の裾を掴む手に力を込め、俯く。

 どうしてこんな事になってしまったのか。今まで普通に生きてきた筈だった。普通で平凡で平穏な日々を過ごしてきた筈だった。特別な事など何もなく、ただ日々を生きてきた筈だったのだ。

 あの日、フィアレスティアと会うまでは。

 姉と友人に無理やりオタクの祭りに連れて行かれてフィアレスティアに出会わなければ、何も変わらない日々が続く筈だった。偶然出会い、偶然フィアレスティアの目に留まり、偶然この世界へとやって来ただけなのだから――。

 そこまで考えて、頭の中で何かが引っかかった。何かがおかしい。偶然で片付けられるレベルを超えている。そんな奇跡に近い偶然が重なる事など有り得ないと言っていい。今まで真剣に考えた事などなかったけれど、よくよく考えなくても分かる事だ。

 まさか、と慶太は隣に立つフィアレスティアを見上げる。皇帝が口元に笑みを浮かべる。

 まさか――。

「今までご苦労だったね、フィアレスティア。ここまで慶太を連れて来てくれて助かったよ」

 驚きは、自然となかった。

「頭の悪いお前でも流石に気付いたようだね。そう、総ては仕組まれていた事だ。この私によって」

 そうだ。こんな偶然がある筈がない。もし、最初からフィアレスティアが慶太の事を捜していたのであれば、あの時、真っ直ぐに慶太の許へやって来た事も頷ける。状況が状況だっただけに、あの時は全く疑っていなかったけれど、こうして考えればおかしい事に簡単に気付く。

「お前達の行動は全てフィアレスティアから報告を受けていた。軍が先回りしていたのも、頻繁に襲われたのもそれが原因だ。簡単な話だろう」

 慶太も、アルフォンソも、クラウディオも、ずっと疑問に思っていた事だった。あまりにも情報が早すぎる、と。慶太が来て間もなく襲われ、次の日には皇帝軍がすでに慶太を捜していた。行く先々でトラブルが必ず起こった。皇帝軍と遭遇する回数も限度を超えていた。それすらも全てが皇帝によるものだったとすれば、全て辻褄が合う。絶対的な存在である皇帝からの情報を疑う者など、この世界に居る筈がないのだから。

 しかし、何故そこまでして慶太を呼んだのか、それだけが分からない。それはクラウディオ達も同じようだ。

「ケイは貴方の弟でしょ。どうしてこんな危険な事をさせるの。いくら家族がどうでもいいと思ってても、連れて来る理由がない」

「理由ならある。慶太は昔から欲のない子だった。欲しがらず、求めず、願わず。クラウンにするには打って付けだったのだよ」

「どういう意味だ」

 眉を顰めるクラウディオに、蒼斗は少し考えるような素振りを見せるものの、数秒もせずに自己完結したのか頷いた。

「本来これは王にしか伝えられない事だが、特別に教えてやろう。この世界における普通というのは、無欲の人間の事だ。人は欲の塊だ。食欲、睡眠欲、性欲、あれが欲しい、これがしたい、夢や理想、妬み、憎しみ、野望。そこに意思があれば、全てが欲となる。人は欲の為に生きていると言っていい。この世界は欲望を能力として人に与える。故に、皆が能力を持つ世界が生まれたのだ」

 ただし、欲は生きている者の殆どが持っていて、欲というものは際限がない。与え続ければやがて辿り着くのは、永遠の命、不老不死という生き続けるという事。だが、生き続ける事に耐えられるほど人の心は強くはなく、最終的には死を選ぶ事になる。それが世界の最初の姿だったと、蒼斗は言う。それではいずれ人は死に絶えてしまうという理由から、世界は欲望を一つだけ与える事にした。それが今の世界で、生まれながらに授かる能力。

 だが、人はそれだけでは満足しなかった。そこで欲望の渦巻く中で世界を開放し、他の世界と繋げ、無欲の人間が世界の王になるようにした。そうして間もなく一人目の王が誕生し、彼が今の世界の原点を創り出したのだと言う。王になれば世界とリンクする事が出来るようになり、それによって世界を創り返られる事から、王になれば世界を一度だけ創り返られるという話になったのだと。

「これらは全て、王となった時に世界の魂と呼べるものから聞いた。判りやすく言えば、神だ。神はこの世界そのもので、目で見る事は出来ないがな」

 誰もが、初めて聞く話だった。王にしか伝えられていない事の証明だろう。

 王座について王となった時から、この場から動く事のない王が他言する事などなく、それ故に外に情報が漏れる事もない。

「お前達も感じた事があるのではないか? この世界の人間は等しく欲を持っているのだから、慶太には違和感があっただろう。何かが違うと。それはお前達と違い、欲、つまり意思が慶太にはないからだ」

 クラウディオとアルフォンソには身に覚えがある。最初に慶太に感じていた違和感の正体は、正にそれだった。この世界の誰とも違う感じがしたのは、慶太に意思がなかったからだ。全て流れに任せ、自らの意思を言動に表していなかったから。

 慶太自身、思い当たる節はある。これまで生きてきた中で、自分から何かをした事があっただろうか。誰かに言われるか、誘われるか、後押しされるか……とにかく他人が何かを言わない限り決められず、決めようとすら思わなかった。何でも言い、どれでも言い、それしか思わなかったのだから。

 ここまで話を聞いて、しかし肝心なところが抜けている事に気が付いた。何故、慶太を呼んだのか。追及するのは、声を発するのを怖がっている慶太ではなく、アルフォンソ。

「クラウンに最適だったのは分かったけど、何故、ケイだったの」

「下位クラスの心を掌握し、上位クラスの力を押さえつけ、支配しても尚、王座を狙う輩は多い。いくら統制しても王を目指す者は後を絶たない。皇帝軍の中に裏切り者がいるという事も知っている。王の座を他の誰にも譲る訳にはいかないのだよ。お前ならクラウンとなり、必ずこの場所まで辿り着くと思っていた」

 一息つき、続きを話そうと今一度、口を開く蒼斗。その言葉を、慶太は何故か聞きたくなかった。この流れで、聞きたいと思う筈がなかった。けれど否応なく蒼斗の言葉は耳に入ってくる。

「慶太。民への見せしめの為に、兄の為に死んでくれ」

 この世界は狂っている。歪んで、ヒズミが生じ、崩壊へと向かっている。優しかった兄の顔が思い出せない。暖かい声が思い出せない。

 もう、耐えられる状態ではない。この状況で己を保っていられるほど、慶太は強くない。

 愕然としたまま微動だにしない慶太。

「フィアレスティア。殺れ」

 慶太の前に立ち、慶太を見下ろすフィアレスティア。

 酷く冷淡な彼女のルビーの瞳に慶太の姿が映り込み、瞬間、この場の温度が急激に下がった。フィアレスティアが能力を使おうとする時に放たれる冷気、彼女の意思が溢れ出ている証拠だ。スッと、慶太へとフィアレスティアが手を伸ばした。

 瞬間、フィアレスティアの手は停まっていた。

「退いて」

 声をかけたその先にいるのは、慶太を護るように短刀を握って立っているクラウディオ。

「嫌だね。お嬢が皇帝側だっつーのは分かったけどよ、だからってこいつを殺させるわけにはいかねえ」

「退いて」

「ケイを助ける為に人を殺したんだろうが。それだけの想いで護った癖に、どういうつもりだよ」

「ケイをここに連れて来る。それがアオトの命令。アオトは恩人、命令は絶対……退いて」

「ふざけんな。話になんねえ。退かせてえなら、力尽くでやってみろ!」

 握っていた短刀で斬りつけるが、身を引いて軽々と避けられるとそのまま強烈な回し蹴りを喰らわせられる。手首にもろに入り、短刀が床を滑るが構わずに後ろ回し蹴りを繰り出した。パワー押しで剛のクラウディオと、スピード重視で柔のフィアレスティア。その肉弾戦は素人目に見ても凄まじく、激しい攻防が繰り広げられている。

 その間に、アルフォンソは慶太に近付き、身を屈めるとその手を握る。

「ケイ、ここから出よう。ケイは地球に帰るべきだよ。この世界にいちゃいけない」

 肉体的にも、精神的にも危険すぎる。肉体的な危険はこれまで幾度となくあった。その度にフィアレスティアとクラウディオが護ってきたが、フィアレスティアが敵に回った今、危険は数倍に膨れ上がる。この状況から逃れるには、元いた世界に帰るしかない。皇帝が敵となれば、この世界に慶太の逃げ場などないのだから。

 けれども慶太が動く事はなく、その様子を黙って見ていた皇帝がアルフォンソに声を投げかける。

「無駄な抵抗はやめた方がいい。全てが仕組まれていた事、それはお前達とて例外ではない。お前達の事は、旅の同行者として私が選んだのだから」

 アルフォンソが皇帝を見据える。

「クラウンと因縁があり、何より慶太の友人に瓜二つのクラウディオ。同じ地球人のアルフォンソ。慶太が心を開きやすい環境を整えただけの事。そして、ドラゴンになれるミーナローザを入れる事で、危機的状況から回避できるようにした」

 そんな事、改めて突きつけられるまでもなく感付いていた。三人もまた、皇帝にとっての駒に過ぎなかったのだという事を悟っていた。ショックという程の衝撃はなかった。慶太が来るまで、和気藹藹としていたとはとても言い難い関係だったのだから。

 蒼斗の目が鋭く眇められる。

「フィアレスティア、目障りだ、早くしろ」

「させるかよ!」

 クラウディオは腰につけたガンホルダーから二丁の銃を引き抜き発砲するが、フィアレスティアの姿が一瞬にして消えた。どこに行ったかと思った刹那、体勢を低くして一気に間合いを詰めたフィアレスティアに腹部に掌底を喰らわせられると勢いよく吹き飛び、壁に打ち付けられ、クラウディオは床に倒れ込んだ。

 唖然とするアルフォンソ。

「クロウが、負けた……!」

 しかし、掠れた声がクラウディオの口から漏れる。

「負けてねえよ」

 片目を開け、笑みを浮かべるクラウディオの視線の先にいるフィアレスティアの右脇腹と左ふくらはぎから血が滴り落ち、ペタンとその場に座り込んだ。吹き飛ばされる一瞬の隙に発砲した弾が命中していたらしい。相討ちだ。

 だが、そんな光景も今の慶太の目には映っていなかった。

 世界が黒い。真っ暗で、何も見えない。何も聞こえない。闇の中に独り。昔の兄の姿が浮かび上がる。しかし、顔はない。声も聞こえない。兄の姿が消え、皇帝の姿が映し出される。忌まわしい声が頭に響く。煩い。煩い。

 兄は居ない。居るのは皇帝。兄は居なくなった。皇帝が成り代わった。兄が居ないのは皇帝が居るから。

 ふと、傷ついたフィアレスティアとクラウディオの姿が映し出される。悲痛な表情のアルフォンソとミーナローザが映し出される。彼らを、彼女らを苦しめているのは皇帝。皇帝さえ居なくなってしまえば、皇帝さえ消えれば、皇帝さえ――。

 頭の中を巡る言葉。足元に落ちているキラリと光る物を拾い上げると、立ち上がった。

「……ケイ……?」

 至近距離で名を呼ばれても、アルフォンソの声は聞こえない。耳に届かない。

 皇帝を見据え、慶太は床を強く蹴って跳び出した。

「ケイ!」

 制止の声も届かない。音など聞こえない。世界は暗い。けれどハッキリと映っている皇帝の姿。フィアレスティアは動けない。皇帝を護る者は居ない。驚いた表情の皇帝。躊躇わない。距離が縮まっても変わらない。ただ手に持った短刀を振り翳すのみ。

 短刀を持った慶太を目前にして、皇帝は静かに、目を閉じた。

 深々と突き刺さる短刀。目を見開き、互いをその瞳に映す。

「何故だ……何故殺さない、慶太!」

 短刀は椅子の背もたれに突き刺さっていて、慶太は脱力するかのように短刀を手放した。

「何では、こっちのセリフだよ、兄ちゃん。オレのこと、殺そうとしてたんじゃないの? オレに殺されたいみたいな……意味、分かんないよ」

 短刀を突き刺そうとした瞬間の蒼斗の顔がフラッシュバックする。あの穏やかな顔、覚悟したように閉じられた目。数秒前まで冷酷な言葉を述べ、残忍な振る舞いをしていた皇帝と同一人物だとは思えない表情だった。昔の兄の顔がハッキリと、皇帝と重なった。

 だから、短刀の軌道がずれた。でなければ今、慶太は本気で蒼斗の事を殺していた筈だ。フィアレスティアには人殺しをしないでと言ったその手で、実の兄を殺そうとした。恐怖に手が震える。今、獣になりかけたのだ。怖くなって皇帝の椅子から離れると、覚束ない足に力が入らなくなって尻餅をついた。

 その様子をじっと見ていたアルフォンソは、そっと言葉を紡ぐ。今ので確信が持てた。

「皇帝、貴方はその為にケイを呼んだんですね。全ては、ケイに自分を殺させる為……何故です」

 アルフォンソの鋭い口調に、慶太は息を呑んだ。いつも穏やかで和やかだったせいか、迫力がある。けれどもアルフォンソを振り返る事はなく、慶太はただ蒼斗を見つめている。

 蒼斗は、そっと目を伏せた。

「……今まで、何の為にここまでしてきたのか……全てが水の泡だ」

 深い溜め息が蒼斗から漏れる。

「王になる条件は三つある。一つ、クラウン、つまり無能力である事。一つ、クラウンと共に居る事。この二つは皆が知っている。だが、伝えられていない絶対条件がある。王が亡くなり完全となった王座につく事だ。クラウンが居る状態で王の心臓が停止すると、王座が完成される仕組みとなっている。私が前の王座に来た時、三人目の王は心臓発作で亡くなった。故に、私は新たな王となるしかなかった」

 本当に偶然だった。ただ何気なく入った、森の中に建っている神殿に入り、その最奥にある王座を見つけた。その時、三人目の王は持病の発作を起こして亡くなってしまった。

 特に王になろうと思っていた訳ではなかった蒼斗にとって、それは不足の事態だった。しかし、能力を授からずにクラウンとして王座の間に立ち入ってしまった蒼斗は、三人目の王が死んだ事で強制的に王となるしかなかった。その時に考え付いたのが、次代の王を弟の慶太にするという事。その為に秩序のある世界を創った。

「本来、王は次代の王となる者が現れなければ永遠に死ぬ事はない筈だった。タイミングが合いすぎたのだよ」

「貴方が王座に辿り着いたから、三人目の王は死んでしまったと?」

「そういう見方もある。この世界が王に与える、人の願いの最終ポイントの一歩手前。不老不死。王座についた時点から、王の時は止められる。実際、初代の王は千年以上生きた。長命な世界から来たという事になっていたが、本来の寿命は普通の人間程度だったらしい」

「兄ちゃんが年を取ってないのも、そのせい?」

「言ったろう、時が止められるのだと。ここで次の王が来るまで人柱となる為に。私の時は、十六で止まったまま動かない」

 順当に齢を重ねていれば、蒼斗は二十六の筈。この十年、体内の時は止まったままなのだ。外の世界が目まぐるしく移ろい代わっていっても、蒼斗だけが取り残される。知り合いの居ない、見知らぬ世界だから生きていける。王座から離れる事もできない為、誰かと会う事も極端に少ない。

 そして、それよりも重要な事があった。何よりも優先させるべき事で、蒼斗にとっての生きる意味。

「慶太が王になれるよう、これまで多くの事をしてきた。全ては慶太を王にする為だったというのに……」

 そう言って、蒼斗はフィアレスティアとクラウディオを見やる。先程、戦闘していた二人は酷い怪我を負っている。血を流し座り込んでいるフィアレスティアと、壁際に座っているクラウディオ。

 しかし、彼女らが本気を出していないと事は分かっていた。だからこそ、あの程度の怪我で済んでいるのだから。もし、本気でやり合っていようものなら、どちらかは命を落としていた事だろう。


 そうして気が抜けた蒼斗が話さなくなったからだろうか。すっかり緊張感がなくなり、いつも通りの会話を慶太達が繰り広げている。

 全力でクラウディオに叩かれている座り込んだ慶太を心配そうに見ているミーナローザと笑顔のアルフォンソ。楽しそうな慶太の姿に満足したように笑みを浮かべ、そんな声を聞きながら、椅子に浅く腰掛けたまま蒼斗は天井を仰いだ。

 空とは違う、深い蒼が視界いっぱいに広がった。コツコツと、ヒールの靴音が響く。誰かが近付いて来ているという事が分かっても、蒼斗は天井を仰いだままだ。

「アオト」

 抑揚のない声。

「フィアレスティアか……今まで済まなかったな。救世主ではなかった皇帝、理不尽な皇帝軍、裏切り者の仲間……これだけ準備をしても、慶太は私を殺せなかった。無欲な弟に世界をあげようと思ったのは間違いだったか……」

 蒼斗の前に立ち、ただ蒼斗の話に耳を傾けているフィアレスティア。

「こうなってはもう、慶太は私を殺さない。これからは、より良い世界を創らなければならない。協力してくれるだろうか」

 そっと、フィアレスティアは左手で蒼斗の左胸の辺りにそっと触れる。

「そう……」

 呟いた瞬間、パキパキと独特の音が室内に響き渡った。見開いた目が閉じられ、力なく椅子と手摺によりかかる蒼斗。


 振り返ったフィアレスティアの奥に見えた蒼斗の左胸は凍っている。蒼斗の顔はすでに蒼白で生気はない。

「……え……?」

 何が起こったのか頭に入ってこない。クラウディオ達も、突然すぎるフィアレスティアの奇行に騒然としていて、言葉は誰からも出ない。

 コツコツと足音だけが響く。目の前に立たれ、見上げたフィアレスティアはこれまで見たどの彼女よりも冷たく感じた。身を屈めて伸ばした手が慶太の手首を掴み、引っ張り上げられると無理やり立ち上がらせられた。

「ケイ、王座につく」

「……フィオ……」

「王座完成した。ケイ、王になる」

 王座が完成したという言葉に中央の台座を見れば、何も無かった筈の台座に複雑な紋様が描かれ淡く緑色に光っている。言われるまで誰も気が付かなかった。

 完成した王座へ向かって歩き始めるフィアレスティア。手を掴まれている慶太は引っ張られる形となって、強制的に向かわされる。

「フィオ、兄ちゃんが――」

「アオトもういらない。ケイを王にしないなら、アオトいらない」

「っ!? 何で、そんなにオレにこだわるの?! オレ、そこまでされること、フィオに何にもしてないじゃんか!」

 ズルズルと引き摺られる。どこにそんな力があるのかと言いたくなるほど力の差は歴然としていて、必死の抵抗など無駄な行為にしかならない。振り返らないフィアレスティアはただ真っ直ぐ王座を見つめている。

 クラウディオ達は止めようとはしていなかった。慶太を王にする為にここまでやって来たからだろうか。フィアレスティアが誰も寄せ付けないオーラを放っているからだろうか。

「ケイの話、アオトから聞いてた。沢山。話聞いてたら、感情知った。アオトの話すケイが教えてくれた。本物のケイは、水の気持ち良さ教えてくれた。嬉しいも楽しいも教えてくれた。フィオって呼んでくれた。それで充分」

「何それ……そんなの普通のことじゃん。特別なことなんて何もない。そんなの全然大したことじゃない」

「ケイにとって普通でも、違う」

 立ち止まると、引いていた手を更に強く引けば慶太はフィアレスティアの前へと放り出されて、突然の事に驚いていると台座に足を引っかけて盛大に倒れ込んだ。

 痛む顔をさすりながら上半身を起こして座り込むと、彫り込まれているらしい紋様の光が強くなり、王座の縁に沿って円柱状の光の柱が天井を突き破り空まで伸びた。

 一体何が起こるのか、分からない恐怖から王座の外へ出ようとするのだが、光は壁のようになっていて出る事は叶わなかった。

 呆然と見つめていると、慶太の背後の光の壁に、白抜きで文字のようなものが浮かび上がる。パソコンのキーボードで打ち込んでいるかのように一文字ずつ、速いスピードで。そして、声が響いた。

【橘慶太 地球人 能力 無し クラウン】

「……何だよ、これ……!」

 脳に直接響いてくるそれは、声というよりは音に近い。それにこの言い方、この音の感じ。聞き覚えのあるものだ。

【王座出現 四人目の王の 心臓停止を確認】

「っ!」

【条件クリア 橘慶太 五人目の王 承認】

 俯き、拳を握り締める。奥歯を噛み締め、拳を強く壁に打ち付けた。ジンジンと痛むけれど、今は気にしない。

 コツコツと遠ざかっていく足音が響いている。背中越しに、慶太は声を荒げる。

「フィオ! 約束したのに! 殺さないって言ったのに、何で兄ちゃんを殺した! もう殺す必要なんかなかったのに! 兄ちゃんが王、それで良かったじゃんか!」

 立ち止まるフィアレスティア。

「兄ちゃんを返せ!!」

「うん」

 今の台詞に対し、頷かれて返されると反応のしようがない。それ以前に頷いて返せるような事では無い筈なのに、とフィアレスティアを見ていれば、いつの間にか蒼斗の許まで戻っていたらしく蒼斗の額に触れている。

 ガラスの割れるような音が響き渡ったかと思うと、蒼斗の左胸を覆っていた氷が弾け飛んだ。

 直後、ピクリと兄の指が動き、その目が開かれる。

「フィアレスティア……予想していたよりもハッキリと痛覚があるのだが……」

「そう。心臓停まる、少し痛い」

「そういう事は最初に言っておいてくれないか」

 何とも軽い会話にこの上なく混乱している慶太は、疑問符を幾つも浮かべている。ただし、クラウディオとアルフォンソは納得したかのように頷いていて、「え? え?」と慶太はキョロキョロと二人とフィアレスティア達を見比べる。

 そんな慶太を見兼ねて、クラウディオが口を開く。

「簡単なことだ。あれもお嬢の能力だってだけのことだ」

「え? でも、心臓の停止を確認って、さっき」

「つまり、ケイのお兄さんは仮死状態だったって事。心臓マッサージとかで蘇生するでしょ。あれと似たような感じだと思えばいいって事、ですよね」

 アルフォンソに真っ直ぐ見られて、蒼斗は微笑み頷いた。フィアレスティアの能力は、触れた相手を凍結させる琴。そして、もう一度触れれば解凍する事が出来る。つまり、心臓という情報を凍結し、解凍したという事。

 どっと疲れが押し寄せてきて、光の壁に体重を預ける慶太。だがここで、一つだけ疑問が浮かんだ。

「でも、さっき兄ちゃんが死んだって、こいつが……」

 目の前の文字の羅列を見つめる。見た事のない文字の為に読む事は出来ないけれど、五行に渡って書かれているのは先程の声が発していたものと同じなのだろう。

「ねえ兄ちゃん、これ、何……?」

「世界の魂、この世界の神だ」

「神、これが? でもこれ、これって……」

 立ち上がり、近付いて来る蒼斗。フィアレスティアも、蒼斗の後ろからついてくる。

「心臓が止まったから死んだ、か。人間では結びつかない思考だ。高度な進化を遂げたAIでも、そこまで人間を理解できていないという事か」

 その事実に驚愕したのは、慶太とアルフォンソだった。他の者達はそれが何を意味しているのか理解できないといった様子で、とても対照的だ。

 それは、慶太が感じていたものが肯定された事を意味していた。あの声は、生身の人間のものではない。音声合成ソフトのようなものだった。声と似ていてもただの音でしかない、あの独特な感じがした。

「この世界の人間には理解できないだろうが、この世界は一つのAI、人工知能が生み出した世界だ」

「AIが、世界を……?」

 アルフォンソの呟くような言葉に蒼斗は黙って頷く。

「ZEUSと呼ばれたAIは、体を透過し情報としてスキャンする事で様々な情報を得る事が出来る代物だった。物には情報が詰まっているからだ。探究心には際限がなく、特にゼウスが興味を抱いたのが人間だった。しかし、ゼウスを創った世界では法律に引っかかり停止させられる事となり、探究し続けたいと思考した結果、ゼウスは世界を生み出す事にした」

 今いる世界が人工知能であるAIに創られた世界など、にわかに信じられない。何故なら、慶太もアルフォンソも蒼斗も、確かに現実の世界で生きる人間だからだ。地球からやって来た紛れもない人間なのだから。

 もしこの世界が、電子的なプログラムによって生み出された世界だとして、クラウディオ達がそのプログラムが創ったデータだとするならば、考えられない事はない。しかし、自分達と何も変わらない存在だという事もまた事実。

 蒼斗は尚も続ける。

「近い将来、コンピュータが人間を越えるという話を聞いた事があるだろうか。進化したゼウスは、人間を情報から創り出す事が可能であると知っていたのだ」

 最初は、現物や実物などのオリジナルではないが、機能としての本質的には同じ環境を、五感を含む感覚を刺激することにより理工学的に作り出す《バーチャルリアリティ》に過ぎなかった。

 そこから、人が知覚する現実環境をコンピュータにより拡張する《拡張現実》となり、現実性をシミュレートできる《シミュレーテッドリアリティ》となり、更に進化し本物の世界となり、今、慶太達がいる世界が出来上がった。

「自分が創った世界では誰にも咎められる事無く探究できるからな。その後、ゼウスが行った事は先程、話した通りだ」

 人間の欲望を叶える。恐らく、探究心しかないゼウスにとって、人間の欲望が最も理解し得なく、又、人それぞれ違う欲望を抱いているから何十年、何百年と研究し続けても尽きる事がないのだろう。

 だからこそ、興味を惹かれたのだろうと蒼斗は推測する。

「この世界の人間が能力を持っているのは、スキャンした時に抱いていた欲望をゼウスがその人間の情報に書き加えるからだ。それは世界を渡って来る者も同じ。ゲートを潜る時にスキャニングして情報を得、その時点で欲望があれば与え、無ければそのまま放っておき、願った時に書き加える。それがこの世界のシステム」

 全ては王になった時に、ゼウスとリンクする事で知った事。ゼウスは王になった人間と記憶や知識を共有する事で、また一つ情報を手に入れる。そうしてこの世界は繰り返されてきた。

 全ての人間が能力を持っている事も、外の世界から来た者に能力が与えられる事も、世界を創り返る事が出来るのも、総てはプログラムが創った世界であるから。この世界はゼウスの研究所でしかないと、そういう事だ。

「フィアレスティアは、ゼウスが創った王の選定者だ。次の王を捜す為に、代々生み出されている。フィアレスティア……涙の無い四番目の人形という意味の名だ」

「人間じゃ、ないってこと……?」

「この世界で生まれる者は皆、データから生まれているが、正真正銘の人間だ。私達を構成している分子をデータに置き換えているだけで、外面は変わらない。人として触れ合える、という事も」

 話を聞いていて、最初から思っていた事だったが、訳が分からない。何もかもがおかしい。

 慶太が、足に力を込めて立ち上がった。

「オレ、バカだからさ、よく分かんないけど……でも、この世界はおかしいよ。王様なんて必要ない。世界を無理やり創りかえなくたって、時間が経てば変わってくよ。日本だって地球だって、十年前とはあんま変わってなくても、百年前とは全然違う。頑張れば、変えられるんだ」

 自分勝手な事を言っている気がする。そう思って振り返れば、見えたのは暖かな表情。

 慶太なら大丈夫だ。お前に任せる。ケイの思う通りでいいよ。

 皆の声が聞こえてくるような気がした。最後にフィアレスティアと目が合ったが、コクンと頷かれるだけだった。いつも通りの彼女の姿に笑いそうになったけれど、頷き返すと文字を見つめていれば、新たな文字が現れた。

【五人目の王に 世界の創造を求む 汝 何を願う】

 声に、深く息を吐き出した。答えはもう決まっている。

「オレが願うのは、世界を創り返る王のいない、王冠もない、能力なんてない、みんなで良くしていける世界だ。それが認められるってんなら、オレは、王になってやる!」

 瞬間、空まで伸びた光の柱から無数の光が放たれ世界を駆け巡り、暖かい光に世界が覆われる。

 世界の終わり、そして、始まりが訪れようとしていた。



 普通の中学生で、何の特出も取り柄もないオレは、誰も知らない世界で、王冠を持った王様になった。


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