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Fifth Turn クラウンという存在

 谷間に作られた小さな村にある宿の一部屋で、ベッドに横たわる慶太の傍らにはミーナローザが座っていて、他の三人は丸いテーブルを囲んで椅子に座っている。

 心配そうに慶太を見つめているミーナローザを視界の端に映しながら、クラウディオは腕を組んだまま口を開いた。

「まさか、あいつが皇帝の弟だったとはな。いつ気付いた」

「最初にケイがタチバナって名乗った時に、もしかしてとは思ったよ。けど、ケイは一度もお兄さんの話はしなかったから、気のせいなんだって……」

 そう思っていたとアルフォンソは言う。

 偶然ファミリーネームが同じだという可能性は十分にあった。日本人の名前に詳しい訳ではないので、タチバナという苗字を持つ人間が日本にどのくらいいるのかアルフォンソには判らなかった。だから気のせいだと思い込んでいた。慶太の口から家族の話が出ない事も、要因の一つだったのだろうと思う。

 この世界に来てから慶太が家族の事を口にしたのは、地球にいる親友の晴馬と電話をした時くらいではないだろうか。

「話さなかったんじゃない、話せなかったんだ」

 不意に聴こえてきた掠れた声に振り返ると、眠っていた筈の慶太が上半身を起こしてベッドに座っていた。その顔色は、遠目で見てもあまり良いとは言えない。

「話せなかったって?」

 どういう事なのかと問うてくるアルフォンソの方を見る事はせずに、慶太は俯き気味に話し始める。

「兄ちゃんは、共働きの親よりもオレの面倒見てくれた。親代わりって言ってもいい。そんな兄ちゃんがオレは大好きだったんだけど、十年前、兄ちゃんは飛行機事故で死んだんだ」

 頭が良くて優秀だった兄が海外留学をする為に乗った飛行機は海上で墜落し、高高度から墜ちた為に生存者はいなかった。それどころか遺体すら殆ど見つからず、乗客の家族全員に死が告げられていた。

 だから皇帝は同姓同名の別人で、決して兄ではない。そう考えるのが普通だろうと慶太自身も思った。けれど、今の地球は普通から少しずれている。

「兄ちゃんが事故にあったのは十年前、流星河の日の後なんだ」

 慶太が口にした「流星河の日」という言葉に眉を顰めるクラウディオ。どうやら、アルフォンソから話を聞いてはいないらしい。

 まだ話してなかったねと、アルフォンソが説明する。

「十年前、僕達のいた世界で沢山の流星が降ったんだ。それも世界中で同時に。それは異世界と地球が繋がった証拠だって言う人がいて、実際そうだった。僕もこうして世界を渡ったからね」

「きっと、事故の時に兄ちゃんもこっちの世界に来たんだと思う」

 経緯は本人でなければ判らないが、この世界に来て少し経った後に彼が皇帝になったのだと考えれば辻褄が合う。アルフォンソだって偶然のような形でこの世界に来ているのだから、有り得ないとは言い切れない。

 時期を考えれば、偶然で片付ける事は出来ない。

 そこまで話して、慶太は俯いたまま布団をぎゅっと握った。

「でも、何で生きてたんなら帰って来てくれなかったんだろ……オレ達がどんだけ辛かったか、分かるはずなのに……何で……」

 肯定が兄だと信じられない理由がそこにもあるのだと、言っていて思った。本当に兄が生きていたとすれば、絶対に帰って来てくれる筈だ。生きていると、無事なのだと知らせてくれる筈だと。それがなかった事が何より哀しく、十年もの間、家族の事を忘れて暮らしているなどと思いたくなかった。

 悲観に暮れる慶太に、クラウディオは容赦ない言葉を投げかける。

「知るか。そんなもん、本人に直接訊けよ」

「……相変わらずきっつい言い方するな」

「俺らが今、向かってんのは王城だ。その近くに王座があるっつー話だからな。話す機会ならあるだろ。何でも他人に頼んな」

 静かに、けれども冷たく言い放つとクラウディオはそのまま部屋を後にし、バタンとドアの閉まる音が室内に木霊する。

 寒くもないのに小刻みに震える体。掴んだ布団を手放す事が出来なくて、俯いた顔を上げる事すら出来なくて、ただ、そのままの状態を保つ事しか今の慶太には出来なくて、心配そうに覗き込んでくるミーナローザを視界に入れる事も出来なくて、アルフォンソに連れられて出て行く彼女達を見る事無く慶太は独り、部屋に残された。

 今はそっとしておいた方が良いと、アルフォンソが気を利かせてくれた為だ。

 けれど今の慶太にとってそれが良い事なのかは判らない。

 独りになって、何の音も聞こえなくなった。締め切られた室内で、ただ俯いている自分がいるだけ。

 考える事は、兄の事。

(何で帰って来てくれなかったの。何で無事を知らせてくれなかったの。何でオレに会いに来てくれなかったの。オレはこんなに、逢いたかったのに……)

 そこまで考えて、自分が何一つ喜んでいない事を思い出すと、途端に気持ち悪さが込み上げてくる。いつもべったりくっついていた兄。ずっと一緒に居たいと、片時も離れたくないというほど大好きだった兄。それなのに、生きていたと知っても嬉しくなく、逢いたくもない。

 それなのに、兄を責め立てようとしている自分に吐き気がする。そんな資格が、今の慶太にある筈もないのに、薄情だと罵られても構わないような事を考えているのに、それでも兄に対して思う事は蔑みと非難。

 自分がとても汚いものに思える。気持ち悪い。これでは、人を殺したフィアレスティアを責める権利などないではないか。正当な言葉を口にする事すら憚られるようで、慶太はそれ以上考える事をやめてベッドから立ち上がると、窓の方へ真っ直ぐに向かった。

 窓の外に広がる断崖絶壁。底の見えない闇。

 外開きの窓を開け放ち、窓枠に足をかけた時、背後でドアの開く音が聞こえた気がした。その直後、がっしりと体を掴まれたかと思うとすぐ傍にあったベッドに背中から叩きつけられる。

「っ、何してんだ、てめえ!」

 怒号と取れる声が真上から降ってきて、見下ろしている顔がハッキリと慶太の瞳に映った。瞬間、飛び起きると慶太はクラウディオに掴みかかる。

「邪魔すんな!」

 怒りと敵意をむき出しにして声を荒げる慶太。これまで数日一緒に居て、初めて見る慶太の表情と声音と行動だった。

 一瞬怯んだクラウディオだが、ここで引き下がる訳にはいかないと、慶太の胸倉を掴み少しだけ持ち上げれば身長差から慶太は背伸びをする。

「ざけんな! 邪魔しねえわけねえだろうが! てめえ、自分が何しようとしてたか分かって言ってんのか!?」

「分かってるよ! でもこうするしかないんだ!」

 聞く耳など持っていない慶太はただ闇雲に暴れる。

「とにかく放せよ! オレに触んな! オレに近づくな! クロウまで汚くなる!」

「はあ?! 意味判んねえ」

「もうほっとけよ! オレなんか死んだってクロウには関係ないだろ! もう生きてる価値ないんだよ!」

 言った直後、掴まれている胸倉を強く引き寄せられたかと思うとぐるんと勢いよく体の向きがかえられ、何かの淵がお尻に当たったかと思うと背中を下に向けた状態で上半身が水平になった。吹き抜ける風が背中を掠め、視界いっぱいに曇り空が広がる。

 体が宙に浮いている感じがする。慶太を支えているものは、クラウディオの右腕一本のみ。重心は完全に上半身の方にあって、クラウディオが手を離せば途端に慶太の体は谷底に向かって落ちて行く事だろう。

 視線を下げると、蔑むように見下ろしている冷たい目と目が合った。怒りも同情もない瞳。フィアレスティアとは違う、冷たい目。

 ガクン、と背中が下がった瞬間、背筋が凍りついた。フラッシュバックする幼い頃の記憶。海上でバラバラになった飛行機、泣き崩れる家族の姿、兄の名と死亡の文字。

 慶太の目から、つ……と涙が流れ落ちた。

「……兄ちゃん……恐いよ……助けて……」

 震える声。それでも紡がれた言葉に、クラウディオは慶太の腕を掴んで引き上げると床に立たせれば慶太は堪えきれなくなったのかポロポロと涙を零していて、はぁっと困ったように息をついたクラウディオは、バシンと慶太の頭を叩いた。

 いつもよりずっと手加減されてはいるものの、その衝撃は酷く重かった。

「泣くくらいなら最初からすんな」

「……ごめ、なさい……」

 嗚咽だけで声を押し殺して泣く慶太をベッドの淵に座らせ、その隣にクラウディオも腰掛けた。ドアを開けたまま大声で怒鳴り合っていたので、外にいるフィアレスティア達もしっかり話を聞いていた筈なのに入って来ないところを見ると、どうやら完全に任されたらしい。

 頭を掻き、仕方がないので慶太が泣き止むのを黙って待つ事にした。

 慶太が漸く落ち着きを見せたのは、あれから十分ほど経った頃。

 ぽつりと、慶太が声を漏らす。

「オレ、兄ちゃんのこと、ホントに好きなのかな……」

「お前は好きじゃない相手に助けを求めんのか?」

 死ぬかもしれない恐怖にさいなまれた時に兄を呼んだ慶太。それが全てを物語っているのではないかと言うクラウディオ。しかし、慶太は納得がいかないのか首を横に振って、再び言葉を紡ぐ。

「でもオレ、嬉しくないんだ。兄ちゃんに逢いたくないんだ」

「何で」

「オレの知ってる、兄ちゃんじゃないから……」

 皇帝と兄の事を思い浮かべると、慶太の記憶の中にいる兄が崩れていくような気がして、それが何よりも怖かった。兄が本当に消えていってしまうようで、死んでしまった事よりもずっと辛い。

「何、お前。兄貴のこと全部知ってんのかよ。全部理解してるわけ。お前と離れてた時のことも全部、完璧に熟知してるわけ。ストーカーかよ」

「そ、そんなわけないだろ」

「だったら、お前の知ってる兄貴って何。知らない部分があったら嫌なわけ? じゃあ、俺のことも嫌悪すんだな」

 言葉が詰まった。けれどそれでも、慶太は絞り出すように声を発する。

「違う。クロウ達のこと全然知らないけど、オレ、一緒にいて楽しいって思う。フィオのことだって、あんなとこ見たのに嫌いじゃない」

 これまで短い時間の中で見てきたフィアレスティアとは全く違う部分を目の当たりにして、ショックが大きかったのは事実だったけれど、話をして、気持ちを理解してくれたからか今は何も嫌ではない。

 クラウディオにだって、あんなに冷たくあしらわれて、暴言も吐かれ、思い切り殴られ、崖に放り出されたというのに、一緒に居るのが嫌だという気持ちにはならなかった。

 新しい一面などというものは、他人と接していれば沢山見えてくる。最初から全て分かる筈がない。長い間一緒に居ても、発見する事はあるものなのだから。それだけの事で兄を遠ざける理由になど、なる訳がない。それに、慶太は皇帝を直に見ている訳ではない。全て、聞いた話なのだから兄の真意など分かる筈もない。

 クラウディオが直接訊けば良いと言ったのは、きっとそういう事なのだろう。口調も言い方も何もかもが悪いせいで伝わり難かったが、きっと。

「オレ、ちゃんと会ってみる。やっぱり怖いけど、それでも兄ちゃんに逢わなきゃなんないと思う。ううん、兄ちゃんに逢いたい」

 今なら、ハッキリとそう言える。先程まで拒んでいた事が嘘のように、今では兄に逢いたくて仕方なくなっている。今ならハッキリと兄の事を思い出せる。皇帝の事を考えても、壊れはしない。

 全て、クラウディオのおかげだと思うと何だか不思議な感じがして、慶太は右隣にいるクラウディオを見上げる。

「何か、意外……クロウ、オレのことなんかどうでもいいんだと思ってた」

 嫌われているのではなく、どうでもいいと思われている。つまり、興味を一切持たれていないのだと思っていた。最初はフィアレスティアもそうなのかと思っていたが、ただ単純に感情が表に出ないだけだと知って以降、考え方は変わっていたが、クラウディオの態度は一切変わらなかったのでずっとそう思っていた。

 しかし、今のクラウディオはどうでもいいと思っている人間に対する態度ではない。この世界に来てから初めての事だった。

 そう指摘されて、あー……と言葉に詰まったようにクラウディオは頭を掻く。あさっての方向を見ながら困ったようなクラウディオはやはり、これまで慶太が見てきたクラウディオとは全く異なっていて、不思議であり新鮮だ。

「別に無関心だったわけじゃねえんだけど……ただ、大事に思いたくなかったんだよ」

「え?」

 どういう事なのかと首を傾げていると、クラウディオは自分の膝に肘を乗せて頬杖をついた。

「俺が今のお前くらいの頃な、違う世界に行って知り合った奴と、この世界に戻って来たんだ」

 砂ばかりの荒廃した地で、その少年は暮らしていた。来る日も来る日も水や食料を捜して歩き回る、生きる為に生きていた日々。そんな日々を壊してくれたクラウディオに、少年は二つ返事で了承し、世界を渡ってクラウンとなった。

 親友となったクラウンが元いた世界と違い、子ども二人で旅をしていても過酷という事はなく、自由気ままに旅をして世界を回って王座を目指していた。

「一緒にいる内に、段々王座とか世界を変えるとかどうでも良くなっちまってさ、あいつがクラウンだってことすら忘れるようになった。このまま楽しく生きていられりゃそれでいいってな。気が緩んで、隙を作った。その隙が、災厄を呼んだ」

 今、クラウンとしてこの世界に居る慶太には、それが何を意味しているのかすぐに分かった。

 襲撃だ。

 この世界の人間はクラウンに執着している。世界を創り返られると言う、まるで神のような特権。その権利を手に入れようとする事は当然かもしれない。そして、その為ならばどんな手を使う事も厭わない人間が大半だ。それだけのリスクを負う価値があるのだから。

「襲撃してきた奴らは厄介な能力が多くて、ガキ一人で護りきることはできなくてよ。捕まって、それで全て終いだと思ったんだ。あいつが、クラウンが連れて行かれて終わりだってな。けど、あいつはクラウンを捨てて能力を手に入れた」

「……えっ……?」

 クラウディオの言っている意味が理解できず、慶太の口から声が漏れた。 

 今、彼は何と言ったのだろうか。

「この世界に来てクラウンになっても、何かのきっかけで能力を得ることは多い。むしろ、能力を得ずに王座まで辿り着ける人間は極僅かだ。今の皇帝で四人目って話だからな。初代は千年以上生きたって言われてるから、真偽は判んねえけど」

 この世界が執拗にクラウンを追い求める理由を知ったような気がした。能力を授かったクラウンは最早クラウンではない。ただの、この世界の住人なのだ。

 例え千人のクラウンが誕生したとしても、王座に辿り着く者は誰一人として居ないかもしれない。そんな不確かな存在がクラウン。そしてそれが、この世界の仕組み。

 そう簡単に世界を創り返る事など出来ないと、そう言っているような気がして、思わず身の毛がよだった。

「じゃあ、オレも……能力を授かったら、クラウンじゃなくなって、元の世界に帰れるの……?」

 絞り出すような慶太の言葉。

 地球に帰れるのならそれが一番言いに決まっている。能力を授かってクラウンでなくなれば、こんな危険な思いをする事も無くなる。兄にだって、普通に逢えるようになるだろう。

 しかし、クラウディオの表情は一層険しさを増した。

「お前に、死ぬ覚悟があるんならそうすればいいさ」

「……何、だよ、それ……意味判んない……」

 能力を手に入れるという話だけで、何故「死」に直結するのか、今の話の流れから推測する事は出来ない。

「この世界の人間は、生まれた時にはすでに能力を持ってる。だから、どんな能力を持ってたとしても普通に暮らしていける。だが、他の世界から来た人間、特にクラウンが能力を授かった場合、身体が変化に対応できずに壊れることもある。あいつも、そうだった」

 クラウディオが捕まり、成す術の無くなった親友は抵抗する事も出来ず、そのまま連れて行かれると思っていた。しかし、突如として親友を取り巻く様に風が吹き荒れたかと思うと、そこにはクラウディオの知っている親友の姿はなかった。

 獣のように伸びた牙、血走った眼、岩で出来たような右腕。その姿は、肉体変化の能力を授かったという証拠だった。

「クラスⅢなんて、この世界の人間にとっては取るに足らない能力だ。けど、突然の肉体変化に元クラウンが耐えられる筈もねえ」

 圧倒的な力で襲撃して来た者達を薙ぎ払い、全滅させた元クラウンの親友。クラウンなどどうでも良くなっていたクラウディオは、これで再び一緒に居られる、もう逃げ回る事無くずっと一緒に居られると思っていた。

 しかし、親友の能力は消える事無く発動し続けていて、土で出来た人形が崩れるように親友の顔や体がボロボロと崩れていった。そしてそれは、精神にまで影響を及ぼした。制御できない強大すぎる力。自らの意思に反して残虐になる心。その力は、必至で止めようとしている友である筈のクラウディオに向けられ、鋭く伸びた鋼のような爪がクラウディオを引き裂こうとして、けれどそれは親友自身の胸に突き立てられていた。

 血が飛び散り、目を見開くクラウディオ。何やってんだよと、罵倒するようなクラウディオの声を聞きながら、親友は微笑み、自らの心臓を抉り出した。

「自分がもう生きられないことも判ってたんだろ。能力が発動し続けるってことも。俺を殺そうとしてるってことも。だからあいつは、自分が死ぬことを選んだ。俺を殺す前に、な」

 この世界にとっては当たり前の事でも、他の世界では違う。本来ある筈のない情報が書き加えられた事で、身体のバランスが崩れ、崩壊する。それは死を意味している事になる。その変化に耐えられた人間だけが、この世界で生きていける。そうでない者は全て、死を迎える。

 それが、この世界。

 黙って聞いていた慶太は、ぎゅっと拳を握った。

「何だよ、それ……おかしいよ。死ぬかもしれないって分かってんのにこの世界に連れて来て、クラウンだからって狙われて危険な目にいっぱいあって、生き残ったって能力を持ったら必要ないなんて、そんなの酷過ぎるだろ! アンタらの身勝手に他人を巻き込んで、巻き込まれた奴だけ不幸なんて、そんなのないだろ!」

 クラウンは、この世界に存在しているだけで常に死と隣り合わせで生きている。能力を持っていない普通の人間だというだけで。勝手に連れて来られて、勝手にリスクを背負わされて。それも全ては、この世界の人間の身勝手な理由で。

 総てが、理不尽。

「こんなの間違ってるよ。世界って、こんなことして変えるもんなの? こんなことしなきゃ変えられないの? だったら、人って何だよ。世界って何だよ。世界の為に生きるのは違うだろ。人が生きる場所が世界、ただそれだけなのに」

 こんな風に、自分の思った事を口にするのは本当に久しぶりだ。今まで、ずっと怖いと思っていたから。

 兄が亡くなった時、慶太は泣かなかった。まだ三歳だった慶太には何も理解できなかった。けれども翌日から兄の写真を見るようになった。ビデオに映った兄の姿をずっと観ていた。笑いも泣きもせずに、ただ呆然と兄を観ていた慶太の姿はあまりにも痛々しくて、両親は涙を流していた。生きているのか、死んでいるかも判らないような慶太の姿に。

 そして、そこから周りが変わっていった。

 先ず変わったのは両親だった。最初は無表情で無言のままの慶太が可哀想だと思って泣いていた両親だったが、日を追う毎にそれは気味が悪いという感情へ変貌していった。病院に連れて行っても精神的に強いダメージを負った事によるものだと診断されるだけ。幼すぎて手が付けられないと帰される始末だ。

 そのまま、一ヶ月が過ぎた。生涯、慶太はこのままなのだと悲観に暮れていた両親。

 次に変わったのは晴馬だ。慶太の兄である蒼斗のように、慶太に接するようになった。それは行動だけではなく、言葉遣いや仕草も。見た目以外、兄とそっくりそのまま同じになった。そして姉と共に慶太を様々な所に連れて行った。

 親も、親友も、姉も、慶太が変えてしまった。それが慶太にとって喜ばしい事ではなく、自分のせいで皆が変わったと考えただけで苦しくなった。皆が哀しくなるなら、辛くなるなら自分というものは必要ない。皆と一緒で言い、そう思った慶太は次第に自分というものを隠すようになった。

 周りの人間と同じならば、誰かを傷つける事も悲しませる事も苦しませる事もない。そう思ったからこそ、個を捨てた今の慶太が出来上がった。

 けれど、悩み苦しんで決断したものをこの世界に全否定され、この世界の人間と共に過ごす事で、それだけではいけないという事を今の慶太は知った。

 自分の気持ちを、思いを話す事で気持ちが軽くなるという事を、慶太は実感した。

 黙って慶太の考えを聞き、意思を受け取ったクラウディイオは慶太の背中をバシンと叩いた。

「それでいい。世界に流されず、お前はお前のままでいろ。今のこの世界に足りないものだ。大事にしろ」

 何だか優しい声音と言葉に、慶太はクラウディオを見上げてへへっと笑った。

「な、に笑ってんだよ」

「だってさ、何かクロウが優しいなって。それに、ちょっと兄ちゃんみたいに見えたんだ」

「は? 俺が皇帝に?」

「違うよ。オレの兄ちゃんに似てる」

「意味分かんねえ。どっちもお前の兄貴だろ」

 不貞腐れるような、照れ隠しをしているようなクラウディオの言葉に、慶太は再び笑った。

「そっか、そうだよな。どっちも兄ちゃんだ」

 ハハッと楽しそうに笑う慶太に、元気になったならもう自分の出番ではないと言うようにクラウディオはベッドから立ち上がると部屋を後にし、壁にくっついて全てを聞いていたであろうアルフォンソとミーナローザを乱暴に部屋の中へと押し込んで廊下の奥へ消えて行った。

 押し出される形で部屋の中に入ったアルフォンソは、「やあ」と右手を上げながらにこやかに慶太に声をかける。

「アルフ、ミィ。心配かけてごめん」

「気にする事じゃないよ。一番心配してたのはクロウだしね」

 言いながら慶太の傍までやって来ると、アルフォンソは近くの椅子に座り、ミーナローザは慶太の隣にちょこんと座る。

「やっぱそうなんだ。いや、まさかクロウになだめられるとは思ってなくてさ、正直ビックリしてんだけど」

「そう? まあ、いつも乱暴だから判り難いと思うけど、実は一番の心配性なんだよ。何やかやで真っ先に駆け付けるでしょ?」

 そう言われれば、最初にストーカーに拉致された時も、クラウディオが真っ先に到着していたような気がする。海賊に襲われた時も飛び出して来たのはクラウディオが一番だ。どちらも、イライラが最高潮だっただけのような気もするが。

 そこまで思ってから、隣のミーナローザを見やる。

「そういや、ミィがあのドラゴンだったんだよな……助けてもらったのに、礼も言えなくて……ミィ、ありがとな」

 ミーナローザの能力は聞いて知っていた。けれども、それがあのドラゴンと直結する事はなくて、今の今まで頭から消え去っていた。

 今思えば、ミーナローザが左耳にしている黄色いガラス玉のついたピアスと同じものが、あのドラゴンにも耳飾りとしてついていた。ミーナローザ=ガリアードという事が判ると、崖から落ちた時に助けてくれた際、樹にぶつかったドジっぷりに納得してしまう。

 ハンクスの家にアルフォンソ達が迎えに来たのも、そのガリアードというドラゴンになったミーナローザが、慶太の声を聞いて捜し当てられたという事らしい。

 そして、最初に慶太がこちらの世界に来た時に、フィアレスティアに塔の上から落とされた際に怪我をしなかったのもガリアードが受け止めてくれていたからだと言う。知らないところで二度も助けてもらっていたらしい。

 数日経ってのお礼。けれどもミーナローザは気にした様子はなく、照れたようにニコッと笑うだけだった。お礼を言ってくれるだけで充分だよとでも言うかのように。

 ありがとうの気持ちを込めてミーナローザの頭を撫でると、彼女は幸せそうに顔を綻ばせている。相変わらず恥ずかしいのかミーナローザと話をする事は出来ないけれど、こうして触れ合えるだけで何だか嬉しいと感じている自分がいた。

「そういや、フィオは?」

 一人だけ姿が見えないと伝えると、アルフォンソはそっと笑った。

「心配してたよ。入っては来なかったけど、ずっと部屋の外にはいたから」

「そっか……」

 心配をしてくれていた事が分かっただけで、自然と笑みが零れた。影から見守ってくれていたというのも、何だか彼女らしいと感じる。 

 そうして和やかな空気が流れている時だった。

 開きっ放しのドアから何かが二つ、物凄いスピードで飛んできたかと思うと、それはアルフォンソの左肩と、ミーナローザの右手首に張り付いた。

 白く細長い紙に文字が書かれている。これは、お札だ。

「え……何……」

「この能力……は……っ!」

 突然アルフォンソは顔を歪めたかと思うと、頭を押さえてその場にしゃがみ込んでしまった。

「アルフ!?」

「その札は対象者の能力を封じる」

 突如響いた、耳慣れない男の声。声と共に現れた人物はドアのすぐ傍に立っている。それは、皇帝軍の軍服を身に纏った人物だった。細長い男が声を発し、その隣にニメートル近くありそうな体躯の良い大男がいる。

「皇帝軍……何で……」

「クラウンの身柄を確保する」

 何で皇帝軍がオレを捕らえるのか。

 その疑問はすぐに慶太の中から消え去っていた。自分はクラウンという存在で、この世界の王になる資格と王にする資格を持っている、今現在では唯一の人間なのだから。

 現皇帝にとっては、慶太は邪魔者以外の何ものでもない。

 逃げないと。そう思うけれど、クラウディオもフィアレスティアも居ない状況でどうすれば良いのか、慶太には判らない。

「させ……ないよ……」

 動く事も出来ずにただベッドに座っていると、未だ頭の痛みに顔を歪めながら、アルフォンソが慶太と皇帝軍の間に立ち塞がった。慶太を庇うように、護るように立っている。クラウディオ達のように腕っぷしがいいわけでもないのに、肉弾戦ならば慶太と差がない筈なのに、それでも皇帝軍に立ち向かっている。

 皇帝軍の男を睨み付け、慶太に近付こうとする事を拒んでいる。

 だが。

「邪魔だ」

 距離を詰めた大男に胸倉を掴まれたアルフォンソは簡単に持ち上げられ、そのまま窓の方へと投げ飛ばされた。

 瞬時に、慶太はマズいと思う。アルフォンソが投げられたのは慶太が先程、飛び降りようとしていた窓。つまり、その先は崖だ。

 背中から窓にぶつかったアルフォンソはガラスを破り、その向こう側へと落ちていく。

「アルフ!」

 すぐさま駆け出そうとした慶太だったが、細長い皇帝軍の男に手首を掴まれた為に動けず、アルフォンソの姿が窓の向こうに消えていくのをただ見ている事しか出来ない。しかし、その隣で駆け出していたミーナローザがアルフォンソの右手を自分の両手で掴んだ。

 間一髪のところで落ちるのを免れたアルフォンソ。しかし、ミーナローザの細腕でいつまで耐えられるのかは分からない。

「放せよ! アルフ達は関係ないだろ!」

 暴れる慶太だが、皇帝軍の男の力が弱まる事はなく、それどころか大男の方に軽々と肩に担ぎ上げられてしまった。皇帝軍の大男の肩の上で慶太が出来るのは、足をバタつかせる事と声を荒げる事だけ。

 しかし、いくら暴れても声を上げても一切慶太を気にする事もなく、又、アルフォンソ達を気に留める事もなく、皇帝軍の男達は慶太を担いだまま部屋から出てしまった。

「助けてくれたっていいだろ! アンタら最低だ!」

 喚き散らしても、聞く耳を持っている筈がない。そんな事は分かりきっている。けれど、大人しく黙っている事も出来なかった。

 友達だから。

 たった数日で何を言っているのかと言われるかもしれない。それでも、友達だ。

 しかし、慶太の声は虚しく響くだけで、階段を降りきるとロビーを抜けて皇帝軍の男達は宿屋の外へ出た。外には、十数人の皇帝軍が待ち構えていた。奥には、竜車をもっと厳重で強固なものにしたような、陸艦のような乗り物が停泊している。それは海上で見た戦艦とよく似ていた。

 何も出来ない自分が悔しい。

 じんわりと涙が浮かんだ時、名を呼ばれた。

「ケイ!」

 声の方を見るとそこには、地面に倒れた状態で皇帝軍に組み伏せられているクラウディオが居て、そのすぐ近くには、羽交い絞めにされているフィアレスティアの姿もある。二人共、肩に札が貼られているところを見ると、能力は封じられているらしい。あの札も、きっと能力の一種なのだろう。簡単には外せないようだ。

「クロウ、フィオ!」

 呼応するように二人の名を呼んだけれど、慶太に出来るのはやはり、それだけだった。

「くっそ、そいつをどうするつもりだよ!」

 威嚇するように、吼えるように声を発したクラウディオに、札使いの細長い皇帝軍の男がちらりと振り返ると、口を開いた。

「クラウンは存在するだけで皇帝の脅威となる。その為、命が尽きるまで皇帝軍の監視下に置く事となった」

「なっ! 死ぬまで王城に閉じ込めておくつもりかよ! ふざけんな!」

「それが皇帝の為。お決めになったのは皇帝だ。早く始末してしまえばいいものを」

「てめ!」

 腕に力を込めて立ち上がろうとした瞬間、押さえつけている皇帝軍の人間に更に上から押し付けられ、クラウディオは地面に突っ伏した。

「皇帝陛下を脅かす存在は全て滅する。それが我らの使命」

 つまり、皇帝にとって脅威となりうる存在は全て排除するという事。そこに例外など存在しない。この世界にとってのクラウン――普通の人間は存在するだけで皇帝の脅威となるのだから。今耳にした皇帝軍の考えでは、下手をすれば別の世界に行って殺戮をしかねない。

 これが、この世界にある唯一の法組織。現在の皇帝が創り出した法と秩序のある世界の形。皇帝の為ならば人を殺める事など厭わない、ここはそんな世界だ。

 この世界は歪んでいる。

 薄々感付いてはいた事だった。この世界は、下位クラスにとっては一見過ごしやすい世界だ。

 法も秩序も何もない無法地帯に現れた救世主とも呼べる王に心酔する人々。世界の安定の為に混乱をひた隠しにする上層部。世界を己の欲望の為に改変しようと躍起になる者達。必要とされ、遠い世界に来て能力が芽生えた事で価値がなくなり荒む普通の人間だった者達。

 全てが悪循環している。小さな歪みが、大きな歪(ヒズミ)となっている。この状況が続けば、きっと世界はこのままの姿であり続ける。創り返られる事などないのだろう。それが、恐らくは皇帝の狙い。

「ざけんな! てめえ!」

「せいぜい喚くことだ。それでも、この世界は何も変わらぬ。皇帝陛下が君臨している限り、何もな」

 完全に抑え込まれているフィアレスティアとクラウディオは、慌てたように動こうとしているが身じろぎをする事すらままならず、慶太も必死に逃れようとしているがそれも叶わず、叫び声に似た声で互いの名を呼びながら、慶太は陸艦の中へと消えて行った。


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